どうぞお入り下さい。
「尾木ママ」の愛称で知られる…現在テレビラジオ合わせて9本ものレギュラー番組を持つ人気者です。
忙しい合間を縫って原稿執筆にも余念がありません。
これまでに出した著作はなんと200冊以上。
今も年に7〜8冊というペースで出版しています。
中学教師だった尾木さん。
47歳で教育評論家に転身。
硬派の論客として知られていました。
だって言える訳ないでしょ。
全部評価されるんですよそれが。
昔だったら我々の頃だったらばテストの点数だけだったでしょ。
63歳の時突然「尾木ママ」としてブレイク。
2012年には紅白歌合戦の審査員にも選ばれました。
是非被災地の皆さんと全国の子どもたちに届けたいな。
伝われ〜。
そのトレードマークは胸に輝くブローチ。
集めた数は今や900。
ブローチも羽生結弦くんのブローチ作ったんですよ。
これですよこれ。
そんな尾木さんですが実は人生でさまざまな挫折を体験しています。
高校や大学受験の失敗。
そして思いがけない娘たちの反抗。
数々の挫折を乗り越えて68歳の今があります。
今回は尾木ママの波乱万丈の人生に迫ります。
今日楽しみですね。
楽しみですね。
「大丈夫」って。
「大丈夫」って。
「大丈夫」って言われると安心しますよね。
「オネェ言葉」って言うんですかいわゆるね。
でもちゃんと説得力があって私なんか「あ〜なるほど」って。
一部で言ってたけど昔はほら本格的な硬派の論客ですからね。
教育問題については頑として譲らないというようなね。
どんな方なのかお会いするのが楽しみですね。
それでは早速お呼びしましょう。
教育評論家の尾木直樹さんです。
よろしくお願いします。
どうもどうも来ました。
どうもよろしくね〜。
よろしくお願いします。
今日もかわいいブローチつけてらっしゃるんですけどシャツとすごく色が合ってる。
そんなの常識よ。
あら〜おしゃれ〜。
今日はほら評論家だから鉛筆とそれと僕のシンボルマークのハートと。
今68歳。
団塊ですね同じ団塊。
同じ世代なの?わあ〜親しみ感じる。
63の時ママに?そうそう。
何かきっかけがあったんですか?ママになる…。
もちろんあったんです。
明石家さんまさんのバラエティー番組に初めて呼ばれた時にさんまさんがね番組の中でふざけてね僕の事を何か飲み屋のママみたいな感じのしゃべり方がちょっと柔らかく聞こえたのかな?それで「ママ〜」とか言ってふざけたの。
たった1秒か2秒の事よ。
それで本当に世の中の人みんなママだと思っちゃったの。
どういう事これ?本当にその一瞬でママになった?一瞬で。
それはありえないですよ。
でも結講居心地が良かった?そのママキャラは?むちゃくちゃ居心地がいいの。
だってねみんなね安心感に満ちた表情で寄ってきてくれるんですよ。
そんな忙しい日々を送っている尾木さんですけれどもNHKの番組の収録に密着しました。
ご覧下さい。
朝10時。
おはようございます。
平均睡眠時間が4時間から6時間だという尾木さん。
今日は4月から始まった新番組「ウワサの保護者会」の収録にやってきました。
ファミリーレストランに見立てたセットに保護者たちが集まり親の視点から教育や子育ての悩みを本音で語り合うという番組です。
尾木さんは番組の司会を務めています。
この日は2本を収録。
うち1本は難しいテーマでした。
「どう築く?いい関係子どもの発達障害」。
発達障害とは脳の機能に問題があって…。
…といった症状が出る事です。
普通学級でどう受け入れていくのかが課題となっています。
番組は発達障害のある子を持つ親と周囲の親の両者を呼んでトークする形式になっていました。
衣装選びにも気を遣います。
用意されたのはジャケットとセーターの2種類。
「発達障害」がテーマの回はジャケットを選ぼうとした尾木さんですが…。
発達障害を持つ子の保護者の気持ちを和らげるためセーターを選びました。
続いてトレードマークのブローチ選び。
次はスタッフとの打ち合わせに。
プロデューサーやディレクターが尾木さんを待っていました。
この難しいテーマに尾木さんどう挑むのでしょうか?本番収録前気持ちを高めるためアロマオイルを手に塗りました。
ピッカピカ。
いよいよ収録本番です。
(拍手)よろしくお願いします。
カメラが回り始めました。
雰囲気を和らげたあとはじっと保護者の声に耳を傾けた尾木さん。
