魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴
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 番外編です。


第20.6話 苦手な事

「……うーん」
「すみません、お口にあいませんでしたか……?」
「ああいや、違うんだ。失礼だったな、すまない」
 食事を口にして唸ってしまえば、当然そういう風に思われてしまうだろう。それはどう考えても無礼にすぎる。
 実際、食べさせてもらった和風の色が強い弁当はどの料理も美味だ。しっかりと味がしみているのに濃すぎることはなく、偶然だろうが実に恭也の好みだった。
「とても美味い。美味いし、栄養もしっかり考えてくれているメニューだろう。素晴らしいと思う」
「ほ、ほんとうですかっ? ありがとうございますっ」
 恭也は現在、フェイトとともに海鳴の街外れ、山の中にいる。つい先日、正式に弟子入りした彼女へ御神流の修行をつけているのだ。いつもは道場だが、今日は野外での戦い方や自然を使った足腰の鍛え方などを指導するため、木々の鬱蒼とした山中へ来ている。
「……だがなあ、こうなってくると」
 今は昼休憩。フェイトが昼食を作ってきてくれたので、彼女と並んでシートを敷いた日なたに座りこみ、それを頂いているわけなのだが。
「ひとついいか、フェイト」
「は、はい」
「……君は、なにか苦手な事とかないのか?」
「え?」
 金色の髪を揺らして首をひねる彼女だが、恭也としては自然な問いだった。
「学校での成績、ものすごく良いとなのはから聞く」
「……え、えと、そのなのはには理数系では勝った事ありませんし、はやてやすずかには文系科目をいつも教わっています。アリサには全部敵いそうにないですし……だから、そんな」
「だが、それで結局、総合成績は学年二位なのだろう? アリサに負けるというのは、まあ仕方ない。あれは突き抜けた天才の類だろうからな」
 なのはに理数系で負けるというのも、彼女は小さな頃から電気屋の空気に落ち着きを感じるくらいには工学に適正のある理系脳なので、相手が悪くはあるんだろう。
 文系科目にしたって、そもそもフェイトは母国語が違うのだ。はやてやすずかに教わったとして、それで高い成績を獲るというのなら実に優秀だと言えるだろう。
「運動神経も優れている」
「恭也さんにそう言って頂くと大変恐縮なんですが……」
「なに、実際大したものだと思う。御神にこれだけ適正をみせるというのはな」
 五年前に鍛錬をつけ始めた時も思ったが、彼女の才は相当なものだ。集中力も高く、覚えもいい。そもそも、不完全とはいえ独学で徹に至った時点でおよそ尋常ではないだろう。
「それから、歌も上手いとか。めったに歌わないらしいが」
「そ、それは本当に大したことはないんですっ、人前では緊張してまともに歌えませんし!」
「ううん、だがなあ、言っていたのがなのはと美由希だからなあ……。あいつらの耳は、事情があってかなり肥えているんだが」
 現在、世界的な歌手として活動しているフィアッセ・クリステラの歌声をかつて日常的に聴いていた彼女たちが、すさまじいとまで表現したのだから、生半なものではないはずだ。
 ちなみにもっとも得意なジャンルは、純洋風な見た目とは裏腹になぜか演歌らしい。謎である。
 ともあれ一度、恭也も聴いてみたいと思っているのだが、この反応では難しいだろうか。
「それでこうして料理まで出来るとなると……なにも欠点が見当たらない」
 出来る事、とは少しずれるだろうが、見た目と性格の良さだって、もはや言うまでもない。
 子どもらしさを少しだけ残しつつも、もう立派な女性と言っていいだろうその美貌は現実味すら薄く、それでいて思いやりや気遣いに満ちた性格は、確かな暖かさで傍にいるものを幸せにする。
 歳下の女の子を相手にこんな風に思うのも情けないのかもしれないが、実際、恭也も彼女と一緒にいると、ひどく安らかな気分になれる。安心するというか、穏やかであれるというか、とにかく、心のどこかがほっとする。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンという少女は、恭也の眼から見て、およそ最上級な女の子だった。
 妙な頑固さもあったりはするが、人間味があって余計に彼女の魅力を引き立てている気がする。
「欠点が見当たらないなんて、私、欠点だらけの人間ですよっ」
「謙虚だな」
「本当ですっ!」
「例えば? さっきも聞いたが、苦手な事とかあるのか?」
 なんでもそつなく……どころか優秀にこなすイメージがあるので、こちらからすればなにも思いつかない。
「た、例えば……その」
 問われた彼女は、恥ずかしそうに少し顔を赤く染め、俯き加減で言った。
「…………絵が、下手っぴです」
