N.T.ライト著/上沼昌雄訳『クリスチャンであるとは』(あめんどう:2015)

 N.T.ライト(トム・ライト)という聖書学者の名を初めて知ったのは、当時購読していた Themelios という神学雑誌で、ティンデル聖書注解シリーズ中のコロサイ書の注解書の書評を読んだときであったと思います。誰であったか評者は、ただ聖書学のテクニカルな注解ではなく、またおざなりの信仰的適用をしているのでもない、学問と信仰的な情熱がひとつになった注解書として、著者に対して羨望に近い賞賛を与えていたのを憶えています。初版の発行が1986年ですから、今から30年ほど前のことになります。それから当時アーマンズ社から出ていた聖書のリフレクションのような書物によってライトを読むようになりました。

 その後のライトの学問的な道程は、新約聖書の歴史的研究の方法論に始まり、史的イエス研究、パウロ研究の前線を拓きながら、浩瀚な「キリスト教の起源」シリーズに結実しています。と同時にライトは、自身の学問的研究の果を踏まえながら、神の御心にそって歩むように、聖書全体を見通す新しい聖書解釈の視点から、クリスチャンたちに呼びかけて、励まし、慰め、勧めることに実に熱心です。それはまた、すっかり世俗化した西欧社会で、キリスト教を弁証し、キリストの福音に人々を招く宣教的熱心に促されたものです。

 ライトは、新約学者としての学問的巡礼の初めから、ただのロゴス(理知)の人ではなく、パトス(宣教的情熱)の人でした。日本において、ライトの書物の紹介が遅れたのは(私にはそう思われるのですが)、ある人々には余りに保守的(知的好奇心を刺激しない)ように思われ、また彼のルーツである福音主義(福音派)からはラディカルすぎるからかもしれません。「キリスト教の起源」シリーズがあれだけ高い学的水準を示しているにもかかわらず——ご自分がナンボのものかは知りませんが——(学問的な立場の違いからではなく)歴史学者や新約聖書学者としてのライトを評価せず、ただの正統的キリスト教の弁証家と見る向きも欧米にはあるようですが、ライトはただの学者ではなく英国国教会の主教でもありましたから(今はセント・アンドリューズ大学の新約聖書学の教授)、それはそれでオール・ライトということでしょう。

 私にとって本書の最大の魅力は歌うライトです。本書は弁証論的な信仰入門書ですが、ライトはただひたすら正統的キリスト教の希望に満ちた聖書全体の物語を歌っています。その新しい旋律はライトの深い学識から溢れ出てくる喜びの賛美で、よい説教や証しを聴く思いがします。理屈っぽくなりがちなこのような本で、新鮮な学問的情報と心に語りかける活き活きとしたイメージで、このように歌えるのがライトという人の魅力です。

 以前紹介した『福音の再発見』(教文館:2013)の著者スコット・マクナイトの学問と信仰は、N.T.ライトの学問と信仰に共鳴します。スコット・マクナイトやN.T.ライトのメッセージは、 ただの知的な勉強のための読書というより、現代における神の民の生き方に、それぞれが生かされている場において、受肉的に翻訳されることを求めています。つまり、そのメッセージをどう咀嚼し、今の世界や日本でどう宣教の言葉に活かすか、つまりどうこの終末時に生きる自分自身の、そして神の民の生き方とするかが、現代日本の福音派に問われていると思います。それが神学するということの意味でしょう。本書が日本における御国の前進のために主に用いられることを願っています。

 個人的な思いになりますが、「あめんどう」が ヘンリ・ナウエンに続いて、N.T.ライトを日本に紹介することができたことを嬉しく思います(ナウエンはすでに邦訳がありましたが)。訳文が十分に信頼に足るものであることにも感謝します。

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Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをしています。

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