およそ1年前、韓国人は旅客船セウォル号の惨事で「悪魔」を目の当たりにした。意識できなかっただけで、自分たちの傍らにずっと存在していた無能と安逸、利己主義、貪欲などが、恐るべき悪魔の姿となって現れたのだ。セウォル号の船長は下着姿で真っ先に逃亡し、乗組員も「自分さえ助かれば」と逃げ出した。この人々には、そもそも「まず乗客を助けるべき」という考え自体がなかった。韓国政府はうろたえ、危機の瞬間に国を率いるリーダーシップも示されなかった。海洋警察は、数百人の乗客が閉じ込められているにもかかわらず、船内に飛び込んでいかなかった。最終的に、セウォル号の沈没を手をこまねいて見守るだけだった。
セウォル号は、違法行為と手抜きに満ちていた。日本から古い船を入手して違法な増築を行い、日頃から過積載をやっていたことに加え、貨物の固定もおろそかで、バラスト水も足りなかった。惨事の後にようやく、韓国人は「セウォル号は人を乗せて海を渡ってはならない船だった」ということを知った。セウォル号の惨事がなかったら、韓国人は今でも特に疑うことなくセウォル号のような船に乗り、どうせ事故が起きても国が助けてくれるという信用もそのままだったことだろう。セウォル号の惨事は、まさに国と社会に対する最も基本的な信用を揺さぶった。
現在、セウォル号の惨事からおよそ400日が過ぎた。傷を完全に癒やすには足りないかもしれないが、壊れた信頼を築き直す第一歩を踏み出すには十分な時間だ。ところが韓国は、セウォル号が沈んだところを、いまだにぐるぐる回っている。セウォル号の惨事の後も、16人が命を落とした地下鉄通気口崩落事故をはじめ、大小の事故が絶えない。そのたびに、セウォル号の惨事で目の当たりにした悪魔の影が見え隠れする。いずれ問題になることは避けられないにもかかわらず、幸運に頼ってどうにかしのいできた、胸のふさがるような、落ち着きなく恥ずべき韓国人の素顔だ。