無題 Name 名無し 15/05/21(木)22:46:55  No.1118947
1432216015762
旧日本軍は夜戦が得意だったと聞きますが
中盤以降は通用しなくなり惨敗したのはなぜでしょうか?
陸戦など戦果をあげたことなどあったのでしょうか?

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無題
Name 名無し 15/05/21(木)22:56:50  No.1118952
得意というより劣勢なので昼間行動が制限されていたのでは

無題
Name 名無し 15/05/21(木)23:34:25  No.1118966
大砲でガチで殴り合っても戦力的に不利だし
強力な魚雷も開発出来たんで
闇夜に紛れて魚雷攻撃で…と考えたんだけども…レーダー…

無題
Name 名無し 15/05/21(木)23:53:53  No.1118969
帝国海軍のドクトリン、漸減邀撃作戦は水雷戦隊が敵主力艦に忍び寄って酸素魚雷を叩き込むのを基本としていたため
水雷戦隊は徹底的に夜戦の訓練を行っていました
その成果は第一次ソロモン海戦などで遺憾なく発揮されましたけど
まさかレーダーという物が発明されるなんて思っても見なかったのです

無題
Name 名無し 15/05/22(金)00:15:42  No.1118973
>まさかレーダーという物が発明されるなんて思っても見なかったのです
というか、レーダーを使えば敵に自らの存在を暴露する事になるので
まさか電波バリバリ飛ばしながら戦争するようになるとは…

無題
Name 名無し 15/05/22(金)11:48:19  No.1119009
>まさか電波バリバリ飛ばしながら戦争するようになるとは…
米軍に対してレーダーの逆探知で有効に応戦できた例ってあるのかなあ?
逆探知したところで方位しか判らないんだよね。全長の長い艦の艦首と艦尾に探知機を置けば三角測量可能かもしれないが、そういう装備ってあったっけ?
やった所で測距精度も知れてるけど。
他の艦と共同で測定すれば基線を長く取れるから精度は上がるが、方位の同時測定をするには無線連絡しないとならん(笑)

無題 Name 名無し 15/05/22(金)11:59:23  No.1119011
逆タンでは位置ははっきりわからんから、その上の行には
>自らの存在を暴露する
と書いたであります

無題
Name 名無し 15/05/22(金)18:08:54  No.1119042 
>米軍に対してレーダーの逆探知で有効に応戦できた例ってあるのかなあ?
コロンバンガラでは交戦前にE27が対空レーダーの電波拾ってる
E47になるとちゃんと対水上レーダーの電波も拾えてるけど末期すぎて有効な応戦自体が困難

無題
Name 名無し 15/05/22(金)01:05:49  No.1118979
現代の米軍も夜戦メインだとか
夜戦だと装備・錬度の差がもろに出るから成功すれば一方的にボコれる

無題
Name 名無し 15/05/22(金)04:35:20  No.1118989
火力不足をごまかすもんでしかない夜襲がいつの間にか夜襲が十八番の日本陸軍!なんて自惚れに痛い目みてから戦訓で学んだとかでなくすでにガ島戦の時点で突撃破砕射撃が準備されてる米軍には物量以前にインテリジェンスで負けとるわ

無題
Name 名無し 15/05/22(金)08:03:37  No.1118997
>>痛い目みてから戦訓で学んだとかでなくすでにガ島戦の時点で突撃破砕射撃が準備されてる米軍

一次大戦の欧州での滅多やたらな火力戦からの戦訓じゃないの?
日本は日露以降体験して無かったけど、欧米は地獄を見たからな。
それにガ島でさえ、日本の夜襲は火力や通信の不備による戦力不足にも関わらず、米陣地への浸透には成功してるんだけどね。
陸海の足並みがそろってれば、艦砲射撃と同調して成功したかもしれない攻撃だったのは、あまり知られてない?

無題
Name 名無し 15/05/22(金)10:26:51  No.1119007
>一次大戦の欧州での滅多やたらな火力戦からの戦訓じゃないの?
俺もこれだと思うな
これってWW1英国のSOS射撃でしょ

無題
Name 名無し 15/05/22(金)23:32:34  No.1119096
>それにガ島でさえ、日本の夜襲は火力や通信の不備による戦力不足にも関わらず、米陣地への浸透には成功してるんだけどね。

突破した縦深が浅すぎて夜明けと同時に火力で追い払われてるじゃないですか、やだー

夜襲は火力差を考慮する必要が無いのが利点だが、夜明けと同時に火力差は再び発生するわけで、それまでに一気に縦深を突破して打撃を与える必要があるんだが、突破するだけの戦力を集めると秘匿が困難になって奇襲効果が薄れてしまい突破できない
かといって少人数の夜襲(というか斬り込み)では遅滞以上の戦果を得ることは困難

夜襲。それしかなかったのは間違いないが、それでどうにか出来るものでもなかったのも間違いなかったと思う

無題
Name 名無し 15/05/22(金)23:53:22  No.1119099
あと一般に誤解されていることだが、白人種は夜目が効かないので野戦をすれば日本人が有利という話。
実際には逆で、白人種の目は暗がりに強くて眩しさに弱いそうだ。
結局野戦のメリットは遠くから観測されず、精密な砲撃を受けなくて済むから、
敵味方の支援火力の格差が縮まることくらじゃなかろうか。

