中央規律検査委員会の王岐山書記 Reuters

 【南昌(中国)】中国の汚職摘発機関、中央規律検査委員会の王岐山書記(66)は昨年夏、川が流れる南部の都市、南昌に調査団を送り込んだ。王氏のメッセージは明確で、政府のウェブサイトに掲載された文書によると、調査団は地方政府の役人に「衝撃と畏敬」を吹き込むとされた。

 王氏が派遣した調査官らは地元メディアに対し、一団が政府の保有するホテルに宿泊していると話した。数日後、地方の役人が行った悪行について陳情しようと、ホテルの前には数百人の住民が列をなした。事情に詳しい関係者によると、インターネットからも住民の不満が殺到したという。

 飲食店を経営するYang Pengさんは、地方政府の要人と敵対する人物と交流を持っただけで収監され、拷問を受けたと調査官に告げた。この役人は製鋼所を売却する代わりにリベートを受け取ったと疑われている。

 Pengさんはウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、「あれは人生の中で地獄のような7カ月間だった」と話した。1年後、その役人は解雇され、収賄の疑いで王氏の調査団から取り調べを受けている。

 中国共産党は1978年の改革開放以降で最大規模となる腐敗撲滅運動に取り組んでいる。改革開放で数百万人の中国人が貧困から脱出した半面、共産党員に政治コネクションを通じた富の蓄積を許す結果となった。2012年後半から始まった腐敗撲滅運動を取り仕切るのは、7人からなる共産党の最高意思決定機関、中央政治局常務委員会の委員でもある王氏だ。王氏は習近平国家主席と親交が深く、文化大革命では陝西省延安市に追放されたという共通体験を持つ。

 王氏は中国の高級官僚の中でも飛び抜けて有能な実務家として知られる。腐敗撲滅運動のトップに同氏が起用されたことは、習国家主席が汚職対策にいかに真剣に取り組んでいるかを物語っている。党内では撲滅運動が行き過ぎており、中国経済にダメージを与えるとの懸念が広がっている。ただ、王氏の仕事ぶりを詳細に見ると、捜査網の範囲が目を見張るほど拡大されたことが分かる。

 捜査の網にはすでに大物が引っかかった。王氏が調査を指示した高級官僚の中には、かつて公安トップを務め、政治局常務委員でもあった周永康氏、軍の上級将校だった徐才厚氏、国有石油大手の最高幹部だった蒋潔敏氏が含まれる。この3人は拘束されたが、まだ告発はされていない。3人からコメントを取ることはできなかった。

 腐敗撲滅運動が始まってから、日本の役職で次官以上に相当する高級官僚40人近くが不正の疑いで拘束された。北京大学法学院の姜明安教授によると、2013年だけで約18万2000人の共産党員が調査を受けたという。習国家主席が12年に就任する前年には、不正調査を受けた党員は1万人から2万人ほどだった。今のところ、こうした運動は支持を得ているようだ。米ワシントンの調査機関ピュー・リサーチ・センターが13年に実施した世論調査では、腐敗が「非常に大きな問題だ」と答えた割合が全体の53%に達し、08年の39%から大幅に上昇した。

 シンガポール国立大学の中国専門家、黄靖教授は「指導部はまん延する汚職を止めなければ体制が崩壊すると懸念している」と話す。

 腐敗撲滅運動に対する批判がないわけではない。評論家らは、撲滅運動を展開することで、習国家主席が国民からの支持を高めながら、自分のライバルとなるか、自身の権力を制限する有力者の台頭を押さえ込むことができると指摘する。人権保護団体は、調査を受ける党員が完全な密室に閉じ込められ、弁護士や家族とも接見できない点を問題視している。さらに、自白を強要する手法にも批判の声が高まっている。最も過酷な例として、王氏の部下5人を含む6人の調査官が昨年、意図的に地方公務員に危害を加えたとして有罪判決を受けた。この公務員は取調中に溺死した。

 ヒューマン・ライツ・ウオッチの中国担当リサーチャー、マヤ・ワン氏は「こうしたやり方は人権を否定しているとの疑念を抱かせる」と指摘。これに対し、中国の政府関係者は王氏が部下に自白でなくデータ分析に頼る調査を進めるよう促していると話した。

