大リーグ史上初の“本格的両投げ投手”、アスレチックスのパット・ベンディットが5日(日本時間6日)傘下の3Aからメジャー初昇格し、その日のフェンウェイパークで行われたレッドソックス戦で救援登板。歴史にその名を刻んだ。
近代メジャー史では、エクスポスの右腕クレッグ・ハリスが1995年9月28日に左で打者2人に対戦した記録があり、20年ぶりの快挙となったが、実はハリスの登板より遡ること7年。1988年4月14日に日本人の両手投げ投手がプロの舞台を踏んでいる。
前年87年ドラフト外で南海に入団した近田豊年氏(49)だ。左腕として1回1失点のプロ初登板は同投手の最初で最後の公式戦となり、事実上の“両投げ”をプロで披露する機会に恵まれなかった近田氏は、現在関西を拠点にゴルフ&野球教室を運営。今回の快挙を自分のことのように喜んだ。
「本当に嬉しいです。何と言ってもメジャーリーグですからね。あのレベルに至るには、人知れぬ努力があったと思います。映像をみましたが、スライダーが両サイドに見事にコントロールされていた。感動しました」
本来は左利きだが、ベンディット同様、幼少期から左右均等の身体能力を備えていた近田氏。一番の苦労は利き腕でない腕で投げる変化球の制球だったという。その他、バント処理、ベースカバー、牽制などプロレベルで投げるには、細かい動作、反応が要求される。
「要は反復練習で習得するしかありません。簡単ではありませんでした」と振り返った。
昭和40年生まれの近田氏は現在49歳。野球漫画「ドカベン」が人気となった70年代に幼少期を送ったが、登場人物の通称「わびすけ」こと木下次郎より先に両投げを意識していたと自負する。
「小学校の頃の作文に両手投げの野球投手になりたいと書いていたんです。ド田舎で男子生徒が全校で9人いなかったので、野球なんかできなかったくせに(笑)。でも、お陰で野球以外の色んなスポーツをする機会に恵まれました。今から思えばそれが良かったと思います。子どもの頃からリトルリーグの名門チームに入っていたら絶対、そういう発想にはならなかったし、両投げなんてさせてもらえなかったでしょう」