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望月重良インタビュー 第2回

理想は「親会社を持たないビッグクラブ」をつくること

2015/6/3
元Jリーガーの望月重良は、SC相模原をゼロから立ち上げ、わずか6年でJ3参入を果たした。経営の素人だった元選手は、いかにしてクラブを成長させたのか。
第1回:経営素人の元選手が、なぜJクラブを生み出せたのか?
望月重良(写真右)はSC相模原の代表として、経営・強化・PRなどあらゆる活動に奮闘。写真左はガイナーレ鳥取の岡野雅行GM。(写真:SC相模原)

望月重良(写真右)はSC相模原の代表として、経営・強化・PRなどあらゆる活動に奮闘。写真左はガイナーレ鳥取の岡野雅行GM。(写真:SC相模原)

高原直泰を獲得できた理由

──昨季、SC相模原は元日本代表の高原直泰選手を獲得して話題となりました。この移籍はどうやって実現したのですか。

望月:最初は東京ヴェルディ1969からの期限付き移籍でした。今年の1月19日に完全移籍し、今季はキャプテンを託しています。

獲得に関しては常にアンテナを張っていて、どこでどういう選手がどんな状態にいるというのを探っています。高原選手の情報もいろいろと入ってきていました。

──それはどのクラブもやっていると思います。移籍が決まったのは、元代表である望月さんの存在も大きいのでは。

元選手だった僕としては、当時の高原選手の立場や心情がよくわかりました。そこで彼のこれからのサッカー人生と、SC相模原が目指すものがリンクできるという部分をじっくり話し合いました。彼も共感してくれて、本当にタイミングよく、お互いが納得して決まった移籍でした。

元ブラジル代表獲得秘話

──プレーヤーズファーストとはまた違った、常に選手の立場になって考える。それは望月さんの最大の強みだと思います。

僕が選手だった頃に築いたネットワーク、たとえば選手やクラブ、代理人などが今はクラブ経営にフルに生かされています。それとクラブ代表が常に選手目線で考えているのも、他にはない部分かもしれません。

──元ブラジル代表のトロ選手も獲得しました。

これもネットワークを生かして実現しました。こんな選手がブラジルでフリーでいるという情報が入り、映像を見て良い選手だと判断、すぐ契約交渉に入りました。他のチームと違う点は、こういった決断の速さもあると思います。

もしこれが強化部へいって、専務に相談して、社長のはんこをもらって……というプロセスを踏まなければいけないのであれば、今の時代では遅すぎます。直接代理人と会う、本人と会って話し合う、しかもその場で決定できる。今はこのくらいのスピード感がないと難しいかもしれませんね。

われわれのクラブの強みでもあるのは、僕自身が決裁権と決定権を持っていること。もし失敗すれば、クラブの人間から「何をやっているんだ」と言われることになりますが、今までうまくいっているのはこの速さもあると思います。

望月重良(もちづき・しげよし)  1973年静岡県出身。筑波大学卒業後、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団。1997年に日本代表に初選出され、2000年のアジアカップ決勝のサウジアラビア戦でゴールを決めて優勝に貢献した。現役引退の2年後となる2008年、SC相模原を設立してクラブ代表に就任。2014年創立のJ3への参入権を得て、SC相模原は「元Jリーガーがゼロから立ち上げた初のJクラブ」となった。(写真:福田俊介)

望月重良(もちづき・しげよし)
1973年静岡県出身。筑波大学卒業後、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団。1997年に日本代表に初選出され、2000年のアジアカップ決勝のサウジアラビア戦でゴールを決めて優勝に貢献した。現役引退の2年後となる2008年、SC相模原を設立してクラブ代表に就任。2014年創立のJ3への参入権を得て、SC相模原は「元Jリーガーがゼロから立ち上げた初のJクラブ」となった。(写真:福田俊介)

自分で行く、自分で見る、自分から話しかける

──ブラジルへはよく行かれるのですか。

ここ1年は行っていませんが、それまでは毎年行っていました。やはり直接自分が行って、自分の目で見て、本人と話します。自分が理想とするチームづくりのためには絶対に必要な努力です。

移籍に関しては、こんな話があります。県の2部の頃から、助っ人として外国人選手をチームに入れていましたが、その一人にブラジル人のファビオ・アギアールという選手がいました。

彼は関東1部リーグ時代にSC相模原と契約。その翌年にはJ1の横浜F・マリノスへと移籍しました。関東1部の選手が一気に4つのカテゴリーを飛び越えて、J1へ移籍することなど奇跡に近いです。ただ、僕自身はファビオ選手の映像を最初に見た瞬間、ダイヤモンドの原石を発見したような気持ちでした。

彼は彼で、日本で頑張った結果としてマリノスへ移籍。チャンスをモノにして、以前とは比べものにならない年俸を手にしました。ある意味、「ジャパンドリーム」をつかんだのです。僕はこういった例をもっとつくっていきたいんです。

──ファビオ選手は、一昨年のマリノスとマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合でゴールを決めて世界中に配信されましたね。

僕がブラジルから連れて来ましたが、チャンスをつかみ取ったのは選手自身です。

Jリーグのクラブの考え方は、南米やヨーロッパのクラブとは多少違います。ヨーロッパや南米はまずビジネスが最優先。ではビジネスとは何かというと、選手の売り買いも大きな要素です。日本の場合、良い選手を獲ってきて結果を残してくれれば御の字という部分があります。移籍で儲けるという発想はあまりありません。

カズが指摘したヨーロッパ・南米のクラブとの違い

──ただ、その部分はJリーグもJクラブももっと考えていかないと。

昔、カズさん(三浦知良・横浜FC所属)と移籍に関して話をしたときのことです。ブラジルやヨーロッパのクラブは、選手を「商品」と見ていて、その選手にいかに価値を付けて売るかを考えていると。だから、一番年俸の高い選手をベンチに置いておくということはまずない。

日本の場合は、たとえば3000万の選手がいたら1年活躍してくれたらOK。要は減価償却の発想です。海外の場合は、3000万の選手を6000万にするための工夫をする、努力をする。

そういった市場が、日本にはまだまだないというのが現状。ヨーロッパとか南米は、そういうことでチームを動かしている部分があります。カズさんも、そのあたりを指摘していましたね。

──クラブ代表である望月さんはどう考えますか。

当然、地域性も大事です。ただ、ビジネスとしてクラブを経営していくということも真剣に考えていかないといけない。

ファビオ選手だったり、ヴェルディに移籍したウェズレイ選手もそうですが、ビジネスとしておカネが発生することなので、今まで以上にクラブとして移籍の面は考えていきたいです。

理想は「責任企業を持たないビッグクラブ」をつくること

──理想とするクラブ像はどういうものですか。

やはりアジアの舞台に行きたいです。つまりACL(アジアチャンピオンズリーグ)。でも、すぐそういうチームがつくれるかといえば絶対につくれません。やはり年数をかけて、日々の努力や積み重ねで成長していくもの。でも、これからも高い志や理想は持ち続けていきます。

いずれは年間売り上げが50億円に届くようなクラブになるのが理想。しかも、トヨタ、日産、パナソニックなど責任企業を持たないクラブです。確かに理想と現実はめちゃくちゃ離れています。

だからこそ、われわれクラブは日々努力をして、一歩でも前へ進んで、その目標を実現していかなければいけません。理想を持たなければ、そういったビッグクラブが日本には絶対現れません。僕たちはそこを目標にして挑戦を続けているんです。

※本連載は毎週水曜日に掲載予定です。