イギリスの若者ムスリムたち――「市民であること」の要件としてのイスラーム

 イスラームの知識

 

<宗教/文化>の区別を実現し、若者の西欧社会への統合を可能にしているのが、イスラームの「知識(ilm)」をめぐる伝統(の提示)である。知識はイスラームにおいて特別な意味を有している。知識は、クルアーンにおいて楽園に至る道を照らす「光(nur)」として表現されているように、その探求はムスリムが幸福へと至る条件であり、神によって命ぜられる義務である。

 

重要なことは、「啓示」に基づく知のみならず、世界の法則をめぐる「理性」に基づく知(自然・社会科学など)の探求もまた、イスラームの知識が有する義務の中に含まれるということである。世の中の様々な知識を得ることは、神が創りし世界を理解すること、つまり神の意志を知ることだからである。宗教的権威を有するイスラーム法学者は一般に「ウラマー(ulama)」と呼ばれるが、それはまさに「知識を持つ者」を意味しているのである。

 

イスラームの知識をめぐる伝統は、二重の意味で、現代の若者ムスリムの西欧社会への参加を促すものとなっている。第一に、<宗教/文化>の区別は、イスラームの知識によって実現している。つまり、何がイスラームであり、何がそうでないかを区別するのは、知識によってのみ可能である。

 

第二に、イスラームの知識は、個人や社会に貢献する、より幅広い知を含んでおり、そうした知を探求することがすべてのムスリムに課された義務として位置づけられている。そのことは、女性を含め、若者が世俗社会の教育システムにアクセスし、また社会に出て、様々な経験を積むことを支持する態度を帰結させている。

 

若者の知識をめぐる意識は、世俗社会への統合と相互に強化し合う関係にある。知識習得の義務の強調は、大学進学やキャリア形成への意識を高め、また逆に高い学歴を有するほど、イスラームの多様な知識や考え方を学び、それを身につける機会と能力を増大させるためである。このことは、近年のムスリムの進学率の増大が、信仰と社会統合をめぐる新たな関係を生み出しつつあることを示唆している。

 

こうしたイスラームの知識との関わりは、若者が古い世代と自己を区別するために用いるメルクマールの役割を果たしている。若者世代は「古い世代」におけるイスラームが文化的な慣習に基づいており、それゆえに純粋なイスラームの教えから逸脱しているととらえているためである。

 

途上国の貧しい地域に住んでいた古い世代は、読み書き能力の欠如ゆえに、クルアーンを読めず、もっぱら「口承」によってイスラームを習得している。そのため、イスラームの知識の正確性や解釈の妥当性は、それほど重視されていない。それに対して、若い世代は、西欧社会の教育制度を通じた高いリテラシー能力を前提とし、インターネットや印刷物などのメディアを通じて、イスラームの知識を習得することがでる。

 

また、そうしたメディアは、古い世代により支配されたローカルなイスラーム理解から若者を自由にし、自身の生活する環境と両立する形でイスラーム解釈を発展させることに寄与している。特にインターネットは、若者ムスリムの知識の習得にとって不可欠なツールである。

 

多くの若者は、イスラームのサイトにおいてクルアーンやハディース(=預言者ムハンマドの言動集)を読み、そこから「検索」機能を用いて関心のあるテーマと関わる箇所や証拠となる部分を探し、イスラーム解釈をめぐりオンラインのフォーラムで様々な質問をおこない、Youtubeでお気に入りの学者による講義を受け、オンライン講座を通じてアラビア語やイスラーム学を学んでいる。こうした新しいメディアの利用により、若者は「知識を有する(knowledgeable)」ことに誇りを持ち、それを動員しながら、役割期待をめぐり家族と交渉をこない、イギリス社会への参与を実現しているのである。

 

こうした知識は、特に女性ムスリムによって積極的に活用されている。なぜならば、(イギリスのムスリムの多数を占める)アジア系の家族において、女性は男性に比べ、文化的規制をより強く受ける傾向にあるためである。それに対して、彼女たちは、イスラームを平等主義の体系として理解し、提示している。

 

彼女たちが社会への参加を正当化するためにもっとも好んで参照するのが、預言者ムハンマドの最初の妻ハディーシャである。ハディーシャは経営者であり、ムハンマドはその従業員であった。また、彼女はムハンマドよりも20歳以上も年上であり、彼に自ら結婚を申し込むという、経験と自律性に富んだ女性である。

 

こうしたハディーシャ像やそのエピソードは、女性が若いうちに結婚することが期待される文化的なプレッシャーや、世間からのそのような偏見に抗し、社会でキャリアをつみ、自身の手で結婚の相手や時期を決めることを正当化するための資源として用いられている。たとえば、教師をしている20代半ばのバングラディシュ系の女性は、次のように述べている。

 

 