無題
Name 名無し 15/05/24(日)03:14:59  No.1119231
1432404899171
>あと一般に誤解されていることだが、白人種は夜目が効かないので野戦をすれば日本人が有利という話。

>実際には逆で、白人種の目は暗がりに強くて眩しさに弱いそうだ。

両方とも間違ってるんだが・・・
白人といっても茶色から青まで混在してるわけだが、その前提を知らないで言ってそうだな
で、ミリオタならすぐ発想できそうなもんなんだが、なんで碧眼が夜に強いなら青や灰色の瞳の奴を集めて夜戦用部隊作らない(作らなかった)の?
画像にあるとおりヨーロッパは地域で割合が違うとはいえ明るい瞳の人間が数十パーセントいる
アメリカなんてたくさんの色(濃さ)の目の奴がいるのに、それで区別したケースなんて知らんぞ
黒人や茶色の目の白人が眩しさに強くて砂漠や雪山で重宝されるなんて話もないしな

ちなみに目やカメラの構造上、内部は極力真っ暗が望ましい
白人の碧眼も瞳孔は真っ暗だろ?そうじゃないと正常に見えないからだよ

ちなみにアフリカ系の一部が視力6.0とか出したりするけどあれは視細胞が多いからで、目の性能は網膜で決まる

無題
Name 名無し 15/05/22(金)08:08:41  No.1118998
>>中盤以降は通用しなくなり惨敗したのは

トータルだと終盤まで含めて戦力が拮抗してれば互角以上じゃないかね。
レーダーもあるけど、中盤以降となると、戦力差のほうがデカい要因じゃないかな。
実際、ガダルカナルじゃレーダーもあるけど戦力も拮抗していて、勝った負けたで見れば、なるほど日本海軍は夜戦に強いと米軍にも認めさせてるわけで(レーダーによってそれに対抗するという確信もだけどね)。

無題
Name 名無し 15/05/22(金)08:29:02  No.1119001
成功するには企図の秘匿による奇襲が絶対条件なわけだが、その「奇襲」をマニュアル通りにルーチンワーク的に繰り返すんだから
後になるほど奇襲効果は失われて当然のごとく失敗する

無題
Name 名無し 15/05/22(金)18:34:28  No.1119045
日本海軍は空母にまで夜戦能力要求して着艦指導灯による夜間着艦実現してたけど何故か米空母にOLSが装備されたのは
戦後10年以上経ってからで、それまでずっと誘導員の旗振りに頼ってた
日本軍の装備を見ても便利そうとか思わなかったのだろうか

無題
Name 名無し 15/05/22(金)18:43:26  No.1119046
>日本軍の装備を見ても便利そうとか思わなかったのだろうか
終戦時まともな空母残ってないし、まともなのが残っていれば違ったかもれないんじゃなかろうか?

無題
Name 名無し 15/05/22(金)18:55:31  No.1119051
>終戦時まともな空母残ってないし、まともなのが残っていれば違ったかもれないんじゃなかろうか?
空母があっても母艦から作戦行動できる搭乗員がいない
着艦が無理だからレイテ突入の発艦後は陸上基地に降りるつもりだったしな

無題
Name 名無し 15/05/22(金)21:04:43  No.1119074 
1432296283880
アメちゃんの場合
1943年頃から日本軍陸攻の夜間航空攻撃に対処するため航空母艦からの夜間戦闘機運用の研究を始めてまして、1944年頃からレーダ―搭載のF6F/F4U夜戦分隊が機動部隊の各空母に配備され始めた後、1944年8月下旬には軽空母「インディペンデンス」をF6F夜間戦闘機型と同じくレーダー搭載の夜間攻撃機仕様のTBMのみを搭載する言わば「夜戦専用空母」として夜間戦闘専用の空母航空部隊を運用し始めてまして、同年12月からは正規大型空母「エンタープライズ」も同様の任務に就いてたりするんだそうで

無題
Name 名無し 15/05/22(金)21:06:10  No.1119075 
1432296370310
そして例えば「インディペンデンス」所属の第41夜戦飛行隊の場合、1944年から45年1月までに撃墜戦果46機の戦果を報告してるんですが
(ただし確実な夜間撃墜は内27機)
同期間中の交戦によるの喪失機7機、戦死者6名に対して事故死者は3名に留まり、昼間作戦を主とした他の空母より寧ろ運用中の事故率は小さく収まってるんだとか

つまり逆に言えばこういう従来のアメリカ海軍のやり方だけで空母からの夜間航空作戦を大過なくやり遂げた経験が既にあった訳で、それ故にそれ以上のノウハウの改良の必要をあまり感じてなかったのかも知れませんですのうw

無題
Name 名無し 15/05/23(土)19:09:43  No.1119168
>つまり逆に言えばこういう従来のアメリカ海軍のやり方だけで空母からの夜間航空作戦を大過なくやり遂げた経験が既にあった訳で、
マリアナで夜間収容の失敗で艦載機多数喪失してるんだがな
大過なくなんて規模じゃねえぞ

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:03:56  No.1119264
1432429436119
>マリアナで夜間収容の失敗で艦載機多数喪失してる


アメちゃんが夜戦航空隊専用空母の運用を始めるのは先述の通り1944年8月ごろからですから
1944年6月のマリアナ沖海戦の後なんですな

というか、マリアナ沖海戦で夜間帰還で大量に事故を起こした当時と空母自体の着艦支援システム等は変わっていないのに改めて夜間専用航空隊を乗せて運用してみたら問題なかったのなら、むしろ問題は空母の設備でなく航空隊人員の訓練じゃん!という結論に辿り着きそうな気もしますな
勿論、あくまで想像の話ですけれどw

