大学は社会にすぐ役立つためだけにあるのか。

 文部科学省が全国86の国立大学に対し、今ある学部や大学院を見直すよう通知を出した。

 特に教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院について、見直し計画をつくり、廃止や社会的な要請の高い分野への転換に取り組むよう求めた。

 なぜ文系か。文科省は言う。

 教員養成系は少子化で教員採用が減る。人文社会科学系は社会のニーズに応じた人材が育てられていない。即廃止ではないが、意識を変えてほしい――。

 安倍政権は大学を成長戦略に位置づけ、理工系を伸ばし、国際的な競争力を高めようとしてきた。職業教育をする高等教育機関もつくる。

 求めるのは、大学が社会の変化に応じて、すぐ役立つ人を生み出すことである。

 たしかに技術革新や産業振興の要請に応えることは大学の役割の一つだ。文系学生の多くは勤め人になる。社会人としての力を伸ばすことも必要だろう。

 国立大の努力はまだまだ足りない。通知は、企業や政府のそんな見方の反映でもある。

 だが、だからといって効率を求めて、国が組織の廃止や転換を求めるのは乱暴過ぎる。

 いまの社会を批判的にとらえ多様な価値をつくりだす研究は、激しい変化の時代にこそ欠かせない。そこから新しい発見が生まれる可能性もある。

 国立大は法人化で、国の縛りが緩むはずだった。なのに実態として介入が強まっている。卒業式、入学式での国旗国歌の要請の動きもその一つだ。なんのための法人化だったのか。

 国立大の使命の一つは、教育の機会均等の確保のはずだ。

 学びたい学部がなくなれば、学生は地元を離れなければならない。地方創生の流れにも反するのではないか。社会人の学び直しもしにくくなるだろう。

 組織のあり方を決めるのは、あくまで大学自身だ。学問のあり方を考え、多様な立場の意見を広く聞いて決めてほしい。

 文科省は各大学の改革への取り組みを評価し、基盤的な予算である「運営費交付金」を重点配分している。

 その交付金の規模は法人化以来10年で1割以上減っている。

 地方の国立大からは「早晩、壊死(えし)する」との声が相次いでいる。このままだと授業料にも跳ね返りかねない。

 国立大はどうあるべきか。財政難の下、どこまで国費をあてるか。住民や自治体、学生ら多角的な視点で議論を広げたい。大学は社会全体のものだ。