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2013年4月27日

2013年4月27日 (土)

ジブリ汗まみれ「山口智子さんとの対談その2」の回を聴いて思ったこと

スタジオジブリの皆々様,とりわけ鈴木敏夫さんへ

下記を聴いての感想です。

■2013/04/25 今週から全3回にわたって山口智子さんとの長野県・小布施での対談の模様をお届けします。【その2】
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol266.mp3

今日は,あまり書くこともないでしょうか。
学ぶ姿勢は必要と思いながら,私なんか学んだらそのぶん何かを返さないと
イライラするので,あんまり学んだことを溜め込むのは好きではないのです。

ですから逆に,学んで,納得しただけで,なにも返さない人を見るとイライラします。

山口さんはとなりの山田くんが好きで,鈴木さんに球を何度も投げ,
奈良への闇を体験する旅に繋がったと仰っていました。
これは,言い換えると,ポニョへの山口さんの出演以前に,山口さんから
ラブコールがあったため,ポニョへの山口さんの出演が決定したと
思っていいのでしょうか?

私は,出演者の決定の選考過程などけっこうアバウトなのですから,
ジブリなど心底惚れていて本当に出たい人間は,なんとかして頻りにアポを
とっていたら,そのうち使ってもらえる,というのが持論です。
宮崎さんがホルスで使ってもらったように。

にもかかわらず,人々は,たとえ声優であっても芸能人であっても,
役柄はオーディションで決まる,という先入観に捉われてしまっていて,
それ以外の道を求めるチャレンジをしていない人が非常に多いと思います。

制作者側から言えば,文句なく上手いけれどもあくまでドライに演じる俳優と,
スキルは十人並みだけれどもジブリがとにかく好きで,それも通り一遍の好きさ
ではなく,ケタはずれにあれこれとクリエイティブなアイデアが出てくるくらい
好きな俳優がいたとして,どっちを使いたいかといえば,
どうしても後者を使ってみたくなると思うのです。

さらに私の持論を言えば,いまは下手でも,上手くなりたいとイメージするものが
あれば,365日一歩一歩でも前進できるため,1年2年と経てば着実に上手になり,
いつかは一流になれると思うのです。

逆に,いまいくら上手でも,上手くなりたいとイメージするものがなければ,
何年経ってもそれ以上上手くなりようがないと思うのです。

ゲド戦記のときに,鈴木さんは,親子で伝えていく職人芸もあるとかいう説明をされ,
宮崎吾朗さんを監督に据えられたと思うのです。
私は,巨匠の子供は,たとえば宮崎吾朗さんは,親のスキルだけでなく
モチベーションまでをを見て育ってきたため,仮にいまは下手でも,
上手くなりたいとイメージするものがある状態であるから,
親に近いところまで行きやすいのだと思うのです。

いやもちろん,巨匠のすべての子供がそうだとは思ってはいませんが,
宮崎吾朗さんに関しては,宮崎駿さんの姿勢をしっかりイメージできていた。
だからこそ,建設コンサルタント・環境デザイナーでも成果を出され,
アニメの世界でも同様に成果を出されたと思うのです。

そう考えると,山口さんは,ジブリの学び続ける姿勢を賞賛されていましたが,
それは必ずしも正しいとは思いません。

いくら学び続ける姿勢を見せようとも,共産党のように,赤旗新聞で
姿勢を見せることにこそ意義がある,的な姿勢であれば,いつまでたっても
万年野党であり,成果が出ないと思います。
赤旗は,”学ぶ姿勢”を見せて,どうだ,すごいだろう!と言っているだけと思います。

そうではなくて,なにかを人に伝えたい,そのためにはまだ自分に足りないものがある,
と,つねにイメージするものがある。
そうすれば,学ぶということを意識することなく,自然に入ってくると思うのです。

たとえば,自分の子供になにかを伝えたいと思えば,学ぶことなど意識せずに
子供にわかる表現をいつの間にかあれこれ身に付けますよね。

高畑作品は非常によく考えられているとは思うのですが,人々にわかる表現を
あれこれ身に付けて実践されているかというと,そうではないように思います。

山口さんがゴーイングマイホームに出られて,それが受けない,
日本人が変わった。と仰っていました。
そういうことを非難する論調と思いました。
が,受けないからこそ,受けて上手に彼らの心を掴み取るにはどうしたらいいか?
を考えられる楽しみがある,それを考えつけば大ヒット間違いない,と,
鈴木さんには前向きに考えていただきたいと思います。

