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第4話 目覚め
耳元でパチパチと音がした。
薪が燃えている、そんな音だった。
目をつぶったままでも、何か温かいことが分かる。
俺は――ジョン・セリアスは、それを確認して目をゆっくりと開いた。
「……ジョン。起きたか」
起き上がった俺に、安心したようにそう声をかけてきたのは、ケルケイロである。
その顔には少し擦り傷があるが、体には何も問題がなさそうに見える。
しかし、不思議なことに彼の身に着けているチェインメイルは一部が裂けおり、血液が乾いて赤黒くなったものも付着している。
あの様子からして、無傷だったとは思えないのだが、現実にケルケイロにどこか不調があるようには感じられない。
いったい何があったのか、気になった。
そもそも、あのあとどうなったのか。
俺の記憶は竜の息吹を防いだ直後で途切れている。
まずは、状況の確認をしなければとケルケイロに話しかけた。
「あぁ……体の調子も悪くないな。なにがどうなったのかは全く分からないけど、まず、ここはどこだ?」
きょろきょろと喋りながら周りを見渡す。
すると、まず、おそらく崖の下なのだろう、という感じがするような岩壁が目に入った。
地面も同じく岩であり、気絶する直前までは確かに俺たちは魔の森にいたはずだったのだが、これはいったいどういうことだと首をかしげる。
しかも妙に周囲が暗い。
夜だから、なのだろうか。
森の中は確かに暗かったが、それにしても暗すぎる気がする。
たき火がなければ真っ暗かもしれないというほどだ。
森には多少の月明かりがあったはずだし、ここまで真っ暗なのはおかしい。
だからこそケルケイロはたき火をしているのだろうが……なぜここまで暗いのだろう。
そんな俺の質問にケルケイロは答えた。
「どこだ、と聞かれると俺にもよくわからないが……状況が一発でわかる方法がある。ジョン、上を見てみろ」
そう言われて俺は視線を上にやる。
するとそこには光が漏れだす穴が開いているのが見えた。
あまり明るい光ではない。薄青いわずかな光だが、確かにある。
さらに、そこには空が見えた。
真っ暗、というよりはわずかに青みがかっている闇だったが、あれは確かに空だ。
なぜ、あんなところに……と、考えてから、投げかけられたケルケイロの言葉で今の俺たちの状況がある程度わかる。
「俺たちはあそこから落ちてきたのさ。それで、ここで立ち往生してる……」
俺は驚く。
あんなに高いところから落ちてきたのに、よく生きていたものだ、というのがまず一つ。
それに、ケルケイロの落ち着きようにも。
ふつう、こんな状況に置かれたら普通の子供ならもっと焦るだろうに、ケルケイロにはそういうところがなかった。
やはり、大貴族の総領としての教養や振る舞いを叩き込まれているだけあるのかもしれない。
冷静に周りの状況を見て、行動を考えられるのは前世でも彼の美点であったが、それはどうやら子供のころからのものだったらしい。
俺は、一つ目の疑問についてケルケイロに尋ねる。
「……俺もお前も怪我一つないみたいだが、あんなところから落ちてよく無傷で済んだな。生きているだけでも運がいいっていうのに……」
それに対してケルケイロは少し顔をゆがませ、
「……まぁ、いろいろあってな。別に無傷だったわけじゃないぞ。俺も、お前も」
その言い方にはかなり含むところがあるようで、どうしたのかと俺は不思議に思った。
すると、その瞬間、
「そこ、については、ニコが説明して、あげる?」
と妙に片言なしゃべり方の少女の声が響いた。
周囲には俺と、ケルケイロ以外には何の気配もなかったのに、唐突にその声が聞こえてきたのだ。
俺は驚いて、周りをきょろきょろと見回した。
すると、一体、いつからそこにいたのか、ケルケイロの背後の闇からにゅっとその少女が現れた。
見た瞬間、思ったことは、一つだ。
――浮いている。
こいつはどう考えても、ファレーナの仲間だということだ。
