あさイチ「もっと沖縄を知りたい!〜アッキー・沖縄旅〜後編」 2015.05.28


みのりと一徹をちゃ応援する。
生字幕放送でお伝えしますおはようございます。
井ノ原⇒5月28日木曜日の「あさイチ」です。
そうだね、あの2人を応援すると決めましたけれども自分のことも誰かに応援してもらわないとね、希ちゃんはね。
有働⇒確かに。
微妙な恋が生まれそう。
昔のあの2人を見ていると応援したくなるね。
事情を知らないで、若すぎるんじゃないのと思っていたけど昔を見ていると応援したくなるね。
ゲストは、光浦靖子さんと玉ちゃんです。
おはようございます。
光浦さんにことしの初めに作ってもらったやつを持ってきました。
さすがイノッチ、いい人だ。
日本で10本の指に入るいい人だよ。
きょうは前に置いておきます。
きょう一緒に進めたいと思います。
きょうは国会中継のため8時55分までの放送です。
きのうに続いてアッキーお願いします。
篠山⇒おはようございますきのうからお伝えする沖縄を知る旅今回行ってきたのは沖縄本島を南北に貫く国道58号線。
地図のオレンジ色の部分はアメリカ軍施設です。
これだけあるということなんですね。
色で見るとよく分かりますね。
そしてきのうは58号線が始まる那覇を出発し普天間基地のある宜野湾市。
そして沖縄戦当時の様子が今も残る場所を巡ってきました。
さらにきょうは北谷町読谷村、そして名護市辺野古へと向かいます。
有働⇒皆さんからのファックスとメールを募集しています。
皆さんの、あなたにとっての沖縄それから沖縄に住んでいる皆さん沖縄のこんなことも知ってほしいということをお寄せください。
今ニュースを見て疑問に思っていることなど何でも結構です。
きのうもたくさんいただきました。
ありがとうございました。
いろいろなご意見です。
群馬県の方からです。
生活の安全性を考えるとなんとかしなくてはと思います。
これは沖縄の基地のことですね。
中国が南下している脅威を考えると米軍に沖縄にいてほしいという思う気持ちもあります。
どうしたらいいのか自分勝手でごめんなさい無人島とかはないのですか。
それから浦添市の方からです。
75%の基地をゼロにしてほしいとは言っていません。
新しい基地は造らないで。
と言っているだけです。
今になって事故を心配しているような口ぶりはしらじらしいです基地の地主などお金をもらう人は一部でも騒音などはみんなが受けています。
お金は地元に落ちるからいいでしょと思わないでください。
お金を受け取らない人のほうが大多数です。
基地反対のテーマ沖縄の米軍基地は抑止力としてなくてはならないもの、沖縄の人々の気持ちを伝えるのは大切なことですが抑止力としての働きもあるということを踏まえたうえで視聴者が公正な判断ができるように番組を作る必要があると思います。
ニュースなどで聞くのは沖縄の人の基地反対の声がほとんどです。
反対だけではない意見は沖縄では表だって言えない雰囲気があるんでしょうか。
本当の声がたくさん聞きたいですと、いただいています。
篠山⇒沖縄本島だけで見ても18%を基地の施設が占めています。
周辺で暮らす人たちのさまざまな声を聞いてきました。
辺りには、似たようなお店が。
その1つを訪ねると。
入り口がどこなんだろう、ここ。
並んでいたのは米軍基地内で使われていた中古の家具なんだそうです。
払い下げ品といいアメリカ軍の関係者だけでなく地元の人たちにも人気があるといいます。
40年以上続く店の2代目伊差川真樹さんです。
小さいころからこうした商いをする父親の姿を見てきましたが基地に対しては、容認できない気持ちもあるといいます。
戦後70年間常に基地と隣り合わせの暮らし。
話を聞いていると、こんなことも。
騒音とともに住民が気にしているのが事故の危険性。
基地の南側にあるキャンパスで11年前に事故があったのを覚えているでしょうか。
2004年米軍のヘリコプターが大学構内に墜落。
夏休み中だったため、奇跡的にけが人は出ませんでした。
しかし住宅街にも機体の一部が落ち住民たちの不安は一気に高まりました。
その事故の現場を案内してもらいました。
大学は、ヘリコプターがぶつかった壁を今も残しています。
現在の学生たちは事故当時は小学生。
そんな皆さんは基地と隣り合う大学に通うことをどう思っているのでしょうか。
