・「ふたりを夕やみがつつむこの窓辺に」加山雄三さん77歳。
デビューして55年俳優そしてミュージシャンとして活躍しています。
父は往年の二枚目スター上原謙。
母は女優の小桜葉子。
芸能一家に生まれました。
そんな加山さんのルーツは興味深いものです。
父方は…そして母は…加山さんはこれまで自らのルーツと向き合う事がなかったといいます。
番組では加山さんに代わり家族の歴史を追いました。
父方のルーツをたどって向かったのは鹿児島。
戦国時代の古文書に隠された一族の真実。
そして江戸時代の古地図から浮かび上がった新事実。
俳優上原謙誕生の陰にはある事件が関わっていました。
そして誰にも語らなかった息子加山雄三への思い。
一方岩倉家の令嬢として生まれた母。
ところが突然その生活は一変します。
家族を支えるため選んだ女優への道。
ある覚悟がありました。
この日加山さんは自らのルーツを初めて知る事になります。
加山さんの本名は池端直亮。
先祖が鹿児島出身だという事以外詳しい事は知らないといいます。
一族の歴史を探るため向かったのは鹿児島市。
加山さんの祖父が生まれた住所に今も親戚が暮らしています。
おはようございます。
園田清さんちづ子さん夫婦。
園田さんと加山さんの祖父同士が兄弟。
養子に出て名字が変わりました。
(取材者)あそれですか。
これです。
池端家に関するある記録が見つかりました。
墓を建て替える際墓石から書き写した祖先の名前です。
手がかりを求めて向かったのは…幕末安政のころの城下の様子を描いた…幕末の鹿児島の歴史に詳しい…当時の地図に池端家があるかどうか調べてもらいました。
あっ!
(取材者)どれですか?池端家は当時島津家に仕える下級武士で今の園田家と同じ場所に屋敷を構えていました。
更に…。
殿様のついてる女性方のお世話をする。
幕末島津家から第十三代将軍徳川家定に嫁いだ篤姫。
池端家の先祖はその篤姫の世話を任されていたというのです。
更に池端家にはある言い伝えがありました。
ここが根占。
根占というとこです。
郷土史研究家の松元勇治さんに池端家の墓に案内してもらいました。
あの池端氏のですね…「池端氏遠祖集名墓」と書いてあるんですね。
池端という一族はこの地域では室町時代から名が知られた豪族だったといいます。
更に一族の名前には「清」という字が繰り返し使われています。
平清盛から取ったものだと言われています。
実は加山さんの祖父の名前は清武。
父は清亮。
園田家の親戚も同じ字を使っています。
池端家は鹿児島の地で800年を超える歴史を持つ由緒ある一族だったのです。
へぇ〜。
でも…加山さんの父方の家系池端家。
まずは祖父清武の生涯をたどります。
明治7年鹿児島。
池端家の次男として生まれた清武。
小学校にあがるころから地域の私塾に通い始めます。
古くから薩摩に伝わる示現流という剣術を今も子供たちに教えています。
ハハハハ…!歴代の塾生の名簿の中に清武の名前がありました。
(宮内)ここですね。
これが三兄弟ですね。
19歳になった清武は陸軍に入隊します。
配属先は東京・赤坂の近衛歩兵第三連隊。
首都東京の警護に当たりました。
その後兵役につきながら猛勉強。
難関の陸軍士官学校への入学を果たしています。
明治38年31歳の時薩摩出身のキヨと結婚。
そして明治42年待望の長男に恵まれます。
父清武は一人息子には軍人になってほしいと願っていました。
大正11年清亮を東京・新宿にある成城中学校に入学させます。
当時この学校には軍人の子息が数多く通っていました。
はい。
え〜とこれは大正11年の4月に入学した学籍簿ですね。
ここにございます。
池端清亮さんですね。
ところが中学に通い始めて1年後。
父清武が病死します。
49歳の若さでした。
更にそのころ鹿児島でも…。
池端家の当主源蔵が亡くなります。
池端家を誰が継ぐのか。
源蔵の子供は娘だけ。