「そうなのか?」
 コクンと、フェイトは小さく頷いた。
「……そうなのか」
 意外だ。
 とても意外だ。
 なんとなく、水彩画あたりで繊細な柔らかい絵を描きそうな、そんなイメージすらあるのだが。
「……謙遜ではなくて、か? はやてあたりが上手いものだから、比べているとか」
 あとは、なのはもあれで、可愛らしいイラストをパパっと描けるタイプだ。翠屋の店内メニューやポップに華を添えている。
「…………」
 無言、フェイトは近くに置いてあった自身のバッグから、鍛錬の記録ノートと筆記用具を取り出した。
「……なにか、お題をお願いします」
「じゃあ、そうだな、猫で」
 フェイトがシャーペンを握ったその手をノートの上で動かし始めた。なんとなく完成まで見るのはもったいない気がして、彼女の手元から視線を外す。
(しかし、それこそ絵になるな)
 木々を背景に、光の降る日なたに座り込んだ金髪の美しい少女が、真剣な顔で絵を描く姿というのは、映画のワンシーンのようだ。
 こういってはなんだが、美人や美少女が周りにやたらと多い恭也でも、思わず眼を惹かれてしまう光景だった。
 なんとはなしに眺めながら、そのまま待つこと数分。
「……出来ました」
「…………うん」
 そして彼女が見せてくれたのは、イラストというよりも……。
「なるほど」
 おそらくは、前衛芸術に近い。
「……足の数が、一つばかり多くはないか?」
「…………おしりのそれは、尻尾です」
「ああ、尻尾か」
 尻尾か。
 ……尻尾か。
「うーん」
 猫を描こうという意思の痕跡はそこかしこに見られるだけに、妙な味が際立ってしまっている感がある。
 コミカルなようで、写実的でもあって。渾然一体となったそれが、得も言われぬ迫力を出していて。
「不甲斐ない師を許せ、フェイト。こいつに襲われたら、俺は戦わずに逃げる」
「シ、シグナムと同じような感想をっ!」
「斬って倒せる気がしないんだ」
「あっ、それも同じこと言ってました!」
 ひどいです! と彼女は【猫?】の描かれたノートをパンパンと叩きながら抗議の声をあげた。
「"お前が絵かラップで食っていくと言い出したら私は間違いなく後者を推す"とか、そんな事も……」
「っ、……く、……っ、いや、……すまんっ…………っ」
「なんでユーモアのセンスがそんなにぴったりなんですか、恭也さんとシグナムって……」
 思わず吹き出してしまった恭也に、フェイトはいじけたような口調と瞳だった。
「と、とにかくこれで! わかっていただけましたか!? 欠点のない人間なんかじゃないんです!」
「わかったわかった、そうだな、俺が間違っていたよ」
 たしかに、完璧に思えたフェイトにも、どうやら間違いなく苦手な事はあるようだった。
「……恭也さんは、絵、お上手なんですよね。なのはが言ってましたけど」
「いや、まあ、普通だと思うが……ああ、悪かった悪かった。そうだな、上手いかもしれん」
 顔を赤く染めながら、自分の絵をこちらへ突き出してくる彼女に負けて、言を翻す。
「恭也さんの絵、見たいですっ」
「わかったわかった」
 恥ずかしい思いをしたからか、いつもは控えめで自分の要求をあまり口にしない彼女が珍しくねだってきて、なんとなくそれが嬉しく、恭也は苦笑しながら応じる事にした。
 彼女からノートを受け取り、懐から筆ペンを取り出す。
「それで描かれるんですか?」
「ああ。一番描きやすいんだ」
 言いながら、さらさらとノートの上に筆を滑らせる。
「え、えっ、すごい!」
「こんなものか」
 手早くしたためたのは、座り込んだ一匹の猫。ほぼほぼ一筆書きだが、なかなか凛々しく出来た。
「……一匹じゃ可哀想かもな」
「わあ……!」
 寂しいかもしれないと思って、周りに仲間を足してやる。よく高町家の庭に遊びにくる子達をモデルに、一匹一匹、少し模様を変えておいた。
「すごいすごい! すごいです!」
 フェイトは目を輝かせてこう言ってくれるが、その昔、忍などは、

"鳥獣戯画っ、鳥獣戯画じゃないっ、に、に、似合いすぎ……高町くんちょっとキャラ立ち過ぎでしょ……っ、ふふ、あははははははっ"

 などと笑い転げながら言ってきたもので、アイアンクローをお見舞いした記憶がある。
「これ、私の部屋に飾ってもいいですかっ?」
「そんな大層なものじゃあ……というか、そうなると君のこいつももれなく付いてくるぞ」
「ああっ」
 恭也が猫を描いたのは、フェイトが猫らしき何かを描いたところと同じページだ。
「私のは切り取って……」
「そう邪魔っけにしてやるな。こいつも不思議と、ずっと見ていれば可愛く思えてこないでもない」
「……そ、そうでしょうか」
「愛嬌がある」
 恭也の言葉に、フェイトはううんと唸った。悩みどころらしい。
「後で熟考して決めます……ところで恭也さん、これって練習されたんですか?」
