「mixiは時代遅れ」は社内で禁句だった–元ミクシィ代表・朝倉氏が企業の再建についてスタンフォード大学で講演
元ミクシィ代表の朝倉祐介氏が、日本のスタートアップや最近のトレンドについてスタンフォード大学で講演しました。「日本でナンバーワンのSNSだったmixiがユーザーを失った原因は何か?」「赤字化が続くミクシィをどのように再建していったか」について朝倉氏が解説します。ミクシィで同氏が経験した、成功した企業に必ず訪れる「成功の逆襲」とは一体?(Stanford Seminarより)
- ログ名
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Stanford Seminar / Yusuke Asakura of Mixi 2015年のログ
- スピーカー
- スタンフォード大学客員研究員(元株式会社ミクシィCEO) 朝倉祐介 氏
元ミクシィ代表・朝倉祐介氏がスタンフォード大学で講演
朝倉祐介氏(以下、朝倉):みなさん、こんにちは。朝倉祐介です。私はスタンフォード大学にあるUSAアジアマネジメントテクノロジーセンターというところで、客員講師をやっています。以前は日本にある株式会社ミクシィでCEOをやっていました。今日はこのように、日本のミクシィで培ったアイディアや経験を共有できる機会を設けていただき本当にありがとうございます。
それでは手短にですが、今日はどういった方が聴きにきているのかお尋ねしますね。学生の方はどのくらいいらっしゃいますか? ……OKです。研究者の方はどのくらいですか? じゃあ投資家の方はいらっしゃいますか? なるほど。では新規事業を考えている方はどのくらいいらっしゃますか? なるほど。ありがとうございます。
では少しだけ私のことについてお話しますね。私は今、オープンイノベーションについて研究しています。他にも多くの起業家たちの相談に乗ったり、時々ですが他会社の新規事業のために少額の投資をしたりしています。先ほどもありましたが、私は以前ミクシィと呼ばれる株式会社でCEOをやっていました。
日本の起業家の多くが直面する問題
今日私がお話したい内容は最近の日本における新規事業のトレンドについてです。このスピーチでお話したい内容は大きく分けて2つあります。
1つは新規上場後の企業について。日本には新規事業を起こす人のほとんどが経験する多くの問題があるんです。ミクシィの事例を紹介しながら話していきます。2つ目はより一般的な話です。日本での最近の新規事業のトレンドについて、今日本でどのようなことが起きているのか。ここでいくつかチャートを出しながら説明していきます。
内容に入っていく前に、簡単になんですけれど私の紹介をさせてください。私は日本で生まれ15歳になるまで日本で過ごしました。そして15歳になってから、私のジョッキーとしてのキャリアが始まりました。私は中学校卒業後ジョッキーになることを決め、オーストラリアにある専門学校に通いました。
ジョッキーになるためには平均して105ポンド(47.627kg)以下に体重を抑えなければならないんです。だから私は体重を減らし、頑張ってそれを維持していたんです。そして1年後、私はどうもジョッキーとしては大きく成長しすぎてしまったようだと気付きました。
(会場笑)
ジョッキー志望からmixiのCEOへ
その後日本へ帰国し、私はホーストレイナーアシスタントとして働きだします。しかし働いている間、なんと私は交通事故に遭ってしまいました。左足の骨を複雑骨折してしまった私はジョッキーになることを諦め、気持ちを改め東京大学に通うことにしました。
そして2006年、私は友達と会社を起こします。モバイルテクノロジーを使ったソーシャルネットサービスの会社です。この会社については後ほど詳しく説明しますね。大学卒業後、私はマッキンゼーにコンサルタントとして就職しました。
そこで私はいくつかのプロジェクトに携わります。3年後、UCLAバークレー校のビジネススクールからオファーがありました。私はそのままバークレー校に行こうと思ったのですが、まさにちょうどその時、前に勤めていた会社からもオファーをもらい、私はどちらかを選ばなければなりませんでした。
私はアントレプレナーシップについて学びたいと思っていたので、大学で学ぶよりも自分のビジネスを選んだ方がよいと思い、前の会社へ戻ることを決めました。
そして2010年、もともと私と友人で作ったその会社に戻ります。「ネイキッドテクノロジー」という会社です。変な名前ですよね。
(会場笑)