親同士の本音に迫り発達障害を巡る問題に一石を投じる事ができました。
「よろしくね〜」とかいういわゆるオネェ言葉がありましたけどああいう形で相手の胸襟を開いてもらうようにする。
その「尾木ママ」というのはそういう面で言うとみんなの気持ちを柔らかくできるものなんですか?やっぱり確実に柔らかくしますよね。
だって何かえたいが知れない人が来るんだもん。
やっぱりママキャラというのは安心感を与えるんですよ。
警戒しないの。
男の方もね何かしっかりしたやつじゃないという感じじゃない。
どう見たってねえ。
だからしっかりしてなくてもみんなが大歓迎してくれるの。
こんな楽なポジションないわよ。
人と接するためのキャラとして尾木ママ?「キャラとして」というかもともとこうだったんですよ僕。
それでNHKの昔の評論家とか大学の教員とか中学の教員として出てる時の方が気取ってたの。
先ほど背広着ながら随分厳しい表情で議論されていましたけどあれは本来の尾木さんじゃない?あれは本来の僕じゃなくてやっぱりそういうテレビ番組で議論する番組なんだからシャンとしてなきゃと思っていいとこ見せてたわけ。
ママとして認識されるようになってからやっぱり何か変わった事って何が変わりました?もうね全面的に変わったような感じがありますね。
ネクタイ締めてきちっとしなきゃいけないみたいな気持ちじゃないでしょ?だから感じたままに発言したり感じたままに文字に直したりとか。
頭をあまり使わないの。
でも自然体でできちゃうという事ですね?自然体というの…心で感じたのを音声に直してるというだけ。
それだけなの。
無理がないの?無理がない。
だからその方がね講演の時なんかもみんながね「分かった」って言ってくれるんですよ。
こういう写真ちょっと拝借してきたんですけども。
あらネイルですね。
これネイルサロンです。
じゃあ指の先もちょっと気を遣われて。
それは人前に出られるからですか?ええ。
これはね人前に出るからというのもあるし何かねテンション上がりません?きれいな爪してる。
きれい。
そうそうそうジェルネイルジェルネイル!私もそうです。
おんなじ。
仲間なの。
足もきれいなのよ実は今日お見せしないけども。
足の爪?足もちゃんとネイルしてます。
そうなんですね。
見えない所に気を遣うのが本当のおしゃれよ。
…とか言ってもう。
ではこうした尾木さんですけれどもそもそもなぜ教師になったんでしょうか?その生い立ちからご覧下さい。
尾木さんは1947年滋賀県伊吹山の麓にある村で生まれました。
父は気象庁の予報官母は小学校の教師でした。
自然を遊び相手に伸び伸びと過ごし勉強もよくできる子でした。
しかし高校受験の直前に急性中耳炎となり受験に失敗してしまいます。
希望していなかった高校に進んだ尾木さん。
まもなく学校に不信感を抱く出来事が起きます。
それは体育教師が行う体罰でした。
跳び箱や体操など教えた事ができない生徒に日常的に蹴りを入れていたのです。
運動神経のよかった尾木さんは体罰を受ける事はありませんでした。
しかし同級生が蹴られるのを見て我慢できなくなり抗議しました。
すると教師は「不満なら授業に出るな」と言ったのです。
それから尾木さんは体育の授業を欠席するようになります。
そのため単位をもらえませんでした。
1年後父親の転勤で香川県の高校に転校した尾木さんは高校1年生を2度やる事になってしまったのです。
落ち込む尾木さんを励ましたのは小学校の教師をしていた母の静枝さんでした。
尾木さんはジャーナリストや哲学者に憧れて早稲田大学第一文学部を受験します。
しかし結果は不合格。
1年間の浪人後も第一文学部には合格できず教育学部に入りました。
とはいえ高校時代の嫌な体験から教師になるつもりは全くありませんでした。
そんな尾木さんが大学4年生になった時また母親のひと言が…。
母の言葉をきっかけに尾木さんは本気で教師を目指し始めます。
しかし希望した都立高校の採用試験にはまたも不合格。
急遽欠員が出た私立男子校の教師となったのです。
当時25歳。
まさしく落第続きの青春でした。
へえ〜中学の急性中耳炎から挫折続き。
そうなの。
でもそのつどいろいろ言葉をね。
お母様が励ましのお言葉を…。
そうなのよ。
今から振り返るとえらい教育ママだったなと思って。
当時は分からなかったの。
「いい教師になるんだと。