池端家を継ぐ事ができる男子は清亮後の上原謙しかいませんでした。
そこで動いたのが源蔵の一人娘菊枝でした。
当時の事を伝え聞いています。
実は菊枝の夫は…篤の東京出張に菊枝も同行。
池端家を訪問します。
この時の様子が鹿児島市の歴史をまとめた本に記されていました。
よく調べるなぁ。
ところがこの話には思わぬ結末が待ち構えていました。
鹿児島への帰路についた上野夫妻。
東京から18時間列車が広島県安芸郡中野村にさしかかった時の事です。
郷土史家の古川了永さんによるとその日は激しい雨が降り続いていました。
深夜2時乗客は眠りに落ちていました。
列車が脱線転覆。
死者34人を出す大惨事となりました。
鹿児島市長だった上野篤は即死。
そして妻菊枝は両足を切断する重傷を負います。
この事故によって清亮が鹿児島の池端家を継ぐという話も立ち消えになりました。
こんな話を聞いた事があります。
(泰典)上野市長のつてじゃないですけどね…思わぬ形で東京に残る事になった清亮。
このころ少年団連盟今で言うボーイスカウトの音楽隊に所属していました。
清亮の担当は楽隊の指揮でした。
当時の音楽隊の友人が後に出した手記にこんな記述があります。
昭和天皇の即位を祝うパレード。
「歓呼の嵐五色のテープの降る中に指揮棒を振るのは日本一の美少年若き日の上原謙君でした」。
昭和4年上原謙は立教大学経済学部に進学します。
大学の同級生の娘…
(取材者)よろしくお願いします。
あの上原謙さんの…。
よいしょ。
おお!すごい重いですよ。
今回の取材がきっかけで父の部屋から卒業アルバムが見つかりました。
(由井)ああなんかやっぱり…その整った顔だちがきっかけで人生を変える大きな転機が訪れます。
当時上映された映画にちなみ身近にいるすてきな男性の写真を募集する映画会社の企画。
何人もの友人が無断で写真を送ったところ俳優にならないかという誘いを受けたのです。
思いがけない話に戸惑うも好奇心から映画の世界に飛び込む事にしました。
そして昭和10年清亮は上原謙という芸名で華々しくデビューします。
2作目には早くも主役に抜てきされました。
そのころ撮影所である女優と運命的な出会いをします。
その女優こそ後に加山さんの母となる…加山さんにとってもう一つの大切なルーツ女優だった母小桜葉子本名具子の半生をたどります。
具子の父は岩倉具顕。
具顕は五百円札の肖像画になったあの岩倉具視の孫です。
つまり加山さんは岩倉具視の玄孫に当たります。
岩倉家は明治維新の功績で華族の中で最も位の高い公爵家でした。
大正6年岩倉具顕は衆議院議員の娘江間光子と結婚します。
それは当時の新聞で大きく取り上げられました。
そして翌年二人の間に長女として生まれたのが具子。
後の小桜葉子です。
具子は7歳の時ある事で新聞をにぎわせます。
子役として映画に出演する事になったのです。
ところが岩倉家の祖母久子が激怒。
その後この話はなくなりました。
その後しばらくして父具顕と母光子は別居。
後に離婚する事になります。
実家と折り合いが悪かった光子。
女手一つで7人の子供を育てなければなりませんでした。
生活は困窮を極めます。
そのため具子が再び子役として生活費を稼がなければならなくなります。
母光子は娘を一流の女優にしようと必死でした。
バレエや日本舞踊などを習わせます。
末の妹浅黄むつよさん。
そのころの事を覚えています。
子役時代に出演した映画が残されていました。
昭和4年公開のサイレント映画「明日天気になぁれ」。
飼い犬を捨てられた少女の役です。
喜怒哀楽を生き生きと演じています。
しかし10代も半ばになると子役としては声がかからなくなります。
収入が途絶えた一家。
そのため今度は母光子が脇役として映画に出演します。
その出演作も残っていました。
あなたあなた!社長はご無事です。
生活のため光子はどんな役でもこなしました。
そして…16歳になった小桜葉子に再び映画出演の声がかかり始めます。
