NHKスペシャル 東日本大震災「元気に老いる〜生活不活発病・被災地の挑戦〜」 2015.06.13


足上げててね。
全国で介護を必要とする人587万人。
寝たきりの人110万人。
急速に増え続けるこの数字をどうすれば抑える事ができるのか。
超高齢社会日本の課題です。
そのヒントとなる取り組みが東日本大震災の被災地で進められています。
宮城県の南三陸町です。
町を挙げて始まった介護対策が今効果を上げています。
80代のこちらの女性。
このままでは寝たきりになると思われていました。
専門家の指導を受けたところ1か月後見違えるように回復しました。
町ぐるみの取り組みが始まったきっかけは東日本大震災。
被災地ではこの4年全国を上回る勢いで介護を必要とする人が増え続けてきました。
こうした中南三陸町は大規模な住民調査を実施。
その結果介護状態を引き起こすある病気が増えている事が分かってきたのです。
生活不活発病です。
日常生活で体を動かす機会が減ると骨や筋肉呼吸器など全身の機能が急速に衰えていきます。
今介護状態になる人の3割以上が生活不活発病によるものだと考えられています。
国内でも例を見ない生活不活発病を食い止めるための取り組み。
それは寝たきりになるのを防ぎいきいきとした老後を取り戻すための試みです。
被災地で始まった新たな挑戦を追いました。
(鎌田)東日本大震災から4年3か月余り。
ここ南三陸町をはじめ被災地では復興に向けて土地のかさ上げ工事や災害公営住宅の建設が進められています。
その一方で急速に進行しているのが高齢化です。
それに伴って介護を必要とする人も増え続けています。
こちらをご覧下さい。
これは高齢者のうち介護を必要としている人の割合がどれだけ増えたかを示したものです。
被災した沿岸部では震災後全国平均を上回る勢いで増加している事が分かります。
その大きな要因として指摘されているのが体を動かさない事で全身の機能が衰える生活不活発病です。
聞き慣れない言葉かもしれませんが放っておくと最後は寝たきりになってしまう病気です。
しかし早期に対策をとれば回復し介護が必要な人を減らす事ができるとして注目されているのです。
その対策にいち早く乗り出したのが南三陸町です。
その取り組みを取材しました。
東日本大震災で600人を超える人が犠牲になった…人口1万4,000人のうち今も4,000人余りが仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。
その4割近くを高齢者が占めます。
介護を必要とする人も震災前に比べておよそ2割増えました。
この日一人の医師が町を訪れました。
生活不活発病の第一人者大川弥生さんです。
震災直後から町と一緒に生活不活発病対策に取り組んでいます。
仮設住宅に暮らす高齢者の体調がどう変化しているのか聞き取りを進めています。
年のせいで体が衰えたと訴える高齢者たち。
その陰に生活不活発病が潜んでいる事が少なくないといいます。
通常の老化では年齢とともに体の機能が徐々に衰えていきます。
一方何かのきっかけで体を動かさなくなると衰えは急速に進行します。
これが生活不活発病です。
ところが多くの人はこの変化を年のせいでしかたないと諦めますます動こうとしなくなります。
そのため心身の機能は更に低下し続けついには寝たきりにもなるのです。
しかし生活不活発病にいち早く気付き適切に対応すれば症状を改善できると大川さんは考えています。
3月大川さんは仮設住宅に暮らす80代の女性を訪ねました。
最近体力が急激に衰え家族が心配していました。
(菅原)そう。
受け答えは元気そうですが去年から歩くのが不自由になったといいます。
これまで難なくこなしていた台所仕事もつらくなっていました。
イテテ…。
長く立ってたからかな。
家の中を移動するのも何かにつかまらなければなりません。
歩くのが不自由なため活動量はかなり低下していました。
仮設団地でみちゑさんが休まず歩けるのは家から50メートルほどの所にある集会所が精いっぱい。
そのためほとんど外に出歩かないといいます。
つえなんかついていなかった?あのころつえも何にも…。
大きな病気をした訳でもないのに体の機能が衰えているみちゑさん。
しかも以前と比べ活動量がめっきり減っている事から大川さんは生活不活発病と診断しました。
大川さんはみちゑさんの「疲れやすい」という言葉に反応しました。
疲れやすいのは年のせいではなく生活不活発病の症状である事が多いといいます。
