■なぜ悪を為すのか、重い問い
1945年、ニュルンベルク裁判にかけられる直前のナチス高官たちを、刑務所内で診察した精神科医がいた。アメリカ人のダグラス・マクグラシャン・ケリーだ。本書は、ケリーの人生を追ったノンフィクションである。
ケリーともっとも馬が合ったのは、ヒトラーに次ぐ権力者で国家元帥のヘルマン・ゲーリングだ。ゲーリングは非常に家族思いで、愉快な男だった。しかし一方で、残酷な政策を次々と実行してきもした。この矛盾はなんなのか。
ゲーリングと会話を重ね、精神鑑定やロールシャッハ・テストを行ったケリーは、ナチス高官たちは精神異常ではないという結論に至った。「彼らは世界中のどこにでもいるような人々でした。その人格パターンは不可解なものではありません」。だとすると我々も、ナチスのように残酷な行いをし、あるいは見て見ぬふりをしてしまう可能性があるということだ。
アメリカに帰国したケリーは、精神科医としてばりばり働き、名声を得て、家族と幸せに暮らした。少なくとも、傍(はた)目にはそう見えた。ところが1958年に、彼は衝撃的な死を迎える。
ケリーの息子の証言を読むかぎり、ケリーは「大悪人」ゲーリングよりも、父親としてはいかがなものかと思う部分のある人物だ。だが私だって、ゲーリングより家族思いである自信はない。
仕事に邁進(まいしん)し、よき家庭人であろうと努め、ユーモアと知性を兼ね備えたケリーと、ゲーリングとのちがいは、いったいどこにあるのだろう。そして、私たちとのちがいは。ちがいなど、なにもない。その事実がケリーを苦しめ、恐怖させた。
ひとはなぜ悪を為(な)すのか。「狂気の所業」という一言で片づけず、ケリーは重い問いかけに向きあいつづけた。己のなかの悪にいかに打ち克(か)つか、私たちもまた、考えつづけなければならない。
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高里ひろ、桑名真弓訳、KADOKAWA・2376円/Jack El—Hai 元米国作家・ジャーナリスト協会会長。