しかし、基地の存在をプラスに捉えている面もあるといいます。
一方、長年、基地とともに暮らしてきたお年寄りたちはどう感じているのでしょうか。
戦後70年の間基地返還への期待が高まっては裏切られることを何度も経験してきました。
光浦さん、沖縄もよく行かれるということで、どう思われますか?光浦⇒好きでよく行きます。
そういう側面というか沖縄の人側から考えると基地の在り方は?私みたいな観光客にもやっぱり両方の声が入りますね。
いろいろな人のお話を。
どこかで複雑な思いをして帰ることもありますか?実際騒音のところに住んだことがないじゃないですか。
そうなんですよね。
そうなんですよ。
篠山⇒普天間基地の周辺で聞いていると皆さん、飛行機の騒音や墜落のリスクなどを常に感じていらっしゃるんですがそれと同時にもう慣れた、とか、当たり前というようなことばも多く使われるんです。
県外の人が、僕らなんかから聞くと本当に大丈夫ですかみたいな気持ちも出てしまうんですが沖縄の人と基地との距離感というものを、どう捉えていいのかというのは少し不思議だったんですね。
有働⇒きのうに引き続いて沖縄生まれ沖縄育ちの沖縄放送局の西銘記者です。
その辺りは沖縄の人はどのように?西銘⇒私もそうですがNHK放送局は那覇市にあります。
基地との関わりはないですがオスプレイが配備されたあと飛んでくるんです。
そうすると、当初は窓際にいて飛んでいると、みんな見るんですが、もはや今はそのまま仕事を続けてしまってさらに夜間も10時過ぎまで仕事をしていても飛んでいて、最初は夜は飛んでいいのかなと思って窓に行ったりしましたが今はもはや気にしないで仕事しています、僅かな期間でも私でも慣れてしまってれましてVTRのおばあちゃまとかがおっしゃっている70年近く変わらないという現状があると慣れるというより慣れるしかないという感覚ですかね。
柳澤⇒住んでいる人からするといやおうなし、というか考えてみると結果的に慣れないとやっていけないという気持ちが非常に強いのではないかな。
いやおうなしにね。
対応していくしかないと。
むしろそちらかなという感じです。
有働⇒岡山県の方からです。
きのうの放送に引き続き放送していますが偏りすぎではないですか。
沖縄県民の中でも基地があることに賛成の人はたくさんいます。
祖父母とおじの家族もそうですが基地があることで不便なこともあるけどプラスになることもたくさんあるそうです。
普天間基地関係の仕事をしている人の中には、移設したら死活問題だと思っている人もいて辺野古の移設を反対している人もいます。
米軍とのトラブルのことも言っていましたが米軍によくしてもらった人もたくさんいます。
感情的にならず冷静にこれからのことを考える沖縄の人がたくさんいるということも放送してください。
沖縄県の40代の方です。
確かにニュースでは反対が強いが基地の中で働いて生活している家族もいる基地がなくなったあとその生活はどうなるのかという意見もきています。
西銘さんこれは?西銘⇒まさに賛成の方もいれば反対の方もいるし。
賛成の人の声はあまり出ませんね。
玉ちゃんさん、そのように思いますか。
思いますね反対の人は結構出てプロ市民の人も出ていますよね。
現状、ファックスで来ている、基地の中で働いている人もいます。
基地の外でも基地に関連するお仕事をされている方もたくさんいるんです。
実際に基地の従業員になるため呼び子の中にそういう従業員のテストに受かるためのコースが予備校の中にそういう従業員になるためのコースがありました。
1972年の本土復帰というのは基地の収入というか基地に依存する収入は全体の予算の中の15.5%を占めていました。
それが2010年には5.3%まで下がってきています。
かつて基地がなくなると経済的に困るのではないかというような声もすごく取材で聞きましたがこの20年で限定して考えますと基地がなくなったら、ここでこんなことができるのではないかというようななくなったことを想像しうるような感じに今ちょっときているかなという感じです。
沖縄にはこれまですでに返還されたアメリカ軍施設というものがあります。
そこでは基地に頼らない産業が生まれました。
国道58号線を北へ。
向かったのは宜野湾市の隣にある北谷
(ちゃたん)町です。
町の至る所にハンビーの文字。
いったいハンビーとは何なんでしょう?早速、聞いてみると。