生活不活発病は骨や筋肉だけでなく呼吸器や脳など全身の機能が低下するのが特徴です。
そのためみちゑさんのように次第に動きにくくなり疲れが出やすくなります。
ほかにも立ちくらみや食欲の低下など体に現れる症状。
更には認知機能の衰えやうつ状態など精神的な症状が出てくる事もあります。
そのため加速度的に体を動かさなくなっていくのです。
被災者に限らず誰にでも起こりうる生活不活発病。
大川さんは災害が起きた時にそれがより大きな問題となる事に10年以上前から警鐘を鳴らし続けてきました。
大勢の患者にリハビリを行ってきた大川さん。
安静にし過ぎる事がかえって体の状態を悪化させる事に気付きました。
また大きな余震が…!余震です余震です!そうした中2004年新潟県中越地震が発生。
その直後生活不活発病が疑われる人が急増します。
その数は高齢者のおよそ3割に上りました。
以来大川さんは多くの災害現場を訪れ生活不活発病の危険性を訴え続けてきました。
しかし4年前に起きた東日本大震災でも生活不活発病の発生を食い止める事はできませんでした。
狭い場所で過ごす避難所での不自由な暮らし。
ほとんど体を動かさない日々が生活不活発病を引き起こしていきました。
そんな中大川さんは南三陸町と共に全国でも例を見ない大規模な対策事業に乗り出します。
まず取り組んだのは全町民を対象にした詳細な調査。
生活不活発病の実態を把握し対策に生かそうと毎年継続して調べました。
その結果意外な事が分かりました。
不自由な避難所生活が終わっても歩行が困難になり生活不活発病が疑われる高齢者が増えていたのです。
その背景には高齢者が避難所を出てからも体を動かさないという現実がありました。
理由を尋ねると最も多かったのが家の中でも外でもする事がないというものでした。
生活不活発病と診断された菅原みちゑさんです。
27年前に夫を亡くし地域の人たちに支えられながら行商の仕事を続けてきました。
重いリヤカーを引き半日歩き回っても平気なくらい健康には自信がありました。
ところが震災後生活環境が一変します。
津波で家を流され東京の息子のもとに身を寄せてから出歩かなくなり一気に活動量が減ったのです。
一時は自力で立ち上がるのも難しいほど体が衰えたといいます。
生活不活発病の引き金になるのは避難生活だけではありません。
家が高台にあったため津波による被害は免れその後も自宅に住み続ける事ができました。
しかし震災をきっかけに漁師の仕事ができなくなり外に出る機会がほとんどなくなりました。
良雄さんにとって70年以上続けてきた漁師の仕事は生活の中心でした。
生きがいである仕事を失った事でふさぎ込むようになり家で寝て過ごす事が多くなりました。
僅か3か月ほどで家の前の坂道が上れなくなったといいます。
家族は急に老け込んだ良雄さんの姿に驚きました。
その後漁を再開する事ができた良雄さんは震災前の体力を取り戻しつつあります。
しかし仕事を失ってからあっという間に体力が落ちたのは思いもしない事でした。
する事がなくなると社会とのつながりを失う。
その事で体が衰えて生活不活発病に陥るという人が増えているという現実が分かってきました。
こうした事はなにも被災地に限った事ではありません。
漁師をしていた男性のようになりわいとしていた仕事を失ったり引っ越しなどでコミュニティーとのつながりがなくなったりする事で家に引きこもりがちになり体を動かさなくなる高齢者は少なくありません。
つまり誰にでも起こりえる事なのです。
この生活不活発病を克服するにはまず体を動かす事が重要です。
当たり前の事のようですが一旦体が衰えた高齢者が行動に移すのは容易ではありません。
トレーニングをすればいいという訳ではないのです。
ではどうすればいいのか。
南三陸町での取り組みにはある大事なポイントが含まれていました。
生活不活発病と診断された菅原みちゑさんと医師の大川弥生さんです。
どうすればみちゑさんが体を動かし活動的な暮らしを送れるようになるのか。
みちゑさんの友人を交えて話し合いが行われました。
みちゑさんの反応は芳しくありません。
衰えを理由に消極的な言葉が続きます。
大川さんが大事にしているのは動くきっかけをつくる事です。
何のためなら活動しようと思えるか会話の中からそのヒントを探ります。
楽しいおしゃべりをするために…みちゑさんの動くきっかけが見つかりました。
(みちゑ)そうだよね。
生活不活発病を改善するにはこれまでの常識にとらわれないアプローチが必要だと大川さんは言います。
心身の機能が低下した時まず筋肉や心肺など衰えた部位を個別に回復させるべきだと一般的には考えられています。