それだけ学校で苦労してるから」というようにおっしゃってるんですけどもそれでよく嫌な教師になりましたね?いやいやこれねものすごく僕根詰めて考えてたんですよ。
「何になろうかな」っていろいろね考えてる時に教師にだけはならないというので初めから選択肢になかったんですけどもそしたら母親が「あんた何言ってんの。
あんた一番向いてるのは学校の先生だよ」って言うからえらい失礼な事言うなあと思って。
僕が苦労して学校の先生嫌いなの分かってるのに何でそんな事言うんだろうと思って反発したんですよ一瞬。
そしたら「あんたはそうやって反発するほど嫌な思いをいっぱいして来たから不登校の子の気持ちとか不良になっちゃう子の気持ちとかね勉強できない子の気持ちが分かるそういういい先生になれる」って言ったんですよ。
それはお母様が教師だったって事はあるんでしょうか?教師だったしそれからできない子たちに一生懸命教えてたりそれからいろんなつらい思いしてる子のところにはものすごく手厚いケアをしたりしているというので結構有名だったんですよ。
それからねそれだけじゃなくて僕教育実習に行って教員の資格取る時に大学4年の時の6月だったんですけども中学校に教育実習に行って授業をやったんですよ国語の。
そしたらね面白いんですよ。
子どもたちが食らいついてくるし。
で別れる時には色紙でね涙のお別れがあったりとかね。
あ〜子どもたちってかわいいなと。
学校の先生って意外と面白いじゃないかと思ったの。
さて教師になった尾木さんですけれどもどのような先生だったんでしょうか。
NHKに当時の貴重な映像が残っていました。
ご覧下さい。
校内暴力や非行が大きな社会問題となっていた1982年。
NHKの朝の情報番組では問題に立ち向かう中学教師の姿をシリーズで紹介しました。
その1人として公立中学の教師に転身していた尾木さんが取り上げられたのです。
当時35歳。
番組では尾木さんがクラスで発行していた学級通信に注目しました。
尾木さんは学級通信を毎日時には1日に2度も3度も発行していたのです。
「きのう牛乳ビンが7本もわれる事件があった。
こぼれ出た牛乳をぞうきんでふく人われたビンをはく人足りなくなった牛乳をおばさんのところにもらいに行く人あとかたずけですてに行く人。
当たり前みたいな顔をしてみんな手伝っている。
いいやつが多いクラスだ」。
尾木さんは日々の生徒たちの姿を観察し小さな成長を見つけては学級通信に書きつづりました。
そんな取り組みが次第に生徒たちの心をつかんでいきます。
生徒たちとは自由参加の交換日記もしました。
主に女子生徒が書いてきました。
生徒が書いてきた枚数分だけ必ず書いて返すというのが約束でした。
ある時非行に走っていた女子生徒が悩みや不満を14ページにわたって書いてきました。
尾木さんは明け方までかけて14ページを書いて返したのです。
尾木さんが中学の教師を務めていた1980年代は全国で校内暴力の嵐が吹き荒れ「学校を正常化させるためには体罰も必要だ」。
そんな風潮が学校現場を覆っていました。
「体罰はいけない」という信念を持っていた尾木さんも生徒に手を出してしまった事がありました。
当時NHKのニュース番組の取材に自らの体験をこう語っています。
尾木さんの身長は152センチ。
どんなに体の大きな不良生徒を相手にしてもひるむ事もなく一歩も譲りませんでした。
その武器は「言葉」でした。
不良生徒が問題を起こすたびに尾木さんは必ず「どうしたの?」と尋ねました。
その徹底した態度に不良生徒たちは尾木さんの事を「『どうしたの?』先生」と呼ぶようになりました。
そんな尾木さんに暴力をふるってくる生徒は1人もいませんでした。
順調な教師生活を送っていた尾木さんですが47歳の時転機が訪れます。
勤務先の学校で起きた体罰でした。
練習試合に負けたサッカー部員たちが丸坊主になる事を強制されたのです。
命令したのは尾木さんを慕っていた教師でした。
しかも生徒や保護者からも不満や抗議の声は聞こえてきませんでした。
尾木さんはこの事件をきっかけに22年間の教師生活にピリオドを打ちました。
さっきの番組で登場されて30…?5!30年以上前ですね。
ねえ〜若い。
交換日記も14ページには14ページ書いて返すという…。
これはもう気合でしたね。
「やられた」と思った。
僕生徒には約束してたんですよ3つの。
書いてきた分だけ先生も返すと。
