- Date: Fri 12 06 2015
- Category: サンレモ音楽祭 > サンレモ音楽祭年度別出場曲リスト
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 55 1970年-2
第20回大会は外人歌手の出場が厳しく制限されました。64年から外人歌手とパートナー制となり、翌65年の2年間続きました。66年に自国歌手の出場枠を圧迫するので、外人またはベテラン歌手とパートナーを組む改められ5年経過しました。
今回はイタリアの歌手ユニオンから外人歌手は永住権を取っているマルとロッキー・ロバーツの2人を含む4人しか外国人歌手を認めないという要求でした。他の2名はイギリスから初出場のサンデイ・ショウと67年から4年連続出場をしているフランスのアントワーヌでした。
リッキとポーヴェリ (APOLLO) サンディ・ショウ (RCA)
第20回 1970年2月26日(木)~2月28日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:Presエンリコ・マリア・サレルノ (Enrico Maria Salerno)、ヌッチョ・コスタ(Nuccio Costa)、イラ・フルステンベルグ (Ira Fustenberg)
楽団指揮: 28名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数26曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に13曲を歌い、各夜の中から7」曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は52歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社18社で初出場6社、外人歌手のみの出場会社は1社です。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が4社含まれています。[数]は外人歌手数
RCA ITALIANA 8[2]; CGD8[1]; RICORDI5[0]; RI FI 5[0]; FONIT CETRA4[0]; ARISTON 4[0]; Clan Celentano4[0];PHONOGRAM 3[0]; DURIUM 2[1]; CAROSELLO 1[0]; CAR-JUKE BOX 1 [0]; DET(CAM)1[0];新PDU1 [0]; 新SIF1 [1] ;(以下RCA ITALIANA Groupe)新LITTLE 1 [0];新IT 1 [0];新APOLLO1 [0];新NUMERO UNO1 [0]
さて、問題となったのはフランスからもう1人ニーノ・フェレールが出場しています。彼はミーナのヒット曲“わかれ(別離)”を自作自演したフランス人歌手として活動していますが、元々はジェノヴァ生まれの本名アゴスティーノ・マリア・フェッラーリ(Agostino Arturo Maria Ferrari)です。しかも68年にはアゴスティーノ・フェッラーリとして自作の“イギリスの王さま(Il re d'Inghilterra)”でサンレモ初出場を果たしています。サンレモはイタリア人作家以外の曲の応募を認めていないので、彼はイタリア人以外何者でもないと思っていました。
ところがオーガナイザーのエンツォ・ラダエリ(Ezio Radaelli)が事前にイタリアのパスポートの提示しなければ出場を認めないと言い出しました。この偏向的な姿勢にフランス人記者たちは猛反発したと言うことです。
<入賞曲>
8位雨のロマンス Taxi (G.Argenio - D.Pace - M.Panzeri - C.Conti) 出版社 ARISTON <52> アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici (Ariston – Ariston AR-0342 [45] : アントワーヌ (vm=f) Antoine (Vogue – CBS Sugar)VG-87012 [45]
AR-0342 HIT-1737 VG-87012
10位 太陽と雨と風 Sole, pioggia e vento (Mogol - E.Isola) 出版社 UNIVERSALE <44> ルチアーノ・タヨーリ (vm) Luciano Tajoli (CAR JUKE BOX – Phonogram) TLC・NP-515 [45] : マル (vm) Mal (RCA ITALIANA – RCA ITALIANA) ZA-50050 [45]
10位 ティピティピティ Tipitipitì (D.Pace - M.Panzeri - L.Pilat) 出版社ESEDRA <52> マリオ・テッス-ト (vm) Mario Tessuto (CGD - CBS Sugar) N-9764 [45] :オリエッタ・ベルティ (vf Orietta Berti (Poldor – Phonogram) 2060-003 [45]
