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【社説】

天安門事件 過去に向き合ってこそ

 北京で民主化運動が武力弾圧された天安門事件から四半世紀が過ぎた。中国は事件の記憶を薄れさせようとしているが、きちんと歴史に向き合ってこそ国際社会で信頼される大国といえるだろう。

 事件で当時十七歳の一人息子を亡くした元大学助教授の女性は本紙の取材に「言論封殺は誤りだ」と述べ、中国が事件の歴史に向き合い責任を認めるよう主張した。

 だが、中国政府は会見で「八〇年代末の政治風波」と表現する事件について、今年も歴史的な反省や総括に踏み込まなかった。

 事件後に中国が成し遂げた成果が「中国が選んだ発展の道が完全に正しいものであると証明している」とも言う。だが、経済発展とは裏腹に言論の自由が目に見えて失われるいびつな社会に、国際社会は懸念をもっている。

 胡錦濤主席・温家宝首相の時代には、まだ政府高官が公に政治改革を求める雰囲気があった。

 習近平主席・李克強首相の時代になり「法治」こそ口にするが、政治改革の言葉が消えたのが気がかりだ。その「法治」も司法の独立を保障するものではなく、党中央の意思を司法の枠組みで体現するものにすぎないように映る。

 若者たちが一九八九年の天安門広場で求めたものは、共産党独裁体制に対する政治の民主化である。その民主を支える大きな基盤こそ言論の自由であるといえる。

 改革派メディアへの圧力が強まっている。憲法で保障されているはずの自由な言論は、残念ながら危機的な状態であるといえる。

 事件を記念するシンポジウムに参加した人権派弁護士は「民族間の憎しみをあおった罪」などで起訴され、改革派女性ジャーナリストには国家機密漏えい罪で懲役七年の実刑判決が言い渡された。

 人民日報系の環球時報は最近、中国が「動乱」としてきた事件について異例の評論を発表し「(事件の記憶を)薄れさせるのは、中国社会が前向きに進む哲学的な一つの選択」と指摘した。

 果たしてそうだろうか。日中関係について、歴代の中国指導者が「歴史を鑑(かがみ)に」と口にしてきた。

 真に民主的な長官選挙を求める香港では、今年も事件の再評価を求める抗議デモが続いた。

 歴史の真実に学んでこそ新たな一歩を踏み出せるというのは、国を問わず過去と向き合う正しい姿勢なのではないか。事件から顔を背けて、「薄れさせる」ことなどあってはならない。

 

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