浮かべる表情がよく似ている。
ファレーナよりも冷たいというか、表情が豊かな感じではないが、その瞳の暗い光がそっくりだ。
なんでこんなものが、こんなところにいるのだろう。
こいつらは、そう簡単に見つかるものじゃない。
そもそも呼ぶためには“皿”がなければならないのだ。
それなのに……。
とふと思って、ケルケイロの首に、俺が持っていたはずの“皿”が下げられているのが見えた。
「……おい、ケルケイロ。そいつは……」
“皿”を指で示して尋ねた俺に、ケルケイロは、
「ん? これか。これはなんだかいつの間にか手に握ってたんだ……あれ、もしかしてお前のか?」
「あぁ。しかし、おかしいな。渡した記憶はないんだが……落としたのかな?」
「まぁ、俺が持ってたんだから、そうなんだろう。落ちてくる途中にはずれたんじゃないか? で、俺が無意識に手に取ったとか……何か掴もうと必死だったからな」
「そうか……そうだな」
今一納得できない部分があるが、そういうこともあるだろう。
ケルケイロは金持ちであるし、わざわざ人からものを盗む必要などない。
そもそもそんな性格でもないし、俺から奪ったというのは考えられない。
その証拠、というわけではないが、俺が自分のだと主張した“皿”を大した執着もなく首から外し、渡してきた。
「もうこれがなくても平気なんだよな?」
その言葉は、俺ではなく浮いている少女に向かってのものだったようだ。
「……もう、契約は成立した。それがあってもなくても……だいじょうぶ」
聞き捨てならないことをさらりと言った。
つまり、ケルケイロはこれを呼び、契約を結んでしまったというわけだ。
俺の意識が覚醒していたら、絶対にそんなことはさせなかったが、しかし、今更言ってもどうしようもない。
こいつらは……ファレーナたちは、契約の解除ができない。
そもそも、しても無駄だ。
契約した時点で魂をいくらか持っていく。
それなのに何もさせないで契約解除するのは払い損以外の何ものでもないだろう。
だから俺はケルケイロにそいつを遠ざけろとも力を借りるなとも言う気はなかった。
ケルケイロは少女の言葉に頷き、俺に“皿”を差し出す。
「助かったぜ。たぶん、これのおかげでこいつに会えたんだからな」
とさわやかな笑顔で言った。
その表情に果たしてケルケイロはこの少女が一体どういう存在なのか正確に理解できているのか、と思ったが、すぐに、
「……幸運だったのか悪運だったのかは何とも言えないところだけどな」
と付け足したので、どうやらわかっているらしいと理解できた。
「それで、そいつの名前は?」
“皿”を受け取りつつ、俺が尋ねると少女の方が答える。
「ニコは、ニコだよ……“もの病みのニコ”。よろしく……」
手を差し出して、彼女はそう言った。
もの病み、と言う彼女、ニコの自己紹介を聞き、俺は納得した。
なぜ、ケルケイロや俺に大した怪我がないのか、ということが。
ケルケイロが怪我をしたようなのに、無傷な理由が。
こいつらは、それぞれ独特の力を持っている。
魔術とは異なる、ほとんど特殊能力と言ってもいい力だ。
そして、それを象徴する二つ名を持っている。
ファレーナもあるはずなのだが、彼女は最後までそれを教えてくれなかった。
そんなことはどうでもいいじゃないか、と言って。
何ができるのか知っておくことは重要だから教えてほしいと言っても、大概のことはできるから問題ないとも。
確かに言ったとおり、彼女は大抵のことができた。
他のものと比べて、その能力の範囲は恐ろしく広かった。
だからこそ、俺が最後まで生き残れたというのもある。
ニコの場合は、“もの病み(モルブス)”ということだから、それに関係する能力があるのだろう。
怪我の治療なども、出来るはずだ。
こいつらは、その二つ名そのものと、二つ名の反対のことができることが多い。
つまり、俺とケルケイロの傷を治したのは、こいつ、ということなのだろう。
とはいえ、絶対というわけではないので俺はニコの手を握り返しながら尋ねる。
