連鎖世界





「あ……」
 ラクスは小刻みに震えながら、口元に手をやった。
 ゆっくりと傾いで倒れていく、その光景だけがまるでコマ送りのように見えた。
 そして、その姿が崩れ折れていく、その音と床に滑り落ちた硬質の音は同時だった。

 向けられた銃口は四つ。
 放たれた弾丸は二つ。
 そして、倒れたのは――一人。

 はらりと、銃弾が掠めた衝撃で、赤いリボンが舞い落ちる。
 広がり落ちていく薄紅の髪の感触に、ラクスは我に返った。


「デュランダル、議長」


 ぽつりと零れた名に、時が動き出す。
 やがて、最初に動き出したのはタリアだった。
 その手に握られていたはずの拳銃はない。
 タリアは言葉なく見守っているキラたちの前で、ゆっくりとデュランダルに歩み寄り、助け起こした。
 白い議員服に鮮やかな赤がじわじわと侵食していく。
「ギルバート」
 静かな呼び声に、デュランダルの肩が震え、ぎこちなく双眸が開く。
「タリア……君が?」
 問う声は、静かだった。
 驚きもなければ、嘆きもない、ただ、事実を確かめるためのだけのものだった。
「……えぇ」
「相変わらずの腕前だな。だが……何故」
 タリアはかすかに笑みを浮かべた。
「子どもたちの未来を守るのは大人の役目でしょう?」
「こ、ども……」
「彼らは子どもよ。本当なら、戦わなくていい、そんな力なんて求めることもしなくていい年齢だわ」
 ただ、時代が、そして、彼らの持つまっすぐな心が子どもたちを戦場に追い立てた。
 その咎は自分たち大人にある。
「現実を知らないと言ってしまえば、それまでだけど、彼らの望む未来を私は……そうであって欲しいと思ったの」
 叶わぬと断じるには、あまりにも眩しい未来。
 誰が暗澹たる未来を望むだろう。否、望むまい。
「たとえ、それを目にすることができなくても」
「タリ、ア」
「それに」
 タリアは一度唇を噛み締めて続けた。
「私には、貴方を止める義務があるはずよ」
 その言葉に、デュランダルが意外そうに目を瞠り、次いで、否定するような眼差しを向けた。
「……タリア」
 そして、デュランダルが何かを紡ごうと唇を動かしかけた瞬間だった。
 最初の異変に気付いたのはキラだった。
 緊迫に満ちた静寂の奥底から震え伝わってくる轟音。
「?」
 訝しく思うや否や、それは突如、崩壊として現われた。
 天井の一部が落下し、管制室のコントロールパネルから火花が散り、モニターから光が失われる。
 次いで、砕け散るモニター画面の破片に、側にいたレイをルナマリアは抱き締めるように庇った。
「っ!」
「ルナマリア!」
「平気よ……っ!」
 蒼い双眸を瞠って周囲を見やったラクスの真上の天井が崩れ落ちる。
「これは、一体」
「ラクスッ!」
 咄嗟に、キラは手を伸ばし、自身の体で庇い込むようにして、倒れ込む。
 直後、二人が立っていた場所に瓦礫が突き刺さった。
「キラ!?」
 動揺の声を洩らすラクスに、キラは身を起こし、微笑みかけた。
「僕は大丈夫。それより何が――」
 キラの疑問にはすぐに答えが与えられた。
「ネオジェネシスとメサイアの動力部は同じだ」
「!」
 息を呑んで、キラは声の主――デュランダルへと視線を向けた。
「ネオジェネシスの爆発が、動力部にまで及べば……メサイアとて無事ではすまない……」
 驚愕の面持ちの二人に、デュランダルは薄っすらと笑んだ。
「過ぎた破壊は、諸共に破壊を招く、ということだな……」
 思わず、唇を噛み締めたキラに、ラクスは冷静に呼びかけた。
「キラ」
「うん、分かってる。ここから退避しよう」
 そして、キラは後方にいるレイとルナマリアを見やった。
「二人とも行ける?」
「行けます!」
 即答したのはルナマリアだった。
 そして、答えるのではなく、ただ睨み付けているレイに、キラは困惑の眼差しを向けた。