腐敗撲滅運動が中国経済に与えるインパクト

 確かに、調査を受けた全員が重罪に問われるわけではなく、調査自体が日常化しているとも言える。北京大学の姜教授によると、約2万5000人が公金で高級車や高級家具を購入するなど「浪費」をしていたとして処罰された。ただ、浪費は刑事犯罪に該当せず、警告や懲戒、降職、解雇などで済むと教授は説明している。刑事犯に問われた役人は懲役刑を言い渡され、最悪の場合は終身刑に処せられることもある。

 王氏にコメントを求めようとしたが、接触はできなかった。中央規律検査委員会と国務院はコメントを控えた。

 王氏のやり方は党員の反発を呼ぶリスjクがある。共産党員の一部は腐敗撲滅運動が中国経済に打撃を与え、党の名誉を傷つけると不安を抱いている。党指導部に近い関係筋によると、江沢民元国家主席を含む現役を退いた政界の重鎮らは、王氏がやり過ぎていると習国家主席に警告したことがある。これに対し、習氏は部下全員をかばい、王氏については「たくさんの困難な仕事」をやってきたし、まだやる必要があると答えたという。

 バンク・オブ・アメリカの中国エコノミスト、ルー・ティン氏は、腐敗撲滅運動で今年の中国国内総生産(GDP)成長率が0.6-1.5ポイントほど押し下げられると試算している。王氏の調査官が目を光らせている高級品や高級マンションなどの販売が落ち込むためだ。政府投資も減速が予想されているが、これは地方政府の役人が収賄の疑いをかけられるのを恐れて公共事業の入札などを控えているためだ。

 エコノミストらは、政府支出がより生産的に用いられるため、長期的に見れば汚職撲滅が経済に好影響をもたらすと指摘する。国営企業の有力者を刑務所に送り込むことで、習国家主席は競争原理の導入を阻止しようとする企業幹部をけん制できる。ただ、これらが実を結ぶには数年に及ぶ時間がかかりそうだ。

 王氏の目的は共産党の精神を根本的に変え、恐らく理想型に回帰することだと、同氏に近い関係者らは感じている。つまり、少ない報酬で国民に奉仕するという理想だ。

 政府関係者によると、王氏は2012年後半に中央規律検査委員会の書記に就任してすぐ、部下にアレクシ・ド・トクヴィルが執筆したフランス革命史の書物を読み、なぜ君主体制が崩壊したかについての意見をまとめるよう要求したという。これも党の再活性化を目指す王氏の姿勢を映し出すエピソードだ。

 王氏は周囲に対し、「腐敗を欲しない、腐敗できない、腐敗に踏み込まない」ことを共産党員に確信させることが自分の目標だと話していたようだ。

 他の汚職撲滅運動は関係者一人か二人を逮捕した後、徐々に先細りしている。しかし、中国当局によると、王氏は今回の取り組みをきちんと制度化しようと、現地調査官に北京の自身のオフィスや現地当局に調査結果の報告を義務づけ、現地でうやむやにさせないよう図っている。また、国民の怒りを利用して自らの任務にはずみをつけようと、ネットに苦情ホットラインを設けた。

 さらに、数多くの調査団を結成し、国内全域に配置した。その多くは調査対象外の省出身の退任した高官が率いている。

 上海では、王氏の調査官が5月下旬、名門の復旦大学にやってきた。この取り組みについて知る関係者によると、彼らは構内に告発箱を設置。1カ月で2000件近い投書が集まった。3カ月後、規律委は同大学の研究資金の監視がずさんだと非難し、汚職の証拠を政府調査官に引き渡して詳しい調査を命じた。

 この件について、復旦大学はコメントを控えたが、ウェブサイトに掲載された文書で、王氏の調査団が発見した問題に対処しているところだと説明した。政府はそれ以上の措置は講じていない。

 中国南西部の農村地帯、貴州省では、こうした国を挙げての取り組みに感化されたと話す現地の党当局者が、別のやり方でこの問題に臨んでいる。いわば中国版の「スケアードストレート」だ。スケアードストレートとは、10代の子供たちを刑務所に連れて行き、受刑者の生活を学ばせる米国の取り組み。貴州省では、凱里市の地元刑務所の門戸を現地の党当局者に解放し、汚職で投獄された人たちに会えるようにしている。

