06/04のツイートまとめ
Isaiah_BenDasan
③私はこの『檄文』を何回も読みましたが、主張は明確で論理は透徹しており、かつ文学的技巧や難解な表現は意識的に避けた跡が見られ、どう見ても正気の人の文章であって、絶対に狂人の文章とは思えません。
06-04 00:10④以下に『檄文』の抜粋を掲載いたしますから、このように論旨を進めて行ける人が「気が狂った」と思えるかどうか直接に御判断ください。
06-04 01:09⑤『檄文』はまず「前文」があり、ついで、【(1)われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。】
06-04 02:09⑥従って、【(2)(われわれは)日本人自らの日本の歴史と伝統を漬してゆくのを、歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。そして、われわれは、(3)今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。】
06-04 03:09⑦それであるにもかかわらず、【(4)法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、……(それが)御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、(そのごまかしが)日本人の魂の腐敗、道義の孤廃の根本原因をなして来てゐるのをみた。】
06-04 04:09⑧以上がいわば第一段ですが、氏の主張の当否は別としても、少なくともその論理は通っております。ついで第二段に入り、【(1)われわれは(こういう腐敗・頽廃の中での)戦後の余りに永い日本の眠りに憤った。(そして)自衛隊が目ざめる時こそ、日本が(この眠りから)めざめる時だと信じた。】
06-04 05:09⑨従って、【(2)憲法改正によつて、自衛隊が(違憲でなくなって)真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。】
06-04 06:09⑩それゆえに、【(3)四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。(楯の会の目的は)憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て……建軍の本義を回復するであらう。】
06-04 07:09⑪そのようにして【(4)国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命の為、我々は少数乍ら訓練をうけ、挺身しようとしてゐたのである。】ここで第二段に入ります。氏はまず佐藤総理訪米前のデモが警察力のみで鎮圧された状況を見て、【(1)「これで憲法は変らない」…治安出動は不用になつた。】
06-04 08:10⑫【政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頼つかぶりをつづける自信を得た。】と判断しました。そしてこの点に関する限り、どの政党も全く同じように「天秤の論理」であって、(続
06-04 09:10
⑬続>【(2)憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した。そこでこの日に憲法で否定された非合法の武装集団が(3)「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか】
06-04 10:10⑬【……自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。(4)かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はない……。】というように『檄文』は理路整然と進められ、いよいよ最終的結論に入ります。
06-04 11:10⑭私が…「氏の誤りは、このような状態は戦後の日本のみの事であって、音はそうではなかったと考えた事でした」と述べましたのは、冒頭の主張とこの結論です。即ち【国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態に落ち込んでゆく】
06-04 12:10⑮【日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ】【我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか…我々は至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へる事を熱望する余り、この挙に出たのである】とのべたその事です。
06-04 13:10⑯問題はここです。氏は『柳子新論』と非常に似た論理の進め方で、現代の日本はその根本に歪曲と偽善があるから、これを正して「日本の真姿」に戻すことが第一だ、とのべているわけですが、実は、そういう「真姿」は「天秤の世界」には実在しないのです。
06-04 14:10⑰氏のいう「真姿」は、おそらく日本よりもむしろ西欧の「真姿」に近いものでしょう。従って氏が「体をぶつけて死ぬ」と言った相手は実は「憲法」そのものでなく、この憲法への日本人の態度に表象される「日本教」そのもの、すなわち「天秤の世界」であったはずです。
06-04 15:10①氏が『檄文』で何をのべようと(氏が切腹をしなければ)日本人はこの『檄文』の言葉を「空体語」に組み入れてしまい、人間という支点を使って「実体語」とバランスをとり、「なるほど三島氏の言うことは論理的に筋が通っている、まさにその通りだが、しかし『人間』を忘れてはいけない」(続
06-04 16:10②続>という意味の事をいい、同時に「…だが彼も『人間』だから、彼(という『人間しを支点として、この『空体語』の世界とバランスをとっている『実体語』の世界がある筈で、彼は、自分の『実体語』の世界を、彼なりの『空体語』で言っているだけだ」と考え、それで終りにしてしまいます。
06-04 17:10③事実、彼が切腹をするその瞬間まで、すべての日本人は彼の言葉をそのように扱い、従って、彼が何を言おうと大して心にかけていませんでした。これが、その証拠です。
06-04 18:10④そして彼が、「人間」という支点を無視して(「生命尊重以上の価値の所在を見せてやるし、分銅をいきなり天秤皿に移し、その論理を物差のように使って「実体語」の世界を規定しようとしたことは、日本教徒にとっては、「気が狂った」としか思えないわけであり、(続
06-04 19:09⑤続>同時に、この分銅の移動という考えられぬ行為は、当然、天秤の支点を壊し、これは、いわば彼という「人間=支点」の首を切り飛ばしただけでなく、全日本教徒の信仰の対象である「人間=支点という概念」の首をも折りそうになりました。
06-04 20:10⑥これがいかに大きなショックであるか。日本人は少なくとも徳川時代から全員が無神論者ですが、「無人間論者=無支点論者」が存在するなどとは、夢にも考えられない民族ですから、当然のショックです。従ってこのショックが逆に、日本教を強く浮かび上がらせる結果にもなりました。
06-04 21:10⑦すなわち、断固として日本教徒の立場に立った司馬遼太郎氏の反論(乃至は批判)がそれです。事件直後に、多くの評論家・文化人・新聞の論説委員などが三島事件について発言しておりますが、…これらはいずれも取り上げる価値はありません。
06-04 22:10⑧その中にあって、『毎日新聞』に掲載された司馬遼太郎氏の『異常な三島事件に接して』という一文は、逆にこの事件によって触発されて、日本教徒の本心、すなわちその「考え方の型」を思わず率直に語ってしまったという点で、実に貴重な一文であると思います。
06-04 23:10