投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アラシ行為記録(17)
  2. 正義のあかし(42)
  3. 虚構の大石寺疑惑(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


教学部レポートの正体③

 投稿者:  投稿日:2015年 6月11日(木)13時28分43秒
  先に③をアップしたつもりでしたが、見れませんでしたのでもう一度。

教学部レポートの正体③

「教学部レポート(=宮地文書とも言われるらしい)」いわく。
>>>>
③ 御本尊が御本尊として成立するためには、上記の様に人法一箇の法体が正しく顕示されていることを第一の要件としつつ、「信心の本尊」であるがゆえに、どこまでも正しい信心で拝するという第二の要件が不可欠である。<<<<

 海の意見。
 この前半部分「御本尊が御本尊として成立するためには、上記の様に人法一箇の法体が正しく顕示されていることを第一の要件としつつ」は、二重に誤っています。

 第一には、「正体②」で記したように、日蓮大聖人の本尊義の一部をもって全体であるかのように断定し、しかも、日寛上人の義に帰ることを目的とした文だからです。
 第二には、「正しく顕示されていること」を誰がどのように「正し」さを判断するのかが曖昧なのです。レポート筆者自身は自分が「正しく判断できる」と思っているので、こういう文を書くのでしょうが、書き手(宮地)の慢心が見えているので、こういう文章に従うことには慎重にならざるをえません。
 いずれにしても、日寛上人ではなく、日蓮大聖人の義に帰るとの立場で書かなくては、時代を逆行させる悪書にしかならないと思います。


「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
④ 「戒壇の大御本尊」における戒壇・本尊の意義も正しい信心が介在しなければ成立しない。また「一閻浮提総与」という意義も、広宣流布があって初めて成就するものである。<<<<<
 海の意見。
 これはそのとおりです。異論ありません。

「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
(⑤の前半 )「創価学会常住御本尊」は、戸田先生が「大折伏大願成就の大御本尊」として当時の日昇法主に申請されたものであり、戸田先生は、この御本尊を拝して75万世帯の願業を成就された。また池田先生もまた、この御本尊を拝して世界広宣流布を進めてこられた。その意味で、創価三代の師弟の誓願の結晶ともいうべき御本尊であり、当時の和合僧団の化義に則り、法主の書写という形を取ったが、日蓮大聖人からの直受と拝するべきである。<<<<

海の意見。
これも異論なしです。そのとおりです。

「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
(⑤の後半)「戒壇の大御本尊」が本体、他の御本尊は分身であるという論理から、あくまで「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法体の顕示が本質であるという、日寛上人が本来意図していた本尊義に引き戻すとこに、このレポートの主たる目的がありました。<<<<<

 海の意見。
 すでに述べているように、ここでいきなり、この文書の論旨の流れが崩壊するのです。前後の一貫性が失われてしまっています。
 日蓮大聖人が消えうせ、「日寛上人が本来意図していた本尊義」を根本とせよ、と突然に主張するのです。
 このように文章が飛躍することからして、途中から本性が出てしまったのではないか、と勘ぐらざるをえない部分もあります。さほど長くもない文章の中で、いとも簡単に論旨が曲がるのは、理解できません。

 創価学会はどこまでも大聖人根本、御書根本(註、御書全集根本ではないことを一応断っておきます)です。ゆえに「日寛上人の本尊義」などに戻ることは考えなくてよいのです。
撰時抄にいわく。
「質問します。経文には確かに明らかに書かれていますが、天台・妙楽・伝教等の未来記の言葉はあるのでしょうか。
答えていわく。あなたの質問はさかさまです。私が釈を引いた時には、経論はどうなっていますかと、疑問に思いなさい。経文に明らかなのだから釈を尋ねてはいけません。さて釈の文と経とが相違したならば、経をすてて釈につくべきでしょうか。
彼云く。そんな道理は聞かれるまでもなく、至極当然、経を取るべきです」(259)

 御書があれば、人師を尋ねてはいけない。そして両者が相違したら御書をとる。
 教学部レポートというのは、この当たり前の前提ができていないのです。

また、このレポートが言うところの、日寛上人の本尊義に戻る、との具体的モデルがいつの時代に戻ろうとするものかを考えれば、それは「日蓮正宗は富士の清流700年」などというウソを創価学会が信じ込んでいた時代(第二次宗門問題以前)でありましょう。その時代に「日寛上人の本尊義」の「理想」があるのは明白だからです。
 筆者が意識しているかどうかはわかりませんが、この教学部レポートの提案の方向性は、戒壇本尊を学会員が拝むことを指向しているといわざるを得ないのです。
 それ以外に、「日寛上人が本来意図していた本尊義に引き戻す」ことができますでしょうか。
 日顕がいなくなったとき、大石寺の僧侶がもみ手で創価学会ににじり寄ってきたとき、大石寺に創価学会が再び復帰するような教学的余地(戒壇本尊信仰)を残してしまうところが、このレポートで最大に警戒を要するところであると思います。

「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
【4】 しかし、教学部としては、こうした教義の理解を徹底するには、主に以下の理由から、時間をかけて慎重に進めなければならないと考えていました。<<<<<

海の意見。
ここでいう「こうした教義」が何を意味するのでしょうか。ここまでの流れが、日蓮大聖人根本のようなことを書くことがあったり、一方で日寛上人の本尊義の復活を目的としてみたり、首尾一貫していないので、どちらの教義を徹底したいのかがわかりにくいのです。
それは上記で示したとおり【3】の部分に、日蓮大聖人のお考えと矛盾しない部分(④と⑤の前半)があったりしますし、かと思えば日寛上人の本尊義(③と⑤の後半)が混ざっているからなのです。
しかし、レポート筆者は「このレポートの目的は、日寛上人の本尊義に帰ることだ」と主張している以上、戒壇の本尊から離れる意図はないはずですね。
(本レポートが戒壇本尊に拘っているといえる箇所ですね)

この二つの主張の混在について、より具体的に示しましょう。
「【3】② 「戒壇の大御本尊」も、法主によって書写された御本尊(以下、書写本尊)も、同一の法体が顕示されており、そうした本質次元では共通している。」
 「同一の法体が顕示」というところの「法体」の解説部分に、勝手に即断しすぎの矮小化があるのですが、それでもここでは、あらゆる御本尊の「本質的平等性」を言っています。

 ところが【3】⑤の後半になると突然、
「「戒壇の大御本尊」が本体、他の御本尊は分身であるという論理から、あくまで「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法体の顕示が本質であるという、日寛上人が本来意図していた本尊義に引き戻すとこに、このレポートの主たる目的がありました」
 と述べ、「分身散体」という御書にも法華経にも由来しない本尊義を持ち出し、戒壇本尊の事実上での優位性(本体と分身)に話を引き戻すのです。
「本質次元では共通」といいながら「分身散体」を主張する矛盾は、理が二通りあることになってしまうのです。

 そして一点付記すれば、戒壇本尊とて、すでに紙幅のオリジナルは失われ、木に彫られた複製にすぎません。筆勢は大聖人のものではなく彫刻師のものであり、細部の正確な描写はすでに失われています。
 100歩譲って、大石寺流の分身散体に則ったとしても、ある複製(戒壇本尊)がその他の複製を生むという話にしかなっていないことには注意が必要だと思います。
 このような伝説的物語にいつまでも拘泥する必要はない、と私は思います。

 この文の作者は、単純に頭破作七分なのか、文章があまりに下手なのか、それとも諸説を混在させて読ませて、自分の立ち居地が宗門側ではないことをカモフラージュしているのか、それはわかりません。
しかし普通に読んでいくと、この「教学部レポート」(宮地文書)が導きたい方向が日蓮大聖人の方向ではないことがわかります。

(「教学部レポートの正体③」 つづく)
 

教学部レポートの正体④

 投稿者:  投稿日:2015年 6月11日(木)13時26分10秒
  宿坊さん、お待たせしました。
あなたへの回答が拙稿「正体」③④には含まれていますので、どうぞ削除なさらぬようお願いいたします。

教学部レポートの正体④

【4】の続きに進もう。
「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
① 学会は、教義的に宗門の伝統を受け継ぎ、いわゆる「大御本尊」を「本門戒壇の大御本尊」「出世の本懐」「一閻浮題総与」といった最重要の御本尊として位置づけしてきた。会員にも、何十年にも渡って、そうした方向で教育を徹底してきた経緯がある。
② 学会の採用している御本尊も、すべて法主による「大御本尊」の書写である。「創価学会常住御本尊」、関西の「大法興隆所願成就」は第64世日昇書写。本部の「賞本門寺戒壇正本堂建立」の御本尊は第66世日達書写。全世界のほとんどの会員は、第26世日寛上人書写の御形木本尊を受持している。信仰の実態において学会は「大御本尊」あるいは法主書写の御本尊以外は、大聖人の他の真筆本尊をふくめ、大石寺門流以外に伝わるいかなる本尊も本尊として容認してきていない。
③ 宗門を批判する際、日顕の大御本尊否定発言や、大御本尊が「正本尊」として安置されている「正本堂」の破壊を論点としてきた。とにかく、学会員が確信をもって日々の信仰実践に励めること、すなわち学会員の安心と幸福が最優先されるべきであり、総本部も御本尊も教学も、全てそのために存在するというのが教学部の真情でした。
<<<<