元はモバイルテクノロジーの会社だったのですが、ビジネスの中心はフィーチャーフォンのミドルウェア開発に移行していきました。フィーチャーフォンはわかりますか? フィーチャーフォンは、スマートフォン以前の携帯電話のことです。
多分ほとんどの皆さんがスマートフォンを使う前に使ったことがあると思います。当時、アプリケーションを発展させる必要があったんです。でもそうしようとすると、それぞれのメーカーのデバイスで別々にアプリケーションを作らないといけませんでした。
そこで私たちはミドルウェアを開発し、1つのアプリケーションをあらゆるデバイスに使えるようにしたんです。こうしてこの技術により、例えばフィチャーフォン用のtwitterアプリといったオリジナルのアプリを開発しました。
ネイキッドテクノロジーに戻ってすぐ、私はその会社で1年間CEOとして運営を行っていたのですが、会社を売らなければならない状況になってしまいました。交渉を始め、いろいろと買収先の候補が出る中、最終的にネイキッドテクノロジーを買収したのが、そうミクシィでした。そこにはもう、色々なヒューマンドラマがあったんです。
本当は話したいんですけれど、今日は残念ながらアントレプレナーシップやイノベーション以外について話す時間がないので控えておきますね。
とにかく、新規事業を起こすときは様々な人の様々な利益を会社の中で考えなければいけないため、多くの私情事を処理しないといけないんです。きっと皆さんもわかるように、色々なことに悩まされます。
それでも皆を同じ方向に向けないといけないし、皆と同じ利益を共有しないといけません。私の経験から言える事は、起業はすべての問題を解決する鍵にはならないということです。
なにはともあれ、私の会社はミクシィに買収されたわけです。そしてそれは私たちにとって良いことだった。ミクシィに入った後、あらゆる物事が変わりました。ネイキッドテクノロジーは従業員10人ぐらいの会社だったんです。
しかしミクシィは500人以上の正社員と100人から200人のアルバイト従業員からなる会社だった。皆さんもわかる通り全然違うんですね。そして私はそこでディレクターに、ついにはCEOになりました。そしてCEOとして会社の再生運営を任されたんです。私のことはこんな感じです。
新規上場後に待ち受ける落とし穴
ではここで次の話題にいきましょう。新規上場した後、会社の勢いをどう維持していくかについて話していきます。
ここには日本でよくある落とし穴、そして共通する問題が潜んでいるんです。私たちは新規上場後、成長を維持できなかった会社を多く目にしました。また時々、新規上場後の株価や売り上げが急速に落ちている会社もあります。
株式会社として成長を続けなければいけないのに、とても難しい時が度々ある。なぜなら人はもとあるサービスにある種の愛着を持ち、それによって新しいビジネスを発見できないからです。だから会社の成長を維持させることができない。そしてそれは時として、持ち株の株価下落を招くかもしれない。それによって人は日本での新規上場や新規事業に対して懐疑的になる。
これは私たちが取り組むべき非常に重要な問題だと考えています。日本の新規事業全体の構造を考え直さなければなりません。
mixiは日本No.1のSNSになった
それでは少しミクシィについて説明します。ミクシィは1999年に誕生し、2004年にSNSの会社としてサービスを開始しました。ちなみにこの頃、ボストンでFacebookがスタートします。mixiの機能はいたってSNSとしてシンプルなものです。日記やコミュニティ、そして写真共有など。
このサービスは一躍人気になり、2006年、ミクシィの株は東京証券取引場マザーズにその名をつらねました。そしてmixiは日本でNo1のSNSになります。他社はどうにかしてミクシィを止めようとしました。実質的に言うとmixiは日本で唯一のSNSであり、そのサービスはすさまじく良いものでした。
しかし会社としてのビジネスは期待していたほどよくなかったんです。これが新規上場後5年の株価の動きです。
2007年を機に株価はどんどん下がっていきます。2006年、株価はUSドルで20億ドル。そして見てわかる通り翌年株価は急上昇し、その後急落し、徐々に下落していきます。ネイキッドテクノロジーがミクシィに買収されたとき、株価はおよそ4億ドルでした。
そしてこれが2011年からのミクシィの売り上げについてです。私は2011のこの年、ミクシィのCEOになりました。見てもらうとわかるように、2011年から四半期ごとに下落していきます。
さらに私がCEOになった後すぐ、会社は新規上場後初めての赤字になります。それはもう辛い時期でした。正直言うと私はミクシィに買収された時、ミクシィのCEOになるだなんて全く予想だにしていませんでした。