私は,映画やドラマの伝え手が伝えるべきは大きく2つあると思っています。
ひとつは理想的なイメージであり,もうひとつは現在の自分たちとのギャップだと思います。

理想的なイメージはそうそう変わるものではありませんが,
現在の自分たちとのギャップについては,現在の自分たちの状況をリサーチ
しなければならず,年月が経てば移ろいゆくものと思っています。

その現在の自分たちについて,ちゃんと向き合ってウケるものを提示すること,
それはまるで,魚のいるところに餌をまき,竿を垂らす,釣り師と同じと思います。

ジブリに言い換えれば,宮崎さんは釣り師的な側面が大きく,
高畑さんは理想的なイメージを追い求める側面が大きいと思います。

その,釣り師的な側面に真正面からぶち当たっているヒトが,じつはいまあまりにも
少ないと思います。
言い換えれば,釣り師的な側面から,理想的なイメージまで持ち上げている
プロデューサーがいません。
それこそが真の問題なのではないかと思います。

それは,鈴木さんにも当てはまります。
高畑作品に足りないものがあれば,それを補うのは鈴木さんのプロデュース力と思います。
鈴木さんも,偉そうなことを仰りながら,ご自分の仕事からは逃げられてきた。
それが,となりの山田くんの大惨敗として現れたのだと思っています。

鈴木さんは,ジブリ映画の宣伝で,
「宮崎駿の名前を使うな。どういう企画か,どういう内容か,それを最初に言え。」
と仰っていましたが,であればこそ,
となりの山田くんであっても,もっともっと,どういう企画,どういう内容,
そういうものを掘り下げて,人々を釣り上げられるところまで落とし込まねば
ならなかったと思うのです。

じつは,同様の問題が,AKBでもあります。
「AKB48のあんた、誰?」という番組です。

---
「AKB48のあんた、誰?」
http://www.nottv.jp/special/akb48_antadare/

毎週月曜~金曜の夕方5時から放送している生放送番組「AKB48のあんた、誰?」。
AKB48ファンの間では有名でも世間での認知度がイマイチなメンバーにチャンスを与える番組です。
---

こういう課題であれば,ベースとして,誰が出ても,仮に一般人が出ても面白い企画を
プロデューサー,ディレクター,放送作家などは考えねばならないと思います。

その結果,一般人が観ても面白い番組ができ,そこにAKBのメンバーが出ていることにより,
「面白い番組に出ているこの子,AKBなの?」
というふうに一般人が驚き,そこから認知度がイマイチなAKBメンバーを
徐々にでも売ることができると思うのです。

然るに,「AKB48のあんた、誰?」のいまの企画は,仮に一般人が出たとしたら,
誰がこんな番組見るか分からない意味不明な,下準備も要らないような安直なものばかりで,
AKBという名前に100%おもねっている状態です。
私がそれをいくら指摘し,番組の質の向上を訴えても,番組スタッフは理解しません。

結局,鈴木敏夫さんが,また秋元康が,外に対して吠えているだけでは駄目で,
自分から手本を示さねば,雇われスタッフはいつまで経っても理解しないのだと思います。
私は人間とはそういうものだと,どこかで諦めてしまっています。

鈴木さん,私の主張を理解していただけたら,ご自分からもっともっと
動いていただきたいと思います。

Hidenobu Onishi
Op de geest 45
25884 Viöl
Deutschland
+49-151-2558-8795

大西秀宜

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/

I am now waiting for accepting as a refugee in Deutschland for 10 months

Dear Deutsche Bundesamt and UNHCR Berlin & Japan office, Reporters without borders
Cc: Prof.Wolferen, ISO central office

I am Hidenobu Onishi, the first refugee of Deutschland from Japan.
My ID number of Deutschland is 5556608-442.

I came Deutschland in 23 June 2012, so waiting for accepting as a refugee more than 10 months.