(1)海の意見。
 文の展開がとてもうねっています。
 教学的に論じ尽すのかと思いきや、この教学部レポート(宮地文書)は、これまでの経緯(いきさつ)を述べる方向に転じてしまいました。ここからが、この文書の本音なのだと思います。

 これまでのいきさつを乗り越えて、真に日蓮大聖人の思想と教義に近い創価学会へと転換しようとするのが、今回の改訂の創価学会首脳部の意図するところだと私は見ています。
これに対し、過去のいきさつ、すなわち大石寺流教学で教えてきた経緯を大事にしてくれ、と言うのが教学部レポートの筆者の立場です。両者の話が噛み合うはずもない、と思う次第です。

(2)その上で③について見てみましょう。
「宗門を批判する際、日顕の大御本尊否定発言や、大御本尊が「正本尊」として安置されている「正本堂」の破壊を論点としてきた」
 とレポートは言います。ここでも拘っているのは、教義的な話ではなく「いきさつ」です。

 しかし、振り返ってみれば、日蓮正宗ではなく、日顕宗と呼んだのも、過渡期のショックを緩和させるための方策ではなかったでしょうか。当時、人々がまだ信頼を残してしまっていた日蓮正宗という宗団そのものを否定しないで「おかしいのは日顕だけだ」としたから「日顕宗」と呼んだのです。
しかし、そうしている一方で、富士の清流700年などという妄想の実態、宗団全体が腐敗堕落している様子が「地涌からの通信」などで次々と明らかになっていきました。
そして山友、原島など、脱会者たちは、続々と日蓮正宗に集結したのです。
いまさら、日蓮正宗は正しい、と思っている学会員がいるとも思われません。

先生を勇退させしめた直接の権威である日達法主を、池田先生が護ったのも、同様です。
そして日達の呼称は、第六十六世御法主日達上人猊下から日達上人、そして日達法主とだんだんと尊称を下げていった措置は誰もが知るところです。こういうところに、池田先生の細かな配慮を感じるのです。
変更するにしても十分に機を読み、会員にいらぬ混乱を与えたくないという池田先生の一貫した振る舞い。そんなお気持ちを感じて顧みれば、外部を巻き込んでの暴露を好む宿坊板のメインの登場者たちに、師弟がないことはよく見えるのです。
あんなことを池田先生がやると思いますか?単純なことです。

長期間でみれば漸次的変更であったものでも、その変化の一瞬を捉えれば大変更と感じてしまうのもやむをえませんが、今起こっている出来事は壮大な流れの中の小さな一瞬にすぎません。

 そのうえで再考してみましょう。
「大御本尊が「正本尊」として安置されている「正本堂」の破壊を論点としてきた」
という教学部レポートの表現は、まったく本質が見えていません。

「大御本尊が「正本尊」として安置されている」から正本堂が尊いのではないのです。
このあたり、教学部レポートの筆者は、池田先生を語りながらも、日蓮正宗宗門に近いメンタリティを「教学部レポート」に書き込んでしまっていると思います。
正本堂が何ゆえに尊いのか、わかっていないのです。

池田先生は昭和39年6月30日、東京・台東体育館での学生部第七回総会において、次のように話されている。

「どんなものでも終着点がある。帰趨すべきひとつの終着としてのしるしがなくてはならない。と同じように、宗教においても、その終着点が必要です。戸田先生は『本尊流布が、信心が、トウフである。戒壇建立はオカラである。カスのようなものだ』このように何度もおおせになっておりました。その本質を、皆さん方もよく知っていただきたいと思います。
戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」

さて、この池田先生の思想と、教学部レポートをもう一度並べてみましょう。
「大御本尊が「正本尊」として安置されている「正本堂」」

「全民衆がしあわせになること」が戒壇建立、正本堂の真意、本質であり、オカラとしての建物にこだわる姿勢はそもそも戸田先生にも、池田先生にもないのです。その真意から離れたところに教学部がいたことがよくわかる一文でありました。

学会員の真心の結晶をいともかんたんに破壊できる点にこそ、日顕の本質があることが注目すべき第一であって、大御本尊が安置されているとかいないとか、の話ではなかったはずです。

また、
「とにかく、学会員が確信をもって日々の信仰実践に励めること、すなわち学会員の安心と幸福が最優先されるべきであり、総本部も御本尊も教学も、全てそのために存在するというのが教学部の真情でした。」
の文も悩乱しています。
 学会員の「安心」を優先するなら、このような文を外に向かって書き出すべきではありません。このレポートが最初から首脳部の説得ではなく、外部に読ませることを目的としていることは「正体①」に書きました。つまり、筆者はうそつきであるか、または言行が一致しないお方であると私は思います。

そして「総本部も御本尊も教学も、全てそのために存在するというのが教学部の真情でした。」との美辞は、総本部はともあれ、「御本尊」「教学」を貶めすぎです。
美辞に包まれていますが、御本尊や教学の存在意義をこれほど矮小化した文を私は見たことがありません。
会員の幸福のためには、御書と御本尊を日蓮大聖人の義で拝していかねばならない。
 そこにこそ、厳格でなければならないのではないでしょうか。

確かに「いきさつ」には配慮は必要です。私も性急な改革論者ではありません。しかし、その配慮は平成5年の御本尊下付実行開始よりすでに20年以上もなされていると思うのです。
 それでもなお、足りないというならば、このレポートの筆者は、その20年の間、いかなる努力をしてきたというのでありましょう。
 20年間放逸しながら、これからもその時間が必要だ、などと言うならば、その者は単に大石寺教学を創価学会に縛り付ける役割と使命を帯びて、この世に生れてきたとしかいいようがありません。

 宿坊氏に問いましょう。
この①②③の部分(過去のいきさつにこだわれ、との文意)を読んで「教学部レポート」が戒壇本尊に拘泥していると思われないのでしょうか。

まずは、これをもって回答の一つとします。
(教学部レポートの正体④ つづく)
 

通天閣様

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月11日(木)13時23分49秒
  貴重な情報ありがとうございます

宗教が政治を持つと大事な宗教自体が振り回されがちになりますね。

政治はあくまでも学会の教育、文化、政治の1つの分野に過ぎないのに、政治に学会の本体が振り回されて行くのは、良くないですね。

ネットには、色々な、情報があります。

昨日、色々見ていました。

1.外部であろう、情報は何故か、先生を貶め、秋谷さんを持ち上げている情報が圧倒的に多い

何故だろう?

2.秋谷さんが日顕を批判した言葉が、今、そのまま鏡のように、秋谷さんに返したいようになっているのは、何故だろうか?

感情で言った言葉は自分に返ってくる?

そう思うと我々も言った以上は秋谷さん、原田さんに立派な弟子になって欲しいと祈っていかないと、同じ過ち犯すことになる?

3御書には、民衆が修羅界になると戦が起きると。

修羅界とはてん曲なこと。

ものごとが正しく見えない

2009.4.14 先生は
師匠を師匠として認識できないような失敗の人生にだけはなるな!と。

秋谷さん、原田さんは先生を本当に師匠と認識しているのだろうか?

先生の前では、ひれ伏しているけれど、心のどこかで、自分の方が上であると思っているのではないだろうか?

大学でた、選挙に強い、東大でた、

また、議員は総理大臣の方が上と思っている?

自分達は弟子であり、本当は2番

それなのに、1番と勘違いしている人が多いのではないだろうか?

それは、法華経より、上であると思った真言宗と似ている

真言は亡国

会長も議員も師匠を正しく認識することが大切だと思う。

また、我々は秋谷さん、原田さんのおかげで池田先生が稀有な方であり、永遠の師匠であることが年々良く分かった

先生は金、権力に微動だにされない
広布、会員第一

会長というのは、誰もがそういう人でそういう人がなるものだと思っていた。

しかし、そうではないことを2人が証明した。

その姿に改めて先生の素晴らしさ、そして、55年もの長きに渡って指揮をとり大発展させ、沢山の人を幸福にして下さったにも、関わらず、変わらず、戸田先生の偉大さを叫ばれている

これは凄いことであることにきずかせてくれたのが2人の会長の姿

池田先生は戸田先生の祈りで呼び出された弟子なのではないか?

