とっておきの大切な写真を選ぶというポジティブな気持ちでやると長続きする事ができるんですよ。
今人気急上昇中の戦国大名がいるんです。
有能でありながらハンサム。
注目ですよ!大将!いらっしゃい三平さん。
聞いてよ〜。
どうしました?あのね地元の草野球チームに助っ人として行ったんですよ。
そうしたらなんとそのチーム負けちゃって。
もう最下位になっちゃったの地元のリーグで。
それは悔しいですね〜。
もう野球だけにね…もう弱ったねぇ。
何とかね上りたいんだよね。
分かりますその気持ち。
実はうちのお店もね先月の売り上げこの界わいで最下位になっちゃいまして。
あらまあ〜。
悔しい。
そこで今日はこんなテーマ考えました。
こちら!「最下位からの脱出!」ですよ。
脱出できるんですか?できるんですよ。
そのために今日はですね同じ最下位の気持ちが分かるお仲間お客様をですねお呼びしているんですよ。
(桜井)こんばんは〜。
こんばんは。
ありがとうございます。
桜井さんいらっしゃい。
お待ちしておりました。
こんばんは。
山口で酒蔵をやっております桜井と申します。
よろしくお願いいたします。
今日はこれちょっとお土産に。
ありがとうございます。
酒蔵?という事はですよこのお酒…これ!幻のお酒ですよ。
そうなんですよ今。
でも最下位からの脱出でしょ?はい。
社長は今一番手じゃないですか。
いえいえ。
ほんとにひどい時期をくぐってきた。
そんなひどい時代があったんですか?ありましたよ。
もうほんとに売れなくてですねもう最下位だった時がありますから。
それが今じゃ…。
どうやって?気になりますよね。
今日はですねそんな桜井さんと共に最下位脱出の知恵を探っていきたいと思います。
個性的な武将がきら星のごとく登場した戦国時代。
四国に有能でありながら見目麗しい武将が現れます。
当時の資料には「背が高く色白で物静か『姫若子』と呼ばれた」と記されています。
優男と思いきや元親はとんでもない事を成し遂げます。
元親が生まれたのは土佐国。
急峻な山に囲まれ決して豊かとは言えない土地柄でした。
当時ここでは8つの家が激しい勢力争いを繰り広げていました。
その中で最も弱小最下位にあったのが長宗我部家です。
何しろ祖父の代には居城を失ったほど。
財力もなければ兵力もない。
いつ滅亡してもおかしくないそれが長宗我部家でした。
しかし元親が家督を継ぐや長宗我部家は一変。
まさかの連戦連勝でついには土佐を統一。
やがて四国全体を制覇してしまったのです。
土佐最下位の家が四国のトップに。
この奇跡の快進撃の裏には弱小だからこその知恵がありました。
今回元親の知恵を読み解くのはこちら。
日本酒好きなら知らぬ人はいないあの酒造メーカーの社長桜井博志さん。
中心部から車で40分。
山の奥に分け入ると…。
桜井さんの本拠地が現れます。
あまりの人気に生産が追いつかず12階建ての酒蔵を建設中です。
純米大吟醸酒の生産量では日本一。
「日本で最も元気な酒蔵」と言われています。
しかし30年前桜井さんが父の後を継いで社長に就任した時会社の業績は最悪でした。
岩国にある4つの酒蔵の中でも最も売り上げが悪いまさに最下位の会社だったのです。
ただでさえワインや焼酎に押され日本酒の消費量が減少していた時代。
地元では過疎が進みマーケットは更に縮小。
販売先を広げる事もできませんでした。
何より当時造っていた酒はあまり品質にこだわったものではなく魅力に欠けていたのです。
売り上げが悪化の一途をたどる中桜井さんは一念発起。
まず品質の向上に取り組み純米大吟醸酒の製造に特化するという方針を打ち出しました。
また酒造りは杜氏という専門職が担うそんな常識を覆しなんと社員による製造を始めます。
職人の勘に頼るのではなく社員が正確なデータに基づいて造る事でより品質を追究できると考えたのです。
その後大市場・東京に注目。
積極的に売り込みます。
次第に人気が高まり今や世界20か国に輸出。
パリやニューヨークの有名店でも置かれるようになりました。
最近では日本を代表する酒として各国の首脳に贈られています。