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:08:07  No.1119266 
1432429687279
因みにIJNの水雷戦隊が言わばお家芸にしていた筈の夜戦で、逆に敵に一矢も報いることなく、一方的に打ち負かされた言わば完全敗北に終わった戦い、と言うのが南ソロモンでの米軍相手の戦闘で少なくとも3回ほどあるんですが
何れの戦いでも米軍の勝利に大きく貢献したのが艦載レーダーの働きだったりするんだそうで

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:08:49  No.1119267 
1432429729985
1943年3月5日の午後11時頃、コロンバンガラ島への輸送作戦を終えた駆逐艦「村雨」および「峯雲」がその帰路に軽巡・駆逐艦からなる米艦隊に捕捉され撃沈された「ヴィラ・スタンモーア夜戦」と呼ばれる戦いがあったんですが、この時の様子を当時「村雨」艦長だった種子島洋二氏の手記から引用させて頂きますと

「東方のニュージョージア島のはずれの(略)入道雲の下のあたりに、キラッと稲妻のような閃光が扇形に広がって消えた。
『あれはなんだ』と誰かが大声で叫んだ。
『稲妻にしては、色が少し黄色いな』と私は思った」

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:10:06  No.1119268
1432429806557
「『村雨』の左舷前方300メートル付近の海上に、轟然たる大爆発音とともに巨大な水柱が(略)7つ8つ立ち並んだ。
『爆撃だ』と誰かが叫んだ。私はとっさに『最大船速、対空戦闘!』と発令して見張り兵に敵機を探させた。」

「虚像の敵機は実像の敵機として艦橋に伝えられ、そして連鎖的に今島影に見えた(敵艦の)発砲の閃光を、ニュージョージア島の友軍の高射砲陣地の対空砲火だ、と思い込ませてしまった。この瞬間、敵の艦隊がすぐそこまで来ているのを、こちらは全然しらなかったのだから、全く話にもならなかった」

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:11:42  No.1119270
1432429902128
…とありまして、夜間航行中、出し抜けに至近弾を受けて混した日本側の様相を率直に綴られてるんですが、何でここまで日本側が意表を突かれたかと言えば

「昔から『探照灯を用いない射撃』は『闇夜の鉄砲』と言われ、絶対に当たらないもの(種子島氏)」

という先入観があった為なんですな
その後、ようやく敵が航空機でなく艦船である事に気付いた「村雨」も反撃を始めるんですが既に僚艦「峯雲」は炎上、ほどなく「村雨」も大破し、種子島艦長も艦と運命を共にする覚悟を一度は決めるんですが

「姿も見せずに、いきなり至近弾を撃ち込んできた、敵の不思議な射撃のやり方と、この海戦の模様は、何としてでも、艦隊司令部に詳細に報告する義務がある」

…と思い直し、沈む艦から脱出して近くの島に漂着、友軍に救出され生還されております

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:12:54  No.1119271 
1432429974660
その後3月25日に種子島艦長は「横須賀鎮守府付」の辞令を受け内地帰還、横須賀鎮守府に出頭した所で古賀峯一長官と藤田利三郎参謀長以下の参謀に迎えられるんですが
その時の様子をまた引用させてもらいますと

「司令長官たちが『村雨』『峯雲』の海戦をかなり重視していることが分かった。私は、直ちに報告を始めた」

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:14:16  No.1119272 
1432430056702
「まず、敵のレーダーによる無照射射撃(探照灯を使用しない夜間射撃)で手も足も出なかった、我が方の状況を詳しく説明した時は、長官と参謀長は深く頷きながら憂いの表情を見せていた」

「私が今度見た米軍の夜間射撃の精度は、わずか20分間に我が方2隻を撃沈してしまったので、まさに砲術の革命と言うべきもの」

「『我が海軍も、はやく電波探信儀を各艦に備えるように急がせてください』こう長官に訴えて、私は報告を終わった」

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:15:42  No.1119273  
1432430142530
…との事なんですが、これに対する参謀長の回答は

「電探の事は艦政本部も分かっていて、鋭意、実現を急いでいるので各艦にも近く装備される予定であるから、その点は心配しないで頑張ってほしい」

というものだったんだとか

ただ実際の所、戦争中期までの米艦載レーダーも精度と言う意味ではまだ問題が多く
距離は正確に取れても方位の分解能が悪く、標的が密集しているような時には個々の識別が困難な為、実際の射撃では光学手段と併用する事が多かったんだとかで

それでも相手に予期せず与えたこういう心理上のインパクトまで含めれば、アメちゃんのレーダーの威力ってのは、やっぱり大したものだったって話になるのかもですな

無題
Name 名無し 15/05/24(日)10:19:11  No.1119274
>改めて夜間専用航空隊を乗せて運用してみたら問題なかったのなら
>むしろ問題は空母の設備でなく航空隊人員の訓練じゃん!という
最終的には光学式の着艦支援システムを導入することになるわけだが、戦後急激に進展したジェット機化と関係あるのかな

無題
Name 名無し 15/05/23(土)20:23:12  No.1119175
まあ夜戦は戦術のアクセントであって主力にはなりえんわな
それに人間夜寝て昼起きるように出来てるんだから夜戦を多用しては兵員の疲労が溜まりやすいのも考えもの

