聞き手・藤生京子
2015年6月11日05時14分
若者や子どもがわからない。そんな戸惑いと不安が広がっている。陰惨な事件は後を絶たず、閉じたコミュニケーションも世代の壁を厚くするばかりだ。背景に、経済至上主義と管理社会という戦後日本の病巣があると早くから指摘し、若者の生態をルポしてきた藤原新也さんは、そうしたゆがみは極限に達していると語る。
――今年2月に川崎市の河川敷で中学生が殺された事件など、最近また、若者や子どもがらみの事件に注目が集まっています。
「集団でのなぶり殺しという、若者のはらむ狂気のすさまじさに衝撃を受けたんだろう。一方で気になるのは、友達にタリウムを飲ませたとか、通行人に硫酸をかけたとか、単独犯の訳のわからない事件が散発していること」
「街を歩くと、都会も地方も一見、平穏だ。かつて大人が眉をひそめた、暴走族やヤンキー、ヤマンバといった身体表現は消えつつあるし、コンビニ前にたむろする子も少ない。皆、『普通の子』なんだ。こんな不気味な静けさに包まれた若者たちの生態を、僕はステルス(不可視)化と呼んでいる」
「LINEなどSNSを使い、顔文字の架空の交流に慣れた彼らは、他者が不在。ネット空間からOFF(現実)世界に転換して身体接触すると、時にとんでもない暴発が起こる」
――藤原さんが若者の犯罪に注目したのは1980年、同じ川崎市で起きた、予備校生による金属バット両親殺害事件でしたね。
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