探検バクモン「ハンセン病を知っていますか」 2015.06.10


爆笑問題が1枚の写真と出会った
ある元ハンセン病患者
(黒尾)これ何だか?
(田中)あ舌で読んでるの?これ。
そうです。
舌で点字を読む舌読
ところが唇や舌が切れて血だらけになりながらそれでも本が読みたいということで。
壮絶ですね。
国立ハンセン病療養所多磨全生園。
かつてここに多くの人々が強制隔離された。
そこは長く隔絶された異質な世界
(田中)いや〜なんか不思議な場所ですよね。
不思議だなぁ。
88歳元患者の壮絶人生に太田が迫る!
あなたは…

(田中)ここ建物があるからここがそうなのかな?
まずはハンセン病って何?を知るため療養所の敷地にある資料館へ
(田中)あどうもどうも。
こんにちは。
おはようございます。
黒尾和久学芸部長さんです。
よろしくお願いいたします。
案内人は資料館のシブ〜い学芸部長黒尾和久
ええ。
ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれていた。
らい菌によって末しょう神経や皮膚が侵される感染症だ
現在日本で患者はほぼいないがかつては不治の病とされ恐れられた
明治時代患者を全国の療養所に隔離する法律が施行される。
そこにはハンセン病を「文明国の恥」とする思想もあった
それはやがて患者を強制連行し治っても一生療養所から出さないという絶対隔離政策へと至った
この資料館には入所者が送った壮絶な暮らしが展示されている
(田中)あれ?こちらは?はい。
消防団も協力で。
要するに…
(田中)消防車も来てくれない!消防車すら来なかった?そうです。
ひどいよね。
そうなんだ。
「村八分」という言葉じゃなくて「村全部」だと。
そういう場所なんですね。
(サヘル)これは一体どういったものですか?昭和前期の単身の男性の寮の様子なんですね。
12畳敷きのところに8人が雑居してるという。
(サヘル)12畳のところに8人が生活しなきゃいけないんですね。
ええ。
そういうことなんです。
粗末な着物にわずかな食事
患者の多くは本名を隠し偽名を名乗った
まるで囚人のように扱われたという
これが永遠に続くわけなんですね。
外には出られないという。
もっと見た目が。
そうです。
厳しくなってくる。
これは皆さん何だと思いますか?
(田中)お金だね。
(サヘル)だけどこれは…。
園内で通用するお金なんですよ。
まあ現金とか持って入ってくる人もいたりするんですけどそうするとそれをみんなこの園内で通用する通貨に換えさせられると言いましょうか。
つまり現金持ってると外に出ちゃう。
(田中)出ちゃうからね。
うわ〜それつらい。
どうやって稼ぐんですか?基本的には持ってくるお金がありますよね。
あとそれで…
療養所では園内のほとんどの労働を患者自身に担わせていた
畑仕事に豚の飼育土木工事まで
重症患者の24時間看護も患者が担った。
最もきつい労働だったが日給はタバコ1箱買える程度。
患者の不満は募る一方だった
しかし反抗した者には監禁という重い罰が待っていた
更にだからここだけでもちょっと監禁されてるようなことなのに更にその中に監禁室がある。
隔離されてる中に監禁室がある。
それがまさにこちらに今扉がありますけどこれがそうなんですよね。
特にその中でも言うこと聞かないような人のためにということで。
(田中)病室じゃないでしょこれね。
しかも運用がひどかったんですね。
冬には氷点下になる草津にあった監禁施設。
全国の療養所から特に反抗的とされた患者が収容された
っていうかよく生きてましたよね。
そうですよね亡くなっちゃいますよね。
そんな無理ですよね。
再現された…
(田中)怖いよ。
人の足が見えた。
(サヘル)そうですよね。
じゃあちょっと。
気を付けて。
より分かりやすくするために扉閉めておきますので。
閉めちゃうの?暗さを実際に実感して頂いてよろしいでしょうか。
大丈夫ですか?閉めます。

