「ゼノブレイドクロス」 感想&考察 惑星ミラはどこにもない 世界には意味が無い
そう惑星ミラはどこにもない。100時間前後を超える体験があろうとも、この世界に関して認識したり理解するようにはできていない。
そこにはJRPGの進歩の名目の中、暗に睨んでいるだろう海外AAAタイトルのRPGであるとか、オンライン、そしてオープンワールドの要素などなどが絡み合った不気味で、しかし意味深いカオスが展開されている。
とびっきりのリニアな進行で、言葉多くムービーを多用してシナリオを進行させていたモノリスソフトが完全にリニアを捨て去った転回。そこは革命的というよりも、何十時間触れていても世界観が浸透してこない恐るべきドライで、抽象的な体験が展開されていた…。
ゼノシリーズのヴィジョン
「ゼノブレイドクロス」のアートスタイルは、まさに過去のゼノシリーズの総決算にふさわしい。1998年の「ゼノギアス」が見せたビジョンが2006年「ゼノサーガ EP3」(EP3ね。)を超え、「ゼノブレイド」を経て完全にアップデートされきった姿だ。
前作「ゼノブレイド」こそ、もともとは「モナド」というタイトルのシリーズのつながりの薄い、まったく別の作品でアートスタイルもほとんど過去作品とは重ならなかった。だが今回はキャラクターデザインに「ゼノサーガEP1」以来長らくゼノシリーズから離れていた、初代の印象を決定づけた田中久二彦が再び手がけているなど、アートスタイルの布陣は周到だ。もしゼノギアスが、ゼノサーガが今の技術でリメイクされたのならば?という瞬間を幾度も見せる。
根本のアートスタイルは17年前のスタイルから引き継いでいる
ニューロサンゼルスの造形もほんとに「ゼノサーガEP3」のフィフス・エルサレムシティのデザインからそれほど変わらない
序盤の「ゼノブレイド」らしいシングルRPGにMMORPGのメカニクスを搭載した、膨大なクエストを受け探索と戦闘を繰り返すゲームサイクルは今回も健在である。だが今回は生身で平原を駆け抜けるところからさらに推し進められ、マクロの視点が用意される。惑星の各地にデータプローブという資金や資材を確保するポイントを設置することによる簡単なシミュレーションゲームのような要素、そしてハイライトの一つであるロボ、ドールの搭乗がそれだ。
「ゼノギアス」ならば未完成と名高いDISC2の結末でフェイとエリィが全裸で駆け抜けるトホホラストシーンくらいまでの時間を経て、いよいよドールに乗り込めるようになったあたりからゲームプレイが激変していく。生身では歯が立たない強敵を撃破し、空すら飛べるようになれば探索不能だった場所を自由に行き来できる。MMOをモデルにしているがゆえの徒歩時には行き詰まりやすいレベルアップも堰を切ったように上げやすくなり、ゲームプレイの根幹が大幅に変わる。
良くも悪くも視座がいきなりミクロなものだったところからマクロなレベルにぶっ飛ぶ具合、それはまさにゼノシリーズ高橋監督作品ならではの体験の一つである。さらに今回はそこに海外RPGの影響を受けているだろうデザインがなされているのだが、そこでは奇怪なことになっているのだった。
マスエフェクトとの比較 SFを通した国や人種の暗喩 そこで見だされるのは…ネットで流行る群馬県いじりかよ!
少なくない人が思っただろうが、「マスエフェクト」をはじめとしたBiowareのRPGを想起させる要素がいくつもある。
クリエイトしたキャラがガンガンしゃべり倒し、プレイヤーの選択によって情勢が変わる
数多くの異星人や異種族と関わり暮らすことになっていくみたいなスペースオペラをモチーフにしてることが当然ある。しかしそのほかにイベントの会話に選択式で参加させていくこと、フィールドレベルやサーチレベルみたいなスキルレベルによって探索できるポイントが限られることなど「マスエフェクト」体験を思い起こさせる要素がいくつもある。
しかし…「マスエフェクト」と比べてみてもっとも引っかかるのはゲームメカニクスのぎこちないそれではない。ありがちな多数の異星人とかかわるスペースオペラというモチーフを使いながら、その奥にどういう暗喩が含まれているかだ。こればっかりはアジアとヨーロッパ各国、アメリカでまったく意味が異なってくるのでおんなじようなファンタジーやSF扱っていようが歴然とした差が出てくる。
「マスエフェクト」は多数の異星人とかかわる。そこで豊富な会話の選択肢が重要となるのだが、ゲームを進めれば進めるほどそれぞれの異星人同士の相容れない文化差、そして歴史や国家の中での立場というものが明確に浮かび上がる。プレイヤーである人類側のシェパードは与えられたミッションの中で、それらに対峙していく。時には人種間のどうしようもないレベルの諍いにも決断しなくてはならない。
それはやはり多民族国家であるアメリカの暗喩のようだ。様々な人種の歴史や立場、相容れない部分さえ考慮して、最終的にコミュニケーションの着地点をプレイヤーが見だしていく構成は向こうにしかない感覚。製作したBiowareはカナダなのだけど。
おおよそSFやファンタジーやると意外にもその国が出るみたいな話からゼノブレイドクロスを見るとすごい。表向きはニューロサンゼルスが地球を飛び出し未知の惑星を開拓し、他種族と交流していくみたいなアメリカ建国物語みたいな背景を持っているにかかわらず、遊びこむほどに浮かび上がるのはむしろ日本。
惑星ミラを探索してニューロサンゼルスに資源を与えていき、様々な異種族を移住させていくというのはぜんぜんアメリカのアナロジーと感じられず、むしろどニューロサンゼルスの一極集中の構図は東京の中央集権の状況ばかりを思い起こさせる。