それから学校では読まないし学校では返事を書かないと。
家へ帰って人生の先輩の立場で書くと決めてたの。
どんな事が具体的には書かれてたんですか?かなり問題を抱えた子だったんですよ。
先生の悪口とかねあるいは友達関係から裏切りを受けた事とかそういうやっぱり生きづらさですねその子にとっては。
生きづらいという事が延々と不満のように語られていて「つらいつらい」というような事が繰り返し書かれている訳ですね。
そういう事に対して先生はどういう事を返されるんですか?基本はお説教は一切しない。
人生の先輩だから。
「先生も分かるよ」と。
「先生もそういう経験いっぱいこれまでもしてきたよ」というような共感って言いますかね。
「分かる分かる」という。
受け止めて聞いてあげるというのに徹しました。
そうすると「尾木ちゃん」って僕呼ばれてたんですけど尾木ちゃんが聞いてくれた。
聞いてくれたと思うと彼らは不思議な事に勝手に元気になるんです。
「頑張れよ」と言う必要ないんです。
じゃあその後はその女生徒さんとのつきあいはどんなふうに変化していくんですか?あれ面白いんですけどその日をきっかけにカラッと信頼するようになっちゃって。
いわゆる自分を傷つけるような非行のタイプから脱出しましたね。
あっという間です。
子どもたちの字を読みますよね。
そして返事を書いてるうちにその口調がねオネェ言葉っていうの?女子中学生の言葉でどんどん磨かれていくの。
じゃあその当時からオネェ言葉の練習はしてたんだね?練習というより…になっちゃってたのよ。
女子生徒の影響があったんですね。
大きいの。
そこまで情熱注いだ教師をなぜ辞める事になった?そうなのよね。
何かあんまり説得力ないのよね。
「先生ってすばらしいよ。
やっぱり重要だよ」って。
「えっ先生辞めたんじゃないですか?」って時々言われたの。
そうですよね。
何が起こったんですか?これはねひと言で言うとやっぱり続ける事がねできなくなったんですよ。
それは僕だけの責任というよりも社会状況の変化というのもあってね。
当時僕NHKの番組にたくさん出ていたんですよね。
で1989年という年に国連でですね「子どもの権利条約」というのが批准されて「これからは子どもをこうやって尊重しなきゃいけなくなります」。
「体罰なんかとんでもありません」って弁護士の先生方と一緒にこうやってやってたんですよ。
で自分の学校へ戻ってみたら僕のファンだという先生までが体罰をふるっているという実態に直面してしまってテレビから流れてくる僕の言っている事といる学校の実態がむちゃくちゃかい離してる訳ですよね。
これはね自分にとっては大変な苦痛でした。
一方では荒れる中学校の現実を見るとある一定の体罰はしょうがないやむをえないだろうというような風潮も一方ではありましたよね。
ものすごくありました。
もう「体罰は必要だ」というふうに思われてたの。
だからある教育委員会なんか新任で先生方を採用するでしょ。
その時にねここで言っていいのかな…まあ言っちゃうと「いや〜先生今度は安心して下さいよ。
柔道何段剣道何段の先生を2人採用したから」とか言うんですよ。
子どもたちにとってはそんな強い先生が来たんだからもう思いっきりぶつかれる訳ですよ。
先生の方はじゃあ思いっきり生徒にぶつかれるかといったら勝つに決まってるんだから。
本気でやっちゃったらけがさせたら自分の首が飛ぶ訳でしょ。
だから手加減してやる訳ですよ。
そうすると第1ラウンドは先生が勝つんです。
第2ラウンド引き上げようとする先生の後ろを襲うんです彼らが。
それで大体骨折の事件ですよね。
基本的に体罰というのは日本はね明治の12年に「教育令」というので法律が全部整備されたんですよ。
その第46条に「体罰はこれを加ふべからず」。
きちっと定義されてるんです。
戦争中もずっとです。
だから日本の学校教育の中で一貫して一度も一秒も体罰を許した事ないんですよ。
ところがずっと体罰が吹き荒れてるんですよ。
僕から見ても皆さん生徒が憎くて体罰ふるってる先生なんてほとんどいないです。
みんな愛情は持ってるんですよ。
ただ方法論が間違ってる訳ですよね。
その間違った方法論でひょっとしたら生徒の命を奪う事もあるし一生恨まれる事もあるし。
というのでマイナス要因もいっぱいある訳です。
基本的にやっぱり人権の侵害なんですよ。