(サヘル)どうですか?今。
わ〜あのね暗い中天井近くの壁にスリットみたいにちょっとだけ光の入る隙間があるんですね。
今太田さんが手をそちらに入れてるの見えますか?食事です。
あ食事。
あこれそっか。
ホントだ。
(サヘル)そこから食事を入れてたんですね。
あと壁に多分これ「6月24日」とか書いてあって「月火水木金土」みたいなの書いてあるんだよ。
何日目かっていうのはね。
あの床のところに四角いねパカッと開ける穴が開いてます。
俺今いるここね…そうです。
そういうことだと思います。
穴の開いた長靴を換えてほしい。
自由に外出をしたい。
ささいなことも監禁の理由になった
肉体的にも精神的にも参っちゃうしおかしくなっちゃう。
入所者たちが受けた差別は終わらなかった
1947年特効薬がアメリカから日本にもたらされハンセン病は治せる病気になった
患者たちは次々治っていった。
強制隔離を定めた法律さえなければ自由になれるはずだった
しかしその法律は形を変えて戦後も施行され1996年まで残った
皆年老いていた。
彼らを恐れる社会の目も残った。
今も全国で1,700人が療養所で暮らしている
一行はいよいよ…
(田中)ホントだ。
花きれいですね。
チューリップとか。
全て患者の手作り!?すごすぎる神社も登場だ
探検前にミッション
はじめまして。
お邪魔します。
よろしくお願いします。
来て頂いて大変光栄です。
テレビではいつも見させて頂いてます。
平沢保治88歳。
中学生で発病して以来70年以上をこの療養所で過ごしてきた
若いころなんか特にね20代から30代ぐらいの時…そうしたらもう…だから…奥様?あこんにちは。
うちの家内です。
こんにちは。
(平沢)65年。
(田中)もう65年。
結婚65年。
そうですか!おめでとうございます。
ありがとうございます。
平沢さんは療養所内で知り合った元患者の妻と23歳の時に結婚した
しかしその結婚には条件があった
夫婦に子供をつくらせない不妊手術だ。
その背景にはハンセン病にかかったことがある人を劣った存在と見なし根絶やしにしようという思想もあったという
子供はつくっちゃいけないっていうのは分かって結婚されたということですよね。
そうです。
それだけはね本当に今でもつらいですけど。
だから子どもたちやねお孫さんを見せられた時ねすごく切ないです。
ここまで至るまではやっぱり…こういう証言をね1951年11月8日国会でしたんですよ。
強制隔離を定めた「らい予防法」の廃止を求めて平沢さんたちは闘い続けた
廃止が決まった時闘いは50年に及んでいた。
長く続いた負の歴史。
資料館の計画をした平沢さんたちに更なる闘いが待っていた
(サヘル)ご家族に?
(田中)仲間に反対された。
(平沢)なぜかっていったら…もう忘れたまんまで風化させちゃおう。
寝た子を起こすな。
まさにね。
僕はその気持ちが全部分かるわけじゃないけども…偏見や何か。
俺がもしその仲間だったら「もうちょっともういいよ」…いや分かるんですよ。
だからそれを…それとケンカしたらできないよ。
だって少数だもん。
それはじゃあ反対されても押し切ったわけでしょ。
そうです。
自分の信念でね。
でみんな「いや平沢はやると言ったら後ろに下がらないからしょうがない」。
で協力者がだんだんだんだん増えてきて。
今他にもいろんなね…そこでやっぱりジレンマになるのは…
(田中)そうですね。
これができないんだよね。
そのエネルギーの源って普通考えたらちょっと下を向いてしまったりとか苦しいと思ってしまうことって多分たくさんあったと思うんですけど。
ハンセン病だってね…すごいでもお二人の生きた証しっていうのを常に発信してらっしゃるから。
88だからねそれはもう。
(サヘル)ぜひ〜!俺死んでますよ多分。
(田中)ありがとうございました。
ようこそ来て頂いて。
どうもありがとうございました。
健闘を祈ります。
陰ながら。
ありがとうございました。
あすいません!こちらサヘル。
自己紹介してない。
ごめんなさい。
すごくスタイルがよくて美人だから…こんな美人と一緒で。
うれしい。
ありがとうございます。