ならば、我々も、本物の弟子が沢山出てくるように、祈って行きたいですね。

真実を言っていても、祈りが根本でないと、その言葉はそのまま自分に返ってくることを秋谷さんが教えてくれています。
 

一般紙

 投稿者:痛点核  投稿日:2015年 6月11日(木)12時06分41秒
  創価学会 菅氏を通じ橋下徹氏・松井一郎氏衆院選不出馬要求
NEWS ポストセブン 6月8日(月)16時6分配信

 橋下徹・大阪市長は昨年の衆院選で出馬を検討していた。大阪都構想に反対する公明党に対して怒り心頭に発したため、公明党が議席を持つ選挙区に自ら刺客になろうとしたのだ。しかし、水面下での菅義偉・官房長官の働きかけで出馬をとりやめることになったという。この時、何が起きていたのか。国際情報誌・SAPIO連載「総理の影 菅義偉の正体」でノンフィクション作家の森功氏が迫る。(文中敬称略)

 * * *
 五五年体制の下、中道を謳ってきた公明党が、政権与党入りすべく自民党と連立を組むよう舵を切ったきっかけは、九八年七月の小渕恵三内閣の発足だった。以来、十五年以上の長きにわたり公明党や創価学会との窓口になってきたのが、自民党の現総務会長である二階俊博や大島理森、引退した古賀誠といった古手の自民党の重鎮たちだ。創価学会幹部が解説する。

「なかでも創価学会に最も太いパイプを築いてきたのが、二階さん。自自公連立のとき、自由党の小沢さんの側近として汗をかき、連立に奔走した立役者です。公明党の市川雄一元書記長と小沢さんの一一ラインがクローズアップされましたが、もとはといえば創価学会の西口良三副会長が小沢さんや二階さんに協力した。二階さんはそこから自民党に出戻り、自民党内で右に出る者のない創価学会との信頼関係を築いた」

 大阪出身の西口良三は名誉会長の池田大作の運転手から引き上げられ、創価学会副会長になる。七七年以降、関西長や総関西長という肩書を得て、国政、地方の選挙を問わず、関西の学会・公明組織を動かしてきた。常勝関西の「西口王国」を築いて関西創価学会のドンと呼ばれ、池田大作の揺るぎない信任を得てきたともいわれる。

 西口は、〇九年八月の総選挙で北側一雄や冬柴鉄三といった現職の六議員が相次いで落選した責任をとって、総関西長の座を退き、創価学会の副理事長に就く。

 そんな西口王国凋落の最大の要因が池田大作の不在だ。折しも〇九年の総選挙と同時に、名誉会長の重病説が流れ始める。これまでも何度か死亡説などがあったが、実際にこれ以降、池田は表舞台に登場しなくなる。

 名誉会長の不在が、創価学会内部の権力構造を変え、自民党との関係も再構築されていく。先の創価学会幹部が続ける。

「学会内部のキーマンが、秋谷栄之助前会長であり、佐藤浩副会長でしょう。それまで秋谷前会長は池田名誉会長から外され、実権を失っていました。そのため、現在の原田稔会長や正木正明理事長、西口総関西長が、自民党の二階さんや古賀さん、大島さんたちと選挙態勢をつくり、協力し合ってきました。

 しかし池田名誉会長の不在で、秋谷前会長が復活していった。そうして学会本部の秋谷前会長を中心に、弁護士の八尋頼雄、自民党の菅官房長官に近い谷川佳樹、佐藤浩という学会の実力副会長のラインが主流を占めるようになっていったのです」

 そこから菅が創価学会の新たなカウンターパートとして浮上したのだという。創価学会内部の権力構造の変化は、さらに鉄の結束を誇ってきた関西の「西口王国」を直撃した。学会幹部が補足する。

「東京・信濃町の学会本部では、関西の責任者として新たに池田名誉会長の長男、博正さんを関西最高参与という肩書に就け、西口さんを外して組織をつくりなおそうとした。西口王国に切り込んできたといえます。それが、今度の大阪都構想を巡る駆け引きに反映されているのです」

 もともと西口は反維新として知られた。とうぜん橋下の唱える大阪都構想にも反対してきた。大阪府議会や市議会における公明党議員団の反維新の方針も、西口の意向を受けてきたと言っても過言ではない。

 一方、そこに異を唱えたのが、東京・信濃町の新たな創価学会主流ラインだ。再び学会幹部が補足する。

「橋下の勢いを恐れたことも否定できませんが、それだけでもない。学会内部でもともと維新に対して主戦論を唱える強硬派が、現在の原田会長と正木理事長ライン。それに秋谷前会長、谷川副会長ラインが対抗したともいえます。

 そこで、菅官房長官を頼り、橋下・松井(一郎・大阪府知事)の衆院選出馬断念を交換条件に、住民投票の賛成に転じさせたのでしょう」

 これが、昨年十一月の橋下徹たちの衆院選出馬断念の舞台裏事情なのだという。副会長の谷川は次期会長の呼び声が高く、近頃メキメキと頭角を現してきた。その腹心の政界担当者が佐藤浩で、安倍政権下、着々と官房長官の菅とのパイプを築いてきたとされる。そして菅・佐藤ラインで、橋下や松井を説得したという。

 公明党の方針転換は、維新の会の橋下はもとより、菅にとっても悪い話ではない。仮に、住民投票を実施できなければ、都構想そのものが雲散霧消してしまうからだ。橋下人気で住民投票を可決できれば、さらに安倍政権と維新との連携に拍車がかかる。菅はそう睨んだからこそ、維新にエールを送ってきたのだろう。

 ちなみに十二月二十三日には、橋下と松井がそろって信濃町の創価学会本部を表敬訪問している。それはむろん菅の了解した上での話だろう。

※SAPIO2015年7月号

内部から情報だだもれでつか?
 

聖教新聞

 投稿者:ジンギスカン空軍中佐  投稿日:2015年 6月11日(木)11時48分6秒
  一般のニュース欄でも集団的自衛権問題は掲載されていません。例の4面座談会で取り上げないかな~!

http://www.peacedepot.org

 

竹○くん

 投稿者:傍観者  投稿日:2015年 6月11日(木)10時25分47秒
  あっちコッチでアンさんの話が出てまっせ~
アンさん。会合で某掲示板やネットのデマとか喋りすぎですな

いまどき、情報なんかすぐ流れてまうがな
表に出にくいソーシャルネットなんてのもあるさかいな

掲示板に書いある某男子部長が会合で某掲示板を敵視しているって、ドンドン拡散しとる

アンさんの小物感がハンパない

八○大明神にでもシバかれたんか~
焦りが見えるで~
庶民を馬鹿にしとると、そのうち庶民にシバかれるで
アンさん気をつけなはれ

 

アーカイブブログより

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2015年 6月11日(木)09時43分18秒
  【ある総県幹部との対話  投稿者:男子部タケシ】

総県幹部
「おい、ちょっと聞きたいんやけど宿坊の掲示板って知ってる?」
タケシ
「ああ、知ってるよ。有名な掲示板やん。なんでそんなこと聞くの」

・・・・・
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5952
 

日顕宗を破す?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月11日(木)09時26分55秒
  「独立した教団なので、他の教団を、とやかく言う必要はありません。」

回答用紙に、これ書いてみたいですね。

 

アーカイブブログより

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2015年 6月11日(木)09時25分18秒
  【京都乃鬼新聞 2015-2-16 紙上座談会⑦】

編集長:今回は紫鬼さんからご指摘があった「(教学部は)御本尊に関する三代会長の御指導を『僧俗和合時代の指導』であると言って、いとも簡単に切り捨てている!」との問題提起について皆さんで語って頂きます。
・・・・・

http://sgi-shiteifuni.com/?p=818

 

日顕宗を破す?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月11日(木)09時20分10秒
  「他の教団から とやかく言われたくないが、他の教団には とやかく言いたい」

四人組の心理。
ワガママで手が焼ける。
 

わが友に贈る

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2015年 6月11日(木)09時19分45秒
  女子部の活躍こそ
広布新時代の希望なり。
自他共の幸福へ
ロマン薫る語らいを!
励まし讃え合って前進!
 

本日の聖教新聞2面の広告について

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月11日(木)08時31分16秒
編集済
  おはようございます。

佐藤氏の、この広告に嫌悪感を感じる。
理由は、佐藤氏が会則改定賛成派であるからです。

【第三文明 2015年4月 連載対談 創価学会とは何か】より
「(会則改定)これによって教義においても創価学会は日蓮正宗から完全決別した。その結果、日本と言うナショナルな枠組みにとらわれない世界宗教としていくことになる(『潮』2015年2月号)」

佐藤氏はまず、会則改定が池田先生に、多大なご迷惑をおかけしている事実から論ずるべきでした。
学会員が池田先生を人生の師匠として、尊敬し慕う気持ちの深さが解らなかったのでしょうか。
結局、佐藤氏にとって池田先生は、恩師と言える存在でないので、会員の真意は理解できません。

聖教新聞社も、もっと会員の心の機微を考えるべきでした。
聖教二面広告欄の、「随筆 幸福の大道」の横に、佐藤氏の広告が掲載されただけで怒りが湧いてきます。

牧口先生は国家権力と戦われて殉教された。
それは権力に迎合せず、民衆側に立たれたからです。

佐藤氏の真意はわかりません。四人組に利用されているだけかもしれない。
しかし、会則改定に賛同したことは、四人組の権力に迎合したと見られてしまいます。

牧口先生が官警に逮捕された静岡県下田で、会則改定に賛同する対談をした事実は消えません。
第三文明の対談記事を、公式に批判訂正しないかぎり、佐藤氏は会則改定賛成派、四人組と与同と見られてしまいます。

会則改定に賛同することは、池田先生にご迷惑をかける事を、了承することになるのです。

佐藤さん、このままではいけない!四人組に潜む天魔を見破って下さい!!
佐藤氏は四人組に勝てる「言論」という武器を持っているはず。
言論の勇者は、今こそ民衆側に立ち上がり、民衆と共に戦うべきです。

四人組の悪を暴き民衆側に立つ時こそ、この広告に光が戻ります。
 
 

いつでも始められる

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月11日(木)08時21分59秒
  http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061001001123.html

「文官統制」を全廃 改正防衛省設置法が成立

改正防衛省設置法が可決、成立した参院本会議=10日午前

内局の背広組と呼ばれる防衛官僚(文官)と制服組自衛官が対等な立場で防衛大臣を補佐することを盛り込んだ改正防衛省設置法が、10日の参院本会議で自民、公明両党と維新の党などの賛成多数で可決、成立した。

自衛隊の部隊運用(作戦)を制服組主体に改める「運用一元化」も盛りこまれており、背広組が制服組をコントロールする「文官統制」の規定が全廃され、背広組優位からの大転換。万が一、制服組が暴走しようとした際に、阻止する機能が低下するとの懸念がある。

運用面でも「自衛隊の行動の基本」を所掌してきた内局の運用企画局を廃止し、統合幕僚監部に一元化。

 

日顕宗を破す?