だからそこのところではですね先生方の愛情が分かるがゆえに何て言うのかな「絶対いけないよ」とは言い方が難しいんですよ。
法律で禁止されているんだけれども法律論で言って説得はできないんです。
さて教師を辞めた尾木さんは教育評論家として活躍を始めます。
東京・武蔵野市に尾木さんが経営する臨床教育研究所があります。
中学の教師を辞めた尾木さんは教育評論活動の拠点としてこの研究所を立ち上げました。
教育現場で起きているさまざまな問題を調査分析し発表してきました。
あまり知られていない学校の内実や子どもたちの姿をリアルに捉えて社会に伝えていく必要があると考えたのです。
テレビでは一貫して子供の側に立った硬派の論客として活躍しました。
しかし教育評論家の仕事が軌道に乗り始めた50歳の頃家庭で思わぬ事が起こります。
26歳で結婚した尾木さんには2人の娘がいます。
長女は幼い頃から尾木さんの言いつけを守るいい子でした。
ところが…。
大学2年生になったある夜嫌いだと言っていたチョコレートを膨大に買い込み嫌いだったはずのテレビを見ながら食べ始めたのです。
驚く尾木さんに長女は…。
…とボロボロ涙をこぼしたのです。
初めて聞かされた長女の心の叫びでした。
そして次女も中学2年の時消火器の中身が知りたくて学校の廊下にぶちまけるという事件を起こしてしまいました。
大変…。
え〜。
長女の方ね…チョコレート食べてテレビを見る。
あれはどう思われました?あれはね「いい子症候群」って我々専門的には言うんですけれども成績が優秀でデリケートな子ほどそうなんですよ。
論理的に説明しちゃう親の下で生まれると。
だから教師の子も多いんですけれども。
「なるほど」と思う訳ですよ。
お父さんの言ってる事は真っ当だと。
そうするとついてきてしまうんですよね。
それがいつの間にか納得してじゃなくてお父さんがふっと今うれしそうな顔したというのが「それがうれしいから」というのになると自分の心は全く形成されてないの。
だからお母さん方には「気をつけなよ」っていつも言ってたし本なんかに僕何十回何百回書いてるか分かんない。
という事は尾木さんはもういろんなケースを知っていていろんなところで話をしていながら自分の娘については分かんなかったんだ?分かんなかった。
分かんないわ。
やっぱりね親子関係はね盲目ですね。
親バカになっちゃうのよ。
やっぱりね子育てというのは理屈とか理論では分かってるから僕も正しい事全部言いますし本にも書いてるけれどもそれを実際やるとなるとこれはね初めての体験なんですよ。
今だったら振り返っていろんな事また言えるんですけど。
だから子育ては基本ねしくじるものだと思わないといけないと思います。
さて尾木さんは今も大学で教壇に立っていらっしゃいます。
学生たちにどんな事を伝えようとしているんでしょうか。
おはようございます。
いやいやいや雨になっちゃった。
尾木さんは今も現役の教師として教壇に立っています。
2003年から法政大学の教授を務めているのです。
肩書は…教員を目指す学生を支援指導するのが役割です。
この日尾木さんの大学での仕事はゼミの指導から始まりました。
参加しているのはキャリアデザイン学部の3年生と4年生の20人。
そのうち7割の学生が教員を目指しています。
尾木さんは自身が行ってきた臨床教育の研究を学生たちにも指導しています。
アンケートや実地調査で課題を発見させ卒論としてまとめさせるのです。
この日は今年度の研究テーマを何にするのか話し合われました。
昼休み尾木さんのもとを訪ねてきたのは北海道からの修学旅行生。
教育大学付属中学の3年生です。
教員を志望する彼らは憧れの先輩である尾木さんにアドバイスをもらいにやってきたのです。
教員を目指す子どもが減少傾向にある中尾木さんは時間の許すかぎり毎年中学生との対話を引き受けています。
夕方6時半。
この日大学での最後の仕事が始まりました。
新入生を対象にした講演会です。
若者には無限の可能性がある事を訴えました。
尾木さんはこの日10時間にわたって若者たちに熱く語り続けました。
いや〜何か若者たちもねすごいディスカッションして…。
熱心でしたよね。
熱心でしたよね。
中学生の子たちもまっすぐお顔を見て先生のお話聞いておられましたけど。
中学生も大学生もね同じですよね。
やっぱり自分の生き方とかこれからの職業だとかいろんな事に結びついて前向きになった時にそれを探っていきたくなるって言うの?探究心だとか。
