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分かりやすい個性

ど根性ガエルの実写版のPR動画を見ました。
出来はともあれ、よくぞまぁ挑戦してくれましたって感じです。
それにピョン吉が昔のまんまっていうのはうれしいです。

リアル化すればいいってものでもないです。
ちなみに見るかどうかはわかりません。

昔の作品には勧善懲悪のものあり、白黒はっきりするものがけっこうありました。
それと同じように登場人物の性格も一辺倒。
そのおかげで印象深く憶えているようです。

たとえば実生活においても、性格がわかりやすい人はとても印象深いです。
もちろん体つきなどの容姿もそうといえるわけで、要はその人の個性がしっかりしているということです。
長年同級会など出ていないので忘れた人もいるのですが、そういう人は忘れないものです。

昔の作品に限るとはいえないのですが、当時のものには脇役でさえインパクトを残すキャラクターがいます。
ど根性ガエルでいえば梅さん。
内容をそんなに憶えていないのですが、「梅さん」ときくとなぜかププッっとなります。
頭の中に「梅さん=おもしろい」が定着しちゃっているのです。

なぜか憶えている脇役でいうと、アルプスの少女ハイジのロッテンマイヤーさん。
この人なんて脇役中の脇役。
なのに「アーデルハイド」って言うのが強烈。
たったこれだけで脳裏から離れないのです。

この辺は声優さんがうまいということもありますが、誰かは知らんし憶える気もなし。
後半は穏やかになっちゃって子供の頃は安心したものですが、でもやっぱりロッテンマイヤーさんはおっかない方がいいの。

こんなことを書いていたら、一休さんの新右衛門さんを思い出した。
あごの割れたいい大人が、とんちだけきく小坊主の弟子といういい加減なもの。
一応新右衛門さんも実在人物というから、驚き桃の木山椒の木 ブリキにタヌキに洗濯機。

いい加減もいいところで、金閣寺を建てた足利義満まで登場するが、こんな小坊主相手にジタンダ踏み放題。
たいして供をつけず、街の中を歩き放題。
遠山の金さんみたいに身分を隠す方がまだわかる。

まあ、本来子供の見るものだからそれでいいのかなぁ…っと。
大人になった自分が今この作品を初めて見たらどう思うのだろう?
そう思うと、当時の大人たちはよくこんな風に作りましたねぇ。

良し悪しは別として、登場人物がわかりやすいものは気楽に見れる。
寝そべって、せんべいを食いながらでものほほんと見れる。
なぜか親しみすらおぼえてしまう。

さてど根性ガエル。
主役はピョン吉、ひろし、どっち?

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歴史

今日は朝早くから地区の仕事があったので朝5時に起きました。
でもなぜか5分もかからずに終了してしまった。
時間が余ったからこのタイトルで書き始めたのですが、3時間も書いてまとまらず、いたづらに長くなくなるし、文章もかたくなってしまったので、くじけることにして簡単に書きます。

まず手始めに、学校のお勉強が社会に出てから役に立つかどうか?
結論は別にして、たとえば数学という学科があります。
数学といえば理系の科目です。

でも見方によっては学校で習う数学は文系の科目であるという人もいます。
というのは、数をこなせばある程度できるということらしいです。
数字が違うだけで、後は憶えるだけなので暗記科目ともいえるということです。
受験生の方が数学者より速く解いてしまうこともあるそうです。

また、数学の解答を書くときはその過程を書くことが当たり前みたいになっています。
こういう問題があって、これこれの理由で答えはこれだとなります。
つまりこれは論理の形であるから国語の一部であって、言葉が数字になっているだけだというものです。
国語が苦手な理系の人でも論文をかけるのはそれゆえだというらしいです。

さて歴史です。
歴史は理科である… なんていいません。
そんなもんわかりません。

テストや受験に関しての歴史はまぁほぼ暗記科目でしょう。
文章の正誤問題とかもありますが、暗記科目そのものといってもいいです。
でも、それが歴史科目の本当の目的ではありません。

歴史というのは、小さいことからいえば人と人との関係とか、人と物との関係などから成り立ちます。
たとえばあるひとつの形があって、それが様々な要因からそれが変化する、後退したり発展していくものです。

人生という言葉があります。
それを人の歴史ということもあります。
歴史とは人類の歴史であり、それは人類の人生と言い換えることもできると思います。

ということは、学校の歴史で学ぶことは人類の思い出話を聞くみたいなものです。
人類というひとりに人がいるとしたら、「徳川家康があのとき天下をとったなぁ」と語るようなものです。
そんな人の思い出話ばかり聞いたって、何も勉強にはならないのです。

たとえばある人が失敗したとします。
今度失敗しないようにするにはどうするか?
それを考察することが勉強であり学習なのです。

つまり、人類の人生としての歴史を学ぶことによって、これからの未来の人生の歴史を作っていくことが本来のことなのです。
そのためには、どういう国などがあって、それにはどんな背景があり、何が要因で、どのようなことがあり、どうしてこうなったのかを学んでいくのです。
簡単にいえば、成功事例も失敗事例も考察して後に生かす必要があるのです。

