著名企業の経営者も、マネージャーになりたての頃は多くの困難に直面していた──経営者にプレイングマネージャー時代の困難を訊くインタビュー連載。第7回はアクセンチュア社長の程近智氏。
Text: Kyosuke Akasaka
Photos: Kimiko Nakahara
程近智(ほど・ちかとも)
アクセンチュア代表取締役社長
1960年生まれ。米スタンフォード大学を卒業後、帰国して外資系コンサルティング会社アクセンチュアに入社。1991年に休職し、米コロンビア大学経営大学院で経営学修士(MBA)取得。1995年、パートナーに就任。その後、要職を歴任し、2006年4月より現職。
スポーツ界では「選手 兼 監督」と訳される「プレイングマネージャー」。これが一般企業になると、管理職を務めながらも、部下と同じように現場で働く人物を指すようになる。「プレイングマネージャー」は、いまや激務の代名詞ともなった。
話題の会社の経営者であっても、プレイングマネージャー時代には多くの困難に直面したのではないか、そして、それを乗り越えたからいまがあるのではないか。
アクセンチュアは、世界最大規模の総合コンサルティングファームだ。現在、世界で30万人以上の社員を擁し、120カ国以上のクライアントにサービスを提供している。そんなアクセンチュアの日本法人で社長を務める程近智氏は、「MBA取得で得た知識はほとんど役に立たなかった」と振り返る。
程氏に、自身のプレイングマネージャー時代、そして理想のマネージャー像を訊いた。
おにぎり持参で夜間勤務をした新人時代
──程さんは米国の大学を卒業後、帰国してアクセンチュアに就職しました。日本企業を選ばなかった理由は何ですか?
私が日本に戻ってきた頃は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル著)という本が出版され、日本が世界的に注目されていた時代です。私も帰国後はグローバルで活躍することを大きな目標にしていました。そうであれば、日本企業よりも外資系企業を選んだ方が目標を実現できると考えたのです。だから、アクセンチュアに入社しました。
──入社してみて、どういう印象でしたか?
最初の印象は「実に日本的」でした。当時はまだ、横文字やカタカナに対するアレルギーもあり、英語ではなく、なるべく漢字を使おうという流れがありました。そこに私は翻訳要員として採用されたんです。
──横文字のアレルギーがある時代となると、仕事も多くなかったのでは?
当時は横文字のアレルギーもさることながら、当社自体の知名度がそれほど高くなかったものですから、仕事もあまりなく、昼過ぎには仕事が終わってしまうこともありました。当時から、「この会社は大丈夫か?本当にここはコンサルティングの会社か?」と、不安を感じていました(笑)
ただ、当時から教育制度は充実していましたね。スキルアップのための教材も多くあり、入社後はそれをひたすら読んだり、トレーニングのカリキュラムをこなしたりしていました。
──新人時代には、プログラミングの仕事もしていたそうですね。
コンピューターを持っている企業に借りに行かねばなりませんでした。必然的に先方の業務が終わった後に使わせて頂くことになりますから、出社は夜の12時。新宿のコンピューターセンターに行って、朝までプログラミングしていました。外資系というけれど、やっていることは非常に泥臭くて地味。親にも「夜中におにぎりを持って、何してるんだ」と心配されたものです。ちなみに、今はそんな変則的な出勤形態はありませんよ(笑)。
──そんな新人時代の中で学んだことは?
コンサルタントには泥臭い経験も必要です。理想や理屈だけを持っているだけでは駄目なんですね。現場を知っている、という感覚が常に求められる仕事ですから。夜間勤務は大変でしたが、コンサルタントとしては現場を学ぶ良い機会になりました。