「俺と……ケルケイロの怪我を治してくれたのは、お前か?」
「うーん。なんとも言えない。ケルケイロの怪我は治した……けど、ジョンの怪我は大したこと、なかったから。意識を覚醒に導く手伝いをした、だけ……」
つまり、ケルケイロの怪我は結構大きなものだった、ということなのだろう。
チェインメイルの裂け具合からも、そして出血の多さからもそれが理解できる。
「……ケルケイロ、お前大丈夫なのか?」
ニコの力によって治った、とはいっても、それは外見だけかもしれない。
失われた血が元に戻ってるのかどうかはわからないし、内臓などにも問題がある可能性はなくはない。
俺はファレーナは付き合いが長かったので信用しているが、こいつら全体について信用しているわけじゃない。
そもそも、こいつらにはいろいろなやつがいて、わざと人の言葉を曲解するようなやつもいないではなかった。
即座に信用することは出来ない。
ケルケイロは俺の言葉に、腕を回したり、体を回したり、飛び跳ねたりしてから答えた。
「見ての通り、ピンピンしてるぜ。まぁ……正直、我ながら俺はお前が目覚める少し前までひどい状態だったからな。そのときの痛みやら意識のもうろうとした感覚からすれば、調子が良すぎるくらいだ。気のせいかもしれないが、怪我する前よりも体の調子がいいような気がする」
それは気のせいではないだろう。
俺も、ファレーナと契約してから体の感覚が変わった。
「お前、ケルケイロの体に何かしたのか?」
俺がニコに尋ねると、彼女はわずかに微笑み、
「調子の悪そうなところは全部治した……。それに、体と魔力のバランスも調整した。これからはこまめに調整する……」
と恐ろしいことを言っている。
俺の前世のような時代ならともかく、平時にやるようなことではないと俺には思えたからだ。
人の体をいじくりまわすなど、危険にもほどがある。
そう思って、俺の眉をしかめたのだが、ニコは俺の言いたいことがすぐにわかったらしい。
「ニコは、だれよりも人の体をいじくるのが上手。心配、しなくていい……健康は害しないし、人としての機能はすべて通常通り、維持する……」
と言った。
ケルケイロはそんなニコに台詞に笑い、肩をすくめた。
「……ということらしい。俺もな、一応貴族だからこれからのことを考えなきゃならないんでな。子供を作れなくなったりしたら困るんだ。そしたら、そういうのは問題ないってさ」
本当か?
と尋ねたいところだが、ここは本当なのだと信じるしかないだろう。
「そもそも、こいつがいなきゃ、俺は死んでいたしな。仮に嘘でも、まぁ、仕方ないさ……」
とケルケイロがつぶやいたが、ニコは、
「ニコは、嘘、つかない……」
と心外そうに言っている。
その表情はその見た目の年齢通りの素直なものに見えるが、こいつらは見た目通りの年齢であることなんてない。
そもそも、こいつらの形に意味はない。
人の形をとっているものもいれば、動物や魔物の形をとっているものもいる。
不定形なものだっていたくらいだし、常識で理解しようとすることは無意味な存在なのだ。
とはいえ、
「まぁ……そうだな。死ななかっただけ、良しとするしかないか」
結局はそういうことだろう。
そう思って俺はそう言った。
「あぁ。そうだぜ。それに、そういう子供がどうとか体がどうとかは、ここを出てから心配したいな。さっきも言ったが、俺たちはあそこから落ちてきたんだ。どうにかして登らないとならねぇ」
上を見ながらケルケイロが言う。
遥か高いところに穴が見えるが、あそこまで登るのは簡単ではなさそうな気がした。
とっかかりもないのだから。
魔術を使えば何とかなるかもしれないが……。
しかし、そんな俺の考えを見透かしたように、
「それに、お前が寝てる間に、あの向こう側には何度か竜がうろついているのが見えたからな。できればあそこからは出ない方がいいだろう」
とケルケイロが続けた。

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