でも残念ながら学校教育でこれを学ぶことはできません。
時間がないこともありますが、これについての解答は人によって違うからです。
正しい解答がたくさんあるからです。

たとえば過去に戦争で負けたとしましょう。
あの戦争は間違っていた、あるいは戦争はしてはいけないと考える人は、戦争を回避するにはどうするか、あるいはどうしたら戦争を回避できたかを考えるでしょう。

でも人の中には戦争を肯定する人やあの戦争自体は正しかったと考える人がいます。
その人たちは、どうすれば戦争に勝ったかを考えるのです。
どちらが正しいかは倫理とか違った分野のもので、歴史ついてのアプローチの仕方は間違っていないです。

近年のものについては我々は容易に考えることができます。
でも、たとえば戦争はいけないと考える人が、関ヶ原の合戦について正しいか間違っているか考えるでしょうか?
歴史は歴史の学問なので、過去も現在も区別してはいけないのです。
たとえ間違っていたとしても、その過去があって自分たちが今生きていることを忘れてはならないのです。

もう一度書きますが、本質的に正しいかを判断するのは歴史の解答ではありません。



さてもう少し書かせてください。

我々は日本史、世界史と分けて勉強してきました。
今の時代はA、Bなんてさらに分かれていますね。

勉強が足りなかったせいか、どうも日本の歴史と世界の歴史がアンバランスのようです。
世紀やら年数でだいたい分かるのですが、数字だけで追ってしまっているのでどうもピンとこないんです。
たとえば、世界がそれなりに文明、文化を築いている頃は、なんとなく日本もそれなりのものを持っている感覚なのです。

いたかどうかは謎ですが、一応それらしき人はいたという卑弥呼というお嬢がいました。
このお嬢がいた時代って、呪術なんて使って治めていた時代のようです。
そういうことであると仮定しましょう。

お嬢がいた時代を考えてみると、中国では三国志の時代です。
三国志を知っておられる方からみれば、すごく日本って遅れてません?
あれだけのことをやった時代に呪術って…。

もちろん太平道やらもあったけど、それが絶対という社会ではないです。
それなりの支配者がいて、結果宗教関係は負けちゃってますし。

またお嬢の時代をさかのぼること700年ほど昔に、西洋じゃソクラテスやプラトンがいるし、中国でも孔子や孫子などがもう存在しています。
いいか悪いか、正しいか間違っているかは別として、そんな時代にもう論理的に物事を見る人が生まれています。
さらにもっと昔に西洋、東洋問わずそうやって考える人が生きていたのです。

700年前なんてすごい長いですよ。
今の時代で考えれば、鎌倉時代までいっちゃうんでしょうか。
それなのにまだ呪術…。

クレオパトラなんて、お嬢より200歳くらい年上の大ばあちゃんだもんなぁ。
そんな風に想像したことなんてないよ。


さらにもうひとつ。

人生をふり返ったとき、誰もが1度くらい「あの時ああすれば…」とか考えたことがあるでしょう。
まぁ恋愛などではよくある話。

歴史もそういうもので、たらればで考えることができる世界。
ちょっと三国志のお話を書きましょう。

一応三国志といえば、曹操君、孫権君、劉備君。
賛否両論はあるとして、曹操君は自分いっちば~んの覇者を目指したタイプ。
孫権君はどこか共産主義タイプのうわさ立つ人。
劉備君は漢王室に権威を与えて出来るやつが権力とればいいタイプ。

劉備君の考え方って、日本の天皇制に近いみたい。
漢王室の皇帝は権威、その国の覇者が政治をするって考え。
日本の天皇も権威だけで権力はないよね。

さて、劉備君がもし天下をとって、少なくとも清の時代までその制度を継承していたらその後どうなっていたでしょうね?
イギリス、日本ともに立憲君主制。
もしかしたら、今の中国とは全然違っていたかもしれません。

簡単に書くつもりが疲れました。

朝感じたこと

朝8時半の気温は15℃。
すっかり体が夏仕様になっているので寒いぐらいです。

今日は母親のデイサービスの日。
いつもながらとても嫌がるのですが、よくウソをつくようになりました。
そのウソもまるで子供のように分かり切ったウソをつきます。

退行しているんでしょうね。
たとえば、「あたしのような婆さんは誰も行っていないよ。みんな若い人」なんて言います。
聴いているこっちはバカバカしくなります。

「爺さん、婆さんが行くところじゃないか」と言ってみたり、あげくの果てには「中を見せてもらったけれど、爺さん、婆さんばかりだよ」と言ってもこっちの話に反論するか無視します。
ただ言葉を話すだけでは限界があるみたいです。

でも、「あなたのように頭の白い人ばかりいたよ」と言うとなぜか絶句するのです。
「頭の白い」が大事みたいです。
ただストレートに言葉を並べただけでは相手に伝わらないんですね。

この場合、「年寄り」と言うよりも「白い頭」と言った方が相手に伝わったということです。
おもしろいですよね。
「白い頭」と言った方が「年寄り」という言葉よりも、より年寄りを想像させたようです。
「抽象の方がより写実的」なんて言葉がありますがそんな感じなんでしょうか?

今日は書くことが思い浮かばなかったので、朝あった出来事のみを書いてみました。

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