 投稿者:正義の走者  投稿日:2015年 6月11日(木)08時04分17秒
  教学試験で「日顕宗を破す」という出題があるそうですが、
「他の教団なんだから、とやかく言う必要は無い」
と答えたら正解になるでしょうか、不正解になるでしょうか。

最も難しい問題になりそうだ(笑)
 

法華経の智慧 11

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月11日(木)07時30分51秒
  須田: 作品といえば、芸術の分野でも、現代アートの無機質的な美だけでなく、より生命的な美しさの志向へ、生命力の復活へという動きがあります。
例えば、「人工生命アート」という、細胞などの有機的な美しさをコンピューターで描こうとするもの。また「ヒーリング・アート」といって、患者をリラックスさせたり、治りたいという気持ちを起こさせたりする色彩や形を探るものです。

遠藤: 経済でも、モノの生産だけの観点から、生命の再生産、すなわち人間的価値の再生産へという志向性がみられます。

須田: 政治の分野でも、パワー・ポリティクスから、ノン・バイオレンス(非暴力)、ノー・キリング(不殺生)へと、つまり、力による政治ではなく、生命尊厳の政治へと模索が始まっています。
八六年のフィリピン革命、八九年のチリの民主化、チェコのビロード革命 ---- いずれも無血のうちに成し遂げられました。課題は多いようですが、生命重視の基盤をつくりゆく希望が開けたと思います。

斉藤: これらの革命の推進者である、フィリピンのアキノ前大統領、チリのエイルウィン前大統領、チェコのハベル大統領の、いずれとも、池田先生は語り合われています。

名誉会長: 二十一世紀のキーワードは「生命」である。また「生命力」でしょう。
最近、ハベル大統領は、民主主義が人類に活力を与えるには、何が必要かと問いかけています。(九四年九月、米スタンフォード大学での講演「現代の政治状況としての文明」)
大統領は、今日の西側の「民主主義社会」には、「物質主義」があり、「あらゆる種類の精神性の否定」があると指摘しています。
更に「人間を超えたあらゆるものに対する尊大な侮辱」「常軌を逸した消費主義」「永遠性に対する信仰の欠如」等々があると。
しかし、政治的な見地から見て、「民主主義が人類の唯一の希望であり、私たちの生命の内奥にある性質と共鳴すれば、有益なインパクトを与えうる唯一のものである」。
ゆえに民主主義は、もっと広く人類に受け入れられねばならない。しかし、何かを忘れている。その「普遍的な共鳴が得られるはずの民主主義が忘れている次元とは何でしょうか」 ---- 。
結論として大統領は、こう述べている。
「民主主義は、我々を超えるだけではなく、我々の内部と我々の間にも、非物質的な秩序に対する尊敬を回復させなければなりません」
「世界的な民主主義秩序の権威は、宇宙の権威が回復されなければ構築することはできません」
非物質的秩序とは、仏法の立場でいえば、生命的秩序といえるでしょう。そうした秩序への尊敬、宇宙の権威。これらが回復されねばならないと。
ハベル大統領が指摘されたように、今、世界は、「自由」でありながら「放縦」ではない、精神性の豊かな社会を模索しています。と同時に、その基盤となる確かな生命観、蘇生への智慧を求めています。政治家も、こうした智慧に、真撃に耳を傾けざるをえない時がきている。

斉藤: 「民主主義」と「生命観」といえば、ゴルバチョフ財団のツィプコ博士は、一九九五年の年頭に日本の新聞(北海道新聞、一月六日付夕刊)で述べています。
「今こそ、ソ連は完全に崩壊した」と。
「チェチェンの戦争は、ロシアの若い民主主義の敗北を意味するにとどまらない。あの戦争は、ロシアが道徳的に自己崩壊したことを意味している」
「孤立して、今後の予想もつかぬロシア連邦は、世界で認められ、人気を得ることはあるまい。世界が新民主ロシアの代わりに手にしたのは、人間の命の価値が非常に小さく、国内問題が戦車と大砲の力で解決される国、政府が誰も何も統制できない国であった。このロシアの袋小路からの出口を考えつくのは難しい。いったい、出口はあるのだろうか」と。

遠藤: この戦争で、たくさんの貴い命が失われました。駆り出された兵士たちのなかには、まだあどけなさの残る青少年たちも多かったといいます。出兵した息子が心配で、いてもたってもいられず、ロシアから戦地まで追いかけて行った母親もいたそうです。

名誉会長: どんな理由をつけようと、この世に“正しい戦争”なんかありません。絶対にない。苦しむのは、結局、庶民であり、家族であり、母親です。
私も、長兄(喜一)を戦争で亡くしました。昭和二十年一月十一日、ビルマで戦死。二十九歳の若さでした。その報が我が家に届いたのは、二年以上たってからのことです。
「喜一の夢を見たよ。大丈夫、大丈夫だ。必ず生きて帰ってくる、といって出ていった」。終戦後しばらく、母は何度も、うれしそうに話していました。何とか明るく振る舞おうとする気丈さが、かえって痛々しかった。
戦死の報を受け取り、一縷の望みが絶たれたときの母の後ろ姿。そして帰ってきた遺骨を抱きかかえるようにしていたその姿。私は永久に忘れることはできない。
ツィプコ博士の言葉に「人間の命の価値が小さい国」とあったが、人間を、「国家の目」で見るか、「生命の目」で見るかです。「国家の目」は、生命を権力のしもべとして利用しようとし、数や物に還元してしまう。「生命の目」は、相手を、かけがえのない無二の存在として慈しむ。
戸田先生の「仏とは生命なり」との悟達は、「生命こそ絶対にして最高の実在である」との宣言でもあった。人間の尊厳を失わしめる、あらゆる歪んだ「目」に対する挑戦の開始であったと思う。それこそ仏法の本源的な挑戦なのです。

遠藤: ツィブコ博士が指摘したロシアの「若い民主主義の敗北」も、「非物質的な秩序への尊敬」(ハベル大統領)すなわち「生命への尊敬」が欠落している悲劇でしょう。

須田: 「生命への尊敬」。これは、池田先生がトインビー博士と編まれた対談集の最後のテーマでもありました。
生命よりもイデオロギーを優先させる時代に終わりを告げなければならない、二十一世紀を「生命の世紀」としなければならないとの、並々ならぬ決意を感じました。

名誉会長: そう。まさにその「生命の世紀」への突破口を開かれたのが、戸田先生だったのです。そのお心を我が身に駆けめぐらせて、私は世界を回り「人間の尊厳」を訴え続けてきたのです。
先生の残された「生命論」が、どれほど先見に満ちた、一大哲理の結晶であるか。後世の歴史は証明するでしょう。
 

気分転換

 投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年 6月11日(木)05時11分45秒
  気分転換に見てくれればと思います。

「美しき緑の星」

2015/06/07 に公開 1時間11分32秒 (1996年作品)

【映画】 [ 日本語字幕 ] 美しき緑の星【日本の映画】 ⇒切断されるので鑑賞は早目に

https://www.youtube.com/watch?v=LaBh9kfMtf4

地球の愚考世界(左脳的世界)と美しき緑の星(右脳的世界)が対比されていてわかりやすい

映画です。
 

これでも「自国防衛」デスカ

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月11日(木)01時04分53秒
  サイバー攻撃にも集団的自衛権 政府「武力行使しうる」   2015年6月10日

米国がサイバー攻撃を受けた場合、日本が米国とともに反撃することが可能だとする見解を政府が示した。他国へのサイバー攻撃でも、集団的自衛権を使って日本が武力行使できるという政府見解が示されたのは初めて。

http://www.asahi.com/articles/ASH6B5WZKH6BUTFK016.html
 

虹様

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月11日(木)01時01分14秒
  御賛同頂きありがとうございます。

