先日、とある地方小規模国立大学の理事の方とお話しする機会があった。話題は文系学部の縮小や、国立大の三分類化についてであった。いくつかびっくりすることがあったので紹介するが、裏を取っていないので、あくまで「噂レベル」として受け止めていただきたい。
- その大学では(全国じゃないです)、文系学部の学生定員は「半分ぐらいなら残してもいい」と言われたという。
- 「地域特化型」は文系だけでなく理系においても求められる。ある理系教員曰く、「地元指向の科学って、いったい何の事だ?」
- 「地域特化型」の大学においては、卒業生を地元に就職させることが求められる。数値目標まで出させられるとか。
1)について
心の底から、噂だと思いたい。文系学部の学生定員半分になるという事態の恐ろしさが、リアルに想像できないぐらいだ。教員の定員は、学生定員を根拠に算出されることが通常なので、これは当然教員の数も半分になることを意味する。
消えてなくなる専門分野が続出するだけではない。カリキュラムの体系が、体をなさなくなる怖れがある。いや、きっちり作ってあるカリキュラムであればあるほど、実行不可能になる。
2)について
そりゃそうだとおもう。「地元指向の科学」って、それはもう「科学」ではないだろう。それは端的にいって技術開発でしかない。
繰り返し述べているが、教育は大学ごとに行っているが、研究は個々の大学を越えた「学界」で行っている。国立大の理系が、一部の研究大学だけを残し、それ以外の大多数の大学では「地元シフト」にされてしまった場合、研究大学における研究の質も保てない。人的交流や切磋琢磨が起こらないからである。
3)について
本当だとしたら、文部科学省の考えていることが本当にわからない。日本の大学の活性化のためには、人材の流動化が必要だと言っていたのではなかったか。それともそれは、大学教員や、優秀な留学生だけに該当することなのか。
国立大の卒業生が、地元で活躍することは歓迎すべきことだが、大学に数値目標を挙げさせるということは、大学に対し卒業生を地元へ誘導させるよう求めるということを意味する。
地域にとって大学は、外部の知的な刺激や、新しい情報を仕入れるチャンネルであるはずだ。チャンネルは外部に開かれているからこそ、外からの情報が入る。そのチャンネルが地元向けに最適化され、卒業生も地元から上がって地元に定着するような狭い回路が形成されたらどうなるのか。停滞は、火を見るより明らかだろう。
人文社会系の学部が、
国立大学において廃止・縮小されると、その影響は受験という回路を通じて国立大に進学しない層の人々にまで及び、社会の価値観を変えてしまう(「
国立大の「理系シフト」と高校現場、そして親たち - 日比嘉高研究室
」)。
人文科学系の学部が痩せ細っていったらどうなるか。簡単に言えば、人文社会系の知識においては高校卒業レベルの知識しか持たず、また関心もないという人々が、大量に社会に輩出されるという事態になっていく。
しかも、人文社会学系の廃止・縮小にあわせて、政府は職業訓練型の大学を設置し、既存の大学もそれに向けてシフトするよう計画している。
最近の安保関連法制や、歴史認識をめぐる国会およびネット上の言葉を読んでいて、私は強い危惧を持っている。与党の副総裁が「たいていの憲法学者より私は考えてきた」と言い放って恥ずかしいとも思わず、自国の不都合の過去を糊塗するような歴史観に政府が肩入れして教科書まで変えていこうとする時代である。
これ以上、私たちの社会の人文社会系の知を後退させてはならない。