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露外相が北方領土の「旧敵国条項」発言 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語

THE PAGE 6月3日(水)18時15分配信

 ロシアのラブロフ外相は先月、同国メディアのインタビューに答え、日ロ間の懸案になっている北方領土問題に絡んで「日本は第二次大戦の結果に疑問を付ける唯一の国だ」と述べ、さらに国際連言憲章(国連憲章)の「旧敵国条項」にも触れて戦勝国の行為は神聖で揺るぎない」とも発言しました。日本は反発しています。そこで、そもそも旧敵国条項とは何なのかについて考えてみました。

「旧敵国条項」とは?

 第二次世界大戦は日本やドイツを中心とする「枢軸国」と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連(現在の継承国はロシア)といった「連合国」の間で争われました。戦局が連合国有利に傾いた頃から戦後処理の話し合いが持たれ、日本の敗戦で終結した直後の1945年10月に51か国で発足したのが国連です。つまり戦争当事者の片方だけで設けた組織で、英語表記は「連合国」も「国連」もUnited Nationsです。

 したがって戦時の色彩が憲章にも残っていて、代表的なのが安全保障理事会(安保理)常任理事国の存在と旧敵国条項でしょう。

 旧敵国条項の特色は主に2点あります。国連の原則は戦争禁止。安保理の許可なくして武力行使できません。しかし旧敵国に対しては憲章57条で地域機構(例えば北大西洋条約機構など)が例外的に無許可で行使できます。もう1点は、107条で旧敵国に対する第二次世界大戦終結の際の取り決めが国連憲章に優先するというものです。

 憲章には旧敵国がどこか明記されていません。しかし歴史的な流れから旧敵国は枢軸国側でしょう。1990年の国会答弁で外務省の委員は「具体的には日本ですとかドイツですとかイタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドでございます」と述べています。一方、条項を行使できるのは国連原加盟国とみられます。

ラブロフ外相の意図

 そもそも北方領土が問題となるのは日ロ両方の言い分に弱点があるから。日本側がつらいのは1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)で「千島列島」「を放棄する」と約束した点。日本は北方4島は「千島列島に含まれない」としていますが、ソ連はそもそもサ条約を調印していません。

 また日本は当時日ソ中立条約を結んでいたので、45年8月9日の対日参戦は条約違反とも訴えます。しかしソ連は同年2月のヤルタ協定で参戦の交換条件に「千島列島ハ『ソヴィエト』連邦ニ引渡サルヘシ」と米英首脳と密約しており、有効だと主張します。終戦の日も日本では連合国に降伏するポツダム宣言を前日受諾した旨を昭和天皇が伝えた8月15日としているのに対して、ロシアは2010年7月に、日本の降伏文書調印日である9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」と定めました。9月2日までとなると今の北方領土の多くはソ連軍に占領されています。

 唯一の合意文書といえるのは1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結と引き換えに歯舞、色丹は返却するという規定です。しかし条約はまだ結ばれておらず、日本は宣言にない国後、択捉の返還も訴えています。

 要するに日ロともに決め手を欠くのです。そこで持ち出してきたのが旧敵国条項というわけです。この手法は1989年の日ソ平和条約作業グループ協議でソ連が初めて持ち出してきました。107条から「憲章のいかなる規定も、戦争の結果としてとり、又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」ので「戦争の結果としてと」った北方領土はソ連のものだと。この時、日本はソ連の言い分を違法行為を合法化する難癖と反発しました。と同時に、旧敵国条項がこのように用いられるのは日本が国連入りして久しく、分担金も多く担ってきたのにあまりに不合理だという意見も出たのです。

 ラブロフ発言は、ウクライナ情勢で欧米と足をそろえて経済制裁してきた日本へのあてつけもあるでしょう。グルジア(ジョージア)とウクライナで欧米が認めない国境変更や「独立」を後押ししている以上、極東の領土問題だけベタ下りするわけにもいかないですから。

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最終更新:6月3日(水)18時18分

THE PAGE