AKB0048 21-24話前半を観た感想
今日も引き続き,AKB0048を観てみた。
ダウンロード時間の都合で,今日は24話前半までしか観られていない。
元みぃちゃんが意外と早く正体をバラしていて拍子抜けだった。
まあいいいいけど。
しかし,それで,元みぃちゃんがAKB0048への裏切りが失敗して研究生に降格すると
言い出したら,本物のみぃちゃんもスキャンダルで研究生に降格したのだから,
アニメだからと言って滅多なことは言えないと思った。
ツバサも元みぃちゃんも,センターノヴァとして消えていったメンバーを
取り戻そうとしていたが,私にはセンターノヴァとして消えるということが
イマイチ理解できなかった。
センターノヴァとして消える人生,生涯ひとりの人生を,女の子が望むか?
・・・望まないと思うのである。
人生のある一時期はひとりで戦うこともあるかも知れないが,
一生戦わねばならぬ運命というのは違うと思う。
いや,たとえば,美空ひばりだとかマイケル・ジャクソンのようなヒトは,
一生戦ったと言えると思えるのであるが,彼らはどこか,自分の芸能人などとしての
キャラクターに翻弄されてアップアップで,それが人生を短くしたと思うのである。
一生戦うヒトはけっきょく,死ぬ間際に,ココロから生まれて来てよかった!と
言える人生を送れていないのではないかと,私などは思ってしまうのである。
アップアップの人生で50歳程度で亡くなってしまうくらいであれば
(ちなみに,美空ひばりは52歳,マイケル・ジャクソンは50歳で亡くなっている),
腹八分目で抑えた人生で,80歳まで生きてもらったほうが,
トータルでいろんなことができると思うし,AKBの子らにもそうして欲しいと思う。
今後いくら現実のAKBを,メンバーや秋元康が崇高なものに昇華できようとも,
センターノヴァとして消えるという設定はどうしてもおかしいと思うのである。
キララドライブも,アイドルに反応してエネルギーとなるように受け取れたが,
そうするとこの作品の中では,AKBなどのアイドルは,例えがよくないかもであるが,
現実世界における核エネルギーみたいなものと言えると思った。
核は平和にも利用できるし,軍事にも利用できる諸刃の刃であるからである。
(核は事故や,ヒトの恣意的な操作などはない前提で。
実際には恣意的な操作ありまくりとも思っているが)
しかるに,核はその与え得る被害を前提に,争いのカードとなることはあっても,
核自体が戦争の対象となり,生成や消滅をかけた目的になることは有り得ない。
たとえばアメリカが,核の獲得のために戦争を始めるなんてことは有り得ないのである。
そういう現実とAKB0048と比較すると,力を秘めていることが明らかな
AKB0048が芸能禁止になる理由がどうも希薄と思えるのである。
逆に,智恵理の父親は,凪沙の父による,芸能のある星のほうが労働効率が
上がるという論文を,信用しなかった。
これは,アイドルがエネルギー源になれることを智恵理の父親は信じていないことを
意味しており,アイドルに関してどうも設定に矛盾があると思った。
モフフとかフンギーの出てくるところは,モフフがピカチュウで,
フンギーは王蟲とトトロの合いの子みたいなイメージを持った。
しかし,設定が薄っぺらい。
フンギーに対して,言葉は伝わらないけれども歌を歌えば伝わるというのは,
それ自体は悪くない設定と思うのであるが,23話まできて突然そういう話が出てきて,
丹念に描きもせずにたった一曲の間に人間とフンギーが仲良くなれてしまうという描写は
描き方が短絡的過ぎておかしい気がする。
私がよく主張することに,いくらいいことを言っているとしても,
相手の受け取りやすい言葉を提示せねば,相手は,アタマでは分かったつもりでも,
ココロの底から理解することはできないのである。共感はできないのである。
フンギーに歌を歌って分かり合えました,という設定も,あの短時間では,
視聴者は,そういうことも有り得るかも,とアタマでは分かってもらえても,
たとえば自分のペットの犬に1曲歌っただけで瞬時に仲良くなれるかどうかを
考えたら分かるが,ココロの底から共感してもらうのは難しいのではないかと思う。
そして,ココロの底から共感してもらえない作品は,どんないい理屈を言おうが
忘却の彼方に消えてしまうのである。
そういう人間の摂理を,河森監督はどうも分かられてないように思う。
私がマクロスを観たのはいまから約30年前,小学校2,3年の頃のことであったが,
子供心に,リン・ミンメイの恋愛の設定など面白いと思った。
しかし,リン・ミンメイに費やした深さが,AKB0048では感じられないと思う。
機会があれば,検証のため30年ぶりにまたマクロスを観てみたいと思うのであるが,
いくらあのときよりも安いカネしかもらえていないからといって,
河森さんも,よりよいアイデアをよりたくさんカタチにできるくらいに
成長されていなければ困るわけで,そういう河森さんの深さが感じられないと思った。
凪沙と智恵理が,お父さんに対して一生懸命言ったら分かってくれる,と言っていたが,
現実は,たとえば殺戮し合っている人々を前にして歌ったとしても,
全員無視するであろうことは容易であるし,一生懸命言ったとしても
受け取り手が聞く気を示さねば伝わらないのである。
たとえば私がいくら実母に一生懸命言っても,しかもそれを30年間続けても,
自分の私利私欲しか考えない実母は,いつまで経っても理解しようとしないのである。
そのあたりが,まだまだ認識が甘いと思った。
ところで,智恵理のお父さんはたまに出てくるが,お母さんは全く出てきていない。
もしかしてお母さんは,亡くなった設定なのであろうか?
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