そんなある日撮影所で運命を変える出来事がありました。
二枚目俳優として大人気だった上原謙との出会い。
小桜葉子は端正な顔だちの上原謙に恋心を抱きます。
ところが昭和10年12月上原謙は徴兵され台湾に配属されます。
その配属先台湾の部隊では映画スターを迎えた事である珍事が起きました。
その時の様子を同じ部隊にいた兵士が記録しています。
「上原謙は毎日のファンレターで人事係山下特曹をわずらわしていたがちょっとした風邪で入院し一ヶ月もせず除隊になった」。
まだ日中戦争前の昭和11年軍事史に詳しい白石博司さんはこの記録をこう見ています。
昭和11年3月除隊となった上原謙。
東京に戻る時途中の浜松駅までわざわざ迎えに来たのが小桜葉子でした。
上原謙はその熱い思いに胸打たれます。
しばらくして二人は結婚。
翌年4月長男直亮後の加山雄三さんが生まれます。
父上原謙が撮影した貴重なフィルムが残されていました。
加山さんは両親の愛情を一身に受け育っていくのです。
上原謙は恋愛映画でヒロインの相手役に次々に抜てきされます。
・「花もあらしも」昭和13年に出演した「愛染かつら」は記録的大ヒットとなりました。
うわぁ〜。
ヒロインは当時大人気の田中絹代。
ねえ高石さんうそだと思ってこの木に触ってくれませんか。
しかし上原謙は役者の厳しさも実感していました。
映画評論家から酷評される事もありました。
そんな中演技の幅を広げたいと自ら志願して出演した映画があります。
昭和15年に制作された「西住戦車長傳」。
実在した軍人西住小次郎の活躍を描いた映画です。
それまでの二枚目役と違い泥まみれの戦場で戦う役を熱演しました。
この映画の監督吉村公三郎さんの息子で元NHK記者の吉村秀實さんです。
吉村さんは当時の上原謙の頑張りを父から聞いています。
みんな待っとれよ。
引っ込んどれよ。
いいか?ああ。
ハァ…心配するな。
大丈夫大丈夫。
この映画での演技は高い評価を受けます。
「上原の本領は二枚目にとどまるはずだったがゴツイ感じの西住中尉に意外な成功を見せた」。
このころ一家は茅ヶ崎で暮らし始めます。
病気がちだった加山さんを温暖な場所で育てようと考えたからです。
上原謙は映画撮影で多忙を極める中でも息子との時間を大切にしました。
自分の好きなクラシック音楽を聴かせピアノも習わせます。
うん?ほんとにこれそうだ。
加山さんのいとこ同い年の尾上貞貴さんです。
加山さんがどんな曲でもピアノですぐ弾けるようになった事を覚えています。
14歳のころ加山さんは初めて作った曲を父に聞かせます。
その時のメロディーです。
・「僕の行く所へ」後の代表曲「夜空の星」の原型となりました。
父上原謙はうれしそうにこうつぶやきました。
大学に入ると仲間とバンドを結成。
卒業後はサラリーマンになるつもりでした。
ところが友人に勧められ俳優を志望します。
そこで父に相談します。
世間からの評価にさらされる俳優という仕事。
その大変さを誰よりも知っていたからです。
それでも諦めきれず何度も掛け合った加山さん。
すると父上原謙はついに認めこう言います。
出てきた!当時映画で上原謙と共演していました。
デビューの翌年から若大将シリーズが始まります。
父が後押ししてくれた音楽をはじめスポーツ万能の大学生役ははまり役となりました。
おっ若大将だ!いいから早く!更に自ら作曲した曲を歌い大ヒットを連発します。
そのころ父上原謙は茅ヶ崎でホテルの経営に関わっていました。
地元の経営者らが交流するロータリークラブに参加していました。
会合の時の合唱では少年時代音楽隊で担当した指揮者の役を喜んで務めていたといいます。
その集まりで上原さんにかわいがられていたという…琴の奏者である池上さんはあるアドバイスをもらいました。
池上さんには何でも話をしました。
しかし息子については語ろうとしませんでした。
ところが知り合ってから9年後…。