無題
Name 名無し 15/05/23(土)21:44:12  No.1119186
>まあ夜戦は戦術のアクセントであって主力にはなりえんわな
一日の半分は夜なんですよ
まあ夜戦重視とかいいながら大本営で戦争指導してる連中は朝出勤して夜退勤してたわけだが
夜は戦争やらんのかと

無題
Name 名無し 15/05/24(日)00:06:40  No.1119211
>夜戦を多用しては兵員の疲労が溜まりやすいのも考えもの
ラバウル~ガダルカナルの1000km飛行後に空戦やらせて
ベテラン搭乗員を壊滅させてますからねえ
日本軍はそういうケアってほんとだめ

無題
Name 名無し 15/05/24(日)01:38:56  No.1119224
>日本軍はそういうケアってほんとだめ
装備に劣る日本は兵士個人の技量で持ってるようなものなのに、その肝心の兵士を使い潰してるんだもんな

無題
Name 名無し 15/05/24(日)18:24:54  No.1119318
結局、手も足も出なかった海戦もあるけど、当時のレーダー相手なら十分な夜戦に持ち込んで対等以上、あるいは逆に相手に手も足も出させないような完勝もあった。
というのが日本海軍だよね。

評価できる面はしとかないとね。

サウスダコタに魚雷当たってればなあ……。

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:55:55  No.1119327 
1432464955193
先述のヴィラ・スタンモーア夜戦5か月後、今度はコロンバンガラ島を挟んだ反対側で生起したヴェラ湾夜戦という戦いがあるんですが(1943年8月6日)
コレはコロンバンガラ島へ陸軍部隊を輸送する日本側駆逐艦4隻(「萩風」「江風」「嵐」「時雨」)が米駆逐艦6隻に襲撃された戦いでして、当時「萩風」砲術長だった倉橋友二郎氏によりますと

「視界は悪く、月が没した海面は真の闇である。スコールはこれに一層暗さを増していた」

とのことで、海面上の視界はわずか4000メートル
いずれも電探を持たず、肉眼でのみ警戒する日本側には非常に不利な状況だったんだそうで

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:57:44  No.1119328 
1432465064480
一方米軍側は先頭艦が距離10浬で日本艦隊をレーダーで捕捉、そのまま敵艦隊を視認しない内に3隻の駆逐艦が計24発の魚雷をレーダー照準で放ち
内2本が「萩風」3本が「嵐」1本が「江風」にそれぞれ命中、「江風」は弾薬庫の誘爆で轟沈、残る2艦も行動不能の所を米水雷戦隊の追撃を受けて撃沈されてしまうんですが
「時雨」1隻のみは、当時「時雨」艦長だった原為一氏の手記によりますと

「どうもコロンバンガラの島影が怪しい。なんだかアメリカくさい!山下上曹!よく見はれ」

という艦長(原氏)の直前の直感による指示によって難を逃れたんだとか

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:58:02  No.1119329 
1432465082237
原氏によれば

「忘れがたい『アメリカの臭気』は山勘ではなく、霊感でなく、わが師宮本武歳の『観、見、道』の3元方程式から割り出した、簡単にして明確なる数学的解答にすぎなかった」

…んだそうで、正直言葉の意味は分からないがとにかく凄い自信だ!な感じなんですけれど
要はまあ、日頃の鍛錬とそれまでの経験、警戒を怠らない心がまえや危機予測がモノを言った、ってことなんでしょね

ただ実際にはこの時「時雨」も舵面に一発被雷して直径2尺の穴が開く被害を受けてまして魚雷頭部が不発だった為に難を逃れたものの
仮にこの魚雷が炸裂すれば艦尾を破壊された「時雨」もまず僚艦3隻と運命を共にしてたはずですから
この辺「技量」や「テクノロジー」に加えてもう一つ「運」が絡む戦場の実相を示す話だったりするみたいですな

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:58:51  No.1119330 
1432465131952
因みにこのヴェラ湾夜戦の3ヶ月後(1943年11月24日)
ラバウルからブカ島へのやはり輸送任務に就いていた日本駆逐艦5隻と米駆逐艦5隻との間にセントジョージ岬海戦と呼ばれる戦いが生起するんですが
この時米水雷戦隊の指揮官だったのがアーレイ・バーク大佐でして、実は先のヴェラ湾夜戦の際、米艦隊が用いた戦法の考案者でもあり
「東京急行接近」の報にガダルカナルより急遽出撃、補給の間に合わなかった2隻を残置して最大速度で急行したやり口は後に「31ノット・バーク」の名と共に語り草になったそうですが
ともあれ指揮下の駆逐艦は全て最新鋭のフレッチャー型、バーク大佐としては今度こそ自身の手で自分の戦法を存分に発揮できる、と意気込んでの出撃だったんだそうで

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:59:58  No.1119332 
1432465198580
一方日本側は、輸送隊3隻の内「卯月」こそ旧式の睦月型駆逐艦だったものの
「天霧」「夕霧」はそれまでソロモンの海で縦横無尽に活躍してきた特型駆逐艦、警戒隊の2隻は最新鋭の夕雲型駆逐艦「大波」「巻波」で、更に心強いのは「大波」艦長がかつて「大潮」「夕立」艦長として緒戦のマレー、ジャワからソロモンの戦いで幾多の武勲を立てた吉川潔中佐であることでして