You may think, that is a problem in Japan, and I can go to Japanese court.
If that is a Civil Code, I have to go to court as you think, because no penalties are decided in a Civil Code.

http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail_main?re=01&vm=&id=2057
http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail_main?re=01&vm=&id=2058

But, I am claiming that I had caught a crime by Hitachi company, against an Act on the Protection of Personal Information.

http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail_main?re=01&vm=&id=130

And in the law, penalties are decided in Chapter VI, Penal Provisions.
I had submitted a whitsleblowing.
So Japanese Government, the police, and the Public Prosecutors Office, had had to investigate my accusation.
But they hid that and did not investigate.

If I go to a civil suit, that will be another story.
I have to pay for lawyers. Why?
Hitachi must be punished by Japanese Government, to obey the law.

I will wait for Deutsche accepting me as a refugee.

Best regards,
Hidenobu Onishi
kotochan0725@gmail.com
http://onicchan.cocolog-nifty.com/

AKB0048 1-7話を観た感想

都合のよい公演がなかったので,趣向を変えてAKB0048を観てみた。
思ったことをざっくばらんに。

第1話

動いてさえいればよい,という感じに見える。
動きがカクカクしている。滑らかな動きはCGである。

平池さんという方が監督をされているが,
であれば河森総監督はいったいなにをされているのか,疑問に思った。

アニメ1話分の制作費は,ざっくり1,000~2,000万円と言われているようである。

http://animemangarobox.seesaa.net/article/42484550.html
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20060719/1153219520

特に上のページから引用では

TVアニメ&OVA 1話当たりの予算

1982年 マクロス.           550万円
1988年 銀河英雄伝説.          1000万円
1989年 トップをねらえ        1300万円(制作費2200万円)
1994年 ダーティペアflash       1660万円
1994年 スパイダーマン.         4120万円
1994年 Mega Man.            3090万円
1995年 エヴァンゲリオン.       625万円
1996年 エスカフローネ         3000万円
1998年 カウボーイ・ビバップ    2000万円
1999年 Futurama            1億円
2000年 ワンピース.          1000万円
2000年 ゾイド               900万円
2001年 シスタープリンセス     550万円
2002年 ガンスリンガーガール....  1300万円
2002年 ガンダムSEED         2500万円
2002年 攻殻機動隊         3000万円
2003年 カレイドスター         1800万円
2003年 鉄腕アトム.          3000万円
2004年 SEED DESTINY         3300万円
2004年 SAMURAI 7.           3200万円
2004年 Dragon Booster.       5450万円
2004年 Naked Samoans' Toon...  2960万円

とあり,550万円から1億円とピンキリであるが,あのカンジだと
どの程度になるのであろうか。
40年前のハイジでも3,000万くらいと,どこかで読んだような気がするのだが。

ちなみにこれは,純粋にアニメを作る"制作費"であり,そこに宣伝やテレビ会社の
取り分を含めた"製作費"ではない。

いまはそんな状況にもかかわらず,監督の上に総監督を置き,その下には演出,
作画監督,総作画監督がある。

ハイジの時代など,演出に高畑勲がいて,作画監督に小田部羊一,
レイアウトが宮崎駿,その下に原動画がいるというシンプルな構造だった。
いまのアニメもそれくらいにシンプル化しないといけないのではないか。

いまの30分枠アニメの制作費が,ハイジよりも低いとすれば,
職権のピラミッド構造だけが複雑化しすぎていて,
それで本当に作れるのか,本当に手足を動かす担当者にはじゅうぶんに
給料が支払われていないのではないかと思う。

恐らく,何故だか年々安くなる制作費とともに,海外への外注が増え,
国内のアニメーターの費用は圧縮されていき,原動画は職人技というよりも
質の悪いバイトレベルの原動画が増え,それがさらに単価を下げるという
スパイラルに陥っているのではないかと思うのである。

であればこそ,ジブリ以外に,儲かるストーリーを説明でき,
キチンとお金を取ってきてくれるプロデューサーが出てくる必要があると思う。

その上で,名前だけの管理職を減らす方向に持って行かねば,
低いレベルの流れ作業は改まらないと思う。

低いレベルの作画だからこそ,メンバーとかの歩き方がヒョッコヒョッコして
見えるし,会話のタイミングも返答が不自然に早かったり,
不必要に遅かったりする。

以上書いたような問題があり,一朝一夕に行けるとは思えないが,
もっと演技の基本をどうにかして欲しかった。

秋元康も,AKBメンバーの将来の受け皿と思えば,
もっとたくさんの制作費用をアニメ会社に保障すべきと思うのである。

設定においては,芸能禁止の理由がよく分からない。
たとえば,Google検索で"芸能禁止"を調べても,AKB0048がヒットするのみで,
過去に世界中で芸能が禁止になったことなどない模様である。