本当にそうです。
感謝してもらいたいです。

ネット様
おっしゃる通りです

3代までが師匠
それ以降は一般人です。

同心円なのだから、一緒です。

不可惜所領御書 勉強しています。

大聖人が身延に入られ、弟子達が難に遭います。

しかし、身延の山深いところにいても、弟子に難が起きると大聖人は電光石火で応援してくださいます。

童門冬二さんは、大聖人には相当確かな情報が入っていたとおもわれると。

四条金吾の一大事に25日に手紙がとどくや否や筆をとり御書では12ページに及ぶ長文の頼基陳状を書いてくださいます。

この時、6.1まで重篤な病でふせっていました。
6.3に阿仏房に今度ばかりは終わりみたいな手紙を書き、阿仏房が驚いて佐渡の海産物を一杯持って佐渡に来るほど大聖人は弱っていらした。

それでも弟子の一大事に筆をとる
ありがたいですね。

大聖人と金吾は師弟であり親子のようですね。

御書を勉強すると先生が御書の通り行動されているので驚きます

52歳 竜の口 首を切られそうになる
52歳  勇退 首を切られる

56歳 大病
56歳 初めて入院

退院された後、先生が61歳まで元気でいられたら恩の字です
みたいなこと言われていました。

今、87歳 ありがたいですね

お元気な時に喜んでいただけること、1つでも多くしたいです

そういえば、この御書に四条金吾が2度の御勘気の地に大聖人をお守りしに訪ねてくることがかかれています

四条金吾の領地は伊豆
3年半後、加増された領地が長野と佐渡

陰徳あれば陽報ありですね。

信心は本当に無駄がないですね

皆さんの学会を思い、学会員を思い、そして師匠の心を守ろうとする祈りと行動は必ず陽報となって現れますね。

楽しみです。
 

安保法制

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月11日(木)00時16分25秒
  本当に。その通り、なのに…。上手く乗り切ったつもりでもあとはどうなるか考えないのでしょうか。  

(無題)

 投稿者:傍観者  投稿日:2015年 6月10日(水)23時51分59秒
  安保法制について言及しない聖教新聞
どないなってんの?

歯止めになってる?ってターボエンジン全開やないけ。
それを信じちゃってる学会員って哀れやな。
平和主義以前に憲法っつう国の根幹をいじってる議員。
そのうち政教分離も解釈変更、信教の自由も解釈変更っ脅しがくるの見えてんで~。
 

同盟題目終わります。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月10日(水)23時32分44秒
  本日もありがとうございました。  

国会中継⑦

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2015年 6月10日(水)23時00分10秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

酷いものです。大多数の憲法学者が「違憲」だと言っている安保法制をまだ、無理矢理進めようとする与党。
たくさん賛成の学者がいると発言した菅官房長官。答弁は苦し紛ればかりです。
また与党からは、学者の言う通りでは国は守れないとの発言も。
いつから日本は立憲主義ではなくなったのでしょう。
権力を持つと人間は「何でもできる」と慢心になるのが常です。

創価学会においても同じです。
谷川副会長は、日蓮大聖人の出世の本懐も「変えればよい」と発言しています。
恐ろしいと思いませんか?

池田先生が御指導されている、日蓮大聖人の出世の本懐も、谷川副会長は「変えればよい」と言うのですよ。

私は、このことから谷川副会長に権力の魔性が住み着いていると考えています。

本来であれば真っ先に糺さなくてはならない竹岡全国男子部長は「例の発言」です。

権力の魔性に魅いられた人間は恐ろしいです。

心ある会員の皆様はどうか信心の眼で見て下さい。
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月10日(水)22時55分23秒
  今日も23時からです。よろしくお願いします。  

青年教学1級

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2015年 6月10日(水)22時42分48秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

青年教学の試験範囲が発表されました。

観心本尊抄と顕仏未来記、日顕宗を破るです。

観心本尊抄と顕仏未来記では、創価三代会長の「出現」についてを出題されることを希望します。

創価学会は三代会長までで御指導は完結しています。
四代北条・五代秋谷・六代原田は「一般人」です。特別な法門を説く立場も使命もありません。

何故なのか?日蓮大聖人から付属がないからです。
5月3日に書かせて頂いた通りです。

職員の皆様は誰のお弟子ですか?
勝ち馬に乗る為の派閥を聞いているのではないですよ。

 

宮田教授⑧

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2015年 6月10日(水)22時05分39秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

私も含めてこの掲示板に書き込みをしている人物の特定をしている職員がいると承知しています。
そのような暇があるのであれば教学を学ぶべきです。

創価大学の宮田教学の見解
④今回の会則改正はその第一歩を宣言したものと見ることができよう。

信濃町のネット対策チームの対策の見解
④前回までにも書きましたが、創価三代会長は「日寛教学」を更に深めて「現代に展開」されました。
宮田教学や教学部のように「日寛教学を否定」して、「創価三代会長の教学」は成り立ちません。
また池田先生の「在世」に日寛教学を取捨選択する必要はありません。
なぜなら池田先生が既にされているからです。

本日の聖教新聞で発表がありました、青年教学1級試験の顕仏未来記の末文に、釈尊、天台、伝教の三師に日蓮を加えて三国四師と名付ける。とあります。

御書の各所に天台大師、伝教大師の釈が援用されています。また妙楽、章安などの人師もです。
日蓮大聖人は、「仏法系譜」を重要視しています。
「系譜」とは解釈の仕方です。
日蓮大聖人は天台、伝教、妙楽、章安などの教学を元に御自身の仏法を展開されました。

創価学会の教学も同じです。
日蓮大聖人→日興上人→日寛上人→牧口先生→戸田先生→池田先生が現在世界に流布されている教学の系譜です。

あえて厳しい言い方をすれば、創価大学の教授程度が池田先生の教学を再考するなど、恐れ多いことです。
ましてや、日顕宗に対論で負けてしまった教学部が何を言うです。
谷川副会長は教学不足。秋谷元会長は過去の人。八尋副会長は法律家。

このような人が池田先生の「在世」に教学議論すること自体が増上慢だと思います。

皆様、いかがでしょうか?
反対意見の方は理由をご教示下さい。


 

共戦様の言葉

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月10日(水)21時51分16秒
  >しかし、やっぱり長く会長をやって行くのは良くないですね。
役職って、誰でもそうです。
どんな立派な人でも、無自覚のままワガママになっています。<

この言葉に真理があります。

原田会長も最初は真面目だったのでしょう。

しかし権力とは恐いもので、人間を狂わせます。

会長という役職を持ち、学会員のいるところへ行けば、世界中の会員が拍手で迎え、自分の思うように人を動かせる。

扱う金も桁違いになり、民衆の金銭感覚が無くなる。

まるで自分が、万能者のように錯覚し、何でも思うようになると誤解する。

権力の美酒に酔いしれ、正気を失った所に天魔が入りました。

天魔が入った者は、更に権力欲が強くなる。

そして、天魔の正体を暴く正義の人を恐れ、迫害するのです。


これから来る会憲制定。

権力の一極集中は、民衆を抑圧する、更なる巨大な魔物を生み出す土壌となる。

権力分散するか、権力制御させる第三機関が必需です。


さて、原田会長や秋谷議長は、日本に創価学会があったことに感謝すべきです。

仏法者である、学会員に諌められていることに感謝すべきだ。

歴史を見れば、権力に溺れた暴君が、最後に悲惨な末路を迎える事実を忘れてはいけない。


 

(無題)

 投稿者:タケコ  投稿日:2015年 6月10日(水)21時10分32秒
  とある創価の竹○全国男子部長www

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/lite/read.cgi/study/12481/1432793324/l30
 

任用試験出題範囲について

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月10日(水)20時59分2秒
  ・座談会拝読御書3編(本年2・3・6月度の拝読御書)


皆様お気付きですね。
4月度の拝読御書が入っていないことを。

4月度の拝読御書の解説は、現場がもめる原因となるので外したのか?

理由は不明だが、何か意図的なものを感じる。
 

こんばんは

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月10日(水)20時44分29秒
  上から下までご都合主義みたいで、いろんな意味でもう、ぶっ倒れそうです。。  

昨晩のニュースで自民党内にも異論

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月10日(水)20時31分43秒
  うららさん

そんな内容でしたね。内輪の会合で党議拘束を外せ。
砂川判決を根拠にしていることに違和感など。
砂川判決は日米安保に関しての判決ですが、肝は統治行為論の判決なんで。
集団的自衛権の法理を示した。と言っているのは北側さん、高村さん、法制局長らです。(かなり強引に)
これを根拠に集団的自衛権の法理の解釈変更により現政権が
強引に進めていることが、国会審議で明らかになってきました。
つまり、ご都合主義ですね。

ご都合主義の解釈変更ってどこかの宗教団体も同じですが。
 

弁護士ドットコムNEWSより

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月10日(水)19時56分31秒
  「あまりに傲慢」
自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判

集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、村上議員は「このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。たいへん民主主義の危機にあるということです」と警鐘を鳴らした。

「言っておきますけど、これは絶対ね、国民が、自分のこととして考えなければいけないことです。そしてまた、自分自身のこととして判断すべきことであって、一部の国会議員で決められることではないということです。よろしくお願いします。」

http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3220/
 

法華経の智慧 10

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月10日(水)19時21分0秒
  斉藤: “三重苦”で有名なヘレン・ケラー女史が、こう言っています。
「日々の空気の中に、私は雨のような空気のほとばしりを感じます。地球上と天上のすべてを結びつけている、みごとな絆が私にはわかります」(『生命の七つの謎』)
視覚・聴覚を失っても、彼女には大宇宙と小宇宙との交流が、はっきりと“見えていた”。そう思えてなりません。