岩国で最下位だった酒蔵が世界で認められるまでに成長したのです。
どん底から出発した桜井さん。
最下位からはい上がった長宗我部元親の知恵をどう分析するのでしょうか?うちもですね実は居酒屋をやっておりまして気になるお酒ってありますか?じゃあちょっと…その顔。
えっこちらですか?先代だ!そうなんですよ。
これ実はですね私2代目店主でして先代の残したお酒なんですよ。
これを選ぶとはなかなか。
味わって下さいませ。
はい。
ありがとうございます。
それではいただきます。
(テイスティングする音)うん。
おいしいお酒ですね。
今シュルシュルッて音が聞こえたんですが。
舌の上でね空気とね酒をなじませるんですよ。
そうすると分かりやすいんですよ。
これね酒蔵だけかと思ったらワインの人もやるし…。
ソムリエの方も。
それからチョコレート作る方もああやってやりますね。
だから味わうって同じ事なんだろうと思うんですね。
共通してるんですね。
そうそうそうそう。
いや〜舌巻いちゃいましたね。
ハハハ確かにね。
シュルルルッて。
シュルルッと。
桜井さんの最下位時代っていうのは具体的にどんな感じだったんでしょう?例えば売り上げですとか。
後継いだ時に…落ちたんですか?落ちてたんですよ。
だんだんだんだん自社がですね…そういったね非常にね恐怖の数年間。
特に最初の数年間は…でしたね。
そういう時代があったんですね。
まさに背水の陣の勢いだったわけですよね。
そうですね。
長宗我部元親という武将について見ていくんですけれどもご存じでしたか?高知というと山内一豊さんとかあと龍馬とかになってきますけどね。
ちょっと影の薄いようなとこあんのかなって。
違いますよ。
最近がぜん人気が出てきてるんですよ元親は。
そうなんだ。
その元親人気について実は詳しく聞けるお客様を今日お呼びしているんですね。
あっいらっしゃった!
(津野)どうも遅くなりました。
今日も高知から来たもので。
お待ちしておりました。
高知から?高知から来て下さいました。
高知大学教授の津野倫明先生です。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
元親の研究をされているんですよ。
そうなんですか。
高知で元親っていうとやっぱり立派な存在なんですか?土佐の人にとって最もなじみ深い存在の一人ですね。
なぜ最近ここに来て急に人気が高まっているんでしょうか?アニメーションだとかゲームソフトでイケメン武将として描かれた事がきっかけで全国的にも知名度は高まってます。
何でもイケメンでしかも兄貴キャラだそうですよ。
そういう心強い方欲しいですよね。
そうなんですよ。
じゃもう少し詳しく元親について見て頂こうと思います。
もっと近くにね。
はい。
戦国時代土佐には国司である一条家の下7つの豪族がしのぎを削っていました。
津野大平吉良本山香宗我部安芸そして長宗我部。
彼らは「土佐七雄」と呼ばれていました。
中でも長宗我部家は最も弱小。
兵力も財力も乏しいまさに最下位の一族でした。
元親の祖父の時代には七雄の一つ本山家によって滅亡寸前まで追い込まれています。
この戦いで祖父は自害家臣の多くが討ち死に。
本拠地の城も奪われてしまいました。
元親の父国親は家臣の一人によって助け出され国司一条家の庇護の下育ちます。
その後国親は一条家の仲介で何とか城を返してもらいました。
しかしいつ滅亡してもおかしくないそれが長宗我部だったのです。
天文8年そんな家の跡取り息子として皆の期待を背負って生まれたのが元親です。
あの織田信長や徳川家康などと同じ世代です。
小さい頃の元親は色白で女の子のようにおとなしくついたあだ名は「姫若子」。
実際彼は武芸より学問を好む若者でした。
家臣たちの不安は募ります。
そんな家臣たちを驚かせたのが22歳で迎えた初陣の時。
相手はかつて長宗我部を追い詰めたライバル本山家です。
戦いに臨むや元親は意外な姿を見せます。
そして…。
…と家臣にげきを飛ばし敵陣に突き進んだのです。
更に元親は類いまれな知力も見せつけます。
ある城を攻撃するか家臣と議論になった時の事。
家臣たちはこう言います。