過去に為されたことのない制限が今後課されるとは,
いくら架空の物語であっても,なかなか考えづらいのではないか。

凪沙の家に壁紙が描いてあった。
たとえばハイジのときは,壁紙を描くと背景に時間がかかるからと,
壁紙は描かなかったのであるが,この作品ではカットの枚数を絞ったために
壁紙が描けたのか,背景の単価が低いから描けたのか,デジタル処理などで
手間がかからないから壁紙が描けたのか,他の理由があるのか,
ちょっと気になった。
いずれにせよ,壁紙を見られるカットはそれほど多いとは思わなかったが。

凪沙のいたランカスターのイメージは,ラピュタの冒頭のシーンの
スラッグ渓谷に似ていると思った。

第2話

展開が早くてよく飲み込めなかった。

街を破壊する能力のあるDESの攻撃に対して,どうしてあどけない
少女達が勝てるのか,さっぱり分からない。
モビルスーツに身を包んだ屈強なオトコが,生身の女性に負けるはずが
ないではないか。
もし負けていたら,これまでの世界のチカラに頼った男尊女卑の歴史は
否定されてしまう。
やはりAKBメンバーとリアルな戦いというのは,どうしても釣り合わないと思った。

(男尊女卑の考え方は否定すべきものであるが,男のほうが力強いのは
否定しようのない事実であり,それをベースに男尊女卑が
世界のスタンダードであったのもまた,否定しようのない事実である)

勝てる理屈が分からないのに雰囲気で勝っているため,
勝負の行方にまったくドキドキしない。

あと,原画を描いている人が非常に多いと思った。
一人あたりの枚数はものすごく少ないのではないか?

第3話

この話では,原画にクレジットされる人が一気に少なくなっていると思った。
どういう分担にしているのだろうか?

第4話

劇場が,AKB劇場に比べて圧倒的に大きな理由が分からない。
演出上で,画面上の見栄えがよいからだろうか。

75期が前座で,ビミョーな雰囲気になっている,と物語中に言っていたが,
どういう意味なのかいまいち分からなかった。
物語中に解説しているようにも見えなかった。

やはり,AKBの現状と新たな物語の設定とを,一緒くたにしてしまうのは,
どうもバランスが悪いと思った。

あと,メンバーの寮のある街は,ゴテゴテしたところが
ディズニーシーの街並みみたいで,また坂道は渋谷みたいと,
私はイメージした。
ビル街は,東京にたくさんあるが,有楽町付近であろうか。

第5話

キララだけはやたらとなめらかに動いていて,ただあの動きはCGとも思えない。
原動画枚数をかけて手間をかけているように感じた。

先聖センセイがいまいち何者かよくわからない。
秋元康を神格化したものなのか?

キャラを襲名する,という考え方は私はあまり好きではない。
先日,ハウルのガチャガチャが,宮崎駿が自分に投影したキャラクターの
パターンであると指摘したところであるが,襲名も結局,
自分本来のものではなくて,キャラクターを演じるのを
求められていることであり,それを受け入れることと思う。

私はそのような名前がなくとも,オリジナリティを出せるヒトに
なって欲しいと思う。

おそらく,歌舞伎などの襲名制は,先代と同じ名前のほうが,
信用はそのままで社会にデビューできるというメリットがあったから
編み出されたと思うのであるが,私はあまり好きな考え方ではない。

第6話

握手会など,AKBの現在の活動内容に被せすぎていると思った。

握手会まで出すならば,もうふつうのドキュメンタリーであり,
たとえばドキュメンタリー映画とは違う切り口のドキュメンタリードラマに
仕上げられると思う。

それに,DES軍から攻撃され,自分たちが観客の命を危ない目に
遭わせる可能性があるところで,子供に対して握手会を開催するとか
どう考えてもおかしいと思った。

声優さんは,さすがに声色を合わせるのが上手いために,
音程を合わせるのが上手で,歌も上手いと思った。
その延長で,必ずしも媚びたような声だけではない演技も
できると思うのである。

