祖父が小さいぼくの書いた絵を、全て褒めて全て保存してくれた
上手だね、といわれすぎたせいで
錯覚したけれど
褒められる側ではなく褒める側になっていた
違う、僕は褒められたい
人を褒めたいんじゃない
でも目の前の絵かきは自分より上手いということがわかっている
わかってしまったら、嘘をついてまで、貶すことはできない
思い出せる一番古い記憶の時点でもう、
褒められるのが嬉しくてやってたんだと
ついさっき突然気付いた
だから、
絵が上手い、あなたの絵が好き、と賞賛されている人を見ると無条件で憎しみをおぼえる
褒められることが目的なので
より褒められている人に似せて書くことで
ぼくのほしい結果が得られるんじゃないかと思っては
信念もこだわりもなにもない絵を量産する。
模写の訓練のようなものなので、地味に地味に上手くはなる。
けれど、
自分にはこれしかないと決めるまでもなく確信し、とことん突っ走っている人にはかなわない
エネルギーが違う
幸せそうで、羨ましくて、これもまた憎しみを覚える
そんなに夢中でかける状態に一度でもいいからなってみたい
人の評価なんて気にしなくなりたい
この羨ましい気持ちについて
成功しているように見える人ほど、
幸せなふりに一生懸命で、実はとんでもない不幸な経験をしているんだ
お前のほうがずっと恵まれてる
羨む必要がそもそもない
と教えられた
小さい時に両親に先立たれて家族に憧れながら絵で食いつないでたというし
拒食症害で結局商業デビュー後は連載もままならず、信頼を失い、活動を休止していた
羨ましくなんか無い
羨ましくなんか無い
何やってるんだろう。
なんで祖父はぼくのことなんて褒めたんだろう
その時は嬉しかった
でも嬉しくない期間のほうが、ずっと長い
確かに上達した
同じ努力もせず、持ち前の才能であっという間に追い抜いていった
人の何十倍も結果につながるまでかかるようで
相対的に一生望んだところには行けない気がする
10年ほど絵を書くことをやめたこともある
やめたら執着ごとなくなるかと思った
どうでもよくなる、という感情になることを願ってみた
でもだめだった、結局また書いて、人に見せてしまった
なのに、投稿しては中途半端な評価をもらい、思った結果が得られず削除の繰り返しだ
今日も、身内にだけお情けですごいすごいと言ってもらえるための絵を書く
そいつらは同じ口で、本気の賞賛を、あの作家やあの作家に捧げてる
その温度差くらいわかる
だから言われるほど悲しくなる
でもやめられない
でも、このタイミングでこのテーマならたくさん褒められそうだと思うと手が動く
褒められたい
やめられない
つらい
「子供の割に」ダンスが上手い、絵が上手い、楽器が上手い、を無闇に褒めてると
世の中のお母さんお父さんおじいさんおばあさん
覚えておいてくれ
惨めで辛くて終わりがなくて
そんな気持ち、我が子に味あわせたくないだろ
こと才能が絡んで、手を動かすしかなく、しかも1回1回にそれなりの時間がかかるものは
簡単に人生を潰されるなと思う
つらい