その上で歩く・上るといった動作ができるようになり最後に友達に会うなどの社会参加を実現させます。
しかし全身の機能が衰える生活不活発病では逆にアプローチするのが有効だと大川さんは言います。
最初から社会参加を目指すのです。
その中で少しずつでも歩く・上るなどの動作を行うと自然と体全体を使うようになります。
その結果衰えていた筋肉や心肺脳など全身の機能が回復し生活不活発病が改善するというのです。
友達と会話するという事を目標に動き出したみちゑさん。
続いて大川さんは歩行状態の確認を行いました。
つえを使っても長い距離は歩けません。
そこで大川さんが用意したのが歩行を助けるシルバーカーです。
楽に歩けるだけではありません。
道具をうまく使う事が生活不活発病を改善する一つの鍵だと大川さんは言います。
みちゑさんの場合つえで歩くよりシルバーカーを使えば休みながら歩けるためより遠くまで行く事ができます。
すると友達に会う機会が増えそれが更に目的となって外出が増えます。
負担を軽くし活動量を増やそうという作戦です。
生活不活発病と30年以上向き合ってきた大川さん。
治療の大きな壁となるのが体力の衰えた高齢者の…この日大川さんは震災後生活不活発病と診断されたある女性を訪ねました。
仮設住宅を出て今は息子夫婦と一緒に再建した家に暮らしています。
けがをするのではないかと歩くのが怖くなっているてる子さん。
実はやりたい事がありました。
震災前毎日のように行き来していたいとこのしげ子さんに会う事です。
しかし家が坂道の上にあるため上っていく自信がないといいます。
その話を聞いた大川さんある提案を持ち掛けます。
健康に不安のある高齢者は無理をする事を恐れます。
しかし大川さんの「大丈夫」のひと言がてる子さんの背中を押しました。
こちらがてる子さんが上れないと諦めていた100メートルほどの坂道。
自分の足で上るのは初めての挑戦です。
大川さんはてる子さんの脈拍や呼吸を見守ります。
少し休憩しては少し上る。
それを繰り返します。
上れるじゃない。
10分ほどかけて坂道を上りきる事ができました。
そして無事いとこの家に到着。
いとこのしげ子さんもてる子さんが歩いてきたと知り驚いた様子です。
同世代の近所の人も加わり会話が弾みます。
(大川)まだまだ若いの?てる子さん少し自信を取り戻したようです。
やっぱり少しおっかねえわな。
一方友達を訪ねておしゃべりをするという目標を立てた菅原みちゑさん。
その後どうなったのでしょうか。
あっどうも。
1か月後再びみちゑさんを訪ねました。
みちゑさんは朝夕2回仮設団地を散歩するようになっていました。
こんにちは。
こんにちは。
以前はたどりつけなかった団地の端まで歩けるようになりました。
あ〜どっこいさ。
目標だった友達とのおしゃべり。
今では何よりの楽しみです。
あ〜本当。
おはようございま〜す。
頻繁に出歩く事で新しい友達も増え自然と行動範囲が広がっていきました。
ひとつき前まで50メートル先の集会所に行くのが精いっぱいだったみちゑさん。
ところがシルバーカーを使って休み休み歩く事で周囲800メートルの仮設団地をぐるっと1周回れるほど歩ける距離は伸びました。
今では仮設団地の外にあるスーパーに買い物に行くなど活動量は一気に増えました。
はいどうも。
(笑い声)家の中でもじっとしてはいられません。
つらかった料理も今では全く苦にならなくなったと言います。
友人と会話を楽しむ菅原みちゑさんの笑顔が印象に残ります。
自分のやりたい事を見つけて社会とつながる事がいかに大事か実感されます。
そして今回の取り組みは介護を巡るもう一つの問題を克服していくための重要な手がかりになるのではないでしょうか。
介護に要する費用は全国で年間およそ10兆円。
10年後には21兆円に増大すると想定されています。
介護が必要な人を減らす事につながる生活不活発病への対策はこうした財政上の問題を考える上でも意味のある事だと思います。
さて今回取材した南三陸町が最も力を入れているのが住民への啓発活動です。
生活不活発病とは何かを知る事に大きな意味があるからです。
4月。
町役場に高齢者が続々と集まってきました。
充実した生活を送るためにという事で…。
町が主催する生活不活発病の勉強会。
正しい知識を身につけふだんの生活から変えてもらおうというのです。
実はこの勉強会大きな効果を上げている事が町の調査から明らかになりました。
生活不活発病を知らない人は震災後39%が歩くのが難しくなりました。
