最後の皇女の韓服、90年ぶりに里帰り

日本の博物館、徳恵翁主の服を韓国政府に寄贈へ
高宗の娘・徳恵翁主、強制的に日本留学後、結婚・離婚

最後の皇女の韓服、90年ぶりに里帰り

 大韓帝国最後の皇女・徳恵翁主(1912-89年)が着ていた皇室の服7点が90年ぶりに故国に戻る。韓国文化財庁関係者は9日、「東京の文化学園服飾博物館が所蔵する徳恵翁主の唐衣やスランチマ(韓服のスカート)など宮廷礼服・生活服7点を韓国政府に寄贈するとの意向を明らかにした」と述べた。これらは徳恵翁主が幼いころに着ていた緑の唐衣、赤のスランチマ、濃い桃色のチョゴリ(韓服の上衣)、肌着、子ども用パジ(韓服のズボン)などだ。

■なぜ徳恵翁主の服が日本に?

 徳恵翁主の服は現在、韓国に全く残っていない。だが、1979年に開館した日本の文化学園服飾博物館には徳恵翁主の服や生活用品約50点がある。この遺品は2012年に国立故宮博物館で開催された徳恵翁主特別展の時、韓国で初めて公開された。

 最後の皇女の服が日本に残っているのは、韓国の悲しい近現代史のためだ。高宗と宮女・梁貴人の間に生まれた徳恵翁主は1925年、「皇族は日本で教育を受けなければならない」という日本側の要求により13歳(数え年、以下同じ)の時に強制的に日本に留学させられた。19歳だった31年には旧対馬藩主・宗家の当主・宗武志と政略結婚した。父のように慕っていた兄・純宗と母を相次いで亡くした後、神経衰弱を発症、結婚1年前に既に早発性痴呆(ちほう)との診断を受けていた。徳恵翁主は娘を出産した直後に精神病院に通い、55年に離婚された。

 夫の宗武志は離婚後、朝鮮皇室から送られた婚礼品や翁主の服を兄の英親王(大韓帝国皇太子の李垠〈イ・ウン〉)に送り返し、英親王夫妻はこれを当時の文化女子短期大学(現・文化学園大学短期大学部)に寄贈した。後に文化学園服飾博物館が開館し、徳恵翁主の服は博物館の所蔵品になった。韓国文化財庁関係者は「博物館の所蔵品を無条件で引き渡すのはまれなケースだ。自らが寄贈された品を「純粋寄贈」という形で韓国に返す意義深い事例だ」と話す。

■皇室の服飾文化を知る手掛かり

 緑の唐衣は大韓帝国の皇室服飾文化が究明できる貴重な品だ。胸や背中、両肩の部分に五爪竜(爪が五つある竜)の文様が、服全体に「寿」と「福」の文字が金箔(きんぱく)で付いている。幼児期に着た赤のスランチマは赤の表地に桃色のからむしの裏地を当て、緑の唐衣と上下セットになっている。スランチマの裾には「福」「百」「歳」「寿」などの文字や、さまざまな草花柄の金箔が付いており、華やかだ。

■「両国友好増進のきっかけになれば」

 今回の寄贈は、学校法人文化学園の大沼淳理事長(87)=文化学園服飾博物館館長=の主導で行われた。大沼理事長は韓国文化財庁との協議で「苦節が多かった徳恵翁主の遺品を韓国に返せたらという思いを長年抱き続けていた。韓日国交正常化50周年を今年迎えるに当たって決意した。両国の友好増進のきっかけになれば」と語ったとのことだ。

 大沼理事長と親交のある草田繊維キルト博物館のキム・スンヒ館長も説得を続け、同理事長の気持ちを動かしたという。

 寄贈式は今月24日に東京都内の韓国文化院で行われる。遺品は国立故宮博物館に所蔵される予定だ。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者
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