米軍が戦時中に建設したハンビー飛行場。
海兵隊のヘリコプターなどが離着陸していました。
1981年に返還され周辺地域と併せて新たな町づくりが進められてきました。
中でもアメリカをイメージしてつくられた一角は県内外から多くの人が集まる沖縄の新たな名所となっています。
基地跡地が商業施設になったことでの経済効果は年間およそ336億円。
跡地利用の成功例として注目されています。
中には、こんなすてきな場所も。
地元の人たちが集まる人気のスポットです。
こんにちは。
めっちゃいいとこですね。
かっこいいですね!ヘイ!基地で働く彼にこんなことを聞いてみると。
一方、跡地利用が別の形で進められているところもありました。
北谷町から北へ10kmの読谷
(よみたん)村です。
実は僕、4年前に中継でこの場所に来たことがあるんです。
そこは2006年に全面返還された読谷補助飛行場の跡地。
191ヘクタールの敷地を使って農業を中心とした町づくりを進めてきました。
この産直市場が、当時の中継場所。
村の農業のシンボルとなっています。
お久しぶりです!比嘉さん。
中継のときにも出演していただいた店長の比嘉進さんと再会です。
以前、来たときには多くの野菜を地元以外から仕入れていました。
それが今では村で採れたさまざまな野菜が並ぶようになりました。
さらに読谷村が28億円かけてつくったのが、農業支援センター。
かつての基地の地主たちが新たに農業を始めることを支援しています。
失礼します。
土地が返還されてからこれまで130人が基地の跡地で農業を始めています。
センターの研修生が作ったトマトをいただきました。
そんな中、今最も力を入れているのがこちら。
やっぱ暖かいな。
それはマンゴー。
3年目のことし初めて実がつきました。
来年から出荷が始まる予定です。
ようやく返ってきた土地で村の新たな名産品が生まれようとしています。
跡地を使ってあそこかなり広大な敷地でしたよね。
篠山⇒そうなんです。
読谷村の農業というのは始まったばかりの作業ですので当然地元の方の不安というのは大きいと思います。
ですけれども僕が何よりも感じたのは戦争で基地に接収されていた自分たちの土地がようやく返ってきた、そこで自分たちの手で自分たちの村をつくっていくことができる。
歩み始めることができるということの純粋な喜びというようなものをすごく感じました。
有働⇒どうですか?西銘さん取材されていると思いますが。
読谷村の補助飛行場も部分的に返還されて全部が返還されてから今の状態になるまでおよそ19年ぐらいかかっているんです。
跡地利用は10年20年単位で時間がかかるんです。
なぜかというと私の働いている沖縄放送局もそうですが基地の跡地にできています。
小さいころ、いつもフェンスの向こうに、草がぼうぼうと生えていて何でその状態なんでだろうと思っていたら地主の方が、どういうふうに跡地利用したいか、合意形成が難しいんですね、たくさんいらっしゃいますので時間がかかってやっと今、職場になっている。
それ以外にも跡地の中に有害物質があったりします。
地中に埋まっています。
その物質を取り除いて使えるようにする。
整備する時間もかかります。
さらに普天間基地の移設先が決まらないという理由もあります。
篠山⇒話を聞いたときに素直に疑問に思ったことはそもそも沖縄の人の土地返還するときに移設先代替施設条件がついてくるということに少し疑問を持ってしまうところがあります。
柳澤⇒それはアメリカを主語にして考えるとアメリカにとって沖縄というのは昔から太平洋の要。
朝鮮半島、何かあったときにということですよね。
最近は中国の海洋侵出があってにらみをきかせるという意味でアメリカにとっては戦略上重要なところです。
機能を減らすことはできない。
日本の場合は安全保障条約でアメリカと一緒になって修繕のところ、確保するという大きなものがあります。
その構図自体が変わっていないからその中でどこかに持って行ったらほかのところに持っていかざるをえないということの繰り返しになるんです。
その構造を変えるという問題が起きるんですか。
日本だけではなくて周辺のことも考えなければいけない。
沖縄の問題もそうだし、安全保障の話でも国会で今議論してるところなんだよね。
ぱっと見ると多すぎると思うけれどもこれだけないとだめなんだという意見もあるということですか。