「旗が多く掲げられている」。
しかし元親は「旗は少しも動いていないし鳥も騒いでいない。
旗は見せかけで…」。
その意見に従い城に踏み込んでみると確かに敵兵はどこにもいません。
元親の指摘どおりでした。
日々読書にいそしんでいた元親。
「孫子」など古今東西の戦いの知識が頭に入っていたのです。
元親の活躍ぶりに家臣たちの士気も上がります。
この戦いで元親は本山家を敗戦に追い込みました。
土佐で最下位だった長宗我部家快進撃の始まりでした。
さあさあ今日は土佐の気分を味わって頂こうと。
高知といえばこちら。
皿鉢料理をご用意いたしました!豪華な宴会料理ですよ。
海の幸山の幸が盛りだくさん。
彩り豊かですよね。
そうなんですよね。
皆さんどうぞどうぞどうぞ。
ではいただきます。
いただきます。
さあ召し上がって下さい。
いやおいしい!うん!白身の感じがとてもいい。
土佐の人はとにかくにぎやかに飲むのが好きですからこうして料理を豪華に用意してお客様にごちそうするんです。
元親にもそういった土佐人の気質があったようで後年の事になるんですが豊臣秀吉を招いて豪勢な料理をふるまった。
そういった記録も残ってます。
これだけ豪華で幸が豊富というふうにこう受け取ると豊かな土地のね…。
そう思いますよね。
確かに海に囲まれてるんでこういった海の幸には恵まれてるんですが急峻な山が。
経済的にも…領主たちは領民を何とか豊かにしたいそんなふうに考えていたんじゃないかと思います。
最下位っていいますかどん底だった時一歩踏み出す知恵例えば桜井さんどんな事が浮かび上がりますか?やっぱりやってみてねそれからうまい事いけばいいしうまい事いかなかったらそれで撤退してまた他の事やりゃいいわけでしょ。
例えば最初は安いお酒を紙のパックに詰めて売ってみたりとかねやってみたりするわけですけどもそれでもやっぱそうするとあの潰れそうな酒蔵が新製品出したのかとかね。
やっぱ市場からちょっと返ってくるわけですよね。
市場の見方が変わってくるんですか?変わってきます。
ものすごく大きな成功してる業態だったらやってもやっても変化って見えませんね。
これは経営者としたらね結構やる気が出てきますよね。
じゃ元親はその最下位状態からどう脱出したのか?その知恵を続いては味わって頂こうと思います。
永禄6年土佐七雄の一つ安芸家の軍勢が突如元親の居城を襲いました。
攻め来る兵の数は5,000余り。
対する元親側はその500しかありませんでした。
その時どこからともなく現れ果敢に応戦する兵士たちがいました。
見れば粗末な甲冑を身につけ刀を振るっています。
長宗我部は彼らの奮戦で奇跡的に勝利を手にしました。
この兵士たちこそ長宗我部の秘密兵器。
その正体とは?実は彼ら地元の農民たちなのです。
少ない兵力しか持っていなかった長宗我部家。
なんと農民の中から武勇に秀でた者を選び兵士としていたのです。
ふだんは田畑で働いている彼ら。
いざ合戦となるや鋤や鍬を刀や槍に持ち替え戦に駆けつけました。
「一領具足」と呼ばれ長宗我部には欠かせぬ戦力でした。
当時他国でも農民を兵として雇う例はありました。
しかし元親は特に彼らを重要視し武士身分の家臣同様に遇しました。
例えば天正10年四国最大の勢力三好家との戦いでの事。
戦の直前元親は会議を開きました。
一方には武士身分の重臣たち。
もう一方には一領具足たちを集めどう攻めるべきか意見を聞きました。
重臣たちは時間をかけ相手の力を弱めてから攻め落とせと主張しました。
対して一領具足たちは即戦即決を進言。
弱まるのを待っていたらこちらがやられてしまう今がチャンスだと。
元親が選んだのは…。
たとえ農民の意見でも元親は自身が納得できる方を選んだのです。
一領具足の進言どおり元親は電光石火の勢いで相手を攻めます。
そして重要な戦を制したのでした。
元親は手柄を立てた農民には常識外れの報酬で報いました。
なんと武士同様土地を与えたのです。
農民に土地。
元親が貴重な土地を分け与えたのには理由がありました。
当時他国の農民兵は臨時で雇われるという形が当たり前。
報酬によって仕える相手は変わりました。