お恥ずかしい。
ありがとうございます。
そして一行はいよいよ平沢さんたちが暮らす療養所エリアへ
(サヘル)ここは今…そうですね。
入所者の方たちの。
(田中)今でも住んでらっしゃる?
(サヘル)ホントだ〜。
お花咲かせている方とかいろんな楽しみを持ちながら。
(田中)ホントだ。
花きれいですね。
チューリップとかパンジーとか何か。
(サヘル)野菜も育ててる。
結構競ってやってたりしますよね。
で普通のアパートと同じなんですけど我々の住んでいる。
1個だけ違うところがあるんです。
(サヘル)何だろう?お風呂ない?お風呂ないんですよ。
危ないんだ。
ですからそれは病院のほうで完全に管理をした…
現在この療養所に暮らす元患者は200人
ここは高齢化や今も残る偏見から故郷に帰れない人たちのついの住みかだ
神社ですね。
そうするとやっぱり俺たちの「村」にも鎮守様がほしいというのが日本人の人情というか。
それで神社をつくろうということになったんです。
そうなんです。
要するに…村祭りをしますけれども。
「永代神社」っていうんですね。
永久の「永」に代々の「代」。
「えいだい」。
そうですね。
永代神社。
千種じゃないですね。
「長く与える」だろ。
字が全然違う。
永代神社か。
永代神社は宮大工をしていた患者たちがつくった神社
本格的な彫刻も全て患者の手によるものだ
(サヘル)すごい立派ですね。
うわ〜。
はい。
1個1個見るとそんなに珍しいものではないんですけど…
(田中)教会がありますね。
ここはさまざまな宗派の教会やお寺が隣り合う宗教地区
キリスト教系が多いですよね。
キリスト教もプロテスタントとカトリックがあってカトリックにもいろんな宗派がありますから。
それが全部。
要するにいろんな宗派が。
それがすごいですよね。
(田中)いや〜不思議な場所ですよね。
そういう場所というのは…
最後に一行が向かったのは…
納骨堂。
そうですよねまさにね。
納骨堂には2,600人が眠っている。
骨になっても故郷の墓には入れない。
それが今も続く現実だ
「倶會一處」という仏教用語が書いてありますけど…連れ添った伴侶であるとかあるいは自分の親友であるとかもしかしたらきょうだいもいるかもしれませんけどいずれ私もそちらに行くよという意味ですね。
平沢さんたちは…なぜならばそれは私たちがここで生きた証しそのものであるからということなんです。
そういうこともあってここはお花が絶えないんですね。
黒尾さんは一番やっぱり今伝えたい世代私たちにはどういったメッセージを届けたいですか?そうですね若い人たちにはまず例えば平沢さんのような人たち。
なおそれでもまだ…よく言われるのは……ということですよね。
(サヘル)お参り…。
お参りね。
ぜひお願いします。
(鈴の音)
(田中)どうもありがとうございました。
2015/06/10(水) 22:55〜23:20
NHK総合1・神戸
探検バクモン「ハンセン病を知っていますか」[解][字]

悲劇の歴史が刻まれた都内の国立ハンセン病療養所へ。田中、恐怖の監禁室に潜入!太田、88歳元患者の壮絶人生に迫る!今夜衝撃の事実が明らかに。差別とは?生きるとは?

詳細情報
番組内容
恐怖の監禁室に閉じ込められて、思わず絶叫する田中。そして教会と寺社が隣り合って並ぶ、謎のエリア。今回の舞台は悲劇の歴史が刻まれた、都内の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」。90年にわたる強制隔離の実態に一同驚がく!太田が直撃、88歳・元患者の壮絶人生。差別とは?生きるとは?療養所内の納骨堂に2600人もの遺骨が眠る理由、絶えない花にこめられた思いとは?涙が止まらない、衝撃の事実が今夜明らかに。
出演者
【ゲスト】サヘル・ローズ,【司会】爆笑問題(太田光・田中裕二),【語り】木村昴

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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