これだけないとだめだしもっと減らしてもいいという意見もあります。
その、せめぎあいです。
その中で沖縄もある意味翻弄されているということです。
周りの住民の人たちが振り回されているんじゃないかなというのをこの2日間を通して思いますね。
篠山⇒基地の面積としては徐々に減ってきているというのがありますが代替施設とかできてくると負担という考え方はどうなのかなと思います。
数字上で見ると本土復帰以降基地の面積というのは減ってきています。
柳澤さんがおっしゃったように基地の機能というんでしょうか訓練の頻度とかそういうことに関していうと住んでる側からすると騒音も減っていなし飛行機も飛んでいる。
オスプレイとか今まで那覇市では感じなかったこと。
面積は減っているけれども減ったという実感は、ないかなということがありますね。
篠山⇒普天間基地の移設先としてよくニュースで耳にするのが普天間基地から北東におよそ40kmのところにある名護市辺野古です。
復帰前から米軍施設があるところですが1996年の普天間基地返還合意から19年移設先として揺れ動く辺野古では今、何が起きているのか話を聞いてきました。
向かったのは、辺野古にあるキャンプシュワブのゲート前。
ここにいたのは辺野古沖への基地移設に反対し座り込みをする人たち。
僕が訪れたのは平日の午後でしたが30人ほどが参加していました。
中には道行く車に訴える人の姿も。
もしよろしければ、少しだけお話、伺えないですか?国が普天間基地の移設先としている名護市辺野古のキャンプシュワブの沖合。
ここに滑走路をつくる予定で工事に向けた準備作業が去年7月から行われています。
その建設予定地が見渡せる浜辺へ。
地元の住民たちはどう感じているのか近くの集落で聞いてみることにしました。
失礼します。
こんにちは。
NHKの「あさイチ」っていう番組なんですけど。
長年、さまざまな意見がぶつかってきたためか皆さんの口は、重たいものでした。
ウエルカム辺野古って書いてあります。
辺野古の町がにぎわいを見せていたのはベトナム戦争のころ。
キャンプシュワブに多くの兵士が駐留していたからです。
しかしその後、兵士の数が減少。
店も次々に閉店しかつての活気は失われたままです。
町の行く末に、不安を抱いている人の声を聞くことができました。
町をなんとかするためには新たに基地を受け入れざるをえないという人にも出会いました。
地元の人たちが、小さいころから遊んできた海を前に、その複雑な胸の内を話してくれました。
玉ちゃん⇒難しいね、これ。
そのままにしたら座して死を待つだけというような感じにも見えるじゃない、町がね。
人がいなくなってね。
単純にあんなきれいな海を、というのもね、あるしね。
篠山⇒僕が辺野古に行って感じたのは地元の方々の疲弊感、というんでしょうか。
やっぱり19年間移設先として揺れ動いている。
その中で自分たちが何をやっても伝わらないのではないか、とか周りで反対なのか賛成なのか極端な2択を常に迫られているということで半ば諦めのようなものを感じていらっしゃるのかなという感じも受けました。
西銘⇒アッキーさんがおっしゃったように小さい集落で賛成とか反対とかになるとどうしても隙間が生まれてしまって取材になかなか答えたくないというのが普通かな、と思いますし沖縄の1つの地域にそういう重い課題を突きつけられるのが背負わされている感じがするしもっと言うと、辺野古じゃなければ、どこなんですかとわれわれ沖縄に住んでいる人間に問われるのもすごく違和感を感じますね。
柳澤⇒われわれ考えるときに賛成や反対を人間的に考えるけれどももっと考えてみると賛成だとか反対だとか気持ちの中ではね。
反対なんだけど、やむをえないとかそれが現実のような気がする。
白黒つけろ、と迫ってしまうというのは酷だなという感じが今の辺野古の町を見ていると思いますね。
有働⇒そういう意見です。
ファックス30代の方です。
いとおしいふるさとです。
壮絶な地上戦。
マイナスからの70年。
たくさんのことが積もり積もって今にあります。
賛成反対の二極ではありません。
今やっと皆さんに基地があるということを認知されはじめスタートに立っただけだと思います。
観光などで、お越しの際は一度でいいから基地の前お立ち寄りいただき皆さんにいま一度わが身のこととして考えていただきたいと思いますということです。