共に駆逐艦乗りのエースが乗艦する日米の水雷戦隊同士が夜戦において同数で雌雄を決する戦い…!とか、差し詰めフィクションならなかなかの山場になるところですな

無題
Name 名無し 15/05/24(日)20:00:53  No.1119333
1432465253343
ただ結論から言いますとこの日米水雷戦隊の激突はあっさり勝負がつきまして
例によって視界不良の状況下、レーダーを頼りに日本艦隊を補足・無照射発射した米駆逐隊の先制雷撃が「大波」「巻波」に命中、「大波」は直ちに轟沈、「巻波」は行動不能となり輸送隊の「夕霧」と共に米側の追撃で撃沈され
辛くも「天霧」及び被雷するもまたもや弾頭が不発だった「卯月」だけが脱出、米艦隊には一隻の沈没感も無しという日本側の完全敗北に終わったそうです
(但し日本側の魚雷にも不発の命中弾があったとか)

緒戦で活躍した日本水雷戦隊のエースが、最新鋭のレーダーを有効活用した米戦術の前に為すすべもなく一方的に壊滅される、ってのは後世の我々から見れば日米戦全体の推移にも
重なって見える所ではありますけれど、まあ日本海軍が戦前からの血の滲むような猛訓練で築いてきたアドバンテージが、ついに完全に追いつかれた瞬間ではあったのかもですな

無題
Name 名無し 15/05/24(日)20:54:47  No.1119348
No.1119327氏の書いていただいた記述読むと
帝国海軍が当てにしていた水雷戦隊の夜襲が封じ込められた事実がはっきり分かるなあ
そりゃ必死になって現場がレーダーはまだかと訴えたことは非常に理解できる

無題
Name 名無し 15/05/24(日)21:31:13  No.1119360
>当時「時雨」艦長だった原為一氏の手記によりますと
駆逐隊司令であって艦長じゃなかったはず

無題
Name 名無し 15/05/26(火)06:07:19  No.1119609
>>当時「時雨」艦長だった原為一氏の手記によりますと
>駆逐隊司令であって艦長じゃなかったはず
原為一大佐はヴェラ湾夜戦(43/8/6)時点で第27駆逐隊司令(43/3/8-43/12/25)で時雨の艦長は山上亀三雄少佐(42.11/20-43.12/8)のはず…
ヴェラ湾夜戦では時雨に原為一大佐が乗艦されていたのでしょうか?
指摘の仕方も?だし混乱してきた

無題
Name 名無し 15/05/27(水)16:14:59  No.1119819 
1432710899007
>No.1119360氏

御指摘ありがとうございます
確かに当時原氏は「時雨」含む第27駆逐隊司令でして「時雨」艦長ではありませんですね
お詫びするとともに訂正させて頂きます、申し訳ありません


No.1119609氏
引用させて貰った原氏の手記の内容自体は前述の私の間違い以外は正しいと取ってもらって結構です
仰るように

>ヴェラ湾夜戦では時雨に原為一大佐が乗艦
ってことですね

無題
Name 名無し 15/05/24(日)19:59:52  No.1119331 
1432465192532
>陸戦など戦果をあげたことなどあったのでしょうか?

陸戦だと、張鼓峰事件とかノモンハン事件の戦車第4連隊の戦車夜襲とか有名どころであります
これで味を占めた日本陸軍は数の劣勢を覆す魔法の戦法として夜襲を多用しだすのよね

無題
Name 名無し 15/05/24(日)23:13:54  No.1119381 
>これで味を占めた日本陸軍は数の劣勢を覆す魔法の戦法
>として夜襲を多用しだすのよね

日本軍が夜襲を多用することは米軍にも熟知されていくつもの対策を立てられるわけですが
とはいえ数が劣勢な以上、真っ昼間に野戦なんぞ出来ない訳でして

無題
Name 名無し 15/05/24(日)23:43:14  No.1119389
当時の陸軍の皆さんもバカじゃないから夜襲には限定的な効果しかないことくらい分かってる、分かってるんだが現状の装備で戦うしかないとなればどうするかを考えた上での夜襲だからねぇ
合理的な結論ではあるんだが、合理的ってことと、それで勝てるかどうかはまた別の話なんだよな

無題
Name 名無し 15/05/26(火)21:42:39  No.1119725 
>日本軍が夜襲を多用することは米軍にも熟知されていくつもの対策を立てられるわけですが
>とはいえ数が劣勢な以上、真っ昼間に野戦なんぞ出来ない訳でして
ご指摘の通り、米軍に対して戦力差で抗しえないからこそ日本陸軍は夜襲の多用という選択をするのよね
しかし、「日本軍は夜襲を多用する」ということを敵である米軍やソ連軍が解り始めてくると、夜襲本来の意味である奇襲効果は薄れてくる

日本陸軍がまともな思考をしていたのなら、その時点で別な手段を講じなくてはいけないのだが、結果はその後も相も変わらず同じパターンを取り続けてしまう・・・

無題
Name 名無し 15/05/26(火)22:58:23  No.1119734
ガダルカナルで戦った海兵隊の兵士は
「日本軍の兵士は自殺するかのように機関銃の銃口の前に飛び込んできた。我々なら一度失敗すれば次は違う方法を考える。それなのに同じ戦法を繰り返す日本軍の指揮官はばかげている」と振り返ってます

