2015-06-03

褒めて伸ばす、は間違ってる

祖父が小さいぼくの書いた絵を、全て褒めて全て保存してくれた

上手だね、といわれすぎたせいで

錯覚したけれど

年齢があがるにつれ自分より上手な人間とたくさん出会って

つのまにか自分

褒められる側ではなく褒める側になっていた

違う、僕は褒められたい

人を褒めたいんじゃない

でも目の前の絵かきは自分より上手いということがわかっている

わかってしまったら、嘘をついてまで、貶すことはできない

最初から、絵を書きたくて書いてたんじゃない

思い出せる一番古い記憶の時点でもう、

褒められるのが嬉しくてやってたんだと

ついさっき突然気付いた

から

絵が上手い、あなたの絵が好き、と賞賛されている人を見ると無条件で憎しみをおぼえる

褒められることが目的なので

より褒められている人に似せて書くことで

ぼくのほしい結果が得られるんじゃないかと思っては

信念もこだわりもなにもない絵を量産する。

模写の訓練のようなものなので、地味に地味に上手くはなる。

けれど、

自分にはこれしかないと決めるまでもなく確信し、とことん突っ走っている人にはかなわない

エネルギーが違う

なにより彼らは書くことが手段じゃなくて目的から

幸せそうで、羨ましくて、これもまた憎しみを覚える

そんなに夢中でかける状態に一度でもいいからなってみたい

人の評価なんて気にしなくなりたい

この羨ましい気持ちについて

ある日、リアル相談したら

成功しているように見える人ほど、

幸せなふりに一生懸命で、実はとんでもない不幸な経験をしているんだ

お前のほうがずっと恵まれてる

羨む必要がそもそもない

と教えられた

確かに、高校商業デビューをした彼女なんかは

小さい時に両親に先立たれて家族に憧れながら絵で食いつないでたというし

読者モデルをしながら私設ファンクラブまであった彼なんかは

拒食症害で結局商業デビュー後は連載もままならず、信頼を失い、活動を休止していた

羨ましくなんか無い

羨ましくなんか無い

最近は新しい羨望の対象をみつけても

そのむこうにありったけの不幸を想像して気持ちをなだめてる

何やってるんだろう。

なんで祖父はぼくのことなんて褒めたんだろう

その時は嬉しかった

でも嬉しくない期間のほうが、ずっと長い

ストイック努力をしたこともある

確かに上達した

けれど、後から始めた人間

同じ努力もせず、持ち前の才能であっという間に追い抜いていった

努力無意味なら諦めもつくのに

確実に進むことは進む、でもあまりにもささやかすぎる

人の何十倍も結果につながるまでかかるようで

人生が有限であとからあとから追い抜かれることを思うと

相対的に一生望んだところには行けない気がする

10年ほど絵を書くことをやめたこともある

やめたら執着ごとなくなるかと思った

どうでもよくなる、という感情になることを願ってみた

でもだめだった、結局また書いて、人に見せてしまった

pixivができたときも恐ろしかった

当たり前に書いたものに点数がつけられるもの流行ったら

自分精神はもたないと思った

なのに、投稿しては中途半端評価をもらい、思った結果が得られず削除の繰り返しだ

今日も、身内にだけお情けですごいすごいと言ってもらえるための絵を書く

そいつらは同じ口で、本気の賞賛を、あの作家やあの作家に捧げてる

その温度差くらいわかる

から言われるほど悲しくなる

でもやめられない

書きたいもの別にない

でも、このタイミングでこのテーマならたくさん褒められそうだと思うと手が動く

褒められたい

やめられない

つらい

世界中ニュースになるような

大人と遜色ない結果を出している子供はいいが

子供の割に」ダンスが上手い、絵が上手い、楽器が上手い、を無闇に褒めてると

こういう人間が生まれる可能性が高い

世の中のお母さんお父さんおじいさんおばあさん

覚えておいてくれ

惨めで辛くて終わりがなくて

しか自分の悩みがどれだけくだらないかも自覚しながら

そんな気持ち、我が子に味あわせたくないだろ

ごくふつう承認欲求なら誤魔化す方法も腐るほどあるだろうが

体の外にだす「作品」を評価される世界

こと才能が絡んで、手を動かすしかなく、しかも1回1回にそれなりの時間がかかるもの

簡単に人生を潰されるなと思う

つらい

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20150603064936

記事への反応(ブックマークコメント)