たとえば宮崎駿も,本職の声優を自作の声優に起用し,その上で,
自分はこのような声が欲しいと説明して,声優の演技のバリエーションを
自分が増やしてあげるような方向に尽力できないのか,とも思った。

第7話

彼方が,研究生のキャプテン,という役柄だった。

私はけっこう以前から,研究生にもキャプテンが必要と説いていたのであるが,
現実に研究生のキャプテンという役割はいまのところないようである。
そういう設定は,好ましいと思った。
あくまで部分的ではあるが。

AKBのメンバーも,たとえアニメであろうが,いいところは吸収して欲しいと思う。

全体を見渡して・・・

なんべんも言うが,やはりどうしても,芸能と戦いは合わないと思う。
しかし,戦いはSFものにとって必要不可欠とも思えるし,戦いを出すな,
とまでは言わない。

古臭い設定になってしまうが,どうしても戦わざるを得なくなった人々を
AKBが応援するとか,さらに進んで,戦っている人々の間にAKBが割って入って
戦いを歌の力でやめさせるとか,そういうものを丹念に描いていくほうが
いいように思う。
大枠で言えば,サウンド・オブ・ミュージックみたいなものになるであろうか。

けれども,使い古されたネタであっても,それを現代のアイドルに適用し,
その設定から物語を走らせていっても,全然違った展開になると思う。

次に機会があったら,AKBにはそういう方向のドラマやアニメにも
挑戦してもらいたいと思う。

ジブリ汗まみれ「山口智子さんとの対談その1」の回を聴いて思ったこと

スタジオジブリの皆々様,とりわけ鈴木敏夫さんへ

下記を聴いての感想です。

■2013/04/17 今週から全3回にわたって山口智子さんとの長野県・小布施での対談の模様をお届けします。【その1】
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol265.mp3

私は北斎というのはよく知らないので,あまり分かりませんでした。
ただ,北斎の絵を語られるときに,視点が2つある,というお話がありました。
アニメの面白さのひとつは,カメラワークを想定した背景だと思っているので,
それについてはよく分かりました。いや,分かったつもりです。

これまでも,背景とかレイアウトの設定集を見て,アニメはこんな変わった絵を
描くのだ!と,興味を持って見たことは何度かあります。

いま,CGばかりになって,背景やレイアウトをキチンと考えなくても
作品が作れてしまったようで,面白くないと思います。

私はそれほどアニメは観ないのですが,AKB0048なんか見ていても,
なんかとりあえず動いていればタイミングもレイアウトもどうでもいい,
みたいな風潮があって,いいとは思いません。

・・・ですが,そういうアニメが主流として,受けているのもまた事実です。
ジブリアニメは映画として受けこそすれ,アニメの本流からは外れてしまっており,
もっとこういう作品のほうが面白いということを,アニメファンに
アピールするような作品も作るべきだと,私などは思ってしまいます。

理屈で,いくらすばらしい作品を作ったとしても,その時代の大多数の人が
評価しなければ,作った意味がないと思うのです。

たとえば,AKB0048なんか,ジブリの人々はクソツマランと思われるかもですが,
であれば,ジブリの人々であれば,出資者が自分たちに無理難題を出した場合に
どういう作品を作るか,それはちゃんと考えていただきたいと思います。

そうやって,いま人々が,出資者が追い求めているものに合わせながら,
徐々に自分たちの持って行きたい方向に変えていくのが,あるべき姿と思います。

高畑さんが「おもひでぽろぽろ」を作るときに,紅花について勉強して調べ上げて,
”紅花の作り方ノート”なるものを作成し,最初にヒアリングした農家の方々の
紅花に対する考えは間違っている!との結論にまで達したとのことですが,
私は,だからなに?と思ってしまいます。

もちろん,そこまで調べ上げられるのはものすごい労力と思いますが,
”紅花の作り方ノート”を完成されたところで,ではそれを基にして
紅花のよりよい作り方が実践され,山形は紅花で再び潤うようになるのでしょうか?
または,海外で,”紅花の作り方ノート”のおかげで紅花の栽培が
盛んになるのでしょうか?
そう問いたいです。

ひとつのものごとを紐解かれるのは,それはそれで尊いことと思いますが,
人生は有限です。
高畑さんは非凡な才能があるのですから,紅花について調査された労力を,
もっと違うことに使われたほうが,社会のため日本のためには
良かったのではないかと思います。