「練習……そうだな、少しした。なのはが昔、喜んでくれて、それでな」
『おにいちゃんとお絵かき』は、幼い彼女のお気に入りだった。
 恭也が戯れに描いたうさぎか何かを気に入ってくれて、それからよくねだってくるようになったのだ。大して面白い事も出来ない自分が彼女の笑顔を引き出せた事が嬉しくて、こっそり部屋で練習を重ねた記憶がある。
「……私も、練習してなんとか」
「フェイト、俺もラップの方が良いと思うんだが」
「絵で食べていこうなんて思ってません! もう、恭也さん!」
「すまんすまん」
 生真面目な反応が可愛らしくて、ついついからかってしまう。彼女に限らず、親しい人間にこうしてしまう悪癖がある事は自覚しているのだが、なかなか直せない。
「そうじゃなくて、その……恭也さんがなのはのためにって練習した事と似ているんですけど、私も子どもたちとよく遊ぶので」
「ああ、そうなんだったな」
 様々な事情で保護を必要としている子に対して、彼女が自分の手が回る範囲でいろいろな援助をしているという話は、少し前に聞いた。
 執務官としての権限で動かせる予算だけでなく、私費も投じているという話で、休暇を使って会いに行くこともよくあるらしい。
「……運動をする事が多いんですけど、もし一緒にお絵かきしよう、なんて言われたときにこの体たらくでは」
 そう呟く彼女は、少々弱ったような顔だ。
 恭也はこういうとき、彼女に言いようもない眩しさを感じる。
 彼女のような人間がいるから、世界というのは多少はましな色をしているんだと、なんの誇張もなく思う。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの半生は、ある観点においては悲惨だったと言っていい。間違いなく、そう言っていいはずだ。
 悲しみと苦しみを何度も何度も擦り込まれ、それでも希望を捨てずに飛び続ければ絶望を叩き込まれて地に落とされ、彼女はその身体と心にあまりに痛々しい傷を作った。
 であれば。
 他人の幸福を恨み、憎み、僻み、妬み、かつての自分と同じようにぐちゃぐちゃにしてやろうと、そういう気持ちを抱いてしまっても、なんら不思議ではない。
 なのに。
 彼女は誰かの笑顔を願う。
 自分のような悲しい思いをする子が、一人でも減るように。
 自分のように救いをもらえる子が、一人でも増えるように。
 そう願い、彼女はにこにこと笑って、しなくていいはずの苦労を背負い込む。
 今も、絵が苦手なことを子どもたちと遊べないからという理由で思い悩んでいる。
 綺麗な世界だけで生きてきたわけでは決してない、痛みだらけの日々をかつて過ごした彼女が、こんなに途方もない善性を示しているというのは、ある種の救いだと思う。
 こんなに美しい魂があるのだと知ることが出来るというのは、救いなのだと思う。
「……君が人気な理由が、よくわかる」
「……え?」
 突然の恭也の言葉に、フェイトはきょとんとした顔だ。
「学校や局で、もう何度言い寄られているかわからんくらいに人気だと、そういう話をたびたび聞くんだが、納得だと思ってな」
 こんな彼女に惹かれるなという方が、きっと難しいだろう。
 五年前、彼女のマンションに泊まらせてもらった時に、アルフに向かって、"あと五年もしないうちに、この娘をきっと、周りの男達は放っておかないだろう"と、そんな事を言ったものだが、それは当然のように的中したらしい。
「……ち、違うんですッ!!」
「ん、なにがだ?」
 恭也の目の前、フェイトはなぜだか、そう、なぜだかわからないが、どこか焦ったような顔をしていた。
「ち、違うんです、私、べ、別に、そんな、人気なんて、その、その、えと、お声をかけて頂くことは、その、ありますけど! 全然! 全然っ、私っ、応える気なんて! 全然ないんです! 本当です!」
「そ、そうなのか?」
「はいッ!」
 ずいぶんと、彼女は必死だった。理由がわからず首をひねりながら、恭也は再び問いを向ける。
「それは、仕事が忙しいから、とかか? まあ、そもそも君と釣り合う男なんてそうそういないだろうが……」
 そうそういないと言うか、国に一人レベルなんじゃないだろうかという疑問すらある。
「……いえ、仕事とか、学校とかじゃなくて、釣り合うとか、そんな事を考えているわけでもなくて、その、……あの、…………その」
 一度口を閉じ、俯いたフェイトは、やがて拳をぎゅっと握って顔を上げた。
 その紅の眼で、こちらをまっすぐに射抜く。
 そして、言った。
「……―――好きな人が、いるんです」
「……そう、なのか」
「……はい」
 彼女は再び、その顔を俯かせた。耳が真っ赤だ。
「……その言い方からすると、恋人というわけではなくて、つまり」
「片思い、なんです……ずっと」
「…………」
 恭也は思わず、片手を額に当てた。
 激しい頭痛がするのだ。
 この娘が、片思い?
