脱力系子育て育児の話。
同じように育てても、違うから個性である。
前回同様に言い訳から。
子どもと作物は違います。
子どもには意志があり、可能性は無限大です。
なので、あくまで例えとして、
イメージしやすいだろうと思って書いています。
さて、写真のジャガイモが全部同じ畑でも収穫されたかは分かりませんが、
経験上、同じものはないことは分かっていただける気がします。
同じ畑、同じ種イモからできたジャガイモであっても、
大きさから形、味までおそらくそれぞれです。
同じ畑というのは、家庭環境。
同じ種イモというのは、両親。
と言い換えても良いと思います。
我が家には娘と二卵性の双子の男の子がいます。
「同じ親から生まれてきたの?」
って聞きたいくらいに、
行動も容姿もあんまり似ていません。
逆に娘の幼稚園には、両親から子まで、そっくり!!
と思えちゃう家族もいるので、
本当に様々な家庭があるもんだなと思います。
子どもが生まれた時から、子どもの人生ははじまっています。
そこには1人の人生があります。
その1人の人間がどのような体験をして、どのように感じたかが栄養となります。
でも、どのように感じるかは、誰にも強要することはできない部分です。
【マナカナ】と聞けば、
一卵性でそっくりな双子の女優さんを思い出すでしょう。
遺伝子情報が全く同じでも、
カナさんは結婚しましたよね。
一人ひとりがそれぞれで大切な個性なんです。
親の愛によって、
確かに美味しいジャガイモに育て上げることや、
大きなジャガイモに育てることはできるかもしれません。
しかし、成長のスピードや収穫時の大きさや形は、
均等にはならないのです。
まず知ってほしいことは、何もしなくても子は育つということです。
とはいえ、育児放棄は子育てでもなんでもないですので、除外です。
子どもが成長する力はすごいです。
子育ては大きく育てと、水や肥料を与えることではありません。
水や肥料も与えすぎてはいけない。
作物だって、タイミングや肥料の種類、水の量、温度など、
さまざまな条件を作物の様子を見ながら行います。
農家の方は作物に寄り添って、育てるのです。
暑くないか寒くないか、栄養は足りているか多すぎないか、水はどうか?
話ができない作物を育てるためには観察しかありません。
子育ても同じじゃないかなと思います。
観察、つまり見守るということです。
子どもの様子を見守る。
いろいろやらせてみるのはいいけれど、
しっかり見守っていると、
子どもに向いているのか向いていないのかが分かります。
そこは消去補ですね(笑)
【好きこそ物の上手なれ】
好きに勝る教育者はいません。
子どもが過ごしやすい環境を準備してやれば、
子どもはぐんぐんと自分で成長します。
親は見守るだけでいいんです。
発想を変えましょう。
あなたが好きなことに没頭しているときに、
子どもからこう言われます。
「それはお母さんのためにはならないから、パソコン教室に行きなさい。」
「それはお父さんにとって時間の無駄だから、仕事を頑張ってやりなさい。」
さて、あなたは気持ちよく納得できるでしょうか?
親が子どもにおせっかいを焼くことは当たり前で、
悪いことだとは思っていません。
子どもの可能性を見つけてあげるために習い事や塾も悪くない。
でも、子どもが本当に必要としているかどうかです。
親の都合で、子どもにやらせていることが、
実は別の可能性を探るチャンスを失わせているのかもしれません。
子どもの人生は、子どもの人生です。
子どもの人生は、あなたの人生ではありません。
子どもは見守ってやり、
子どもが欲する環境を与えてやる方がのびのび育ちます。
そして、親も何かをさせる必要がないので気楽に接することができます。
子どもに嫌なことをさせるのはパワーがいります。
でも、好きなことは勝手にやってくれます(笑)
少し発想を変えましょう。
子どもが自分の人生のついて一番よく知っている。
これは知識ではなく感覚の話です。
どんなに良い畑を用意して、どんなに素晴らしい種イモを用意しても、
出来上がるものはバラバラなのです。