ジブリ汗まみれ「日本映画界の若き芽」の回を聴いて思ったこと
スタジオジブリの皆々様,とりわけ鈴木敏夫さんへ
下記を聴いての感想です。
■【Podcast】2012/11/30 『日本映画界の若き芽』これからの日本映画界を支えて行く30代の若きプロデューサーを囲んで
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol243.mp3
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol244.mp3
30代の東宝プロデューサーということで,私の世代ということになりますが,
みなさんイマイチ活力がないように思いました。
とくに後半のサラリーマン論は,私もサラリーマンでしたし,
日立製作所にて個人情報保護法違反を訴えたら逆に懲戒解雇された前歴のある私には,
どうにも不甲斐ないものに受け取れました。
川上さんも鈴木さんも,管理してなかった時代が面白かった,と仰っていますが,
人類ははるか昔から,たとえばローマ帝国においても,カエサルのように作り上げる天才がいて,
その後に発想の乏しい一般人が,なんとか自分の地位を守るために管理手法を編み出し,
その組織が年月を経るうちに硬直化して,にっちもさっちもいかなくなっていずれ滅びるなんてことが
延々と繰り返されてきている。
ジブリもドワンゴも,管理する人間が増えてきた現状について,もっと真剣に悩み,
改善するべく検討すべきと思います。
そこに,さまざまな知見のあるはずのプロデューサーのみなさんが思い至らずに,
管理していったら面白くなくなったね,で話を止めてしまうのは,掘り下げ方が浅い。
そんなのでよくラジオ番組にできるなあ,
いやそんなのでよく日本の映画界のプロデューサーとして活躍できるなあ,と思います。
私なんて,秋葉原の自社ビルに平日ジーパンで出社したことはありませんが,
あれこれ上司にぶつかってその都度怒られました。
それを,上司のほうがアホだと思いながらなんとか交わしてやってきました。
さすがに私も上司から干され,なにも仕事を与えられず,1,2年,会社にただいるだけ,
という生活も味わいました。
しかしその間に,こういうシステムを考えたら顧客は買ってくれるんじゃないか,とか,
上司には全く目をかけられないうちにも,こういう期間に勉強するのだと思い,
あれこれ思案しました。
座席予約システム
http://www.j-tokkyo.com/2005/G06F/JP2005-234908.shtml
たとえばこれなど,誰にも相談できずに,完全に私の脳内イメージだけで書きました。
共同発明者は,名前を貸してもらっただけです。
そういう私から見たら,東宝に入ったにも関わらず,昔の映画観たり脚本読んだりしない新人は,
おかしいと思います。
しかし,だからといって,ここで出てきた教育係論がいいとは思いません。
新人から企画書を見せてもらって,それに対してこうしたらいいんじゃない?と言うのは,
このヒトの可能性をつぶしているんじゃない?と思って,できずに放置している,
という意見を聞きましたが,そういうことをしてしまうのは,まだまだ先輩として
教育できていないと思います。
企画書を見せてもらって,それを自分なりに考えて,
「いいね!コレを一緒に企画にしようよ!
・・・けれども,こういう観点からも考えたい,そこはたとえばこうしたらいいんじゃない?
けれども,もっといい案もあるかも知れないから,自分で考えてみてよ。」
って,どうして言えないのか。
そして,その企画案をまとめて,上のヒトまでどうして持って行けないのか。
けっきょく,このヒトは,教育係は教育をする,とだけ決めてかかって,そこから出てきたものを
本当に上に上げて作品として結実させることなど,つゆも思っていないことが垣間見えるのです。
非常に不愉快でした。
自分がその企画をコテンパンにダメ出しするのであれば,(それは宮崎駿の全修正のように)
新人にとってはなにも得るものがありませんが,新人のアイデアに上かぶせして,
さらにいいものに昇華する工程を一緒に歩む姿勢を見せるのであれば,
それは新人に対して多大にいい影響を及ぼすと思うのです。
山田洋次が,自分はこういう作品が好きなんだ,と言って新人のアイデアを曲げてまで
作品を作ったからといって,新人は後に山田洋次の作り方を100%真似るでしょうか?