「……すまん、少し、意味がわからない」
「ど、どういうことですか?」
「いや、だって、君が片思い? しかも、ずっと? ……意味がわからない。よっぽどの相手でもない限り、普通、すぐに成就するだろう。そもそも君は思われる側の人間だとも思うしな……」
「……そんな事、ないんです」
「……ううん」
 二十年程度生きたくらいで、世界を理解したつもりになるのはまだまだ早いという事か。
 色恋沙汰というのは単純なものではないだろうし、機微に敏いわけでもない自分がわかった風な事を言うべきではないのだろう。
「相手は、それには……」
「全然、まったく気付いていません。本当に、微塵も……」
 そう言う彼女は、少しいじけたような顔だ。
「鈍いのか?」
「信じられないくらいに……。すごくすごく女性に人気があるんですけど、自覚はほんの少しもないみたいで」
「……まあ、確かに、たまに異様に鈍い奴というのはいるがな」
 傍から見ていて、なんで気づかないんだ馬鹿じゃないのかなどと思うくらいにはっきりとアプローチを受けても、なぜかわからない人間というのは居るようで。
 あれは不思議だなと、いつも思う。自分はそんな風でもないし、そもそもそんなに想われる事などないので、気持ちはよくわからない。
「ではその、はっきり想いを伝えたりは……ああいや、すまん、俺が踏み込んで聞くことじゃないな」
 妹のような存在だと勝手に思っているし、弟子でもあるのだが、しかしその関係性にはこういう事を聞いていい妥当性はないはずだ。
「……告白は、まだ出来なくて」
 しかしフェイトは、答えを返してくれた。
「妹みたいなものだって、思われているんです。歳の差が、それなりにありまして」
「……ああ、なるほど」
 同年代で想像していたが、そうか、そういう可能性があるとは思い至らなかった。
 十四歳とはなるほど、相手の年齢によってはまだ躊躇される歳ではある。場合によっては妹扱いで、恋愛対象には入らないケースもあるだろう。
 彼女がまさに、そうだと言う事か。
「……ん、妹扱い?」
「……っ」
 唐突に、恭也の脳裏に閃きが奔る。
 ずっと片思いの、妹扱いをしてくる相手。
 そんなの。
「そうか……」
 簡単にわかるじゃないか。
「……まさか」
「え、えと……」
 それは。
「…………ク」
「クロノじゃないですよ!」
 言いかけたところを、しかし叩き落とされてしまった。
 違うのか。
「妹扱いというか実際に義兄だし、君との付き合いも長くて深い。クロノなら君と釣り合いもするだろうと思って……」
「クロノの事は大好きですし尊敬もしてますけど! 家族としてです! 男の人としては見てません!」
「……そうなのか」
 絶対に正解を引き当てたと思ったのだが、どうやら本当に違うらしい。
「まあ、だが義理とは言え兄を相手にそれはないか」
「……他の兄妹がどうかはわかりませんが、ハラオウン家は、少なくともそうです。そもそも、クロノはエイミィ一筋ですし」
「そうだが、それは想ってしまう事とは無関係だろう?」
 誰か別の人を想う相手を好きにならないというのなら、恋愛における悲劇はこの世からかなりの割合、消え去るだろう。
「……恭也さんは」
「ん?」
「恭也さんは、そういう経験、あるんですか?」
「……ノーコメントというわけには」
「わ、私は話しました!」
 流れでそうなったとは言え、たしかにそれはその通りだ。そう言われると痛い。
「……まあ、恥ずかしい話だからあまり言いたくはないんだが」
 少しの逡巡の後、観念して手短に語る事にする。
「所謂、初恋がな。届かない相手だった。旦那さん一筋の、一途でまっすぐな女性だった」
 そもそも血筋的に無理な相手でもあったのだが、相手がいるというのも歯がゆかった事の大きな一つではある。
 子どもの淡い想いではあっただろうが、それでも、子どもなりに真剣だったのだ。
「……どんなところが、好きだったんですか?」
「……そうだな」
 振るう剣が鋭くて、それでいて普段は優しくて。楚々とした佇まいの美しい、眼を惹き付けられる女性で。