しかしただでさえ兵力の少ない長宗我部にとってそれは致命的。
元親は農民に土地を与える事で常に長宗我部家が雇っているという関係を作り出しました。
忠誠心を高め兵士の数を確保したのです。
弱小だからこそ臨時雇用ではなくあえて正社員にするという策でした。
元親と信頼関係を深めた農民たち。
何度も長宗我部の窮地を救います。
戦いに赴く彼らの姿は「死生知らずの武士なり」と評されるほどでした。
弱小を逆手に取った元親の思い切った策。
長宗我部は四国制覇への道を突き進むのです。
いかがでしょうか?三平さん。
いや〜5,000の敵を相手に500で立ち向かって一領具足ですか。
実のところ一領具足についてはよく分からない事が多いんですね。
推測で言いますとふだんは田畑を耕していて刀槍甲冑まあ鎧ですね。
こういったものを田畑に用意しておいていざ戦という事になればそれをパッと身に着けて戦に駆けつけると。
本業の武士ではないんで具足。
先ほど言った甲冑の事ですね。
なるほど。
そういう事ですね。
身分にこだわらないでしかるべき意見なら採用すると。
そういう姿勢が一領具足たちのモチベーションだとか忠誠心っていうものを導き出していったんじゃないかと思います。
他の家の足軽のようには一領具足たちを扱わない。
まあ言ってみれば正社員として遇してたんじゃないかと思います。
重きを置いていたわけですよ。
弱小だからこそ「正社員を増やせ」という元親の知恵について桜井さんはどのようにご覧になりましたか?やっぱ非常に…社員に対してもそれだけの給料を出していく。
そうする事によってみんなのモチベーションを上げる。
これが今ね一番ね少なくとも酒蔵としたらね私は成長パターンだと思ってます。
広告宣伝費とかそういったものにかけていく金があればねそうじゃなしにウエイトをもう少し社員の方にかける方が。
だから広告宣伝なんてうちやってないでしょ。
コマーシャルもないでしょ。
そうだ!民放のコマーシャルないですよね。
口コミですよね。
だからどっちが先かというと…つながってきますね。
実際酒というのは…というのが一般的ですね。
私ら自分で…5人!?たった5人って言ったら失礼ですけど。
いえいえほんとにそうなんですよ。
自分たちと無関係なとこで酒が出来るんじゃなしに……という形をつくる方がやっぱりみんなやる気になるというかね。
少なくとも私どもにとったら今まで成功した経験高いですね。
なるほど。
続いて2つ目の知恵について今度はじっくりと味わって頂こうと思います。
戦国時代戦に勝った者は相手を徹底的に潰すというイメージがありますね。
例えば織田信長による…しかし元親は少々違いました。
元亀2年土佐七雄の一つ津野家に勝利した時。
元親は相手を滅ぼしませんでした。
家の存続を認めたのです。
代わりに自分の…親忠は長じて家督を継ぐと津野家の領地や家臣団そして権限の一切を手に入れます。
長宗我部は親忠を通じて津野領の支配を進めたのです。
もちろん戦になれば津野軍は長宗我部の戦力として参加しました。
この形はまさに現代の企業の吸収合併。
社長は交代させるが組織はそのまま存続させるという手法です。
弱小だった長宗我部家。
たとえ戦に勝っても新しい領地を管理する人材が豊富にはいません。
それなら相手を滅ぼしてしまうよりその人材や人脈を使った方が得。
より円滑に支配する事ができたのです。
他にも元親は弟の親貞を吉良家に。
弟の親泰を香宗我部家に養子に入れました。
更に娘を一条家に妹を本山家に嫁がせます。
こうして長宗我部家は土佐の8つの有力な家のうち5つと姻戚関係を結んだのです。
そして元親が際立っていたのは傘下に入った相手に対する態度。
居丈高に振る舞う事はありませんでした。
こちらは四国をほぼ制覇した元親が伊予の小さな豪族に宛てた書状です。
「馳走」という言葉に「御」の字をつける丁寧な言葉遣い。
「恐々謹言」というのは謹んで申し上げるという結びの言葉。
そんな元親のこまやかな気遣いが見られるのです。
弱小だからこそ敵を増やさず同盟関係を築く。
こうして長宗我部家の支配地域は増えていきます。
