教育論に一石を投じる作品を作っていただきたい
スタジオジブリの皆々様
こんばんわ。ドイツ亡命申請中の大西です。
教員制度改革:「試用」3〜5年 新卒は准免許 自民検討
http://mainichi.jp/select/news/20130414k0000e040122000c.html
日本ではこのような議論が為されていますが,私はまったくおかしいと思います。
なぜそれをジブリの方に申し上げるか。
教育と子育てとは切っては切れず,子育てはジブリも関心があると思いますし,
教育はまた後継者育成とも切っては切れないと思うからです。
私は,教育は,本来両親が主体的になってするべきものと思います。
両親がしなければいけないものを,学校が肩代わりしているだけです。
だから,先生がいくら自分の子供のことを見てないとしても,
両親は自分たちで子供を守るべきなのです。
その意識がないから,先生に押し付けているから,モンスターペアレントが出てくるし,
桜宮高などの自殺でさえ,両親が先生に押し付けていたのが根本原因と思います。
民主党も自民党も,教員をさらに高度なものとする方向性は変わっていませんが,
教育とは本来両親が主体的に教えるべき,という立場から考えると,
その方向性自体が実は誤りであると私は思います。
私たちが教えるべきはむしろ,子供の"考える力"です。
考える力は,偉くなったから教えられる,というものではありません。
"考える力"を伸ばす方向に制度の戦略を変えることこそが真に必要にもかかわらず,
詰め込み教育はそのままとして,学力を上げるという戦術に終始しているために,
誤った議論に行ってしまうのだと思います。
大人も一緒になって考える,その過程で,大人も子供も自分で発見するものなのです。
大人は子供と一緒になって考えることで,自分が子供のころに思い至らなかった
発見ができる場合もありますし,子供とは違った観点からの発見もあります。
然るに,大人は,既存の教育を受けた結果"考える力"が退化しているために,
自分の"考える力"を伸ばすことが自分に必要とさえ考えられません。
子育てにおいては,大人が子供に一方的に教えるしかない,
自分が教わることなどありえない,と思い込んでいる節があるのも問題です。
(しかも,勉強は自分には教えられないとまで思い込んでいます。)
高学歴主婦の皆さん、子供に勉強教えてますか?
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0322/493603.htm?o=0&p=0
上記質問をたまたま見つけたのですが,ココでも,教育関係者のほうが
自分の子供に勉強を教えていない,などという逆転現象まであります。
最初の主張に戻ると,ほんらい教育と子育ては同じであり,親が行うべきことでした。
それを親がやれないからといって,学校を作り,教師が詰め込んできました。
しかし,子供に考える力を付けさせるには,じつは知識を詰め込んでいる教師は
必要ありません。
むしろ,子供より少し年長のものが面倒を見て,一緒に考える程度のほうが
子供にとっていいのではないかと思っています。
そこで私が日本への導入を個人的に考えているのが,"徴兵制"ならぬ"徴先生制"です。
ハタチそこそこの若者に対して1,2年,徴先生制を実施し,
年少の者に対して教育することを義務とする。
その過程で,子供と一緒になって考えることの大切さを,若者が学ぶのです。
その経験は将来,自分が親になったときにも活きるでしょう。
自分が親になりたい,という願望も湧いてくるでしょう。
いやもしかしたら,生徒とのラブロマンスだってあるかもです。
それが,婚姻件数を増やし,子供の数を増やす切り札になるのではないかと
私は考えています。
また,子供を教えることの大変さを全員が身をもって知れば,
モンスターペアレントなどはいなくなると思います。
これをジブリに向かって言うのは・・・
宮崎さんも高畑さんも,表向き後進の育成をされてきたようでいて,
どうもされていなかったのではないかと思っているからです。
宮崎さんは,下手な人に対しては,自分で絵を全て描き直してしまったという
エピソードを読みましたが,私が上司であれば,下手な人は1時間に1回ずつくらい
席まで行ってチェックして,すん詰まっているならば少し手助けします。
それを5回6回と繰り返し,それが毎日となると,多少は覚えないでしょうか?
少なくとも,全ての絵を描き直されるよりは,自分の肥やしになると思います。
高畑さんは,下手な人に対してはジッと待ったと伺っていますが,
やはり,たとえ絵は描かなくとも,1時間に1回ずつくらい席まで行ってチェックして,
すん詰まっていると,こういう線のほうがいいんじゃないか?とアドバイスします。
それを5回6回と繰り返し,それが毎日となると,ひたすら待つよりも
早く覚えないでしょうか?
宮崎さんも高畑さんも,ご自分に能力があるからと,後進の能力を軽んじられてきた
ところがあると思います。
当時はそのほうが早いと思われたのかもですが,後進の能力を軽んじられてきたからこそ,
いまになってなかなかネタが出てこなくなっているのではないかと思います。
だいたい,私が記した徴先生制など,トトロに出てくるサツキとメイのお父さん
そのものと思いませんか?
お父さんの理想形を作品に表されながらも,それを現実には実行されてこなかった,
そのしわ寄せが,いま来ているということと思います。
そう考えると,今後のジブリの課題として,あるべきお父さん像/お母さん像を
作品に表し,それを作品に留めるだけでなく自分が実行されることが
求められていると言えると思います。
これからの教育論に一石を投じるという意味においても,ぜひ検討して欲しいと思います。
大西秀宜
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/
最近のコメント