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【私説・論説室から】

血税の原義と戦争法案

 「血税投入は七百億円」−。

 消費税増税の先送りを問うためとか、アベノミクスが争点だと言っておきながら大勝した途端、国防軍(わが軍?)創設を含む安保法制整備に「国民の支持を得た」と言ってのけた昨年末の総選挙に要した費用である。

 今さら七百億円が党利党略に使われたとか、民主主義のコストとして高いなどというつもりはない。正々堂々と安保法制の是非を問わない姑息(こそく)な政治手法や、勝てば何をやっても良いとの勘違いを正そうというのでもない。「血税」という言葉の本来の意味も知らずに使ってきた不明を恥じているのだ。

 確かに「重税感に耐え、血のにじむ思いで納めた貴重な税金」という使い方は今では一般的だ。だが、血税の原義は全く違う。明治憲法下、お金を提供する義務が税金で血を提供つまり兵役が血税だった。主権者である天皇に徴兵制に基づき血を納めたのである。

 今は平和憲法下だが、「戦争法案」が現実味を増してきて不安を抱く自衛隊員や家族は少なくないだろう。しかし「自衛隊員のリスクばかり言うのは木を見て森を見ない議論だ」と切り捨てる首相に「思い」は届くまい。

 格差を放置どころか拡大させる政策ばかり見せられると、貧困の若者らが食うために志願兵にならざるを得ない「疑似徴兵制」ともいえる米国の兵士大量生産システムを後追いするのかと思えてくるのだ。 (久原穏)

 

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