そして…土佐最下位だった長宗我部家がついに四国のトップに立ったのでした。
なるほど敵を作らないんですね。
そうですねビックリしました。
もっと勇猛果敢な武将だと思ってたんですけども。
今でいうM&A吸収合併のような事ですけども当時戦乱の世じゃないですか。
敵地に身内を送り込む危険はなかったんですか?戦国時代の武士たちというのは…そういう事なんで吸収合併をされた側の家臣たちも家が存続するならという事で協力してくれるわけです。
そして家を存続発展させていって長宗我部本家を支えていく。
こういう方法が長宗我部元親がとっていた方法という事になります。
「敵を滅ぼすな!」という知恵ですけれどもこれについては桜井さん。
私ら岩国山口県東部のですねあの小さな市場の中で最初はシェア争いやるわけですね。
ものすごくシェア争いってねつらいんですよ。
相手を潰さなきゃいけないでしょ。
相手食わなきゃ自分の売り上げ取れないわけですから。
だから結局私らが今ここにあるのは…東京市場とか。
今でも海外にこう出ていって。
だからそうやってこう新しい市場を作る事によって…。
戦うとね戦って…マーケットを広げていくっていう事が。
そっちの方が絶対有利ですよね。
だから業界全体として活性化していけばそれだけもちろんライバルも増えるわけですけども。
でもいろいろと商売敵が技術を学ぼうと来る事は来るんじゃないですか?それはまあ来られますよ。
もう何から何まで。
ほんとにですか?ええ。
だけどそれはその中でいろいろ情報交換する。
それから私ども困った時にその時助けになるところができればいいですよね。
先生ねその後の元親はどうなっていくんでしょうか?このあと。
元親が四国制覇をしたのはそれほど長くなくて1年ほどなんですね。
秀吉に降伏した後は秀吉の命令であちこちに出陣していくんですね。
ですから…更にそのあとは大坂の陣でも豊臣秀頼について…家が断絶されてしまうわけですけれども実はそのあと意外なエピソードがあったんです。
いや待ってよ!断絶されたらそこで終わりでしょ?いやいやいや続きが実はあったんです。
そこはですね元親ゆかりの地を訪ねる旅でご覧頂こうと思います。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタを探し出す…長宗我部家が取り潰された後土佐には山内一豊が入りました。
江戸時代を通じて山内家が土佐を支配します。
長宗我部家は消滅した?いえ実はさまざまな形でこの地に生き続けているのです。
「知恵泉」特命店員の伊林です。
今日の主人公長宗我部元親がこちら。
平成11年に没後400年を記念して地元の有志の人たちが建立しました。
手に長い槍を持ってかっこいいですよね。
地元の熱い思いによって作られたとは長宗我部家確かに土佐に息づいている!そして今回案内してくれるのは…
こんにちは長宗我部です。
(伊林)長宗我部さん!?
なんと長宗我部家の子孫…
面影があるでしょうか?
今戦国時代でしたら「殿」と呼ばなければいけないですね。
いや元親は殿ですけどね私はそんな大層なものではありませんけれども。
友親さんは元新聞記者。
現在は東京に住んでいます。
高知は久しぶりとの事。
まず訪ねたのは友親さんの事をこんなふうに呼んでいる方
どうも久しぶりです。
東京からおいでになった時にはいつも呼ぶのは…
(林)いまだにうちの殿様ですので。
林さんは「水心流」という舞の継承者
舞には長宗我部家のある教えが表れています
私がずっと覚えてるのは「勝ちは鞘の中にあり」という事で。
力ずくで勝つのではなく知力で勝つ。
それが長宗我部家の家訓です。
舞には刀を抜かず気迫で相手を威圧するという所作があります。
家訓を最も表現している部分だといいます
立った時にただのっと立ったら隙だらけです。
その時にこうしたら…。
ちょっと怖いですね。
怖いでしょう。
これだけでもう殺してるんですよ。
なるほど。
これでもう相手を殺してる。
だから抜いた時はもう勝敗決まってるわけ。
現代にも脈々と伝わる長宗我部家の教え。
では江戸時代一族はどんな暮らしをしていたのでしょうか?
