スタジオジブリの皆々様,とりわけ鈴木敏夫さんへ
下記を聴いての感想です。
■【Podcast】2013/02/08 ひきこもりを専門とする精神科医、斉藤環さんのインタビュー。『ヤンキーとヲタクとは』
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol252.mp3
数回前から指摘していますが,どうも鈴木さんはカテゴライズして終わり,というのが
見えていて,その姿勢はあまりいいとは思いません。
"ヤンキー"と"ヲタク"って,いったいどういう人たちのことを言っているのですか?
誰かがそういうカテゴライズをしているんですよね?
で,その,カテゴライズされたものはこうだ,なんて言ってみたところで,
いわば前提条件について話をしていることになり,不毛だと思います。
むしろ,一連の人々の行動の中で,皆さんが言ういわゆる"ヤンキー"と"ヲタク"が
どういう位置にあるのかを確認することにこそ,意義があると思います。
然るにそれはされなかった。
それはまるで,いじめがあって,そのいじめの構図を,学校と,生徒の中でだけ
言っていることに等しいと思います。
実際は,どうしてそのいじめを両親が止められなかったのか,親が気づいているならば
もう学校にいかなくてもいいよ,とか,学校を替えます,とか言って先生らと対峙できなかったのか?
のほうが,真の問題と思います。
教育は先生よりも親のほうが主役なのだから。
そういう視点が抜けていると思います。
たとえば,私は以前から指摘していますが,憲法第九条の護憲とか改憲とかいう問題は
表層だけの議論です。
日本人すべてが,憲法11条から13条に規定された基本的人権を守ることを
忘れていることこそが,本来の問題であるにも関わらず,誰も気づかないことこそが,
真の問題であると思います。
基本的人権を尊重すれば,戦争などまず起こりようがないのであるから。
"ヤンキー"と"ヲタク"の話に戻りますと,
ヤンキーは3次元でリアル,集団共同体でノリ,100万円単位でお金を使う,
ヲタクは2次元でバーチャル,個人主義でオフ会程度の仲,10万円程度しか使わない。
というような違いを挙げられていましたが,それはけっきょく,前者は
80年代の暴走族のステレオタイプを想像し,ヲタクはアニメヲタクのステレオタイプを
想像したに過ぎません。
たとえば,私の経験した中では,AKBのヲタクなどはこのカテゴライズの中間地点にいます。
アイドルは3次元ですがどこか偶像で,2.5次元的な,リアルとバーチャルの境目です。
ヲタクはオフ会程度の軽い間柄とのことですが,AKBヲタクは,推しメンの"生誕祭"のためには,
集団共同体として数十人が集まり,生誕花や生誕Tシャツ,サイリウムなどのデザインを決めたりします。
これはまさにホームルームみたいなものです。
また,握手会には,10万円どころではなく,100万円単位でお金を使うこともあり得ます。
さらに私など,このヲタク連中に睨まれて,何十人の中で一人吊るし上げされたこともあります。
これなど,ヤンキーにおける抗争にも通じるでしょう。
私の話ではないですが,ファン活動でヤクザが出てきたこともある,と伺ったこともあります。
こういうのを書けば,AKBヲタクは,ヲタクといえども実際は,ここのカテゴライズでいうところの
ヤンキーに比較的近いとさえ思います。
いやもちろん,人にも寄りますけれども。
アニメヲタクと同じで,アイドルを遠くから眺めて喜ぶ程度のAKBヲタクだってもちろんいます。
そんなこと言えば,アニメヲタクだって,コミケに出展すれば大勢で決めて費用を払わないと
いけませんし,トップ争いの抗争もあるはずと思われます。
いわゆるヤンキーに近いアニメヲタクもいるはずです。
私は,ヤンキーとヲタクについて,むしろその成立背景を考えたいです。
ひとつのキーワードは,"反抗期"だと思います。
人間,大人になるにつれて大なり小なり反抗期があります。
しかし,外国ではあまり反抗期はないようです。全くないとはいいませんが。
そう判断するのは,日本語では"反抗期"という決まった用語がありますが,外国では
