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町村信孝氏死去 余命悟り衆議院議長辞職からわずか1カ月

町村前衆院議長が死去 議長席の町村信孝氏
2014年12月、衆院本会議で議長に選出され、席に着く町村信孝氏
Photo By 共同 

 前衆院議長で、外相や官房長官を歴任した町村信孝(まちむら・のぶたか)氏が1日午後2時15分、脳梗塞のため、東京都内の病院で死去した。70歳。静岡県出身。昨年12月24日招集の特別国会で衆院議長に就任したが今年4月21日に体調不良により議長を辞職し、その後、療養していた。辞職から1カ月での訃報に政界にもショックが広がった。

 町村氏は、昨年12月24日召集の特別国会で衆院議長に就任したが、今年4月16日から体調不良による検査入院として本会議を欠席。同20日に脳梗塞のため入院するとして辞表を提出し、同21日の本会議で許可され、療養していた。議長在任は4カ月弱で、新憲法下で3番目の短さだった。

 5月の大型連休明けに国会内で町村氏を見かけたという自民党関係者によると、1人で立っていられない状態で、両脇を2人の男性に支えられていた。顔色が悪く「一目で具合が良くないことが分かった」と明かした。

 永田町関係者は5月中旬に電話で「お見舞いに行っていいですか」と打診したが「ちょっと待ってほしい」と断られたという。「声の様子は変わらなかったが、4月に議長を辞職した時から“自分はもう長くない”と思っていたようだ」と振り返った。森喜朗元首相も見舞いを断られていた。

 遺体はこの日午後8時頃、東京都目黒区の自宅に戻った。

 町村氏は官僚出身で税財政に詳しく、社会保障と税の一体改革をめぐる民主、自民、公明の3党協議に加わり消費税増税に道筋を付けた。文教族の一人で、伝統文化の尊重を訴える保守派の論客でもあった。議長として「1票の格差」是正に向けた衆院選挙制度改革に取り組んだ。

 通商産業省(現経済産業省)を経て、83年衆院選で初当選し、12回当選。97年に第2次橋本改造内閣で文相として初入閣。2000年の第2次森改造内閣でも文相に就き、その後の省庁再編を受けて01年1月に初代の文部科学相となった。04年に第2次小泉改造内閣で外相、07年に福田内閣で官房長官に就いた。在任中に話題になったのが未確認飛行物体(UFO)論争。政府が「存在を確認していない」とする公式見解を示した一方、町村氏は会見で「個人的には絶対にいると思う」と対立する見方を披露した。

 町村氏の死去に伴い欠員となった北海道5区は、通常なら10月に補欠選を行う。ただ、総務省選挙課によると「1票の格差」訴訟が続いており、公職選挙法で訴訟係属中は補選できないと定められていることから、来年4月以降にずれ込む可能性もある。

 ◆町村 信孝(まちむら・のぶたか)1944年(昭19)10月17日、静岡県生まれ。都立日比谷高ではラグビー部に所属。69年東大卒。06年に森元首相から派閥「清和政策研究会(清和会)」会長を引き継ぐ。12年に自民党総裁選に出馬し、敗北。総裁選中に発症した脳梗塞で療養した後に復帰し、14年12月に衆院議長に選出された。父は自治相や北海道知事を務めた故町村金五氏。

 【経過】

 ▼12年9月18日 自民党総裁選期間中に、体調不良を訴え都内の病院に入院
 ▼11月22日 軽い脳梗塞だったことが判明
 ▼12月27日 退院
 ▼14年12月24日 衆議院議長に就任
 ▼15年4月15日 体調を崩して都内の病院に入院
 ▼同20日 辞表を提出し、議長職を辞任する意思を表明。軽い脳梗塞と診断されたことを明かした
 ▼同21日 町村氏の辞任と、後任に大島理森氏の選出を発表 

[ 2015年6月2日 05:30 ]

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