こちらには友親さんが預けた長宗我部家の資料が数多く保管されています
本家元親の血筋は大坂夏の陣で断絶。
その後家は末の弟親房が継ぎました。
現当主友親さんはその子孫です。
しかし「島」という名字になっていますね
「島」でずっときてますね。
親房は長宗我部の家臣だった島家に養子入り。
その後一族は「島」の名で通しました。
島家は幕府に目をつけられていたためあえて土佐藩主山内家に仕えます。
資料館には不思議な文書が残されています。
島家三代目與助が山内家に宛てた書状
父五郎左衛門が大坂夏の陣のあと…
與助自身も16歳の時から47年間仕えている事など山内家との関係が丁寧に記されています。
山内家への恩を常に表さねばならなかったのでしょうか。
しかし彼らの身分は…
相当厳しい生活だったと思いますし忍従の生活が続いたんじゃないかと思います。
そうする事によって長宗我部の血脈を絶やさないようにしていきたいという気持ちが強かったんじゃないでしょうか。
名前を隠さなければならなかった長宗我部一族。
しかし元家臣たちはその存在を忘れませんでした
驚く事に家臣たちは元親亡きあと50年ごとに盛大な法要を執り行っていました。
寺にはその記録帳が残されています
こちらは…
既に武士ではなく職人や商売人など身分を変えている人もいます
一領具足の方で農家におられるような人も参加者。
香典の内容はバラバラです。
こちらはまんじゅう2つの供えもの。
持ってきたのは3人の人物。
3人で2つのまんじゅうです
そんなに豊かな暮らしを…。
してない。
そうですね。
でも心は長宗我部を尊敬して頂いてるという事でしょうね。
うれしい事ですね。
山内家に下級武士として仕えた家臣もいました
幕末彼らの末裔の中には江戸幕府の打倒を目指す…
坂本龍馬岡田以蔵もそんな家系の出身だと言われています。
長宗我部への思いが時を超えて倒幕運動へと向かったのかもしれませんね
最後に訪れたのは桂浜の浦戸城跡。
元親が居城としていた場所です
ここに三層の天守閣が建てられていました
現在地元の人たちによって浦戸城の調査発掘保存を求める活動が始まっています。
日本全国から5,000を超える署名が集まったとか
友親さん皆さんの長宗我部への思いいかがですか?
重いですよそりゃ。
重いけどやっぱり先祖のした仕事に対してねやっぱりちゃんと自分としても自分の位置づけをして生きていかなきゃいけないなというふうに思いましたね。
この地に今も生き続ける長宗我部への思い。
それは元親が生涯を通じて大切にしていた家臣たちとの絆を土佐の人々が忘れなかったからかもしれません
思いがね現代にまで伝わってきてるってひしひしと感じますね。
ついこの間今出てきた浦戸城の保存に関わるシンポジウムに参加したんですが元親に対する実に熱い思いを実感しました。
土佐統一って一口に言うんですけど初陣から数えて15年もかかってるんですね。
こうやって見てくると元親っていうのは今でいういきなりキレたりするようなタイプの人間ではなく…これが最下位からの脱出四国制覇の秘けつって言えるんじゃないかと思います。
さて桜井さん最後にですね今日のテーマここから始まりました。
「最下位からの脱出!」その極意桜井さん。
2番とか3番にいたらできなかったと思うんですね。
その意味でいうととにかく今自分たちを取り巻いてる現状が悪ければ悪いほど状況が悪ければ悪いほど不利であれば不利であるほど成功するチャンスはあると思います。
成功するにはどういうふうに踏み出していけばいいんでしょうか?とにかくがむしゃらに何でもやる。
そうそう。
要はいくらでも世の中って変わっていくという経験ずっとしてきたわけでしょ。
例えば昔だったら東京にお酒を売るのにもね国鉄の5tコンテナか何かで送らないと送れなかったのに今だったらちっちゃな宅配便で10本20本からどこへでも送れるような。
社会の前提条件変わるでしょ。
だからその時の勝ち組がいつまでも勝ち組のままじゃないんですよ。
必ず変わるから。
だから分かった!言葉。
「最下位から」じゃなくて最下位「だ」を入れて下さい。
入れましょう!ねえ。
草野球チーム我が店の売り上げ最下位だからこそ脱出しましょう!そこは頑張んないといけませんね。
頑張っていこう!2015/05/26(火) 12:00〜12:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 最下位からの脱出!「長宗我部元親」[解][字][再]
戦国時代、四国・土佐に有能かつ見目麗しい武将が現れた。長宗我部元親。当時、土佐で最も弱小の家だったが、連戦連勝で四国を制覇してしまう。最下位からトップへの奇跡!
詳細情報
番組内容
テーマは「最下位からの脱出!」。個性的な武将が次々と登場した戦国時代。四国・土佐に見目麗しい武将が現れた。長宗我部元親。史料には「背が高くて色白。物静かで姫若子と呼ばれた」と記されている。当時、長宗我部家は土佐の豪族の中でも最も弱小。しかし、軟弱だと思われていた元親が家督を継ぐや、長宗我部は一変。連戦連勝で、やがて四国を制覇してしまう。そこには最下位だからこその知恵があった!17代目現当主も登場!
出演者
【出演】旭酒造(株)社長…桜井博志,高知大学人文学部教授…津野倫明,落語家…林家三平,【司会】近田雄一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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