ネイキッドテクノロジーのCEOとして、私はミクシィから去れないよう契約を交わしていたんです。他のファンドがミクシィを去っていく中、年度の終わりの後、私はまだミクシィにいて、ディレクター、そしてCEOになったんです。
私のやることは1つ、ミクシィを再生させること。これまではスタートアップをやっていたわけですが、今度は事業の再生を手がけることになったわけです。
山積みする問題を3つに切り分けた
ではミクシィに何が起こったのかもう少し深くみていきますね。そこには問題が山のようにありました。
そこで私はシンプルに、その問題を3つのカテゴリーに分けてみたんです。1つ目が競合に関する問題。前に話したように、mixiは実質日本で唯一のSNSでした。しかし2009年頃、私たちの前に大きな敵が立ちはだかります。twitterです。
2009年、twitterは日本でとてつもなく人気を博しました。そしてtwitterやFacebookが日本に広まる一方で、2010年、それらの支店が東京に現れます。そして日本でサービスを広めるため精力的に活動を始めました。
実際、2011年の時点でミクシィの顧客はtwitterやFacebookに流れていたんです。そしてさらにマーケット外に大きな入り口ができました。そう、LINEの出現です。LINEとはメッセージアプリで、WhatsAppやWechatのようなものです。
そのサービスは2011年に始まり、日本で大きく広まっていきました。つまり単純な話、私たちの顧客は別のサービスを選んだんです。私たちは顧客を失いました。
スマートフォンへの移行を楽観視していた
2つ目の問題は顧客サイドの問題です。当時、私たちは大きな変化を目の当たりにしていました。フィーチャーフォンからスマートフォンへの移行です。ミクシィはフィーチャーフォンでとても成功しており、スマートフォンに対して極めて楽観的に考えていました。ミクシィの収益の大半はフィーチャーフォンの広告収入だったため、この大変動により多くの収入を失ったのです。
フィーチャーフォンでの広告収入は劇的に少なくなり、時代はスマートフォンでの広告収入へと変化しました。さらにミクシィはスマートフォンでの広告収入に対して、プロダクト面で対応できなかったんです。
そこではグーグルアアドワーズやアドネットワークなどが主流です。ミクシィが売っていたのはバナー広告。報告によれば、日本のスマートフォンでのバナー広告収入高は、2012年で6000万USドル。しかし平均してミクシィはバナー広告で11000万から12000万USドル売り上げています。これは何を意味するのでしょうか。つまり、バナー広告に関してだけ言えば、そのほぼ100%をミクシィが受け取っているんです。
しかしそれでも企業全体の収益をまかなうことはできません。つまりそれだけこの大変動はミクシィの収益に対して、大きなインパクトを与えたのでした。
成功した企業に訪れる「成功の逆襲」
3つ目は会社についての問題です。会社文化についての問題と言っても良いかもしれません。これは私たちが解決しなければならない根本的な問題だと思っています。
ミクシィはとても成功しました。そして成功し過ぎたんです。その成功以降、私たちは非常に官僚的な体制を会社内に作ってしまいました。もちろんここには、ミクシィそのものについて批判をしようとする意図はありません。
私がここで言いたいのは成功した会社について起こることなんです。私たちはこれを「成功の逆襲」と呼びます。私たちは成功から逆襲を受けるんですね。それはもう色々なことが起こります。
例えば現実から逃避しようとします。そして、皆さんもわかると思うのですが、自分たちの提供するサービスが時代遅れだと受け入れることはなかなかできないことなんです。
人は実に創造的に、顧客離れについて説明しようとします。そしてそこには少なからず、自分たちへの慰めが入っているんです。
でも理由は単純なんです。サービスが時代遅れなものになり、顧客は別のサービスを求めた。つまり彼らはミクシィのサービスを使うことに疲れてしまったんですね。それが根本的な理由です。
しかしそれは社内で言ってはいけない言葉になっていました。なぜなら皆、現存のサービスに強い愛着と感傷を持っているんです。互いに責任を押し付けあっていました。
それはもうとても大変でした。でもそういった葛藤や矛盾はずっと存在していたんです。しかし会社が成功しているうちには、そういったことに気付けないんですね。成功に隠れているんです。そして会社に問題が起きたときに初めて、そういった問題が全部吹き上がってくるんです。これは全ての成功している会社に言えることだと思います。
※続きは近日公開