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インターネットの備忘録

インターネット大好きな会社員がまじめにつける備忘録です。

さよならピンチヒッター

「本当は一番に会いたいのは、お前じゃなかったんだ」
と彼が言ったのは、渋谷円山町の焼肉屋だった。目の前の上ミノがどんどん焦げていくのを見ながら、「知ってたよ」の言葉を喉で飲み込んだ。

友達の友達っていうありがちな知り合い方だったけど、すぐ好きになった。顔が好きだった。声が好きだった。気むずかしいめんどくささが好きだった。すぐ機嫌が悪くなるところが好きだった。お互いなにも明言しないまま関係が始まって、誘われるのはいつも突然だった。

察しはついた。わたしは「誰か」を誘って断られたときの寂しさを埋めるためのピンチヒッターだった。突然打順が回ってきても、慌てたりしなかった。ピンチはチャンス。打席に立ってなんぼだ。しかし打点は入らず、不毛だと思いながら続けた。終わりは突然来るんだろうと覚悟していたけれど、思ったより早く来た。今が本当のピンチだ。

彼は神妙な顔で「誰か」のことを話し始めた。
結婚してるくせに、彼の一番にもなれる、知らない「誰か」の話。

なんでわたしがあなたたちの馴れ初めを聞かされなきゃいけないのか、と思いながら、一応最後まで聞いた。彼がしようとしているのは、謝罪でも贖罪でもなくただの吐露だ、と思った。自分が楽になりたくて、無責任に全部を吐き出しただけ。吐き出したあとのことなんて、わたしの気持ちなんて、1ミリも考えていない、ただ、自分が楽になりたいだけの、弱くて弱くてずるい人。
彼が期待しているのは、自分が加害者になること、加害者になって非難されること、非難されることで「誰か」との結束を深めること。

急激に何もかもがどうでもよくなってきて、唇と指先がスッと冷たくなった。

突然、目の前に座っている男の人が誰なのか、分からなくなった。ぜんぜんかっこよくないし、しょんぼりしてて、自分に酔ってて、キモい。オレがぜんぶ悪いんだよ……なんて、そんなこと言われても「で?」としか言いようがない。
わたしに「ひどい男だ」と責められることで楽になりたい、と顔に書いてあるようだった。このビールをかけて、頬でも叩けばいいんだろうか。めんどくさい。期待に応えるのはバカバカしかったけれど、このまま茶番に付き合う気にもなれなかった。

  「あなたたちふたりとも、まとめて地獄に落ちるといいね」

と言って席を立ち、後ろを見ずに店を出た。

 

店を出るとポケットからイヤフォンを取り出し耳に入れた。周りの音が聴こえなくなるくらいボリュームを上げた。「くそくらえ」と歌う声に合わせて一緒に口ずさんだ。くそくらえだ。君も、わたしも、わたしたちの数ヶ月も、ぜんぶ、くそくらえだ。泣くもんか、絶対に後悔なんてするもんか、「わたしのこと少しでも好きだった?」なんて死んでも聞くもんか、と思った。

 

歩道橋を渡りながら歯を食いしばりもう一度「くそくらえ」とつぶやいた。こんなことで絶望するなんて馬鹿げてる。誰に何をされたって、わたしの価値は毀損されない。

「よく生きることが最高の復讐 キープオン何か」
人生は続くんだから。

 

clarknaito.bandcamp.com