沖縄の方からもたくさんいただいています。
40代の方は賛成派がみんな大喜びで移設推進なわけではないです。
悩み抜いたなりの考えがあります。
マスコミは反対派の意見と不安感しか報道しません。
賛成といえば身内からもばり雑言で黙るしかないということです。
30代の方はテレビや騒音では基地反対を大々的に取り上げていますが幼稚園や小学生には外国籍の子もハーフの子どももいます。
私の子どもたちもアメリカ人がいたため友達なのにと心を痛めています。
基地反対意見も先行した放送が多いです。
沖縄の人すべてが反対ではありません。
子どもたちのためにも偏った放送をやめていただきたいといただいています。
抑止力についてことばについて届いています。
「あさイチ」で抑止力と投稿する方がいますが沖縄県にはこれ以上新しい基地をつくらないでほしいと訴えているだけですということです。
石川県の方は抑止力といいますがそういう方は自分の町に基地があってもそう言いますか。
他人の犠牲のうえで自分の安全が成り立っていると考えたことがありますか。
人を、不幸にしてまで安心して暮らしたいと、いうのは苦手ではないですかということです。
福島県の方は去年初めて家族で沖縄に行きました。
きょう紹介された58号線を走りました。
南国の穏やかな風景が続く中基地が見えてきた瞬間何とも言えない違和感を感じました。
原発のある町と同じような感じがしました。
危険だしもろ手をあげて賛成とは言えませんがそれで生活している人たちもいる。
どこに解決があるのか。
何ができるのか。
何をしたらいいのか分かりませんということです。
玉ちゃん⇒賛成も反対もいるということですよね。
いろんな意見がある中で1つだけ言えるのはイノッチさんも冒頭でおっしゃっていましたがあまりにも集中しているのではないかということだけはお伝えしたいというか、分かってほしいです。
今回、僕らが分かったことで、もっともっとそれは分かるべきこと。
いろんな意見を踏まえて番組とかでやらないと考え続けていかなければいけない問題ではあるなと。
柳澤⇒58号線というのは沖縄本島の全長100kmちょっとぐらいあるの。
篠山⇒100km弱です。
柳澤⇒難しいこと考えなくてもいいからちょっと走ってみて歩くのはちょっと大変だけれどもね。
ここをちょっと通ってみるだけで沖縄がどういうところでそこに住んでいる人たちがどういうところでこれまで人生を送ってきたのか理屈抜きで感じることができるという気がするんだよね。
篠山⇒僕は辺野古に行ってみて割り切れない答えに対して周りの人たちがひと事のように賛成や反対という極端な意見を押しつけてそれに極端な言い方をしてしまうというのは押しつけられたほうは、疲弊してしまうんじゃないかなと思いました。
反対という意見だけを持ってアメリカに行っちゃう人もいるわけですからね。
スタンドプレーになってほしくはないですね。
有働⇒皆さんからの意見です。
73歳の主婦の方はけさの篠山さんのリポートで沖縄の住人と基地の関係が実感として感じられました。
私たちと同じようにそこで日々暮らし生きている人が何を臨んでいられるのかが分かりました。
実感がなかったことを申し訳ないです。
毎日にように実感として感じるのは難しいですね。
2015/05/28(木) 08:15〜08:55
NHK総合1・神戸
あさイチ「もっと沖縄を知りたい!〜アッキー・沖縄旅〜後編」[字]

もっと沖縄を知りたい!〜アッキー・沖縄旅〜後編 【ゲスト】光浦靖子、玉ちゃん、篠山輝信 【キャスター】井ノ原快彦、有働由美子、柳澤秀夫

詳細情報
番組内容
もっと沖縄を知りたい!〜アッキー・沖縄旅〜後編 【ゲスト】光浦靖子、玉ちゃん、篠山輝信 【キャスター】井ノ原快彦、有働由美子、柳澤秀夫
出演者
【ゲスト】光浦靖子,玉ちゃん,篠山輝信,【解説】沖縄局記者…西銘むつみ,【キャスター】井ノ原快彦,有働由美子,柳澤秀夫

ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – 健康・医療
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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