1989年というのは、極めて象徴的な年です。
我が国では、1月7日に裕仁天皇が崩御し激動の時代「昭和」が終わりました。その後を追うように手塚治虫や美空ひばりなどが亡くなり、バブル景気に沸いた大納会の日経平均株価では3万8957円という史上最高値を記録。
世界では東欧革命が吹き荒れます。11月にベルリンの壁が崩壊し次々と民主化され、12月にはマルタ会談によって冷戦の終結が宣言されます。
東ドイツが西に戻るのは1990年でソ連が崩壊するのは1991年ですが、事実上この時にはもう巨大な共産社会主義国は終わっていたのです。
ひとつの例外を除いては。
六四天安門事件
唯一の例外は、当然ながら中華人民共和国です。
1989年6月4日、天安門事件が発生。
天安門「革命」とならなかったので、「事件」なのです。
自分はこの事件を知って以来、特別強い関心を抱いてきました。
なぜか?
それはこの事件があまりに劇的で、かつ現代にも影響を強く及ぼしているからです。
事件の顛末を要約してみましょう。
胡耀邦の死
ソ連ゴルバチョフ書記長のペレストロイカなど共産圏で起こっていた様々な背景要因がありますが、この事件の直接の引き金となったのは胡耀邦の死です。
中国共産党党首でもあった胡耀邦は民主化を視野に入れたリベラル路線を取りましたが、鄧小平はじめ保守派(長老派)からは反感を買い、失脚させられます。一方で民主化を求める国民からの人気は高かった。
そして1989年の4月に亡くなり、その追悼のため学生を中心に人々が天安門広場に集まります。それがそのまま民主化を求めるデモと化しました。
その数、10万人越え。日を追うごとに増えてゆき、世界最大の広場である天安門前は人数で埋め尽くされます。
5月にゴルバチョフが訪中した後も、落ち着くどころか活発化してゆく。鄧小平はデモの中止を求めるよう、戒厳令を布告します。それでも止まらない。
世界各国のマスコミも現地に集い出します。中国共産党は報道管制を敷きますが、CNN始め有力メディアはリアルタイムで報道し、西側諸国からは支援の声が上がり始めます。
ですが6月に入り、政府の臨界点が突破します。
各地の人民解放軍が北京に集結したのです。
そして6月3日の夜中から4日にかけて、武力弾圧を開始。
戦車と銃弾が、広場に集う学生や市民に向けて無差別に投入された訳です。2ヶ月に及ぶデモは、この1日であっという間に収束させられました。
なのでこの1連の出来事を、六四天安門事件と呼びます。
無名の反逆者
先にこの事件があまりに劇的だと書きましたが、報道管制敷かれる中、メディアが報道した写真や動画がそれを助長します。事件の動画を目にすると、映画以上に映画だと思ってしまうほど。
この事件を最も象徴するのは、戦車の行く手を遮る男、通称「無名の反逆者(Tank Man)」でしょう。
この無名の反逆者の写真はいくつかありますが、有名なのは以下の2つ。
AP通信によるジェフ・ワイドナー撮影のもの。
マグナム・フォトのスチュアート・フランクリンによるもの。
近年発見されたのがこちら。地上から別角度で、逃げ惑う市民が印象的です。
映像ではCNNやBBCなどによって撮影され配信されました。
無名とだけあって、未だこの男の正体は不明です。というか、撤退する戦車を止めようとしたり、両手に持っている袋は何なのかと全てが謎。
生存確認には色んな説がありますが、自分はすぐさま消されたと思います。亡命し身元を明かして民主化運動などをしたら、とてつもない影響力を及ぼす可能性が高いからです。
死傷者はどれぐらいか?
こちらも正確な数が把握されておらず未だ謎ですが、数千〜数万人というのが通説です。中国の発表では「事故で300人ぐらい死んだ」ということになっています。が、その程度では済まないのは確かです。天安門広場は50万人も収容できて、実際それぐらいの数が集まり、それを真夜中に無差別発泡し戦車で轢き殺したんだから。
近年は、事件に関わった元人民解放軍の兵士が懺悔の声明を出す者も出てきたりしているようですが、真相はまだまだ闇の中。
デモ指導者・参加者たちのその後
亡命している者もいれば、中国国内で投獄されている者もいます。
2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波が中でも有名でしょう。
学生指導者では王丹やウーアルカイシ、劉剛などが代表格です。彼らは事件当時、北京大学や北京師範大学の学生でした。両親は官僚や学者などで、生粋のエリート達。
いつの時代も血気盛んな若者が反逆を起こすものですが、この場合も然りです。
事件後、リーダーたる彼らは西側に亡命しその後ハーバード大やコロンビア大などで博士号を取っています。時折来日して講演などもしているようですが、キャピタリズムの中心地での生活が身体に反映されていて、複雑だったりします。
黒歴史であり成功体験でもある
この非人道的な武力弾圧によって、中国は国際社会から徹底的に批判されます。同じ共産国からも非難の声が上がり、西側諸国は経済外交制裁を決行。今でこそGDP第2位の国となりましたが、その頃は困窮も良い所だったので相当な大打撃を受けます。
周知の通り現在中国国内では、天安門事件自体が無かったことにされています。つまり黒歴史化されている。ネットで検索出来ないというのは有名な話で、6月4日が近づくとGoogleやWikipediaなどに接続規制が行われています。
一方で、「成功体験」でもあったという見方も出来ます。
なぜなら、このおかげで一党独裁体制すなわち中華人民共和国という「国家」を維持することが出来たから。
この事件を機に、中共は方向転換を図ります。
まず国民の鬱憤を内側ではなく外に向けることに力を入れます。対象は大日本帝国が都合が良い。なので現在の中国における反日感情は、この事件に起因するといえます。
そして景気を徹底的に向上させる。
まさにパンとサーカス。
天安門を知れば全てに繋がる
地獄門広場と化した天安門事件から今日で26年経ちます。
激動の年1989年を皆さんはどう過ごされたでしょうか。残念ながら自分はこの世にまだ存在して居ませんでした。ですが、冒頭にも書いたように、1989年を知れば世の中が見えてきます。
昨年(2014年)、香港で大規模デモが起こり第2の天安門となるかと危惧されましたが、結局収束しました。自分は「このデモの参加者達のどれぐらいが天安門事件について知っているのだろう」と度々思いました。
というのも、中国本土は当然として、日本国内でもこの事件を知る若者が少ないと感じるからです。下手したら60年代の学生運動すら知らないのも居るでしょう。
自分も勉強中の身なので偉そうなことは言えませんが、革命や大々的な運動などについては重点的に学んでおくべきです。「ペンは剣よりも強し」という言葉がありますが、現実では武力には何も勝てないというのを知るでしょう。それを知った上で、なおペン(=知)で対抗する術を身に付けなくてはならない。
日本人にとって天安門事件を知るのは、最も身近な超大国「中国」を考察する素材として最適です。(ただし、ネットなどで調べると超残虐な画像や映像がバンバン出て来るので、ものすごく注意してください。自分もトラウマとなり眠れなかった経験があります)。
また天安門を知ったからといって、簡単に反中反共感情を抱くのは愚の骨頂です。
情に踊らされるでなく、もっと掘り下げてみましょう。民衆と国家、私と公、革命と弾圧、知と武力など深い問題と直結するはずです。
天安門事件から「08憲章」へ 〔中国民主化のための闘いと希望〕
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