似たような症状が認識されてはいても,決まった用語まではないようなのです。
"反抗期"で和英辞典を引けば,決まった用語がなく,さまざまな翻訳が出てきます。
そうすると,反抗期は日本ではとりわけ顕著に出る社会問題であると言えます。
そしてなぜ反抗期が出てくるかといえば,親や学校は子供を,幼少期は正しいことだけを
教えますが,子供の関心が親の実生活に踏み込んだとき,親が実生活であるべき方向に
行動してないことについて疑問を抱き,親に対して反発を覚えるのです。
それに対して親は,真摯に考えて,自分の行動を改める,ようなことはまずやらなくて,
"大人になれば現実は違うんだ"みたいなあいまいな言葉で自分を正当化し,
その上で子供を叱責するのだと思います。
それに対して子供が反発しているのです。
その反発が,外に向かったものがいわゆるヤンキーで,外に向かえず内に向かったものが
いわゆるヲタク,というおおまかなカテゴライズはできるかとも思います。
ヤンキーはファンタジーを追い,ヲタクは現実と虚像の区別がついている,
と仰いましたが,そりゃ,ヲタクのほうが反抗期をハナから諦めているのですから,
現実と虚像の区別がついていてもおかしくありません。
ヤンキーはまだ反抗期にいて,ファンタジーが残っているのです。
しかし,学校と親の間でギャップに苦しんだ反抗期の人間が,大人になり,就職して,
上司の理不尽なことも聞かねば生活できない現実に直面し,ならばと社会に反抗するかといえば,
そこまでの志がある人間はいない。
そのあたりの子供の心情を,AKBの制服レジスタンスという歌詞がよく表していると思います。
私はこれは名詞と思っています。
http://j-lyric.net/artist/a054ab6/l024149.html
斉藤さんが,元ヤンの哲学者や精神科医はいない,と仰っていたのも,
そういうことじゃないでしょうか?
反抗期に感じた理不尽を,哲学者や精神科医になれるまで昇華できる人間って
そうそういないのではないでしょうか。
いや,反抗期に感じた理不尽を,哲学や精神科では解決できるという発想に
高校生くらいの子供たちは至っていないのかも知れません。
実際は,哲学や精神科で反抗期の理不尽を定義でき,それに対する解決策まで
提案できたら,ものすごく意義があるとは思うのですが。
だいたい世の中に,哲学者やヤンキーってどれくらいいます?
ビジネスの成功者は石を投げたら当たるくらいいますが,哲学者や精神科医はいないでしょう。
斉藤さんは,実数を考えない,イメージ論をされているように受け取りました。
斉藤さんは,どうも仰ることがうすっぺらいように思いました。
もうひとつ端的な例を挙げると,"精神科の病気は,軽症化した上で拡散した。"
なんてしゃあしゃあと仰っていたでしょう。
ワタシは違うと思います。
この資料を見てください。
精神科医療に関する基礎資料-精神科医療の向上を願って- (平成20年版)
http://www.kansatuhou.net/10_shiryoshu/07_01_shiryou_seisin.html#4
これを読めば,精神科医,神経科医,診療内科医は,1984年に3,000くらいだったのが,
2005年には10,000くらいに増加しています。
これは,うつ病などがインターネットなどで知られるようになり,よくわからない症状が
実は精神病なのでは?と思い,診察に来る人間が増えたということを表していると思います。
病院の数が3倍以上に増えたのですから,同様の重度の症状の患者を1人の医師が見る確率は,
1/3以下に減っていて然るべきです。
斉藤さんが自分が重度の患者に当たらないようになったからといって,
軽症化したとまではいえない。
数字に誤魔化されるな,と思います。
鈴木さんも,川上さんも,みなさんも,与えられたカテゴライズに捉われるのではなく,
もう少しいまの状況を俯瞰して見ていただきたいと思います。
大西秀宜
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/
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