そこのところと生き方と結びついた時に子どもたちは学生もぐ〜っと学びが深くなっていく。
先生から若者たちには何を主に伝えたいという?一人一人に価値がある。
自分にしかできない事。
自分だからできる事そういう100人あるいは1万人がみんなそういう生き方ができたらすばらしい国になるなというふうに思います。
逆に尾木さんよくそういうように人間を信頼できますね。
可能性というものを。
これは現に子どもたちが教えてくれたんですよ僕に。
リストカットの痕いっぱいあって長袖のシャツしか着れなかった子がうちのゼミに入ってきてから半袖も着れるようになったとかね。
そういう変化ってのを見てると何か信頼しちゃいますそれは。
大丈夫だ人間というのは。
人間はね。
人間はもう常に発達の可能性の塊だと。
どんなに今全然ダメに見える人とかダメな事をやってる人でも必ず変わるんじゃないかというふうに思いますね。
今日はいろいろとありがとうございました。
ありがとうございました。
さて今日のお茶は何のお茶ですか?今日のお茶は奥久慈茶なんですね。
緑茶ですね。
緑茶です。
お煎茶ですね。
茨城県の奥久慈という茨城県の北部ですよね。
奥久慈一帯で作られるお煎茶なんですけど。
頂きます。
いい色ですよね。
緑の色がちょっとブルーがかってるというか。
ブルーの入ったグリーンですよね鮮やかで。
そうですね。
季節は新緑ですがこれからいよいよ深い緑になっていきますね。
そうですね。
さて続いては視聴者の皆さんからお寄せ頂いたお便りをご紹介します…今日は青森県弘前市にお住まいの長内レイさん。
71歳の方から頂きました。
「私は古くなった無地の着物に刺し子をして現代風にリメイクして楽しんでいます。
刺し子とは布地に糸で幾何学模様などの図柄を刺繍して縫い込む事です」。
すばらしい。
すごいですね。
すばらしい。
「30年前に亡くなった父親の和服を使って刺し子の模様が入った上着帽子鞄を作りました。
45年前に結婚する時に母がウールの丹前を作ってくれたのですが一度も着た事がなく思い切って自分のコートにしました。
外出する時は大抵刺し子の洋服です。
世界で一枚だけのオリジナルに少し優越感も感じています」。
それはそうでしょうね。
優越感感じて下さい。
これはすばらしいですね。
さて「私の団塊スタイル」では皆さんから写真とお便りを募集しています。
趣味や仕事に打ち込んで輝いているという姿を紹介したいと思っております。
皆様からのご投稿お待ちしています。
今日は尾木ママ尾木直樹さんでしたけど。
いいお話がたくさん出てきましたけどいつもの見ている尾木ママのイメージと違う部分が今日はすごく見れました。
自分を受け入れ相手を受け入れそれが人とは違うんだという個性をちゃんと認める事。
それからそれってすごく強さを必要とするんだなって。
尾木ママがいろんな経験をされたからこそあれだけいろんなふうに返せる訳で受け入れる強さが…。
皆さんに「強くなれ」って何となく柔らかく伝えてらしたようなね。
2015/05/29(金) 11:00〜11:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「63歳でママになった!〜尾木直樹(68)〜」[解][字][再]
教育評論家・尾木直樹さん(68歳)。硬派の論客として知られていたが、63歳の時、突然、尾木ママとしてブレイク。そんな尾木さんの素顔の魅力と波乱万丈の人生に迫る。
詳細情報
番組内容
尾木ママの愛称でおなじみの教育評論家・尾木直樹さん(68歳)。47歳の時、中学教師から教育評論家に転身。硬派の論客として知られていたが、63歳の時、突然、尾木ママとしてブレイク。そんな尾木さんも、人生でさまざまな挫折を体験している。高校での留年、大学受験の失敗などなど。親になってからは、思いがけない娘たちの反抗。数々の挫折を乗り越えて、68歳の今を生きる尾木さんの素顔の魅力と波乱万丈の人生に迫る。
出演者
【ゲスト】教育評論家…尾木直樹,【司会】風吹ジュン,国井雅比古,【語り】上村典子
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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