仁徳天皇陵等をとりなし歩行した翌日、先月召された義伯母の納骨式があった。
火葬時に骨上げした骨は全体の1/20以下。骨壷から教会の墓地に埋葬した。この骨もいずれ土に返って跡形もなくなる。
伯母の19/20の骨は斎場で他の人の骨とともに処置された。教会の埋葬記録だけが伯母の存在した徴として残る。日本の酸性度の土壌では土葬された遺体は跡形もなくなる。
私たちクリスチャンは、イエス・キリストが死んで葬られ、3日目に蘇られ、後に昇天されたことを歴史的事実として認知している。つまりイエス・キリストの遺体はこの世に存在しない。
墓を信仰の対象とするとき、人を神として崇める偶像崇拝が生じる。そういった意味でクリスチャンにとって死とは永遠の命への入り口であり希望ですらある。
であるからこの世の苦難、艱難に決して失望してはならない。
「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。
(Ⅰコリント15:54)
by 伊藤俊明 事務局長