名誉会長: 仏法は、五眼(肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼)を説きます。もしかしたら彼女も、肉眼を超えた、研ぎ澄ました生命の眼で見ていたのかもしれない。
また逆に、生命は、そういう深い次元で迫ってこそ“見える”のではないだろうか。

須田: 近代科学も一種の“慧眼”かもしれませんが、科学の傾向性として、生命を種々の部品で構成された機械のように、とらえようとしました。また生命や人間を、肉体と精神、主体と客体という分離・対立するものに分けて、とらえようとしました。また、生命の働きを物質に還元して把握しようとしました。
しかし、こうした機械論、二元論、還元論では、生命の一側面は解明し得ても、ダイナミックな全体像は見えてこない。

斉藤: かえって人間や生命を「モノ」化し、生命と生命、生命と環境を対立的にとらえることが定着してしまった。環境破壊や人間による自然の支配を許す温床にさえなったとされていますね。

遠藤: そういった反省から、特に八〇年代以降、登場してきたのが、ニューサイエンス、エコロジーなどの流れです。
例えば、カプラの『タオ自然学』は、二元論や還元主義の超克を説き、現代物理学の最先端と、東洋思想の知恵の共通性を指摘しました。
ワトソンの『生命潮流』は、地球上の生物は個々ばらばらな存在ではなく、関係性の場のようなもののなかで、共生しているとしました。
ラブロックの『地球生命圏』は、地球自体が一個の巨大な生命体であるという「ガイア仮説」を提示しています。
こうしたなかで、それまで見落とされていた、自然との調和、他者との一体感、平等性、多様性といった価値が注目されだしました。

名誉会長: 「万物の相互依存性」 ---- 仏法でいう「縁起」の考え方の一面に光が当てられてきたね。

斉藤: 生命現象を統一的にとらえようとしたゲーテの自然観も、再評価されているようです。たとえば、こんな言葉があります。
「叡智ある人々のあらゆる頭脳から機械論的・原子的な考えかたは逐いだされ、ものの現われすべてが力学と見え化学と見えるように、いつかはなり、その時にこそ、生命ある自然の神々しさがさらにいっそう目の前に展けてくることであろう」と。(「日記・一八一二年」、フォン・ベルタランフィ著、長野敬・飯島衛共訳『生命』、みすず書房)

須田: 「モノ(物質)的な世界像から「コト(事象)」的な世界観への転換をいう人もいます。

名誉会長: 「コト」というのは「事象」「現象」であり、まさに「法」そのものです。世界を“諸物”としてではなく、“諸法”として、とらえ始めている。その“諸法”の実相(真実の姿)を説いたのが、法華経なのです。
今、このように、生命観、世界観をめぐつて、明らかに、パラダイム(考え方の枠組み)の大転換が見られる。
世界とは「生命」である ---- 戸田先生の悟達への、一次元からの接近といえるでしょう。

遠藤: 「モノ」的科学の最先端とも言える分野からも、「コト」的な世界観・生命観を見つめざるをえなくなってきています。
例えば量子力学。物理学者の中には、究極の粒子を確定しようと努力し続けている人もいるわけですが、素粒子は、どうしても「場」の状態としてしかとらえられない。
また分子生物学のDNA(デオキシリボ核酸」研究。これまではDNAの遺伝情報を、一部分一部分、切り取って、その働きを考察していました。どちらかというと「物質」としての解明でした。
その基本は変わらないかもしれませんが、最近は、ヒトであればヒトのDNAの全体(ゲノム)を解明し、そこに刻まれている「地球生命の物語」を読み解こうとしています。地球に生命が誕生して以来の、生命間の交流、生命の環境への対応の歴史を追うことができるというのです。
「モノ」に即しながらも、「コト」へ「いのち」へ、「物」から「物語」ヘ ---- という指向性が出てきている。ある人は、DNAを「経典かバイブルのようなもの」とさえ言っています。

名誉会長: 時代は急速に動いている。
DNAに関して大事な視点は、生命それ自体がDNAをつくっていったのであって、DNAが生命をつくったのではないということです。
大宇宙即生命であり、生命即大宇宙です。生命それ自体が、作者であり、しかも、作品なのです。
 

妙の照覧影の人さま

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月10日(水)18時18分7秒
編集済
  すごい体験談ですね。ステージ4って。最近亡くなった俳優さんと同じではないでしょうか。
御本尊への信に応じて生命力が増すのだと思います。
御本尊様に守られた。この実感こそ信心であり感謝により福徳が増すのでしょう。さすが婦人部は力強いですね。

御本尊と信がなければ功徳(生命力の増加)は無いのですから。

なんだか頓珍漢な誘導をしたい人がいますが無視しましょう。

**********************
7年前、妻が大腸癌(ステージ4)に成った時に地元職員である(副会長)から突然に特別に「御秘符」をと言われ?
アレッ。ビックリ! 学会に御秘符が有った事を知りました。
突然で断るのも悪いかと思い、一応頂きましたが妻とほんとかよ~と思いながら処分。

後に胃がんも克服。今は至って元気で有ります。御本尊様に守られています。
 

責任逃れ

 投稿者:同志の歌  投稿日:2015年 6月10日(水)18時04分36秒
編集済
  昨晩(6月9日)奥山副会長(元富士正義県・県長・現信濃企画取締役)と電話にて話しましたが、「君に話すことなどない」と言われ電話を切られました。

静岡でのさまざまな暴挙に対し、もう私には関係のない事、静岡文化(総静岡中心会館)に聞いてくれと完全に他人事でした。

罪のない会員の首を切り(除名処分問題)、(女子部への暴力事件問題)知らないとは言わせませんよ!!



何食わぬ対応で、私には関係のないと言われましたが、あなたは、仮にも、創価学会の副会長ですね。

会員第一の、創価学会の幹部なら一人を守り、一人に尽くすべきであると思いますが、あなたには、何の責任感もないのですか??



その他、あなたのされた。不正に関することなど、詳しくお聞きしたいと、思いますので、電話に出てください!!

あなたのしたことに、不正・間違いがないのなら、いつまでも、逃げずに堂々と話しましょう。

連絡をお待ちしています。




 

虹と創価家族様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月10日(水)17時46分22秒
編集済
  やはり、そこに気づきましたね。
これを出題範囲にする意味は既にありません。

谷川教学部主事は、
日顕臭とは無関係になったのだから。
独立した教団なのだから。
他教団からとやかく言われ筋合いない。

こう学ばせるしかないですね(笑)

******************
教学試験範囲「③日顕宗を破す」
日顕宗が邪宗であることが明確に理解できる資料がある。
そして試験として、破折内容を学ぶ。
ゆえに今の時代、日顕は僭聖増上慢とは言えません。
すでに、多くの会員が見破っています。

SOKAnetに、僭聖増上慢について書かれています。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/26024
 

法華経の智慧 9

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月10日(水)14時05分14秒
  名誉会長: 戸田先生が、こうおっしゃったことがあった。
「我という名前をつけるけれど、我というのは宇宙のことなのだ。宇宙の生命と君らの生命と違うかというと、違うのは肉体と心であって、生命には変わりはない」
宇宙と人間を、どうしても別のものに考えがちだが、戸田先生は、どちらも生命であることに変わりはないと言われている。

須田: 戸田先生の「生命論」では、「宇宙自体が生命そのもの」であること、「生命とは宇宙とともに本有常住の存在」であることが論じられています。
そして「寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、死んでは生き、永久の生命を保持している」「ちょうど、目をさましたときに、きのうの心の活動の状態を、いまもまた、そのあとを追って活動するように、新しい生命は、過去の生命の業因をそのまま受けて、この世の果報として生きつづけなければならない」と。

遠藤: では、例えば、一本の大きな木があるとして、それを大宇宙とします。そこから葉や花が、たくさん出てくる。これが個々の生命のようなものである ---- こう言えないでしょうか。

名誉会長: 同じような質問をした人がいてね(笑い)。戸田先生は、こう答えておられた。
「出たものというのではないのです。この水(卓上の茶碗)を大宇宙とするのです。風が吹いてここに波ができるでしょう。波の立ったそれが、われわれの生命なのです。また大宇宙の生命の動きの一種なのです。だから風がなくなれば、また元通りになってしまう」と。
海を大宇宙とするならば、現れては消え、消えては現れる波が、われわれの生命であると。

遠藤: 波と海は別々のものではない。波は海の働きの一つだということですね。

斉藤: そういえば、ある英国人が、こういうことを言っていたようです。
「宇宙と“人間たち”との関係は、大洋と“波”の関係と同じである。 ---- ゆえに死として、あるいは空虚な空間とか無として見ているものは、たんに無限に波だつ人生という大洋の、波がしらと波がしらの間の谷にすぎない」
そして「宇宙から取り出されたような、切り離された“あなた”は存在しない」と。(アラン・ワッツの言葉。ガイ・マーチー著、吉松広延他訳『生命の七つの謎』、白揚社)

