にわかには信じられなかったというのが実情だった。まさか美智子さまの妹の嫁いだ先が水俣病に認定され、係争していただなんて。。。
そんなこんなで・・・・
ここ数年の間に美智子皇后に対する見方が変わりつつある。
それとも、もっと以前になるだろうか…吹上御所が老朽化し、そこには住めないと言い出したあたりからだったろうか…
何かこう、今まで薄いベールが一枚かかり、目を覆っていたものが外されたような
見えなかった景色がクリアになったような…
過去、民間初の皇太子妃として、未知数な皇室におき、懸命に務めを果たされ、
何をされるにも、努力を惜しまないその姿に感銘を受けて来たことに、少なからず
尊さを感じていたからなのか。。。
それとも、こういう事態を見るにつけ、やはり民間から妃を娶るリスクの大きさがこういうことなのか…
美智子さまの美しい美貌につい見惚れ煙に巻かれてしまっていたのか…
今でもよくわかりませんが…大きく報道されない理由が皇后という大きな壁となっているせい?
両陛下がもし、この事態を踏まえたりし、雅子さんを放し飼いにしている「一つ」だと考えることもできる気がする。
御歳を重ねられ何かが大きく変わりつつあるのかなと感じずにはいられないのです…
こういってはなんですが、雅子さんが入内出来たのは、この公害訴訟が少なからず
後押しになったのではないかとの見方も出来なくはない。
安西恵美子夫人の夫、、安西孝之は東京都出身の実業家であり、安西正夫と満江夫妻の長男として生まれた。父の正夫は元昭和電工の社長。
恵美子夫人の夫、孝之氏とその父、安西正夫氏が社長就任していた1965年に第二水俣病に確認されている。以前、このことを書きかけたのだが・・・やはり皇后美智子さまの影の部分も記しておいたほうが良いのかなと・・・
下記の配信記事は今から五年も前に知っていたことですが、つい先だって、裁判のジャッジは非情にも、、原告側の請求は棄却されました。
美智子皇后の妹であり正田家の次女、恵美子さんが嫁した、安西家の父とその息子、が社長就任し君臨していた会社、昭和電工の公害訴訟の顛末である。、恵美子と孝之との間に生まれた子どもたち
とは皇后美智子さまを含め、お子様達や孫など忌まわしい血の閨閥が出来ているという事実。
民とともに歩むという両陛下、そして美智子さまの美しく勇気あるお言葉は…、詭弁にすぎなかったのか…
●安西正夫の略歴(長男孝之の父・美智子皇后の妹・恵美子の義父、)
正夫の妻・満江は、政治家・森 矗昶の娘であり、前・昭和電工代表取締役社長である。
1953年 - 昭和電工取締役を兼ね、専務に就任
1959年 - 昭和電工社長、横浜化学会長に就任
●安西孝之の略歴(美智子皇后の妹、安西恵美子の夫)
1956年:慶應義塾大学法学部を卒業し、昭和電工に入社。
1984年:昭和電工株式会社取締役に就任する。
1988年:昭和電工株式会社常務取締役に就任。
1991年4月:財団法人日本体育協会監事に就任。
1993年:昭和電工株式会社専務取締役に就任。
1995年3月:昭和電工株式会社専務取締役を退任
※参考資料 ザ・プリンセス・オブ・ミナマタ(黒い太陽)
wiki 、他 引用
そんなこんなで・・・・
ここ数年の間に美智子皇后に対する見方が変わりつつある。
それとも、もっと以前になるだろうか…吹上御所が老朽化し、そこには住めないと言い出したあたりからだったろうか…
何かこう、今まで薄いベールが一枚かかり、目を覆っていたものが外されたような
見えなかった景色がクリアになったような…
過去、民間初の皇太子妃として、未知数な皇室におき、懸命に務めを果たされ、
何をされるにも、努力を惜しまないその姿に感銘を受けて来たことに、少なからず
尊さを感じていたからなのか。。。
それとも、こういう事態を見るにつけ、やはり民間から妃を娶るリスクの大きさがこういうことなのか…
美智子さまの美しい美貌につい見惚れ煙に巻かれてしまっていたのか…
今でもよくわかりませんが…大きく報道されない理由が皇后という大きな壁となっているせい?
