社説:安保転換を問う 日本と米国
毎日新聞 2015年06月12日 02時30分
◇「対等な同盟」のリスク
戦後日本の安全保障には、米国が大きな影を落としてきた。安全保障上の重要な意思決定は、米国の意向を無視してはできなかった。日米同盟とは、米国の軍事戦略に日本が従うことを意味していた。
これを、より「対等な同盟」に変えていこうというのが安全保障関連法案だ。集団的自衛権の行使で日米安保の双務性を高め、同盟を強固なものにする狙いである。
だが、この法案は本当に「対等な同盟」につながるものなのか。むしろ、米国の軍事戦略への依存度を高め、日本の主体的な判断が制限されることを強く危惧する。
◇絆だけが判断の基準か
政府は4月にまとめた日米防衛協力の指針(ガイドライン)で、まず法案の前提となる対米協力の枠組みを決めた。そして安倍晋三首相は米議会の演説で、夏までの成立を約束して帰国した。憲法学者が憲法違反だと言う法案を、である。
憲法より日米安保が、日本の国会より米議会が上位にあるような、逆立ちした構図。これが、日米安保体制の現実である。日本の安保政策は事実上、米国の軍事戦略に構造的に組み込まれているのだ。
ここから、日米同盟の維持が究極の目的となり、日米同盟を守ることが国民の命を守ることになる、という理屈が生じる。保守派にある「アングロサクソン(米英)と組んでいれば日本は安泰」という考えや、いざという時に助けなかったら米国に見捨てられる、という「見捨てられ論」も根っこは同じだ。
戦略論として、必ずしも見当違いというわけではないだろう。ただ問われるのは、米国の戦争に参加する是非を日本の政治が主体的に判断できるか、その判断への信頼が国民にあるか、ということだ。
これに関し、岸田文雄外相は昨年の国会答弁で、「米国の存在は日本の平和を維持する上で死活的に重要だから、米国への攻撃は(集団的自衛権行使の)3要件にあてはまる可能性は高い」と述べた。
米国への攻撃は日本の存立危機事態、と受けとれる発言だ。日米同盟が吹き飛べば、日本の安全を根底から覆すというのだろう。
12年前のイラク戦争で米国を支持した小泉純一郎首相は、その理由を「米国は日本への攻撃を自国への攻撃とみなすと言っているただ一つの国」だから、と語った。その後、間違った戦争と判明したが、日本は十分な検証もしなかった。
将来、新たな対テロ戦争などで米国から派兵を求められた時、米国の判断だけをモノサシにすれば、国民を守るどころか、逆に危険にさらすことにもなる。米国の戦争と一線を画すことの重さである。