石川収容所 (うるま市石川2丁目) 2007年11月撮影
石川市(当時美里村字石川)は人口約2000名の小さな農村集落であったが、米軍が上陸直後の4月3日に避難民収容地区に指定したため、その後各地からの避難民が増加して最終的には3万人にまで膨れあがった。テントや茅葺きの掘っ立て小屋、仮設住宅が所狭しと建ち並び、一大都市の様相を呈したが、1946年10月には石川収容所は解散された。戦後の資料の中には石川収容所と屋嘉収容所を同じ収容所として扱っているものがあるが、石川収容所は民間人の収容所であり、屋嘉収容所は軍人・軍属を主として収容した施設であった。 写真の撮影場所は現在ではうるま市の国道329号線沿いにある琉球銀行の裏側の道路から南側に向けて撮影されたものである。現在は商業地や住宅地となり遠景を見ることは出来なくなった。 |