人間,どうしても自分の作品を作るときには,自分の意見を入れてしまいます。
逆に言えば,そういうハングリー精神のある人間でないと頭角を現さないのです。
そういうところまで考えて欲しいです。
そこまで考えられないということは,この方も真のプロデューサーとは言えないと思います。
さらに言い換えたら,プロデューサー業であるにも関わらず,
新人さえプロデュースできない人間など,ちゃんとした作品を生み出せないと思います。
また,対談を戻りますが,いまのサラリーマンは上司から抑圧されていない,
と勝手に思い込まれているのは,既にだいぶサラリーマンのヒエラルキーの中に
取り込まれていると思います。
先ほど,新人が書いた企画書を,自分の観点も加えながら上に上げればいいのに上げられない,
というのが見られましたが,それはつまるところ,上に抑圧されていることの証左なのです。
人間,無意識のうちに抑圧されている,これが最悪と思います。
ナチスにだって日本軍国主義にだってオウムだって,大勢の人間が無意識に洗脳されたはずと
私は思っています。
いつまでも振り込め詐欺の被害者が減らないのもそうです。
自分が受けている抑圧を,一歩引いて考えることもできず認識できていない人間に,
プロデューサーとして大成する可能性などゼロであると思います。
それと,庵野秀明のエヴァンゲリオンで,帰ってビールを飲む様な描写に笑いを感じる,
という指摘がありましたが,私はまったくそうは思いません。
どうしても世界観に対してあまりにも外れすぎていると思うのです。
たとえば,ナウシカのユパが旅から帰ってきて,こんな長い旅から帰ってきたからと
辿り着いてすぐにビールを一杯したり,よりはっちゃけて,スケベな顔して,
今日は特別な日だから,村一番の女性とエッチするんだ!
なんて言ったとして,それを受け入れられますか?
ナウシカにはナウシカの張り詰めた空気があり,エヴァンゲリオンにもエヴァンゲリオンの
張り詰めた空気があると思うのです。
そこから妙に外れた描写は,私はどうしても気に入らないのです。
エヴァンゲリオンはそういうものをやっちゃっていると思っています。
そういう観点からいまのアニメを観たら,エヴァンゲリオン並みの,
シリアスな場面に不釣合いな安直な笑いが多いと思うのです。
実写映画ですが,たとえば「スゥイングガールズ」という映画の中で,
女子高生がイノシシをやっつける,という描写がありました。
女子高生がイノシシをやっつけられるはずなどないし,しかも明らかにCGで,
少女のドキュメンタリーとして観ていた私などは,完全にしらけてしまいました。
私は,笑いがあるかどうか以前に,一生懸命さというものをもっと魅せる映画が
欲しいと思っています。
笑いは一発で描くことが可能ですが,一生懸命さは,2時間程度の時間の中で
丹念に描かねば出てこないものであり,いまの映画が失っているものだと思っています。
その一生懸命さを,宮崎さんは「風立ちぬ」で表現される,と鈴木さんは仰いました。
宮崎作品には確かに一生懸命さがあると思っています。
ユパはビールも飲まなければ,村の女とエッチもしない,落ち着いた大人の人間なのですから。
だからこそ,カリオストロで,実直なルパンの「平和だねぇ」という言葉の描写が
引き立つのだと思います。(あれはお笑い映画だと冗長なカットになってしまいます)
漁場を予測して釣る,なんて話がありましたが,一生懸命さを表す作品は,
描写を重ねないとできないので,なかなか誰も真似ができません。
いわば魚がいっぱいいる漁場がある,と誰にも分かってはいるのですが,
それが海岸から遠いために,ヘッポコ漁船しか持っていない東宝や東映松竹その他の人々は,
なかなかそこまで行って魚を獲ろうとしないのが現状と思います。
すなわち,一生懸命さを表す作品はまだまだ出てきてもいいと思います。青春映画とか。
私がプロデューサーならば,生涯をかけてそのような作品を集中して作ります。
AKBに対して,真のドキュメンタリー映画を作れと言う理由には,そういう思いもあります。
もちろん,一生懸命な映画や青春映画が増えれば,またそのときは次の漁場に移る努力を
惜しむつもりは全くありません。
30代の私と同年代のプロデューサー達に届けていただきたいです。
大西秀宜
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/
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