昭和55年茅ヶ崎市民文化会館のこけら落とし公演として加山さんのコンサートが開かれました。
上原さんから息子を紹介すると言われ楽屋に誘われました。
加山さんとの初めての対面に胸を高鳴らせていた池上さん。
しかしそれは思いの外あっけないものでした。
「加山です。
息子の加山です。
これはロータリアンの池上さんです」。
・「海よ俺の海よ」その後コンサートが始まります。
ヒット曲を熱唱し地元の大歓声を浴びる息子を上原さんはじっと見つめていました。
(拍手)コンサートが終わると人一倍大きな拍手を送っていました。
ええ…。
加山さんの母方のルーツは岩倉具視。
その岩倉家とは現在交流がありません。
失礼します。
今回の取材でその子孫に会う事ができました。
具房さんは昭和19年生まれ。
銀行勤めを経て現在は化粧品会社の社長です。
戦後華族制度は廃止されます。
具房さんは岩倉家で最初のサラリーマンになりました。
具房さんの父具栄さんの伝記に意外な事実が書かれていました。
法政大学の教授だった具栄さん。
テレビ嫌いで有名でした。
ところがその晩年岩倉家とも関係がある事から加山雄三が出演するものは欠かさず見たというのです。
加山さんの先祖の墓がある…池端家本家の子孫が見つかりました。
先祖代々伝わる古文書の中に興味深い記述がありました。
鉄砲伝来の翌年の1544年。
当時の池端家の当主弥次郎重尚に関する記述です。
この古文書を歴史作家の桐野作人さんに見てもらいました。
池端家は大海原を航海し中国や東南アジアと交易していた倭寇だったと考えられます。
晩年になってもテレビや舞台で活躍し続けた上原謙さん。
やはり上原謙という名前にはこの方を欠かせないと思います。
はいいらっしゃい!NHKの番組で加山さんと親子共演を果たしています。
おやじさんがおやじさんと言うよりもお父さんと言うよりもね兄貴という感じがしてね。
僕は弟的な心というか…。
常に兄貴に対して「よし俺は兄貴を抜いてやろう」と。
「いつか追い越してやろう」。
そういう事をず〜っと自ら言い聞かせて今日に至ってるわけです。
これも全てお父さんがいたからだと僕は感謝しています。
(拍手)息子との共演。
思い出深いステージとなりました。
そして…上原謙さんの芸能生活50周年を祝うパーティー。
加山さんはここで少年時代に交わした父との約束を果たします。
この日父のために作曲したピアノ協奏曲の指揮をしました。
上原謙さんは最後の挨拶でこう言いました。
「加山雄三は私の最高傑作だ」。
なぁ〜んちゃって感じ…。
すげえな。
(タモリ)え〜現在ここは青森の青森駅に来てます。
ただ今回は「函館」回なんですよね。
2015/06/12(金) 01:30〜02:20
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「加山雄三〜父の運命を変えた列車事故 若大将の真実〜」[字][再]
父、上原謙さんの実家は薩摩藩。母で俳優の小桜葉子さんは、500円札になった岩倉具視のひ孫。今回、初めて明らかになった父の人生を変えた列車事故。その真相とは。
詳細情報
番組内容
父は、俳優の上原謙。実家は薩摩藩の武士の家系。母で、俳優だった小桜葉子は、500円札になった岩倉具視のひ孫。華麗なるルーツが明らかになる。上原さんが役者になる前、ある列車事故が起きる。それがなかったら、俳優にはなっていないだろうと、親戚たちは言う。また、母が子役時代に出演した貴重な映画が見つかった。女優になった理由は、一家を支えるため。裕福な生活から一転、厳しい生活を強いられた。激動の家族史。
出演者
【ゲスト】加山雄三,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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