全く忘れていたはずの記憶が、懐かしいにおいをかいだり、子どもの顔を見ていたりして、思いもよらず蘇ることがある。
そのときに働く脳内の重要な仕組みがこのたび発見された。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した米国マサチューセッツ工科大学(MIT)利根川進氏らの研究グループの報告で、記憶を失う病気の対策など応用が広がりそうだ。
記憶は脳で保たれる
有力科学誌サイエンス誌で2015年5月29日に報告している。
記憶とは脳で保たれている。どうやって物を覚えているのか、神経細胞のネットワークに保存されるといったイメージはあっても、意外と、いわば物理的なレベルでは良くわからないようだ。
研究グループによると脳では「記憶強化」と呼ばれるプロセスがあり、神経細胞(ニューロン)に物理的または化学的な変化が起こて、記憶が脳の中で固まる。ここでどういった変化が起きているのかには謎がまだ多いという。
「長期増強」で記憶は強固に
研究グループは、記憶するときに起こる変化の中でも知られている変化に「長期増強(LTP)」という現象があると説明している。
神経細胞同士が足のように神経線維を伸ばして、お互いに結び付き合う。接点となるところは「シナプス」と呼ばれており、神経細胞と神経細胞の間で信号がやり取りされる。
この神経細胞の中で記憶は保たれることになる。
光遺伝子の技術を使う
研究グループはこの神経細胞で保たれている記憶を取りまとめる“司令塔”のような細胞があると突き止めた。研究グループは「記憶痕跡細胞(engram cell)」と呼んでいる。
検証するために使ったのは、「光遺伝学」と呼ばれる技術だ。
光遺伝学の技術とは、文字通り光を使って遺伝子に影響を及ぼす技術。光を当てることで自分の決めた特定の遺伝子を活性化するように変えられる。
例えば、喉が渇くという遺伝子に光を当てて活性化すると、喉が渇いていなくても水を大量に飲むようにするといった行動変化を起こすことができる(体重の8%もの水を飲ませる遺伝子、「喉の渇き」を解明する光遺伝学)。
研究グループは、光を使って引き金を引く記憶痕跡細胞を働かせ、記憶を蘇らせようと取り組んだ。
記憶に関わる海馬で発見
記憶をとどめておく神経細胞があったのは、脳の側面にあって記憶に関係する「海馬」と呼ばれる場所だ。
ネズミによる動物実験で検証した。
まずネズミに物事を記憶させる。このときに引き金を引く細胞が働くのに必要なタンパク質合成を邪魔する薬剤「アニソマイシン」を投与した。シナプスの強化を防いでしまう。
翌日に記憶を再活性化する処置をしたところ、記憶を蘇らせることはできなかった。引き金細胞が働くには、特定のタンパク質を要するためと見られた。
引き金で記憶が復活
ところが、この引き金細胞を光遺伝学の技術を使って強制的に働かせたところ、大きな変化が起きた。
マウスが喪失したと見られた記憶をすべて取り戻したと確認できた。引き金を引く記憶痕跡細胞が働くと、消えたはずの記憶が一挙に蘇ると証明したことになる。
記憶がふっと蘇る背景に、ここで確認できたのと同じメカニズムがあると研究グループは見ている。
健康な人で記憶が蘇るといった場合にとどまらず、記憶が失われるような病気も存在する。新たに発見された仕組みの応用範囲も広いと見られる。今後、注目されそうだ。
文献情報
Scientists use optogenetics to reactivate memories that could not otherwise be retrieved. MIT News correspondent May 28, 2015.
http://newsoffice.mit.edu/2015/optogenetics-find-lost-memories-0528
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26023136
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