両陛下がもし、この事態を踏まえたりし、雅子さんを放し飼いにしている「一つ」だと考えることもできる気がする。
御歳を重ねられ何かが大きく変わりつつあるのかなと感じずにはいられないのです…
こういってはなんですが、雅子さんが入内出来たのは、この公害訴訟が少なからず
後押しになったのではないかとの見方も出来なくはない。
安西恵美子夫人の夫、、安西孝之は東京都出身の実業家であり、安西正夫と満江夫妻の長男として生まれた。父の正夫は元昭和電工の社長。
恵美子夫人の夫、孝之氏とその父、安西正夫氏が社長就任していた1965年に第二水俣病に確認されている。以前、このことを書きかけたのだが・・・やはり皇后美智子さまの影の部分も記しておいたほうが良いのかなと・・・
下記の配信記事は今から五年も前に知っていたことですが、つい先だって、裁判のジャッジは非情にも、、原告側の請求は棄却されました。
美智子皇后の妹であり正田家の次女、恵美子さんが嫁した、安西家の父とその息子、が社長就任し君臨していた会社、昭和電工の公害訴訟の顛末である。、恵美子と孝之との間に生まれた子どもたち
とは皇后美智子さまを含め、お子様達や孫など忌まわしい血の閨閥が出来ているという事実。
民とともに歩むという両陛下、そして美智子さまの美しく勇気あるお言葉は…、詭弁にすぎなかったのか…
ザ・プリンセス・オブ・ミナマタ(黒い太陽)より
~中略~
雅子が水俣病加害企業の社長令嬢であることはかなり知られていますが
天皇家には、雅子さんの他にも、水俣病加害企業の関係者がいます。
それは、他でもない、美智子(皇后、日本赤十字社の名誉総裁、旧姓は正田美智子)であります。
美智子の生家である正田家は、水俣病とは全く無関係の日清製粉グループの創業家として世に知られていて、ここだけ見ると、皇后、美智子の周辺から水俣病加害企業の姿は見えませんが、
重要なことは、正田家が日本の上流階級の一画として広い閨閥を有していることにあります。
皇后、美智子の妹の正田恵美子の嫁ぎ先が問題でありました。
正田恵美子の夫の名は、安西孝之(昭和エンジニアリングの社長)と言い、安西家は、新潟県の阿賀野川で第二水俣病を引き起こした、第二水俣病加害企業である昭和電工の経営一族です。
第二水俣病は、1965年に確認された四大公害病 (水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病)の1つで、症状が、熊本県の水俣病と同様であったため、この名称になったのですが、 第二水俣病が発生した1965年に、昭和電工の社長だったのが、安西孝之の父である、すなわち、安西(旧姓正田)恵美子の義父にあたる安西正夫(昭和電工の社長)で、安西正夫は1959年から1971年にかけて昭和電工の社長を務めています。つまり、安西正夫は、江頭豊に匹敵する殺人鬼であることに変わりないということです。
水俣病加害企業であるチッソの社長と第二水俣病加害企業である昭和電工の社長の両方が、
近親者として登場してくる天皇家とはいったい何なのでありましょうか。
2つの水俣病の患者・被害者たちの血と涙の上になりたっているのが、今の天皇家ということになる。
第二水俣病(だいにみなまたびょう)とは、日本の化学工業会社である昭和電工の廃液によって引き起こされた、1965年(昭和40年)に確認された四大公害病のひとつ。
熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、主なものだけで3つの裁判が起こされている。
●係争はいまだ終わっていない。
新潟水俣病:国と県の責任は認めず…3次訴訟判決、
毎日新聞 2015年03月23日 15時17分(最終更新 03月23日 22時33分)
水俣病と診断されながら国の基準では認定されなかった新潟市などの男女11人が国と新潟県、原因企業の昭和電工に1人当たり1200万円の損害賠償などを求めた新潟水俣病3次訴訟で、新潟地裁(大竹優子裁判長)は23日、原告7人を患者と認定し、昭電に1人330万〜440万円(総額2420万円)の支払いを命じた。国と県の賠償責任については「新潟水俣病が確認された1965年以前に、国や県が阿賀野川での被害発生を認識していたとはいえず、工場排水を規制しなかったことが違法とはいえない」として認めなかった。原告は控訴する方針。原告は新潟市や同県阿賀野市に住む40〜80代の男女。多くは祖父母や両親が水俣病認定患者で、子どもの頃に阿賀野川の魚介類を食べて育ち、大人になってから症状が激しくなったとして提訴した。