なので登場する異星人というのがどんな暗喩かというとこれがひでえもので、「マスエフェクト」みたいな様々な国家や人種のるつぼのそれではなく、ぶっちゃけ地方民。異星人のニューロサンゼルス移住はあれは地方から仕事に上京してきたような感じ。ノポン人は群馬県民扱い。
13歳のインターナショナル天才ジーニアスメカニック少女リンちゃんの繰り返されるノポン人タツへの食材ネタ。まるで世界の面白いことがわずかである少女はむなしい群馬県いじりをえんえんとおこなう。エルマたちは穏やかに見つめる。ニコニコ動画でドローン事件を起こした少年に金銭的な支援をしていた大人のように。
「マスエフェクト」にもノポン人的な小さなコメディリリーフ扱いされかねないデザインの異種族がいるわけなんだが、その背景はハードだ。あっちは多民族国家の暗喩なので下手にイジりなんてないよね、あったとしてもアメリカのコメディアンなみに人種の背景踏まえてからイジるみたいなそれと比較すると、「ゼノブレイドクロス」の多種族が絡みあうリアリティレベルはおおよそ東京から地方のネタを扱うそれだ。
遊べば遊ぶほどニューロサンゼルスと惑星ミラの状況がある種地方と東京の無自覚な暗喩としか見えず、ニューロサンゼルスに関してすごく詳しくなっていくのだけど謎の惑星ミラ、そしてその周辺の異星人たちがいただろう惑星といった外部に関しての世界観とか情報が一向に見えてこない。そこがまた日本の暗喩としてのスペースオペラって感じ。なんといっても「絆」ってキズナグラムとかいうシステムが中核に据えてあるくらいだしな。
…っつってしまえばいいんだけど、そんなふうになってるのも過去にない作り方をしているせいだと思う。
オープンワールド時代の物語と世界の語り方
ゼノブレイドでのMMOメカニクスのシングルRPGの導入から、さらにシームレスに自由に動けるようになったオープンワールドのデザイン。それはプレイヤーをリニアな進行から解き放つ。しかし日本のRPGでの導入は大きい。海外シーンからいよいよ日本の「MGSV」から「FF15」も採用したこのデザインは、一方的に膨大なムービーやテキストによって物語や世界観を伝える方法が使いにくくなっていることも意味してる。
「ゼノブレイドクロス」は過去と完全に異なっているのは世界観と物語の伝え方だ。かつては映画的な手法を利用し、ユングや聖書を引用した膨大なテキストによって一方的に伝えていた手法から手を切っている。膨大な空間の探索、そして数多くのクエストの中から世界や物語を伝える真逆の方向になっている。
しかしそれが上手くいっているとは思いにくい。大抵のRPGのメインイベントと別の、サブイベントというのがあまりにも世界観や物語の流れとかけ離れた内容であり、その世界のルールであったり物語全体をプレイヤーが想像していくみたいにできていない。
「エルダースクロール」シリーズや「fallout3」のベゼスダのRPGを思い浮かべればわかりやすいだろうか?
このあたりは最近取り沙汰されてる環境ストーリーテリングやレベルデザインの方面から物語や世界観を伝える手法が欠けているせいではないか?惑星ミラがなぜこんなにも地球環境に近い形になっているのか、周辺の異星人とのパワーバランスはどういうことなのか、そうした世界観の情報を助けるテキストもインタラクティブもない。コレペディアだとかキズナグラムといったプレイヤーが情報を集め、世界観を知っていくきっかけになる非常に優れたシステムを持っているにも関わらず、世界観を補足していくことにほぼ利用されていない。異星人との対人関係くらいまで。
そして惑星ミラはどこにもない 世界に意味が無い
海外のオープンワールド作品は、世界に圧倒的に意味付けが為されている。プレイヤーは架空の世界のルールやリアリズムを体得していく。 それと比べて 「ゼノブレイドクロス」は世界には全く意味が無いという事実を突きつける。それが良い。
それは海外ゲームが突き放すような作りみたいな話とは別だ。オープンワールドはゲームのルールとかメカニクスを忘れるように世界そのものを感じさせるようにする最大の意匠だし、それを最大限生かすために環境ストーリーテリングの技術やテキストが欠けてる。
にもかかわらず 「ゼノブレイドクロス」は実態のない惑星ミラのなか、日本の暗喩みたいなニューロサンゼルスを駆け巡る体験は特異で印象深い。日本のオープンワールドRPG体験
そうリニアに、一方的な進行や演出を外したなかですべてがサブイベント化したといえる 「ゼノブレイドクロス」の世界には意味がない。皮肉じゃない、世界にさも意味があるかのように徹底して作り上げる海外RPGがある意味でゲームのルールであるとかメカニクスを忘れ去るかのように振る舞うのに対し、 「ゼノブレイドクロス」は遊びこむほどに惑星ミラやニューロサンゼルスといった架空の世界の全体像よりも、MMOやオープンワールドを行き来した(奇妙な)シングルRPGのメカニクスで動かされている。それが作中の主人公たちが実は本体は別にありアバターのアンドロイドとして活動しているというメタフィクションみたいなところがあっていい。
世界には意味は最初からないんだ。ゼノシリーズらしいミクロからマクロへの爆発的な展開、膨大な野心と未完成な部分、そして広がる背景の中で躍動するロボットバトル。過去ゼノギアスから続く、驚嘆と脱力がまぜこぜになった体験。ところどころにあるドメスティックで殺伐とした展開など、膨大のムービーで物語を進める時代、そしてMMOやオープンワールドの時代を経た今も変わらない。そして高橋作品を遊ぶオレに去来するいつもの感慨もまた、変わらない。どれだけ意味を繕おうとも、世界には意味がないというただ一つの事実だ。
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