無題
Name 名無し 15/05/27(水)20:37:48  No.1119866
>それなのに同じ戦法を繰り返す日本軍の指揮官はばかげている
我々日本人ですら不思議に思うのだから、米軍も大層不思議に思ったでしょうな
日本陸軍が摩訶不思議な思考パターンに陥った原因の一つに陸軍は帰納法的思考パターンを多用していたという説がある

無題
Name 名無し 15/05/27(水)20:39:05  No.1119867
1432726745385
帰納法自体は悪くない弁証法だと思う
多数の事実を並列させて、一つの確かな結論に辿りつくという帰納法はマメな日本人には向いていると思うし
用いる事実が多ければ多いほど結論は正確なものになっていく

でも、結論を導くための事実が自己に都合の良い物とか、そもそも物の見方に著しいバイアスが掛かっていると得られる結論は真実から大きく乖離したトンデモナイ代物になる

それをやっちゃったのが他でもない、我らが日本陸軍だったりするのよね

無題
Name 名無し 15/05/27(水)21:20:55  No.1119876
日本陸軍が著しいバイアスの掛かった物の見方しかできなくなった原因の一つに陸軍大学校の教育が元凶ともいわれる
「統帥綱領」に見られるように
「俺が勝利を信じれば絶対勝てるぜww」
「俺が負けって言わなかったら負けじゃないし(迫真)」
「小賢しい小細工より勝つ気持ちでやれば絶対勝てるキリッ」
(以上、超意訳)
このように、理論的な物の見方や事実に基づいた推察より観念的というか精神主義的な物の考え方や推察が染み付いてしまった
しかも、「俺が負けって言わなかったらry」みたいな自分本位でポジティブ思考が支配的になり、物事関して批判的だったり、冷静な物の見方で指摘をする人間を卑怯者・臆病者として積極的に排除し始めてしまう

結果として日本陸軍の主流派になる人間は辻チャソみたいな破壊王ばかりになってしまう

無題
Name 名無し 15/05/27(水)21:27:29  No.1119878 
1432729649625
で、先ほどの帰納法の話だけど、こういう独特の文化の中で行われる推論は
「日清戦争で夜襲は効果的だった」
「日露戦争でも夜襲は効果的だった」
「張鼓峰でも夜襲は効果的だった」   
「支那事変でも夜襲は効果的だった」
「シンガポールでも夜襲は効果的だった」
         ↓
 結論「つまり夜襲最高じゃね?」

ということになる

批判的だったり冷静な物の見方を嫌う日本陸軍は、失敗例を推論のための材料に用いることなく、過去の成功例をひたすら持ち出し、結論を得ようとする

結果は・・・言わなくても解るよねorz

無題
Name 名無し 15/05/28(木)06:07:41  No.1119933
>のための材料に用いることなく、過去の成功例をひたすら持ち出し、結論を得ようとする

モルトケの思想とは間逆だよなあ
プロイセンの軍制に範をとったはずなのに良いとこは真似しなかったのね

無題
Name 名無し 15/05/24(日)22:07:44  No.1119370
そもそも日本の逆探は、米軍が3GHz帯使うようになったらもはや対応不可能だった
100MHz帯ですら四苦八苦してたレベルだし、とにかくポリエチレンが量産できないから高周波同軸ケーブルに絶対に手が届かない

無題
Name 名無し 15/05/25(月)00:10:24  No.1119397
念のために当時日本の高周波用ケーブルがどうだったか調べてみたけど使える誘電体が空気しかないから、中空管の中央に導体を絹糸で吊って固定という、悲しくなる方法を使っていた
誘電体が空気の場合、特性インピーダンスは普通75Ωの筈なんだけど、なぜか500Ω近いし、これはもう断じて高周波用ケーブルとは言えないし
まともなレーダーをこれでどうやって実現するのかと、もう……

無題
Name 名無し 15/05/25(月)00:29:30  No.1119400
>No.1119397
技術水準的には後れを取っていたとはいえ、
13号電探とか、21号電探とか、それなりの信頼性があるものは作れてたんじゃなかったっけ?

無題
Name 名無し 15/05/25(月)01:32:41  No.1119410
>13号電探とか、21号電探とか、それなりの信頼性があるものは作れてたんじゃなかったっけ?
例えば二式二型は高周波が判っていないから入力と出力のミキシングとフィルタができていないし、ホーンアンテナとも呼べないようなラッパ型アンテナだし
高周波ケーブルが無いから中空銅のリジットケーブルになってしまい設置に問題が生じてる。使用真空管40本、ミニチュア管じゃないから振動に弱いし、絶縁は使える合成樹脂が殆ど無いから電気特性からもう問題がある
大体、三式一号と波長が違うってことはマグネトロンが違うってことで、何と言うか違うマグネトロン作っている場合じゃないだろと。米軍の場合2J32で陸海軍共用な訳です

無題
Name 名無し 15/05/25(月)06:28:46  No.1119429
未完成だからこそいろいろ試してたんじゃないかと。
陸海(空)で同じようなものを別開発ってのは現在もやってるよね?
50年後にはまた後知恵でいろいろ言われるんだろうな。