そういう点で,高畑さんは,人生の戦術は良かったけれども,
人生の戦略は誤られたとさえ言えると思います。

鈴木さんが高畑さんを宮本武蔵と評したり,押井さんは「ロシア共和国の大統領」と
仰るようですが,私から見たら高畑さんは,言われたことに対して綿密に
調べ上げられるという意味において,むしろ参謀的な方のように見えます。

宮崎駿さんのほうが,大勢の人々の支持を集められたという意味で,
大統領的な方のように,私には見えます。
大統領にしては,主張の枝葉末節の整合性が取れないところが,
どうも違うとも思うのですが。
(まあ,大統領でそういうヒトもいるでしょう。)

トップに立つ人間は,自分から世間に対してなにかをしてやる!という気概が必要で,
気概があるからこそ,大衆にウケるものを世に排出できるとも思っています。
そういう意味で,宮崎さんは一枚上手と思います。

もし私が高畑さんで,紅花の栽培方法についてそれだけの知識を得たとしたら,
次にそれをどうやって人々に教えるか,を考えます。
米沢の鈴木さんにヒアリングして,褒められたらそれでよし,なんてしません。
権威に褒められた,そこで満足されてしまうところに,高畑さんの限界があると思います。

私ならば,山形の農家の人々に,こういうふうにしたほうがいい,と分かった!
って言って回ります。
しかし,理屈ではそう思ったとしても,実際に紅花を生産している人のほうに
アレコレ実行する権利があります。
高畑さんがいくら言ったところで,コストとか手間とか考えて,
いまはこうやっているのだ,と農家の人から言われたら,言い返せなくなります。

ならば私ならば,そこでお金を持ってきて,
「私の言うとおりにやってみてください。その手間の費用は私が出します。
その代わりに,それで収量が増えたりした場合は,増えた分の利益の半分を
私にください。」と言います。
そうやってはじめて,山形の農家の人々も,ならば仰るとおりにやってみようか,
というふうになると思うのです。

それって,監督ではなくてプロデューサーですよね。
ほんとうに,人に対して働きかけようとすれば,職人である監督でなくて,
お金までも見られるプロデューサーにならざるを得ないと思うのです。

高畑さんはじつは,ナウシカやラピュタでプロデューサーをされ,
プロデューサーについてアレコレ勉強されたはずなのです。
にも関わらず,一時的な知識として処理されたにとどまり,
プロデューサーから得た知見を,人生における行動規範にまで
昇華することは考えられなかったのだと思います。

そここそが,高畑さんの弱さと思っています。

私は2回,高畑さんにお会いして,おかしなことを仰るなあと思ったことがあります。

ひとつは,確か明石映画サークルで明石に来られたときと思うのですが,
「結婚を考えたとき,結婚相手とはだいたい同じ学歴の人と結ばれてしまう。
学歴が違っていたら話が合わない。」
みたいなことを仰っていたのです。

私は,学歴が違おうが,分からないことがあれば自分が教えたらいい,
そうすればけっきょく,社会に対しての真摯さの度合いが,
相手と自分はどれだけ合っているか,だけが浮き出てくると思います。
けっきょくはモチベーションだけだと思うのです。

もうひとつは,高畑さんが還暦になられたあたりで,石山寺にご一緒したときと
思うのですが,私が叶精二さんに差し上げたメールを,叶さんが勝手に
同人誌に掲載されたことを,私を捕まえて咎められたのです。

その内容は,確か高畑さんが「眠る男」を観られたときに,
自分ならばこういう作り方はしない,と仰ったことだったと思います。
それを私の発言として同人誌に掲載されたことに対して,
高畑さんは,ああいうことは言わないでください,と仰いました。

私も,あくまで叶さんに私信のつもりでお送りしたものであり,
それを無断で掲載されたのは本意ではなく,叶さんに恨みもあるのですが,
だからといって,高畑さんクラスの人であれば,どこで発言しようが,
その言葉が活字化されたとしても,それを困ることはあり得ないはずと思います。

それをわざわざ言わなければならないところが,
私には高畑さんが小者に思えて,失望しました。

私はいま,すべての発言をインターネットに掲示していますし,
たとえそれが性的な発言であっても,それを論われても,恥ずかしいとは思いません。
私はそれだけ自分の発言に責任を持っています。

大西秀宜

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/

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