水俣病の行政責任を巡っては、熊本の水俣病関西訴訟で最高裁が2004年、国と熊本県にはメチル水銀に汚染されたチッソ水俣工場の排水を規制する義務があったとの初判断を示した。この判決を受けて原告は、新潟県の昭電工場がチッソ水俣工場と同種だったことから「56年に熊本の水俣病が確認されて以降は被害を予見でき、排水を規制する義務があった」として07年4月に提訴した
国と県の責任について大竹裁判長は、65年以前に阿賀野川での被害発生を認識していなかった▽アセトアルデヒドの製造工程でメチル水銀が生成されることが裏付けられたのは65年11月▽ごく微量のメチル水銀を含む排水でも魚介類を介することで人体に危険性があることが解明されたのは68年ごろ−−などを理由に、国と県は阿賀野川流域で熊本水俣病と同様の被害発生を認識できなかったと判断した。
水俣病の認定については、「症状が手足末端の感覚障害のみの人も存在する」とし、水銀摂取から40年以上経過後に発症する「遅発性水俣病」の存在も否定できないと指摘。水銀摂取との因果関係の立証では、同居家族に認定患者がいることを重視する見解を示し、7人を患者認定した。既に患者認定されている1人を除く3人については感覚障害を認めたが、同居家族に認定患者がいないなどとして請求を退けた。
新潟水俣病を巡っては、国と昭電を相手取り損害賠償を求めた5次訴訟など2件が係争中。【真野敏幸】
◇国側「控訴は検討せず」
●安西正夫の略歴(長男孝之の父・美智子皇后の妹・恵美子の義父、)
正夫の妻・満江は、政治家・森 矗昶の娘であり、前・昭和電工代表取締役社長である。
1953年 - 昭和電工取締役を兼ね、専務に就任
1959年 - 昭和電工社長、横浜化学会長に就任
●安西孝之の略歴(美智子皇后の妹、安西恵美子の夫)
1956年:慶應義塾大学法学部を卒業し、昭和電工に入社。
1984年:昭和電工株式会社取締役に就任する。
1988年:昭和電工株式会社常務取締役に就任。
1991年4月:財団法人日本体育協会監事に就任。
1993年:昭和電工株式会社専務取締役に就任。
1995年3月:昭和電工株式会社専務取締役を退任
熊本・水俣病 慰霊式で首相謝罪.患者ら「新潟でも謝って」
熊本県水俣市で1日営まれた水俣病犠牲者慰霊式に出席した鳩山首相が、新潟水俣病にも言及して、国の責任を認め謝罪した。首相に公の場での謝罪を求めてきた患者らは一定の評価をしつつ、「私たちの前でも謝ってもらいたい」と首相の来県を要望している。
鳩山首相は慰霊式で、「熊本、鹿児島にとどまらず、新潟で第二の水俣病が引き起こされたことは誠に痛恨の極み」と述べ、「政府を代表し、水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、おわび申し上げます」と謝罪した。
国と原因企業の昭和電工を相手取り、損害賠償などを求める第4次集団訴訟を起こしている「新潟水俣病阿賀野患者会」の山崎昭正会長(68)は、「首相に要望していた点が一部実現されて評価している。和解した場合には新潟に来て、目の前で謝って欲しい」と述べた。
一方、未認定患者らを対象とした水俣病被害者救済法による救済策も、同日始まった。これを受け、昭和電工は「新潟水俣病問題の解決に向け、法にのっとり対応したい。訴訟に関しても解決に向け努力したい」とのコメントを発表した。
(2010年5月2日 読売新聞)
※参考資料 ザ・プリンセス・オブ・ミナマタ(黒い太陽)
wiki 、他 引用
コメント
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おそらく、美智子さまは、バチカンのユノに影響されている。
ユノは今は黒い孔雀。
ウィキ画像で霊的なことがわかる人がみればわかります。
左右上部に、おそらく、黒い天使もいます。たぶん、あくま系の土系天使で、蛾蝶なので、肉の羽をもちます。
ユノは波のように黒のオーラを放っています。
偽りなくみえる方に、確認して聞いてみて下さい。
このような画像は、画像であれ、リアルに具合が悪くなりますから、弱い方はおすすめしません。
家系に偽りを感じる。
天皇家は家系を繋ぐために、公表できないことをしてきているようにならない。それがユノの負のオーラの原因に思います。
偽りなく、事実を公表すべきです。
その偽りは、下の私たちに、負として影響し、実害がでます。
ありがとうございましたm(__)m