ジブリ汗まみれ「企画塾」の回を聴いて思ったこと
スタジオジブリの皆々様,とりわけ鈴木敏夫さんへ
下記を聴いての感想です。
■【Podcast】2013/03/27 日本テレビの若手ディレクターを対象に開催している「企画塾」から、注目の若手ディレクターが集結!
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol259.mp3
なかなかそうそうたる番組のディレクターさんがおられるように思いました。
が,日本テレビも人材が多すぎるのでしょうか?
鈴木さんの新入社員当時や,ナウシカ当時のように,人に仕事を振らねば回らない,
みたいな状態にならねば,個々の本来の能力は出ないと,私も思います。
私も日立製作所で飼い殺しになっておりましたし,大企業や官公庁はすべてそうなってしまっています。
そして,ダブついた人たちが,鈴木さんの仰った,動画が描けないうちは原画に上げない,
というような状況を,いつの間にか「誰を上げてやるか」を決定する権力に摩り替えてしまい,
やらなくてもいい権力闘争をしている。
そして,ベクトル量のないスカラー量である権力闘争に明け暮れ,それを仕事と勘違いしている。
真にクリエイティブな仕事がなくなり,権力闘争と,ロボットでもできるような単純労働の
両極端ばかりになってしまっている。
だから,働けども働けども辛くて幸福感が得られない。
それが日本の孕む真の問題と思っています。
ということは,鈴木さんは逃げられていますが,ジブリ自らが,幸福感が得られるくらいに
仕事をたくさん持ってきて,一作品あたりの人口密度を疎にする,
ひとりひとりが失敗できる環境を作ることこそが,ジブリの大きな課題であると思います。
鈴木さんは,差別をやめましょうと言っている時に,「おしん」のような,差別をする作品を
出したら売れるかも,と仰っていましたが,それはまだ本質を射ていないと思います。
差別があるならば,なぜその差別があるのか,そこに焦点を当てればいいだけです。
それは,もっと一般化して言えば,当たり前と思われていることを,当たり前として
見過ごすのではなくて,なぜそれが当たり前になったのか,誰がどのように考えて
当たり前になってきたのか,を検証するだけで,面白いものができると思います。
たとえば,旭山動物園なんかいい例でしょう。
動物が動いたり止まったりするのは当たり前です。
その当たり前の行動を,飼育員さんが当たり前のこととしてやりすごし,
お客さんは檻の外からボーッと眺めるだけであれば,大して面白くありません。
けれども,飼育員さんが一考し,その当たり前の行動を,さまざまな角度から見せ,
またそれはどういう意味なのかさまざまな観点から解説して,こういうところから
見たら面白いよ!というのをあれこれ試行錯誤したからこそ,面白い!とお客さんも
思うようになり,いまでは大人気になっています。
ジブリも,そういう観点がもっともっと必要なのではないでしょうか?
アリエッティなんかは,当たり前と思うことを,小人の視点から焼き直していて,
そこそこ面白いとは思いました。
が,やはり等身大の人間が,等身大の恋をして,なおかつ,"当たり前"を見直せる作品が
もっと欲しいと思います。
たとえば,ナウシカをそういう観点から見れば,腐海はどうしてああなったのかが
よく分かりません。
土が汚れていたから,とナウシカは発見しましたが,人間も動物の一種であり,
人間が土を汚す,しかも全世界レベルで汚す,というのは極めて考えづらいです。
核のメタファーとしても,核だって植物までは大きくは変えられませんし。
だとすれば,ナウシカは,なぜ土が汚れてしまったのかをさらに深く研究し,
その先に,人間と自然との共生の道を必ずや見つけ出すと思います。
それは映画や,漫画で描かれたような短期間で解決できるものではなくて,
ナウシカのライフワークになっていると思います。
私がナウシカならばそうします。
然るに,映画のナウシカでは,王蟲の子供と一緒に,王蟲を食い止めるために,
いわば自殺してしまいました。
最後に復活したから,そうとは見えないですが。
生涯をかけて土が汚れた原因を探り,自然との共生を考えるべき人が,
いくら王蟲を止めるためとはいえ,どう考えても焼け石に水の状況のところに
身を投げるなど,人生を放棄してしまっています。
まるで三島由紀夫の自害みたいです。
生きてこそ,意見を発信し続けて,大勢の考えを変えてこそ,世界を変えられる。
その意識がナウシカには低い。
改めて考えると,そこがナウシカの弱さと思います。
ラピュタもおかしいですね。
あれだけの高度な文明があったならば,人類をさらによいものにするためには,
ムスカとは違う方向で,ラピュタの智恵を還元すべき,還元する方法を探るべきなのです。
それを,ムスカがいるからといってすべてご破算にしてしまうのは,
戦争で相手の言い分を聞かずに,首都を壊滅させるために空襲を加えるのに
匹敵するとも思います。
まあ,味方はシータとパズーとドーラ一味では,ああするしかなかったのでしょうが・・・。
そういう意味では,ドーラ一味も,あくまで海賊としてシータとパズーに付き合ったのであり,
シータとパズーと志を共にして,ムスカに対峙する気があれば,
違った展開になったのでしょうね。
ナウシカもラピュタも,再建策を丁寧に描けば,それはもう別の作品になってしまうのは
私も理解できるのですが,であればこそ,再建策を丁寧に描くようなストーリーは
それだけでも,過去とは異なる新しく作品の構想に活かせると思います。
ジブリも,なにかを破壊する映画はたくさん作られてきましたが,
なにかが生まれる,そしてそれがまるで植物のようにグングン育っていくというものは,
トトロが出てきて木を生やす場面とかありますが,実はあまり描かれていないように思います。
ほんらいそういう描写は,アニメーションこそ得意であるはずと思うのに。
たとえば,東日本大震災でまだまだ復興できていない土地があるのですから,
アニメの中だけでも,復興を描いた作品を作る方法もあると思います。
そういう作品が,被災地の復興を心理的に助けるのではないでしょうか。
多摩丘陵だって鞆の浦だって横浜だって舞台になるのですから,三陸だって舞台にして
「耳をすませば」のような作品を若手が作る,というのも可能と思います。
こういうのは,ジブリの何ヵ年計画かに入っていない,もうカツカツとも思うのですが,
ジブリを火の車にする気持ちで,そういう企画も横からどんどん投入していただきたいです。
大西秀宜
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/
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