須田: 宇宙に溶けこんでいるということでしょうか。

名誉会長: そうも言えるかもしれない。
だが、戸田先生は「溶けこんでいるっていうより、宇宙の生命それ自体なのです。それ自体が変化を起こしているのだ」と言われているね。

遠藤: 生命を川の流れにたとえる人もいます。常に流れ、変化し続けていて、やがて海と一体になると。

名誉会長: なるほど。しかし、生命は、もっと奥の次元にあるものではないだろうか。
戸田先生も「変化をしていく、流れているように感じられる大もとのものなんだよ」とおっしゃっています。

「流れているものでもなければ、止まっているのでもない。虚空のごとし」と。それが生命の本質なのです。
無限の「大宇宙」でもあり、同時に無数の生命体イコール「小宇宙」でもある、ひとつの実在。ダイナミックに変転し続けながら、しかも永遠常住である巨大な生命。この宇宙生命ともいうべき厳たる実在を「仏」ともいい、「妙法」ともいう。万人は、この尊貴なる実在の当体である。
法華経は「諸法実相」と説く。「諸法」とは、すべての個々の生命事象である。その「実相」すなわち真実の相とは、宇宙生命そのものである。この不可思議の真理を、戸田先生は「仏とは生命なり」と表現されたのです。
これが分かれば、絶対に「殺」の心など起きるわけがない。何かを破壊することは、自分を破壊することになるからです。
 

5年任期

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月10日(水)13時06分43秒
  秋谷さんにしろ、原田さんにしろ、会長になるくらいだから、それなりに優れたところがあるのだと思います

しかし、やっぱり長く会長をやって行くのは良くないですね。

役職って、誰でもそうです。

どんな立派な人でも、無自覚のままワガママになっています。

現場の役職でも、5年以上やっている人に、何か物を申せる人は居なくなります。

まして、金力、権力を持っている会長に物を申せる人はいないでしょう。

永遠の師、三代までは別格。

それ以外の方は所詮凡夫。
長くやると、いいことない。

5年任期、再選なしと先生が勇退の時に決められた会則は素晴らしいです。

この会則を守ってくれる会長が誕生した時、54年問題の一つの決着です。

断腸の思いで勇退された先生。
それでも、将来の為、会員の為に定めて下さった会則。
1度も実行されることなく、あっという間に反故にされ、変更されていたのには、驚きました。

秋谷さんは、そういう人だろうけれど、1番弟子の原田さんは、会則がどう変更されていようが、先生が5年任期の会則を作られた思いを分かっているはずだから、自発的に辞任すると思っていました。

再選されて、はしゃいでいる原田さん見て、
ブルータスお前もか!でした。

原田さんが、5年で辞めたら、立派な会長、立派な池田先生の1番弟子と謳われたでしょう。

残念です

今のシステムだと上に行けば行くほど先生に遠くなっています

会員、現場の方が先生の心を感じて頑張っている人が多い

しかし、最近は上が先生の心を感じて語ることがないので、現場も打ち出しだけになっています

先生の心を感じて戦い、難に遭い勝利した人が出てくると学会はまだまだ発展します。

会員にもっともっと功徳を開かせて上げられます。

この板には、そんな人が沢山います。

その人達が先生が永遠にお元気でいてくださるように
学会が先生の心を受け継ぎ発展していきますように
学会員が歓喜と功徳の花を咲かせますように

祈って行ったなら、必ず、必ず、良くなって行くと信じています。

皆さん!
祈りましょう!

池田先生は戸田先生の事業が大変な時、1日1万遍挑戦されていました。

100万遍目指していたそうですが、60万遍で結果がでたそうです。

100万遍上げて行きます

先生がお元気な時に喜んでいただける決着をつけて行きたいです。

あとでどんなに後悔しても取り返しがつかないことがないように。


 

権力が組織のちから?

 投稿者:富士正義県  投稿日:2015年 6月10日(水)13時04分48秒
  先日の特区幹部会で富岡総県長は
若い頃暴走族のリーダーでたくさん子分がいた
とはなしたと。

中司特区長はその頃からの関係と聞く。

前特区長の望月特区本部長は富岡さんに指導を受けていると。

富岡総県長を折伏した森元県長は青年部時代から女性関係があり後に曽根元県長はまわりが目をつぶってきたとこぼしていた。

森元県長は竜泉寺の坊主と酒を飲む間柄で
しょっちゅう飲んでいた。

富岡総県長は森元県長から指導をうけながらやっていた。

指示系統のトップが悪と戦わない
理由があれば組織は腐る。

自身の仏をもって悪と戦うのが本筋、
権力では悪を倒すことができないだけでなく
権力をつかって立ち回る者は自ら悪となってしまうのだ。
 

日顕は20世紀最後の僭聖増上慢

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月10日(水)13時00分25秒
編集済
  教学試験範囲「③日顕宗を破す」
日顕宗が邪宗であることが明確に理解できる資料がある。
そして試験として、破折内容を学ぶ。
ゆえに今の時代、日顕は僭聖増上慢とは言えません。
すでに、多くの会員が見破っています。

SOKAnetに、僭聖増上慢について書かれています。

>第3の僭聖増上慢は、人々から聖者のように仰がれている高僧で、ふだんは世間から離れたところに住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。その手口は、国王や大臣等に向かって、法華経の行者を邪見の者であるなどと讒言し、権力者を動かして弾圧を加えるように仕向けるのです。
悪鬼が身に入ったこれらの迫害者たちによって、末法に法華経を持つ人は、何回も所を追われたりすると説かれています。
このうち、第1と第2は堪え忍ぶことができても、第3の僭聖増上慢は最も悪質であるといわれています。なぜなら、僭聖増上慢の正体はなかなか見破り難いからです。<

もっとも悪質で、正体が見破りにくい21世紀の僭聖増上慢。
21世紀の僭聖増上慢を見破り、全会員に知らしめ、駆逐しなければいけません!

僭聖を見破る智慧が、ここにある。

大仏のグリグリのとこ様【第三 僭聖増上慢の特徴は「悪心」】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24839
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24840
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24882
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24883
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24884

心ある会員が立ち上がり声をあげ、戦い続けた歴史が、未来の会員への糧となる事を確信しています。
 

解説者様

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月10日(水)12時08分35秒
  ハイ。
その通りです。

教学レポートによると大御本尊に1番決別したがっていると言う、秋谷さんが実は御秘符を申請していたとしたら、これは大きな問題ではないでしょうか?

日顕が禅寺にお墓を立てているのと似ています。

もし、御秘符を申請に行くなら、教学陣が大御本尊との決別に反対しているのを応援するべきではないでしょうか?

こっそりお寺に行っていたり、御秘符申請して、断られたり、
この話が単なる噂に過ぎないのならいいですが、もし、本当なら大きな問題です。

秋谷さんがキッカケで第2次宗門問題が始まりました。

先生は日顕からの迫害に耐え続けておられました。

秋谷さんが切れて、宗門と離別することになったと聞いています。

自分から始めた問題なのに、自分はこっそりお寺に行っていたとしたら、問題ですよね。

谷川さんが言う通り、1番こだわっている秋谷さんが決別したがっているということでしょうか?

自分がそこまでこだわっているのに、何故、こだわっている会員もいるだろうからと思い遣ることが出来ないのでしょうか?

もし、噂の通り、秋谷さんが、御秘符を申請したり、お寺に行っているようでしたら、大御本尊に決別する教義変更に反対して欲しいです。

 

アーカイブブログより

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2015年 6月10日(水)11時55分46秒
  ★師弟不二ARCHIVE ★
【未来の学会を考え、何をするべきか。
投稿者:虹と創価家族  】

創価学会の組織は「先生が除名しろ」と明言してる幹部を、除名出来ない仕組みが出来上がっている。

問題を起こした幹部が、学会本部・学会関連会社に平然と在籍している。・・・

http://sgi-shiteifuni.com/?p=3800
 

【再掲】

 投稿者:備忘録者  投稿日:2015年 6月10日(水)11時02分22秒
  ★中々の力作でございます。皆さまご覧くださいね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

余計なお世話かもしれませんが   投稿者:スーパー摧邪人
投稿日:2015年 5月26日(火)11時51分53秒   編集済


「破邪顕正之書」に最近の知見を付け加えたものをアップしました。

さらにこれの論旨を使って質問書形式にしたものもアップします。これは以前ネット対策チームへ
問いかけたものを手直しし、「SOKA2015」というブログで公開し、衆目に晒しているものです。

http://macska2012.blog.fc2.com/

余計なお世話かもしれませんが、今回はdocx形式でアップします。もしよろしければ余分なところは
削除して、使いやすいものに編集し直してご利用ください。

もとより著作権など考えておりませんので、ご自由に使っていただければ幸甚です。


「破邪顕正之書」はこちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://homepage2.nifty.com/macska/housen/haja3.docx

質問書はこちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://homepage2.nifty.com/macska/housen/shitsu2.docx


