2015-05-31

死に損ないに生まれるという事

俺は元障害者だ。本当は生きられない体で生まれてきたのに、実験的な手術で助かってしまった。

同じ手術を受けて死んだ子がいる事も確認している。自分は、死んだ子の分も生きなければならない。死んだ子の代弁者として生きなければならない。

健常者と我々、死に損ないの間には、決定的な違いがある。健常者は、ほっといても生きられる。我々は、そもそも手術なしでは生きられない体を持って生まれてきた。

我々は、生命と言えるのだろうか?我々には生きている価値があるのか?

俺は、幸い、見た目は健常者と同じ程度に回復しているので、健常者と同じように生活して、この10年、健常者の行動をつぶさに観察しながら、健常者が我々に死んで欲しいのか生きて欲しいのか、見極めようとしてきた。

しかし、どうもはっきりしない。それどころか、俺を健常者と誤認して、俺の考え方が間違ってるとかいうやつも出てきた。俺が気にくわないなら、俺が生まれた時に手術をやめさせればよかったじゃないか。何も殺さなくても、手術をやめさせるだけで俺のような死に損ないは排除できる。

健常者は、何が不満なんだ?日本人口の9割以上は健常者だ。お前らが結託すれば、憲法も変えられるし法律も変えられる。憲法だろうが法律だろうが、好きにいじって、俺みたいな死に損ないが人間でないことにすればいい。そうすれば、俺たちを社会から抹殺できたのに、どうして、俺たちにぐちぐち文句を垂れるんだ?

お前ら、人口の9割占めてるんだから民主主義のこの国なら、簡単に俺たち抹殺できるだろ。なんでやんないの?

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