 そして、何より。
「安心、したんだ」
 黒髪の彼女に、胸に抱いてもらったときの記憶を思い出す。
 あのじんわりと暖かい熱を思い出す。
「彼女のそばで、俺はすごく安らかになれた。そのままずっと、そこに居たいと思った。……だから、だろうかな」
 母のいなかった恭也にとって、それはもらえるはずもなく、しかし心は求めていた母親の愛を感じさせてくれるものでもあり。
 それでも一応は芽生えていた男として意識が、女性の彼女を求めたのだろうと思う。
「……そう、ですか」
 フェイトは真剣な顔で、そう小さく零した。こんな情けない話、そんな顔で聞かれても困るというのが恭也の正直なところである。
「今でも、好きなんですか?」
「いや、そういうわけじゃない」
 その問いには、さすがに苦笑する。
「今見てももちろん、素敵な女性だとは思うがな。そういう感情があるわけじゃない」
 一緒に買物に行ったりするとよく夫婦と間違えられたりもして、光栄だとは思うがそういう期待などはない。
 ちなみに、かなりの年齢差があるというのにそう思われるというのは、自分が老けているのか、それとも彼女が三十八歳とは決して思えない実に実に若々しい美貌を維持しているからかはわからない。
「……なんの話、だったか」
「……絵の話、でした」
 さすがに少々、変な汗を掻いてしまって。そう言って話を変えようとした恭也にフェイトは乗ってくれた。
「なにか、上手くなる方法はないんでしょうか……。このままでは、ちょっと」
「子ども達に泣かれてしまうかもしれんな」
「な、泣かれはしませんよ! ……しないですよね?」
 頷いてやれず、そっと眼をそらす。
「そ、そんな!」
「絵、全般が駄目なのか? イラストは描けないが模写は出来たりとか」
「模写、ですか……」
 手本が目の前にあれば描けるとか、そういう感じであればかなり救いはあるだろう。
「ちょっと何か試してみたらどうだ? そうだな、例えば俺でも……いや、それはつまら」
「やります!」
 食い気味で、フェイトががぶり寄ってそう言ってきた。その勢いに、思わずちょっとのけぞってしまう。
「恭也さんがモデルっ……! やります、やらせてください! 可能性を感じるんです!」
「そ、そうか?」
「はい!」
 こんなつまらない顔を見続けて絵を描くなんて、軽く罰ゲームではないのかと思うのだが、彼女はやる気に満ちていた。
「それじゃあ、ええと、じっとしていればいいか?」
「はい、お願いします!」
 精々きりっとした顔を作って、彼女の方を見つめながら動きを止める。
「……フェイト?」
「……あ、す、すみませんっ」
 なぜか彼女も固まって、絵を描く気配がなかったので声をかけると、今度はしっかりとノートと向き合い始めた。
 そして。
「――――――」
「…………っ!?」
 その紅の瞳が、こちらの全てを呑み込んだ。
 いや、わかっている。そんなのは錯覚だ。錯覚、なのだが。
(……なんだ、この集中力は)
 細胞単位で読み取っているかのような、そんな全力さが彼女の瞳には現れていて、とてもではないが身動ぎ一つできなかった。
 フェイトの手は、ノートの上で少しずつ、少しずつ、動いている。絵を描く所作には見えないが、どうなんだろうか。
 順調なのかどうか判断できないが、しかしとにかく待つしかない。恭也はじっと、彼女に呑まれた感覚のまま、その時を待った。
「…………おい、フェイト!?」
 そしてやがて、フェイトはがくりと崩れ落ちた。
「……で、できました」
 焦ったこちらへ、彼女はノートを突き出してきて。
 思わず、恭也は目を見張った。
 そこに描かれていたのは。
「……しゃ、写真か?」
「絵、です……」
「いや、いやいや、これは……」
 黒鉛で描き出されたそれは、恭也が鏡で見る自分の顔とほとんど違わなかった。
 シンプルに首から上だけ、背景もない。しかしその精度は、絵と言うよりもほとんど写真だ。
「すごいじゃないか……! これなら、子どもたちもきっと喜んでくれる……!」