無題
Name 名無し 15/05/25(月)07:23:33  No.1119438
>未完成だからこそいろいろ試してたんじゃないかと。
いや、肝心な部分は全然試せていない
マグネトロンは電子レンジバラした事のある人は知ってると思うけど見た目は変てこな鉄の塊で、実際イギリスでは真空管っぽい姿をしていたのはごく初期の頃だけで、アメリカに10センチ波の試作品が行く頃にはもうガラス管から決別していた訳だけど、日本だと最後まで真空管っぽい姿をしている

無題
Name 名無し 15/05/25(月)07:59:47  No.1119442 
1432508387857
まずこんなのが初期のマグネトロン管です

無題
Name 名無し 15/05/25(月)08:05:19  No.1119443 
1432508719361
次にキャビティマグネトロン
円筒状物体に空いた穴がキャビティ
多分日本はここまでは到達できた、筈
ただ「海軍技術研究所」を読むと、こういう構造までたどり着けたか疑問です

無題
Name 名無し 15/05/25(月)08:07:43  No.1119444 
1432508863068
アメリカに渡った試作10センチ波マグネトロン
ここまで日本は到達できなかった

無題
Name 名無し 15/05/25(月)08:11:21  No.1119445 
1432509081932
これは多分2J34。2J32とは多分カソードが違うだけ
2J32は1941年には完成している
キャビティ容積が大きくなっているのがわかると思う

無題
Name 名無し 15/05/25(月)08:24:48  No.1119446 
1432509888513
上が2J32のカソード
ニッケルを多用しています

無題
Name 名無し 15/05/25(月)09:25:54  No.1119450
日本側の研究は資料が破棄されてるので実際のレベルは判らないのでしょうね。

無題
Name 名無し 15/05/25(月)10:55:18  No.1119453
>日本側の研究は資料が破棄されてるので実際のレベルは判らないのでしょうね。
昭和19年6月出版の「最近に於ける無線工学の進歩」という本を持っていますが、機密にならない部分の基礎技術で大差があるので、絶望的な気分が味わえます
インピーダンスマッチングを気にしていないとか、EMIの概念が無いとか、多分
アビオニクスの概念も無いとか。大地を離れる機械に対して特別な対処が必要だという概念そのものが欠落しています
インピーダンスマッチングを気にしていないから当然スミスチャートも出てきません
細かいところだと、例えば戦前日本の抵抗器にはカラーコードが無い訳です。カラーコードは1920年の発明なんで当然採用して良かった筈だし、対して米軍は例えば機載無線機AN/ARC-5で採用しているのは確認しました。こういう部分で差が付くのです。
AN/ARC-5といえば、正しい接地をしているのも確認しました。AN/ARC-5はちゃんと動きます

無題
Name 名無し 15/05/25(月)15:16:13  No.1119471
>スミスチャート
スミスさんが考案する2年前の1937年に、日本人のmizuhashiさんが同じチャートを提案していますね。ひょっとして八木さんと同じような扱いだったのでしょうか?

無題
Name 名無し 15/05/25(月)12:04:06  No.1119458
たまにこういうレスでてくるから軍板は侮れない

無題
Name 名無し 15/05/25(月)14:53:39  No.1119467
常識的に戦時中の一般誌に最新技術情報が掲載されるとは到底思えないのですが?

無題
Name 名無し 15/05/25(月)15:25:45  No.1119473
>常識的に戦時中の一般誌に最新技術情報が掲載されるとは到底思えないのですが?
その"常識"はアメリカには存在しなかったのです
例えばスミスチャートは1939年にElectronics Magazineへの技術者の投稿によって普及しますが、その成果は直後にSCR-268の開発で証明されます
1941年に発明されたリーケ図はマグネトロンの性能を表現する手法ですがこれはスミスチャートの上に描画されるものです
リーケ図はレイセオン製の試作マグネトロンをMITで評価しているさなかに発明されます。つまり1941年にはスミスチャートは広く普及していたし、リーケ図はレイセオン製のマグネトロン、つまり2J32の開発に強く寄与した筈です

無題
Name 名無し 15/05/25(月)16:18:20  No.1119478
>スミスチャートは1939年にElectronics Magazineへの技術者の投稿によって普及します
陽極分割型マグネトロンと同様に日本人が開発した功績を横取りしたっぽいね。RCAとか勝手に特許を取ってるし(笑) 他はドイツと英国ぐらいで非白人国からこういったアイディアが出てくるってのはやはり異質だったんだろうね。

無題
Name 名無し 15/05/25(月)17:02:52  No.1119487
いうても水橋東作の論文発表とほぼ同時期の1936-37年にかけてベル研究所ではスミスとその同僚のE.B.FerrellとJ.W.McRaeが同じ成果をあげてるようだし
発想の示唆は同等でも恩恵が実際にあったか無いかが日米の大きな差ような


https://faculty.up.edu/ainan/aps2005inanmarch05.pdf

無題
Name 名無し 15/05/25(月)16:59:43  No.1119486
まとめると
日本は言われるほどは劣ってなかったし
アメリカは言われるほどは進んでもいなかったかな?

