ナチスと精神分析官 [著]ジャック・エル=ハイ

[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2015年05月31日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:ジャック・エル=ハイ、高里 ひろ、桑名 真弓  出版社:KADOKAWA/角川マガジンズ 価格:¥ 2,376

■なぜ悪を為すのか、重い問い

 1945年、ニュルンベルク裁判にかけられる直前のナチス高官たちを、刑務所内で診察した精神科医がいた。アメリカ人のダグラス・マクグラシャン・ケリーだ。本書は、ケリーの人生を追ったノンフィクションである。
 ケリーともっとも馬が合ったのは、ヒトラーに次ぐ権力者で国家元帥のヘルマン・ゲーリングだ。ゲーリングは非常に家族思いで、愉快な男だった。しかし一方で、残酷な政策を次々と実行してきもした。この矛盾はなんなのか。
 ゲーリングと会話を重ね、精神鑑定やロールシャッハ・テストを行ったケリーは、ナチス高官たちは精神異常ではないという結論に至った。「彼らは世界中のどこにでもいるような人々でした。その人格パターンは不可解なものではありません」。だとすると我々も、ナチスのように残酷な行いをし、あるいは見て見ぬふりをしてしまう可能性があるということだ。
 アメリカに帰国したケリーは、精神科医としてばりばり働き、名声を得て、家族と幸せに暮らした。少なくとも、傍(はた)目にはそう見えた。ところが1958年に、彼は衝撃的な死を迎える。
 ケリーの息子の証言を読むかぎり、ケリーは「大悪人」ゲーリングよりも、父親としてはいかがなものかと思う部分のある人物だ。だが私だって、ゲーリングより家族思いである自信はない。
 仕事に邁進(まいしん)し、よき家庭人であろうと努め、ユーモアと知性を兼ね備えたケリーと、ゲーリングとのちがいは、いったいどこにあるのだろう。そして、私たちとのちがいは。ちがいなど、なにもない。その事実がケリーを苦しめ、恐怖させた。
 ひとはなぜ悪を為(な)すのか。「狂気の所業」という一言で片づけず、ケリーは重い問いかけに向きあいつづけた。己のなかの悪にいかに打ち克(か)つか、私たちもまた、考えつづけなければならない。
    ◇
 高里ひろ、桑名真弓訳、KADOKAWA・2376円/Jack El—Hai 元米国作家・ジャーナリスト協会会長。

この記事に関する関連書籍

ナチスと精神分析官

著者:ジャック・エル=ハイ、高里 ひろ、桑名 真弓/ 出版社:KADOKAWA/角川マガジンズ/ 価格:¥2,376/ 発売時期: 2015年03月


三浦しをん(作家)の他の書評を見る

この記事に関する関連記事

ここに掲載されている記事や書評などの情報は、原則的に初出時のものです。

ページトップへ戻る

ブック・アサヒ・コム サイトマップ