よろしくお願いいたします。
 

国会中継

 投稿者:傍観者  投稿日:2015年 6月10日(水)10時33分38秒
  国会のホームページ
ニコ生
でみれるで~

特別委員会の一般質疑やっとるで~
 

話がずれてますが

 投稿者:解説者  投稿日:2015年 6月10日(水)10時09分7秒
編集済
  御秘符の件・・・効力は余談ですね。

秋谷が寺に出入りしているか否か。
ここが本来の問題なはずですが…

信頼できる、友人の知り合いが秋谷が寺に出入りしているところを、目撃していますよ。
あながち、2チャンネルでも間違いではない例ではないでしょうかね?なんでも正しくはないですが、アンチ側の情報の中に一部は真実がある例ですね。

学会が絶対に正しい。間違いがないと信じている人ほど拒否反応を示しますがね。だから、真贋を見抜かない人には危険なんです。

マイナスが2つあります。

信心そのものに疑いを起こす。これは日頃からの信心が問われますね。

もう1つは、今回の様に学会の中枢が間違いを起こしていて誰も気づかない。誤りを正さないケースです。

この場合は最後は全滅でしょうね。
 

思い出しました。

 投稿者:妙の照覧影の人  投稿日:2015年 6月10日(水)09時16分52秒
編集済
  御秘符の件ですが・・・

7年前、妻が大腸癌(ステージ4)に成った時に地元職員である(副会長)から突然に特別に「御秘符」をと言われ?
アレッ。ビックリ! 学会に御秘符が有った事を知りました。
突然で断るのも悪いかと思い、一応頂きましたが妻とほんとかよ~と思いながら処分。

後に胃がんも克服。今は至って元気で有ります。御本尊様に守られています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
失礼しました。
話がずれていましたので管理人様、削除願います。
 

わが友に贈る

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2015年 6月10日(水)09時13分59秒
  「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
善き友こそ人生の宝だ。
互いを高め合う同志と
黄金の歴史を築きゆけ!
 

本日の聖教1面 11月教学部任用試験 9月には青年部教学試験1級

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月10日(水)07時24分41秒
編集済
  おはようございます。

いよいよ、会則改定と教義条項の解説を基にした、教学試験が始まります。
この内容は、間違いなく池田先生の教学と違う教学内容になります。

世界広布躍進の時に、師匠と違う教学を武器に、世界広布を進めることが出来るのでしょうか?
また、会則改定を基にした教学を、このまま世界に広めて良いのでしょうか?


既に、4月号大白蓮華の座談会御書では、会則改定を基にこのように御書の解釈をしている。

【日眼女造立釈迦仏供養事】(P.49)
ここで仰せの「教主釈尊」という仏は、宇宙と生命を貫く南無妙法蓮華経という根本の法であり、釈尊もこの法で成仏しました。そして大聖人は、この大法を御本尊として顕されました。


また、青年教学1級では「観心本尊抄」全編だが、会則改定と教義条項の解説に基づく観心本尊抄とは、どのような解釈内容になるのであろうか懸念しています。

今一度、ヨッシー様のご投稿を読んで、思索して頂きたいものです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/23492


この教学試験から創価学会は、教学的に三代の師匠の教学と違う方向に進み出します。
学会員が「四人組の教学」「宮田教学」を学ぶのを黙って見ているわけにはいきません。

京都乃鬼様の言葉に闘魂が燃え上がります!!


>京都乃鬼新聞 紙上座談会③

青鬼:そもそも創価学会が世界192ヶ国-地域に世界広布の道を開いてこられたのは、三代会長の師弟不二の闘いがあったればこそである。

赤鬼:この世界広布の実績は、全て日寛教学に基づいた教義の下、牧口、戸田、池田先生の三代会長に渡る構想、指導性に起因していることは疑いようが無い。

白鬼:今迄の教義の継続性に置いて、御本尊の認定の権能を論ずるのならば実績が伴ってきているので、まだ分かる。

虹鬼:しかし、世界広布をしてきた従来の創価学会教学の一体、何処が、今後の世界広布の妨げになるというのだ?

橙鬼:そうや!なんで今、急に、変更せなアカンのんや?

青鬼:そうだ!その具体的説明が無いではないか!逆に言えば、今迄は世界広布の妨げになる教えを世界192ケ国-地域に流布してしまったということになるぞ!

白鬼:たかが教学部の分際で、事実の上で世界広宣流布してこられた創価三代に渡る教義を勝手に変更するのは、大増上慢である!<
 

公明党の実態

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月10日(水)07時16分33秒
  先日も紹介した濱地議員のFacebook。明からさまになってきています。支持者の声など謙虚に聞く気など全くありません。それどころか、見下しているのがよくわかりますので、お時間ある方は覗いてみてください。
砂川裁判判決文の引用。
憲法解釈を正当化するのに基地用地侵入の罪で起訴された学生の無罪判決時のもの、内閣で解釈改憲していいという根拠になり得ない、筋も違います。
最近になってアメリカ当局の圧力があったことも明らかにされた判決文の一部引用のようです。岸信介の時代。
最高裁判例だからと正当化するなら、2008年に出たイラク派遣の違憲判決はどう説明するのでしょうか。

https://www.facebook.com/hamachi.masakazu
 

御秘符

 投稿者:新宿クイズ  投稿日:2015年 6月10日(水)07時04分2秒
編集済
  効くと信じていれば効くし、効かないと信じていれば効かない。

↓プラシーボ効果ってところですね。

http://www.page.sannet.ne.jp/onai/Healthinfo/Pracebo.html

どちらにしても、御秘符に力があるのではなく、その人間自体に力があるということです。
 

法華経の智慧 8

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月10日(水)07時01分19秒
  名誉会長: そう。しかも、戸田先生の「生命論」は、ただ「論」のための「論」ではありません。科学的な分析と総合を繰り返して出来たのでもない。かといって、科学にも道理にも反しない。
戸田先生ご自身の、真理に対する全人格的な格闘によって、法華経の奥底から汲み上げられたものです。これこそ「法華経の智慧」と言える。
ゆえに、この「生命論」には、知識を与えるだけでなく、発想の転換を促す力がある。そして希望へ、現実の行動へとつながっている。「生きる力」を湧きたたせる「事の哲学」です。
この哲学を、そのまま実践に移すならば、そこから、無気力と苦悶の人生を、充実と喜びの人生へ転換しゆく、自己変革のドラマが始まる。
そこから、人類が強くなり、豊かになり、賢明になるための、あらゆる次元の革命の歯車が回り始めます。

斉藤: 「人間革命」「総体革命」ですね。

名誉会長: 「人間革命」とは、成仏の現代的表現です。総体革命とは「広宣流布」です。
それらは、あたかも地球が「自転」しながら太陽の周りを「公転」する姿に似ている。自転によって昼と夜があり、公転によって四季がある。
私たちは、太陽の仏法の光に包まれながら、昼もあれば夜もある ---- 無限向上の人間革命史を綴っている。また冬もあれば春もある ---- 広宣流布の春秋のロマンを奏で、進んでいるのです。
ともあれ学会は、生命論に始まり、生命論に終わるといってよい。「仏とは生命なり」 ---- 戸田先生の悟達に、創価学会の原点があったのです。
更に先生は「法華経は何を説かんとしたか」の思索を続けられ、地湧の菩薩として虚空会の儀式に参列している体験をされる。この意義については、後の章で述べることにしよう。

遠藤: かつて宗門が、戸田先生の「悟達」という表現に難くせをつけてきましたが、在家に、悟達されると、よほど都合が悪いのでしょう(笑い)。

斉藤: 仏法を信奉しながら、悟ったらいけないというのは、大学に入っても卒業してはいけないというようなものですね(笑い)。ねたみでしかない。

須田: 「仏とは生命」 ---- 。「生命」という言葉には、科学的で、しかも温かみのある響きを感じます。

名誉会長: そこが実は、戸田先生の偉大なところです。
「仏」というと、人格的な面が表になる。それだけでは、どこか自分とかけ離れた存在というイメージが伴う。また「法」というと、法則とか現象とか、非人格的な面になる。
それだけだと、あまり温かみはない。本来、「仏」も「法」も別々のものではない。「生命」といった場合には、その両面が含まれる。
「生命は万人にある」「生命は尊い」。これは、だれ人も否定できません。「仏とは生命なり」との宣言は、何より、仏法の真髄は「自分自身」にこそあることを、はっきりさせたのではないだろうか。

斉藤: よく分かります。
しかし、三世の生命とか、永遠の生命とか、まだまだ知識としてしか理解できていないのではないかと思えるのですが。
生命というものは、具体的にどのように、把握すべきなのでしょうか。

名誉会長: 戸田先生は、よく言われていた。「三世の生命、永遠の生命といっても、だれも見たものはいないんだ」と(笑い)。
ただ、その輪郭だけでも、描き出すことは意味があると思う。みんなの持っているイメージを出し合ってみたらどうだろう。

須田: 一つには、次のような考え方もあります。自分のなかに「我」というものがある。死んでも、その「我」は、ずっと続く。この「我」が生命の実体であると。

名誉会長: なるほど。そうすると、死んだ後の「我」は、どこにあるんだろう。

須田: 霊魂のように、フワフワしたものではないとは思うのですが ---- 。
 

/497