無題
Name 名無し 15/05/25(月)19:07:05  No.1119507 
1432548425280
>まとめると

>日本は言われるほどは劣ってなかったし
>アメリカは言われるほどは進んでもいなかったかな?
自分の感想は全くの逆で、欧米の技術をキャッチアップ、模倣できる間は大体技術格差は2年内外ってくらいで済んでいるものの、これが出来なくなると途端に馬脚を現している、というものです
>No.1119397 で挙げた高周波ケーブル、よく考えてみると色々おかしい訳です
網線でなければならないところを銅テープで済ませています。これだと隙間からだだ漏れになってしまいます。電磁気学の基礎がわかっていません
特性インピーダンス500Ωというのも納得です

無題
Name 名無し 15/05/25(月)20:14:59  No.1119524
読み違えてたんで修正します。特性インピーダンスは78Ω程度ですね
この筆者だけ波動抵抗なんて死語を使っていたので気付きませんでした
他のページの筆者は皆インピーダンスという言葉を使っているのに……
500Ωは平行フィーダー線ですね。これもちょっとひどい値ですが、まぁなんとか
この国産同軸ケーブルのまずい点は、あと、曲げても揺らしても特性が変化することですね

無題
Name 名無し 15/05/26(火)20:21:29  No.1119704 
1432639289901
>まとめると

>日本は言われるほどは劣ってなかったし
>アメリカは言われるほどは進んでもいなかった
>かな?
全くダメダメという訳ではなかったのだろうけど
当時は欧米、特にアメリカの論文や製品を元にして日本の技術的イノベーションを図るという状況だった
(電子関係以外も往々にしてそうだったけど)

戦前のラジオ雑誌などでは、堂々とRCAとかPhilcoの一般家庭用(!)全波ラジオの技術的特性や先進性を論じている状況だから、日本の電子関係の技術力は推して知るべしって感じだと思う

無題
Name 名無し 15/05/26(火)18:54:48  No.1119678
結局、技術開発に投入できる国力の差だね。
技術レベル自体の土台の差がさらに国力で倍増される。
戦時のジリ貧で格差はますますひろがるばかりだった。
まあ、米は実際凄いけどね。
米は魚雷とかの不備をリカバリー出来る国力があったし、英からのレーダー技術を発展させる環境もあった。
英米ほどの技術交流は日独にはそれこそ夢のまた夢だったしね。
ただ、日本が他国が諦めた酸素魚雷を完成させたこととか、島嶼戦では日米ともに戦いが進むごとに作戦・戦術は戦訓取り入れていってたし。

無題
Name 名無し 15/05/26(火)20:41:59  No.1119708
>米は魚雷とかの不備をリカバリー出来る国力があった
アメリカの強みは、43年に虎1鹵獲して、米英合同調査の結果
「いかなる自軍戦車より優れている」って結論が出て、イギリス大慌てでシャーマンに17ポンド砲載せたファイアフライとか作り初めたのに、「飛行機でなんとかするからいいや」とか言って
シャーマンそのまま使い続けて、ホントになんとかしてしまった所。

無題
Name 名無し 15/05/26(火)14:47:32  No.1119647
同じ作戦を何回も繰返しやったら相手が学習する事くらい予測出来ないのだろうか?

無題
Name 名無し 15/05/26(火)18:55:11  No.1119679 
>同じ作戦を何回も繰返しやったら

これはに関しては意外に米軍も太平洋でも西部戦線でもやらかしてるんだけどね。
作戦・戦術レベルだと、結局火力投入後の平押しばかりだし、攻撃失敗と判断したら攻撃発起地点まで戻るって「習慣」も他国と比べるとかなり教条的で、一部の突破口を取っ掛かりになんとか状況を打開するような方策よりはすっぱりと引いて仕切り直しを選ぶ。
まあ、それだけの火力が投入できたので最終的に問題ないんだけど、日本側からするとこの攻撃発起点まで引き上げるってやり方は島嶼の防衛線ではかなり有利に働いたらしい。
アッツ島で既にそうだったし、これはペリリュー、硫黄島、沖縄戦まで変わってない。
で、結構、正面から真っ正直に突撃って作戦も支援火力が強大な分、どこでも割と繰り返しやってる。ペリリューの飛行場突破はなんとか成功してるが、沖縄のシュガーローフじゃ散々だった。

無題
Name 名無し 15/05/26(火)20:54:22  No.1119715  
1432641262133
日米の電子技術に関する一端としてメタル管の話があるんだけど・・・

米国RCAが全金属真空管(メタル管)を昭和15年に開発するとそれと同時に「無線と実験」誌などが全力特集をするのよね
これは日本の関心の高さを表すもので、日本企業や軍などはメタル管の国産化を図ろうとするんだけど、国産メタル管がお目見えするのは結局、昭和19年までずれこんじゃう

つまり、メタル管に関してだけでも、日米の技術差は4年以上も差があったという事なのよね

無題
Name 名無し 15/05/26(火)21:18:53  No.1119720
>つまり、メタル管に関してだけでも、日米の技術差は4年以上
>も差があったという事なのよね
どこまで本当かしらんけどラジオの本で作る技術はあったけど国内需要があまりに安かろう悪かろうでメーカーに技術革新を進める余力がなかった
とか単なる技術格差より余計悲惨な気分になる話があったな

無題
Name 名無し 15/05/27(水)00:51:04  No.1119764
>つまり、メタル管に関してだけでも、日米の技術差は4年以上も差があったという事なのよね

戦後、神田須田町に米軍放出品や横流し品の電気(電子)部品を売る露店が多数出店して、そこに並ぶ真空管を手にした日本の技術者が驚いたと言う話を聞いたことが有る

ちなみにそれら露店は後にGHQの命令で秋葉原に移転させられることになるが、それが今のアキバの原型に繋がっていく
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1118947.htm

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