一方生活不活発病の事を理解している人の場合その割合は僅か9%。
病気について学び意識を変える事で生活不活発病になるリスクは著しく減少したのです。
82歳の菅原幸子さんも町の勉強会で生活不活発病の事を初めて知った一人です。
幸子さんは仮設住宅で1人暮らし。
以前はほとんど外に出歩かず足腰が衰えていました。
このままでは自分も生活不活発病になると意識的に体を動かすようになりました。
日課にしたのは毎日の散歩に加え仮設住宅周辺の草刈りです。
更に八十の手習いで踊りも始めました。
今では親しい仲間も出来ました。
・「花は花は花は咲く」住民同士で独自の対策に取り組み大きな成果を上げている所もあります。
この平貝地区にある仮設団地では震災の年歩くのが難しくなった人は半数に上りました。
ちょうどね湿りもあるし暖かいしだから…。
震災2年目住民たちが生活不活発病対策として自由に使える農園を作りました。
すると利用者の体調が著しく改善しました。
水やりに草むしり肥料や種を町に買いに行き出来た野菜は近所に配る。
自然と体を動かす機会が増えました。
震災1年目半数にも上った歩行が困難だった人の割合は農園を作ったあとには21%まで減少。
野菜作りという社会参加が生活不活発病の改善につながったと考えられます。
震災直後に南三陸町を訪れた時人々が暮らす町はそこにはありませんでした。
復興はいまだ道半ば。
厳しい状況は今も続いています。
しかしこの生活不活発病への取り組みについて見ればほかの地域よりもむしろ進んでいると言えます。
大変な状況に直面したからこそ強い危機感を持って懸命に取り組んだ結果がほかにはない成果につながっているのです。
その事は番組に登場して頂いたお年寄りたちのあのいきいきとした笑顔が何よりも物語っているのではないでしょうか。
これまで取材に応じてくれた2人のお年寄りのその後の暮らしぶりについて最後にご覧頂きます。
坂の上にあるいとこの家まで歩いていく事ができた山内てる子さん。
あの日以来度々一人で出歩くようになったといいます。
体力に自信を取り戻し家の掃除にも積極的に取り組んでいます。
今では立ったりかがんだり毎朝40分ほどかけて隅々まできれいにする事が日課です。
てる子さんが活動的になった陰には家族の後押しもありました。
生活不活発病を改善するためには体を動かす事が大切だと知った息子の妻の和佳子さん。
家の掃除をはじめなるべく家事をてる子さんに任せるようになったといいます。
てる子さんにうれしい出来事がありました。
一時は出席を諦めていたという孫の結婚式。
仙台まで出かけ孫に会って祝う事ができたのです。
そしてもう一人。
友達とおしゃべりする事を目標にしてきた菅原みちゑさん。
この日は幼なじみの家に向かっていました。
体を動かす取り組みを始めて2か月。
はいよ。
ありがとね。
はいはいどうも。
今ではシルバーカーを使わなくても危なげない足取りです。
幼い頃から親しくしてきた友人を訪ねるのは震災以来初めての事です。
本当まあしばらくです。
しばらくでございます。
エサを探しているコウノトリの仲間クラハシコウ。
2015/06/13(土) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 東日本大震災「元気に老いる〜生活不活発病・被災地の挑戦〜」[字]

震災から4年。被災地では介護状態を引き起こす「生活不活発病」が広がっている。宮城県南三陸町での生活不活発病の先進的な対策を通して介護問題を解決するヒントを探る。

詳細情報
番組内容
東日本大震災から4年あまり。被災地では今も介護を必要とする高齢者が全国を上回るペースで増えている。その大きな要因として浮かび上がってきたのが「生活不活発病」。体を動かさないことで全身の機能が衰え、寝たきりにもつながる怖い病だ。宮城県南三陸町では震災直後から継続調査を行い、生活不活発病対策を実施し、効果を上げつつある。被災地の取り組みを通して、超高齢社会・日本の介護問題を解決するためのヒントを探る。
出演者
【出演】産業技術総合研究所研究員…大川弥生,【キャスター】鎌田靖

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ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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