 この制度に参加した同市の病院関係者2人によると、クライマックスは受刑者が舞台に立ち、欲のために人生を台無しにしたことについて、もの悲しげに歌うショーだという。病院関係者の1人は「感動した」とし、「多くが泣いた」と話した。凱里市の刑務所当局者はこの制度についてコメントを控えた。規律委によると、北京のある政府機関も現在、同じような制度を設けているところだという。

 王氏の調査団はさらに取り組みを拡大し、国内外の財務記録を徹底的に調べて隠し資産や不正の証拠がないかを洗い出している。また最近、外国政府と協力して海外にいる中国の汚職役人を追跡するための新しい機関を設置した。

 四角い顎や、横になでつけた髪がトレードマークの王氏は、緊急時対応担当としてのキャリアの長さから中国メディアで「消防隊長」と呼ばれている。また、ソーシャルメディア(SNS)に投稿された王氏の支持者のメッセージには、同氏を宋の役人になぞらえたものもある。宋時代の役人は罪を犯した権力者をちゅうちょなく罰したことで、正義の象徴とされている。また、支持者が決まって指摘するのが、同氏が結婚はしているが子供がいないため、家族にぜいたくをさせるために私服を肥やそうという動機が働きにくいのではないかという点だ。

 王氏は1990年代後半には中国最大の企業破産の処理を任され、憤慨した外国の債権者たちともやり合った。2003年には重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大を食い止めるため北京に呼び寄せられた。自らが市場や病院を歩き回る姿を国営テレビで放映させ、パニック封じ込めに一役買った。08年には北京市長としてオリンピック開催を支援した。

 さらに08年に国務院副総理に起用され、経済を担当。金融危機の際には欧米に対して中国が国債を買い続けることを保証し、市場の信認向上に重要な役割を果たした。米当局者は、10年6月に長年米国が目標としてきた人民元相場の弾力化を中国指導部上層に認めさせたのも、王氏の功績によるものだと指摘する。

 王氏は米国をはじめとする海外の経済関係高官との交流も続けている。そうした同氏が「旧友」と呼ぶ人たちと会う際には一定のルールがある。関係者によると、ネクタイはせず、側近もほとんど伴わず、広範な世界経済情勢について話し合うのだという。また、汚職撲滅運動についても、うまく対処しなければ中国経済を狂わせる可能性があると一部米当局者が懸念を示していることから、時々その機会を利用して説明しているという。

 西側当局者は、そのしんらつな物言いや尊大な態度から、王氏を相手にするのは時に腹が立つと話す。金融危機時に行われた王氏と欧州財界首脳との会合では、文句を言っても無駄だ、あなたたちがいずれにしろ中国に投資するのは分かっていると言い放ったという。

 また、王氏は党当局者に対する公の発言で、汚職取り締まりは捜査や法制度の改善方法を見いだすまでの一時的な手段にすぎないとの考えも示している。しかし、差しあたりは同氏も調査官も個々の汚職事件に的を絞っていくようだ。

 その1つが、09年の大手国有企業、南昌鋼鉄の部分売却と、それを監督した蘇栄氏(66)にかかわる事件だ。蘇氏は最近まで中国の最高諮問機関、人民政治協商会議(政協)で副主席を務めており、南昌が本拠地とする江西省の元党書紀でもある。南昌の約60%を地元資産家が経営する製造会社に売却したこの取引は、鉄鋼セクターを民間資本に解放するものだとして現地メディアで称賛された。しかし、南昌の一部従業員がそのプロセスに不正の疑いを持った。

 事情に詳しい従業員や省当局者によると、彼らは列をなして調査官に会いに行き、蘇氏とその仲間が賄賂と引き換えにこの製造会社に有利になるよう入札で談合していた証拠を提示した。

 規律委に近い関係者によると、規律委は6月、蘇氏を党紀と国家法違反の疑いで取り調べるのに十分な証拠を用意した。「党紀と国家法違反」は汚職の疑いがある場合に使われる言い回しだ。政協も蘇氏を解任した。また、地元資産家も訴追はされなかったものの、中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人大)の代表を解任された。

 蘇氏は起訴はされていないが、6月10日以降公の場に姿を現しておらず、コメントも得られていない。蘇氏について王氏の調査団に情報提供した飲食店経営者は「王岐山は本当に真剣だ」とし、「蘇栄の取り調べが発表された日、花火で祝った」と話した。

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