彼女[=ハディーシャ]は、彼[=ムハンマド]よりもお金持ちだった。彼女は、彼に、「私と結婚してくれませんか」と言ったのよ。彼は留まり、彼女に「はい」と答えたの。彼女の夫は、基本的に彼女のために働いていた。彼女は、そんな風に強い人物なの。私は、彼女が私をやる気にさせているのだと思う。彼女はそれをすることができた。なぜ私にそれをすることができないというの。

 

 

また、いく人かの女性は、コミュニティにおいてリーダーシップを発揮した学者であった、ムハンマドの最年少の妻であるアイシャの事例を出し、女性が社会の指導的地位を占めることをイスラームが認めていると主張している。こうした女性たちにとってイスラームは、女性を勇気づけ、イギリス社会におけるライフコースの選択を可能にする資源として活用されている。

 

 

<真>の社会の統合に向けて

 

これまで紹介してきたイギリスの若者ムスリムの姿は、読者がイメージするそれとは異なるものであるかもしれない。彼女/彼らは、まさにムスリムであることによって、より広い社会への積極的な参加や統合を実現している。言い換えれば、これらの若者ムスリムはイスラームを否定することによってではなく、まさにそれを確証し、追求することを通じて、市民社会の一員となっているのである。

 

むろん、ここで扱った若者のアイデンティティ・マネジメントをめぐる戦略の描写は、イギリスの若者ムスリム一般のあり方を正確に反映したものであると言うことはできない。ムスリムは内部に高い多様性を持ち、容易に一般化しうるものではない。しかし、西欧社会に生きる若者ムスリムは、複数の社会的な期待を融和させ、コミュニティとともに主流社会の一員となるために、何らかのアイデンティティ・マネジメントの様式を発展させるという共通の課題を有している。上記で述べた<文化/宗教>の区別やイスラームの知識の活用は、そうした課題を解消するために多くの若者が採用している基本戦略なのである。

 

こうした理解は、ムスリムの西欧社会への<真>の統合のために不可欠なものである。社会統合はしばしば「二方向のプロセス」であると言われる。一方で、マイノリティは、主流社会の価値やシステムに同化することが求められている。他方で、マジョリティは、マイノリティの文化的慣習への理解や配慮とともに、そのような新たな文化を取り入れることにより、主流社会の文化や制度を豊穣化させることが期待されている。

 

しかし、実際は多くの場合、マイノリティの主流社会への同調のみが強調され、マイノリティによる主流社会の公的文化への貢献は認められていない。その結果、マイノリティは、主流社会の文化や価値からの距離によって評価される、「不完全な市民」あるいは「相対的な市民」でしかありえない。だが、これまで論じてきた若者ムスリムによるイスラームの考え方は、民主主義の枠組みにおいて単に消極的に容認されうるものではなく、むしろ、異なる伝統を通じて、市民社会における民主主義的価値(citizenship)の実現に向け、積極的な意義を有するものなのである。

 

そうであるならば、「文明の衝突」を煽り、ムスリムについて声高に語る政治家や専門家の言葉ではなく、社会の不可欠な一員として実際に生活するムスリム自身の声に耳を傾けることこそが、グローバルな、そしてナショナルな社会の安全と統合のために必要なことではないだろうか。

 

 

本テーマについてのより詳細な議論は、筆者の下記の文献を参照されたい。Adachi, Satoshi, 2011, “Reflexive Modernity and Young Muslims: Identity Management in a Diverse Area in the UK,” in K. Kimura ed., Minorities and Diversity, Melbourne: Trans Pacific Press; 安達智史, 2013, 「『超』多様化社会における信仰と社会統合——イギリスにおける若者ムスリムの適応戦略とその資源」『ソシオロジ』177号, 35-51; 安達智史, 2013, 『リベラル・ナショナリズムと多文化主義——イギリスの社会統合とムスリム』勁草書房; 安達智史, 2015,「多文化社会における女性若者ムスリムのアイデンティティと社会統合——イスラーム、文化、イギリス」『社会学研究』96 号(近刊)。

 

 

関連記事

 

「ムスリムが西洋社会で直面する困難――よりよき統合のために何が必要か」辻康夫

「移民、宗教、風刺――フランス・テロ事件を構成するもの」吉田徹

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S -

 

 

リベラル・ナショナリズムと多文化主義: イギリスの社会統合とムスリム

著者/訳者:安達 智史

出版社:勁草書房( 2013-12-27 )

定価:¥ 7,560

Amazon価格:¥ 7,560

単行本 ( 512 ページ )

ISBN-10 : 4326602597

ISBN-13 : 9784326602599


 

1 2
困ってるズ300×250 α-synodos03-2
日本語で読む 広告バー下 300_250_5g

vol.173 特集:死をめぐって

・飯田泰之氏インタビュー「遺産はだれのもの?――経済学における生と死」
・三宅義和「死生観の構造」
・大友芳恵「高齢者と献体」
・大池真知子「アフリカの草の根のエイズの物語――ウガンダの母が書く病、死、生」
・安藤泰至「『尊厳死』議論の手前で問われるべきこと」
・片岡剛士「経済ニュースの基礎知識TOP5」