 このレイという少年が、かつて戦った男と同様にして生を受けたのだと知っている。
 そして、キラに対する感情も、また。
 だが、レイは『彼』ではない。
 『彼』のように絶望だけに囚われ、誰も信じずに生きてきた訳ではない。
 レイを想い、その手を差し伸べる相手がいる。
 大切に想うこと、守ることを彼は知っている。
「……君は大丈夫?」
「不要な心配だ」
 ぴしゃりと跳ねつけるような返答に、キラは怒るでもなく、むしろ、安堵を覚えた。
「うん、それだけ言える元気があるなら大丈夫だね」
「っ!」
 心底、そう思っていることが伝わったのだろう。
 ますます渋面になるレイに、ルナマリアはそんな状況ではないと理解した上で嘆息した。
 そして、キラは壇上に留まっているタリアとデュランダルに再び視線を向けた。
 次の瞬間、キラは尋ねようとした言葉を呑み込んだ。
「艦長!?」
 ルナマリアが大きく目を瞠って、驚きの声を上げた。
 タリアの手にはデュランダルが取り落とした銃が握られ、その銃口はキラたちに向けられていた。
「グラディス艦長、何のおつもりですか」
 身を硬くし、ラクスを庇うように前に立つキラの肩にそっと手で触れ、ラクスは静かに問い質した。
 銃口に怯むことなく、偽りを許さぬ強さで見つめてくるラクスに、タリアは柔らかく微笑んだ。
「貴方たちは早く行きなさい」
「!?」
「グラディス艦長!?」
「私はこの人を連れて行くわ」
 その言い方に不穏なものを覚えて、キラは柳眉をひそめた。
 崩壊の音は着実に大きくなり、ついに管制室の点灯が消える。
 切り替わった非常灯の仄暗い赤い光に照らされ、翳ったタリアの顔は微笑んだままだ。
「独りにしておくと、ろくなことにならないから」
「グラディス艦長!」
 近づこうとキラが踏み出した瞬間、引き鉄が引かれ、その足元を銃弾が弾ける。
「ッ!」
「来てはダメよ」
 キラは唇を噛み締めた。
「どうして……」
 キラの呟きに、タリアはそっと双眸を細めた。
「貴方は彼女の言う通り、とても優しいのね」
「グラディス艦長!」
 タリアはかぶりを振り、そして、静かに告げた。
「プラントに、子どもがいるの」
「!?」
 突然の言葉に、キラは戸惑いの眼差しを送った。
「あの子に伝えて。どこにいても、愛していると、貴方が幸せであることを願っていると」
「!」
「どうか、お願いね、あの子を……あの子の生きる世界を戦いに満ちたものにしないで」
 それはまるで遺言、否、遺言そのものだ。
「……グラディス艦長、貴方はそれでいいのですか?」
 強く手を握り締めながら、ラクスは押し殺したような声で尋ねた。
 その様子を見て、タリアは苦笑する。
「……いいのよ、これで」
「タリア」
「いいのよ」
 デュランダルにも同じように繰り返し、タリアは頷いた。
 その瞬間、堪えきれなくなったようにレイが叫んだ。
「嫌、だ……! ダメだ、ギル!」
 まるで幼い子どものように叫ぶレイに、デュランダルはぎこちない動きで首を巡らした。
 血の気を失った容貌のデュランダルは、彼以上に蒼白なレイにかすかに笑んだ。
「行きなさい、レイ」
「ギル!!」
 どこにそんな力が残っていたのか、決して軽くはない傷を負った身でレイは必死で叫んだ。
 だが、デュランダルは穏やかに続けた。
「今まで、すまなかった……」
「ギル」
「君は『彼』ではない。すべてに絶望して終わりを望んだ『彼』では、ない。だから」
 息苦しそうに眉をひそめ、デュランダルは続けた。
「生きていいんだ、望むままに」
 双眸を見開き、レイは喘ぐように首を横に振った。
「ち、違……謝ることなんて……ギル……っ!」
「レイ」
 落ち着かせるように呼ばれて、レイは息を呑んだ。
 デュランダルは穏やかに微笑んでいた。
 そして、一言。