11位 恋は鳩のように L'amore è una colomba (G.Bigazzi - T.Savio) 出版社 ACE - ADRIATICA <41> ジャンニ・ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro (CGD - CBS Sugar) N-9767 [45] :マリーサ・サンニア (vf) Marisa Sannia (CGD – CBS Sugar) N-9763 [45]
12位 ヒッピー Hippy (L.Beretta - F.Leali) 出版社 RI FI Mus. <37>.ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali (Ri Fi – Ri Fi) RFN・NP-16386 [45] : カルメン・ヴィラーニ (vf) Carmen Villani (Cetra – Fonit Cetra) SP-1425 [45]
13位カンツォーネ・ブルー Canzone blu (A.Testa - Mogol - T.Renis) 出版社 UNIVERSALE <28 > トニー・レニス (vm) Tony Renis (Numero Uno – RCA ITALIANA) ZN-50019 [45] : セルジョ・レオナルディ (vm) Sergio Leonardi (CGD – CBS Sugar) N-9766 [45]
ZN-50019 SS-1945 N-9766
14位 心の王さま Re di cuori (G.Bigazzi - T.Savio - C.Cavallaro) 出版社 TIBER <24>.カテリーナ・カセルリ (vf) Caterina Caselli (CGD - CBS Sugar) N-9768 [45] : ニーノ・フェレール (vm=f) Nino Ferrer (Rivira – SIF) RIV・NP-77036 [45]
N-9768 PS- 185 RIV・NP-77036
次回は参加曲に続く
イ・カマレオンティ (CBS DISCHI) スーペル・グルッポ (RICORDI)
2番目に紹介するのは、RCAイタリアーナの傘下で活動しだしたレコード会社ヌメロ・ウーノです。プログレ系の人ならなじみの深い会社名だと思います。ルチオ・バッティスティ(ルーチョ・バティスティ)と作詞家、レコード・プロデューサーのモゴールが設立した会社です。68年に初出場したルチオ・バッティスティの項も合わせてお読みください。と書きましたがそう簡単なものでもありませんでした。
出資面ではバッティスティとモゴール(ジュリオ・ラペッティ)が核となっていますが、実務上はモゴールの父で作詞家のカリービ(マリアーノ・ラペッティ)が社長となり、プロデューサーとしてモゴールの仲間で作詞家のアレッサンドロ・コロンビーニたち達が会社の中心となります。
それにルーチョ・バッティスティ、プロデューサー(後に脚本家、映画監督)のクラウディオ・ボニヴェント、フランコ・ダルデッロ(後に音楽出版業界の大物)、人気作曲家のカルロ・ドニーダが加わりRCA イタリアーナの総支配人エンニオ・メリスが販売権契約する力添えがあり設立しました。
69年アリストンからマラ・マイオンキ(Mara Maionchi)がプロモーション担当の責任者として入社、9月には最初のシングル盤が発売されます。ルチオ・バッティスティのバックバンドをしているフォルムラ3(Formula 3)の“Questo folle sentiment (この狂った想い)/Avevo una bambola”で、後に大歌手になるエドアルド・ベンナート(Edoardo Bennato)、まだ無名のバンドたちでスターはRCAイタリアーナから移籍してきたトニー・レニスぐらいでした。
70年になりヌメロ・ウーノのもう1本の柱となるジェノヴァ派カンタウトゥーリ、ブルーノ・ラウツィ(Bruno Lauzi)が移籍してきました。まもなくイタリアのロック・バンドとして知られるジャンボ(Jumbo)がデビューします。
リコルディにいた二人が69年に会社を起こしましたが、バッティスティは71年まで歌手契約が残っていたので、彼の移籍は契約満了の71年になります。これで本来目指す姿になりました。72年マリオ・テッスートも移籍しますが、会社自体が新しい音楽を追求していき、従来のカンツォーネ歌手のトニー・レニスも73年には出ていきます。
ヌメロ・ウーノは74年末には独立会社としての運営をやめ、経営権はRCAイタリアーナに売却し、レーベルの身を残し、90年代の半ばまで活動を続けました。
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。