 猫らしき新しい生物を描き出した人物が描いたものとは、とても思えない出来だ。
 これはもはや特技の域に入る。わかりやすく凄まじいので、子ども受けはすこぶる良いだろう。
「……いえ」
 しかし、フェイトは小さく首を振った。ぽたりと、その顎から汗が落ちる。
「やってみてわかりましたが、……これは常に出来るものでは、ないと思います」
「そう、なのか?」
「……その、ええと」
 恥ずかしそうに、彼女は言う。
「こ、こんなに描ける相手は、なかなかいないと言いますか、その……」
「……ああ、ある程度見慣れた人物でないと駄目という事か?」
「……え、えと、そうです」
 それは確かに、わかる理由ではある。
「……そうか、ううん、残念ではあるな」
「消耗も、ちょっと激しいので……」
「子どもたちに心配をかけてしまうか……」
「はい……」
 恭也の眼にも、フェイトはかなり疲れきって見える。あの精度を叩き出した代償だろう。
 凄まじいスキルだというのに、活かすのは難しそうだった。
「だが、ここまでのものが描けたんだ。なにかこう、掴んだものはなかったか?」
「……掴んだ、もの」
「もう一度、何かイラストを描いてみてくれ。変化があるかもしれん」
 センスの問題なのだとすれば、きっかけで変わる可能性はある。少なくともさっきの絵は、それを感じさせるに十分なものだった。
「わ、わかりましたっ」
「お題は、そうだな、犬でいこう」
「頑張ります!」
 がばっと、フェイトは身体を起こしてノートに向かった。先ほどの瞳のような凄みはないが、真剣な眼差しだ。
「……犬、犬、……耳があって、こう」
 子どもたちのため、誰かのため。
 その真摯さは、相変わらず暖かい。
「……」
 さっきまで、あんな話をしていたからか、思う。
 かつて、ぽろりと言ってしまった事でもあるが、改めて思う。
 この娘と結ばれる男は幸せだろう。
 こんなにも暖かな彼女の想いを、愛を、一身に受けるというのはきっと、この世における幸せの最上級の一つだろう。
 どうやら鈍いらしいその相手の男はずいぶん人気があるようで、彼女としては気が気ではないだろうが、どうか叶えばいいと思う。
 そして、どうか、どうか幸せになってほしい。相手の男の幸福はもう、フェイトと結ばれた時点で確定するのだから、あとはなによりもその彼女の幸せだ。
 何処の誰だか知らないが、どうかまっすぐ、彼女と向き合って欲しい。
 彼女を全身全霊で愛して、どうか笑顔でいさせてやって欲しい。
「……ここが、……こう」
 この娘は、幸せになるべき娘なのだから。
「……どうだ?」
「…………」
 やがて、彼女の手が止まった。しかし声をかけても、フェイトはぴたりと固まって動かず、己のノートを見つめている。
 その表情は、どこか愕然としていて。
「……フェイト」
「きょ、恭也さん……」
 彼女と同じように、恭也もノートを覗き込んでみれば。
 そこに居たのは。
「……な、なんでしょう、この子」
「君が召喚したんじゃないのか、どこかの異界から」
「ち、違うんです……こんなはずでは!」
「フェイト、尻尾が四本あるぞ」
「それは足です!」
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンという彼女は、こんな欠点すら魅力的だ。
 しかしとは言え、やはり子どもたちにこの絵は見せられないなと思った。



フェイトが御神流に入ってすぐあたりの話です。

恭也さんの中でフェイトの評価はすこぶる高い。

自分のことについて彼女がやたらと詳しかったり、自分の写真とか動画が撮られまくっていることには気付いてないです。ドMの癖については、ちょっとそうなのかもしれないという疑いを持ってるけど、別にそれで軽蔑したりはしない。


あと、フェイトがなぜ好きな人がいるなんて、その人を目の前にして言ったかというと、
・自分が人を好きになる人間なんだという事を知って欲しかったから
・そう告げたときの反応から、現状で届かないことをちゃんと思い知りたかったから
です。
ほんのちょっとの期待もあった。