<私の憲法論 第三回>
憲法と憲法改正に関する議論は、憲法の制定過程をよく踏まえた議論であってほしいと思う。産経新聞の記事(4月18日)によれば、安倍晋三首相が日本国憲法を「GHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間でつくった代物」と評したことについて、野党のなかに、その首相の憲法観は問題だ、と反発する声があるという。首相の言葉が産経新聞の記事のとおりだとすると、憲法は8日間でできたわけではないので、首相の表現には誇張があったかもしれない。
だが日本国憲法の草案は、まさに首相が言うとおり、総司令部が日本専門家でもなければ憲法の専門家でもない部員―皆それなりに優秀な人たちだったが―を動員して、秘密裏に8日間でつくったものである。誰もその事実を否定することはできない。
昭和21(1946)年の2月13日、天皇象徴や戦争放棄を盛り込んだその憲法草案を、外務省公邸で日本政府に手交したGHQのホイットニー准将は、政府内で憲法改正問題を担当していた松本烝治国務大臣と、吉田茂外相に対して、天皇の身の安全を守りたかったら、この草案を受け入れなさい。GHQがつくったとは言わず、日本政府自身の草案として、これをもとに憲法をつくりなさい、と要求している。
新憲法が発布されたとき、日本国民は歓呼の声をあげたと言われる。だがもし、当時の国民がこの日のことをよく知らされていたらどうだったか。歓呼の声もずいぶんと複雑なものになっていただろう。講和独立後の国民の憲法観にも、大きな影響を与えていたのではなかろうか。
私がこの話をするのは、昨年実現した集団的自衛権に関する政府憲法解釈の変更に関して、この変更は、立憲主義から見て問題がある、というような批判があったことを思い出すからである。なかには解釈変更の閣議決定がなされた日は、日本の立憲主義の歴史おいて「最も不名誉な日」だと書いた新聞コラムもあった。
しかし、昨年の政府憲法解釈の変更は、自国の「平和と安全を維持し存立を全うするために必要な自衛のための措置」は合憲、とする最高裁の憲法解釈(1959年の砂川事件差し戻し判決)の範囲内でなされたものである。政府の統治を憲法に基づいて行うという、立憲主義の原則に反するものではない。
ただそのことよりも、私が立憲主義を持ち出す批判に引っかかりを感じたのは、いったいそういう批判をする人たちは、いまの憲法の制定過程を、立憲主義の観点からどう評価するのか、いぶかしかったからである。
政府が政府の判断で、政府の憲法解釈を変えるのはよくない。だが政府が、外国人の判断で外国人に憲法草案を書いてもらって、憲法改正を進めたのは、とくに問題がない、ということになるのだろうか。
私は後者のようなことになった日こそ、日本の立憲主義の歴史において「最も不名誉な日」というべきではないかと考える。
憲法と憲法改正の議論は憲法制定過程のことをよく考えたものであるべきだ、と思うもう一つの例は、憲法96条の改正問題である。
安倍首相は政権発足当初、憲法改正の発議は衆院、参院それぞれ総議員の3分の2以上の多数を必要とする、という96条の規定をまず改めることに積極的な姿勢を見せた。私はここではそのことの是非を論じないが、憲法学者の批判のなかに、そもそも改正条項を改正するというのは立憲主義のルールに反する、という批判があったのには驚かされた。
というのも、日本国憲法は形式的には大日本帝国憲法(明治憲法)を改正してできた憲法であり、その改正の際に改正条項も改正しているからである。
日本国憲法は明治憲法73条の規定にしたがい、天皇が勅令により明治憲法の改正を発議し、衆議院、貴族院それぞれ出席議員の3分の2以上の賛成を得て改正され、その結果できあがったものである。
改正された憲法の新しい改正規定、つまり日本国憲法96条は改正前の規定、すなわち明治憲法73条に比べて、改正の発議も簡単ではないし、国民投票も必要になって、改正のハードルは大きく引き上げられている。
実はそのことは、この憲法の正統性にかかわる問題点の一つといえるかもしれない。
日本国憲法は連合国が日本を占領するなか、すなわち日本国民に主権がないなかで制定された憲法である。そのこと自体がもちろん問題だが、未曽有の敗戦というきわめて特殊な事情もあり、やむを得なかったところはある。
講和独立後に主権を取り戻してから、再検討すればよいだけ、と割り切る考えもあったかもしれない。
ただその場合、改正された憲法の改正規定が改正前より、かなりハードルが高いというのはどう考えるべきだろうか。
実際のところ、その新しい改正規定は、主権のない時代にできた現行憲法の固定化を助ける役割を果たした。そうなると、占領下において、そこまでの改正をやってよかったのかどうか、という問題が生じるだろう。
私は、憲法の制定過程にこうした問題がある、という理由だけで、ともかく何でもいいから、コンセンサスが早く得られるものを先に憲法を変えていく、という考え方には与(くみ)しない。そういう考え方は、改正の議論を混乱させるだけなのでは、と懸念するからである。
憲法改正は、多少時間がかかっても、たとえば自衛隊を憲法のなかに位置づけるといった、どうしても必要なことから、しっかり議論してやるべきだろう。
ただその一方で、憲法制定の経緯にかかわる問題をすっかり忘れ、憲法はこうあるべきだとの理想論で改正の是非を論じるような議論には小さくない違和感を覚える。バランスのとれた議論が必要だと思う。 (2015年5月18日号 週刊「世界と日本」第2053号 より )
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