「ありがとう」


 言葉を失ったレイにデュランダルは笑いかけ、そして、強張った顔つきのキラとラクスを見やる。
「君たちも行けばいい……どんな結末が、どんな苦痛が待っていても……たとえ、後悔することになっても、それでも、いいと願うなら」
「議長!」
 思わず、声を上げたキラに、デュランダルは消え入るような苦笑を浮かべた。
「あいにく、私は、見届けることはできないが、ね……」
 そのまま、ゆっくりと瞳を閉じたデュランダルに、キラは言葉を見失う。
 誰も死んで欲しくない。
 誰かを犠牲することを許したくない。
 だが、何をどう言えばいい。
 どうすれば、デュランダルの心は変わるのだろう。
 溢れ出た血はすでに床に溜まり、壇上から雫となって零れ落ちている。
 手当てをするならば、こんなところに留まっている状況ではない。
 だが、キラは本能的に理解していた――すでに手遅れだと。
 だからこそ、かける言葉がないのだと。
 しかし、それで諦めるにはあまりにも苦しかった。
(死んでいい人間なんて、いないんだ)
 救いを求めるように、咄嗟にキラはラクスを見つめていた。
 それまで無言で見つめていたラクスはいつになく厳しい表情で唇を噛み締めていた。
 蒼い瞳に葛藤が宿っていた。
「……貴方々は、もう、それしか願いがないと?」
 不意の言葉に、タリアは小さく目を瞠り、次いで微笑んだ。
「――大切なものは一つしか選べなかったわ。私はそれを後悔していない。そして、今回もそうよ」
 そして、タリアは銃を握る手に力を込めた。
「それは、きっと、彼も一緒よ」
 推定の言葉だったが、そこには深い確信があった。
 しばし、見つめ合い、やがてラクスは瞳を閉じた。
「……分かりました」
「ラクス!?」
 驚愕に双眸を瞠るキラに、ラクスは苦しそうに笑みを浮かべた。
「キラ……どうか、最期はお二人を一緒に……」
 小さな囁きは崩壊の音に掻き消されてしまいそうなものだったが、キラの耳には届いていた。
 デュランダルとタリアの間にどんな事情があるのか知らない。
 だが、それでも、ラクスは分かってしまった。
 同じだと。
(もし)
 もし、キラがデュランダルのように傷つき、倒れ伏してしまって、もう助けられないとしたら。
 ラクスもまた最期まで一緒にいたいと願うと思うから。
 たとえ、その身にいかなる責務があり、どのような立場にあろうとも。
 肩に触れるラクスの手が震えているのに、キラは気付き、そっと手を重ねた。
「ラクス」
 その温かく優しい手の感触に泣きたくなる思いを堪えて、ラクスは小さく頷いた。
 その瞬間、キラの強張った表情が歪むが、すぐにそれは消える。
「……分かった」
 そして、キラは再び視線を壇上の二人にやる。
 二人がその視線を受け止めるのを見て取り、キラはおもむろに一礼した。





「……本当に、貴方という人は素直じゃないわね」
 呆れ交じりの声に、彼は苦笑した。
「彼らの手を取っていれば、良かったのに……」
 すでに瞼は重く、見える視界も薄暗い。
 だが、相手がどんな顔をしているのか見えなくなくても彼には分かった。
 すでに周囲に彼ら以外の気配はない。
「素直、であれば……こんなことに、なってはいまいよ……」
 掠れた声で呟けば、苦笑する気配がした。
「そうね……。どうしようもないわ……貴方も、私も」
「つき合わせて、すまない、タリア……」
「バカね、言ったでしょう。これは私が決めたことよ」
 さらりと髪を梳かれる感触がした。
 その心地良さに身を委ね、意識が闇に沈んでいく中、彼は最期に素直に思いを告げた。
「あぁ……嬉しいよ、タリア……」
「ギルバート……」



 そして、すべては崩壊に呑み込まれ、終わりが告げられた――。











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