パトリック。
あなたがいなくなってからもうすぐ一年がたとうとしています。
あの日…収穫の初日に突然あなたはぶどう畑から姿を消した。
私たちを残して。
天国から見ていますか?あなたが残してくれたこの愛すべき畑を今も私たちが守っています。
全ては一年前のあの日から始まった。
これはあなたがいなくなってからの私たちの一年の記録です。
(緊急車両のサイレン)2013年の10月20日あなたは15歳年下の妻と二人の子供を残して逝ってしまいました。
パトリック・ビーズ。
それが16年前私の夫となった人の名前。
ブルゴーニュワインの栄光と伝統を受け継ぐ「ヴィニュロン」の末裔。
「ヴィニュロン」とは畑でぶどうを栽培し自らワインを醸造する人々の事。
誇り高い農民であり哲学を持った醸造家。
同じくワインの造り手を指す「ドメーヌ」の四代目当主というよりは「ヴィニュロン」という呼び方の方があなたにはふさわしい。
私は東京生まれの東京育ち。
日本の大学を卒業してフランスの大手銀行に就職してからもパリにしか住んだ事のない農業とは無縁の女。
だって覚えてる?私があなたに誘われてサヴィニー村に初めてやって来た1997年の収穫の時の事。
いかにも銀行員というスーツとハイヒールで畑に現れみんなをあぜんとさせた事。
その私があなたの二人の子供を産み育て16年の時をかけてヴィニュロンのおかみさんになっていった。
すっかり日に焼けてしまったしヒールの高い靴を履く機会もめっきり少なくなった。
パトリック。
あなたのいないこの一年は私にとって忘れがたい年になりました。
今でも時折おなたが事故に遭ったあの日の事が頭をよぎります。
ヴィニュロンにとって一番大切な収穫の初日の事だった。
(ビーズ・千砂)収穫初日10月4日ナスカを迎えに行ってナスカを乗っけて戻ってくる途中に乗っけたまんま心臓発作を起こして事故になって。
車が横倒しになってその…多分シートベルトしてなかったのね彼はね。
車は大破してたんだけれどもねナスカは奇跡的に無傷で助かってボーヌの病院に搬入されてパトリックはそのまま救急車でディジョンの病院に搬入されました。
とにかく娘を落ち着かせて娘が大丈夫である事を確認してからディジョンに行こうパトリックの方に行こうと思って。
そしたらお医者さんに「非常に深刻な状態です」って言われて。
とりあえずでももう収穫のぶどうも入ってきてるから戻らなきゃいけない。
彼が指揮を執れなくなるって事はどういうふうになるのかなって考えたりだとか。
一年の仕事の集大成収穫がやはり全てですね。
いいぶどうが出来るようにずっと一年間してきてその収穫の時にオーケストラで言えば指揮者がいない。
急にいなくなっちゃったみたいなそういう状態をまとめなきゃいけない。
「奥さん覚悟して下さい」って言われました。
何かっていうと…指先とかが黒くなり始めて体が死に始めました。
先っちょから。
先っちょまで毛細血管の方に血が回らなくて…。
魂じゃなくて体が死に始めたんです。
でも私一人で決める事はできないので妹さん…パトリックの家族妹さんとかに説明をしてお医者さんに妹さんたちに了解を取ったので外して下さいってお願いしました。
器械を。
(千砂)とにかく彼女は自分が同席をしていたんだからエンジンを切ったならば交通事故にならなかったんじゃないかという彼女の中に罪の意識があったわけ。
だけどそうじゃないと。
パパは事故になったけれどももともとは心臓発作で心臓が止まってしまったの。
あなたのせいでは何でもない。
全ての器械を外すだから今日が最後という時に泣きじゃくるナスカを引っ張ってって病院に。
それで…。
会わせた。
そしたらナスカは…「あんまりパパにいつも…ビズキスしてあげなくてごめんね」って言って最後キスしてでお別れ言って。
困難な収穫が終わって1週間後あなたは神に召されました。
くしくも蔵では最後の赤ワインの樽出しが終わり波乱に満ちた2013年の全てのワインが誕生した日でした。
でもあなたは大切な後継者を決めずに突然逝ってしまった。
ユーゴはまだ15歳でしかもドメーヌは継がずにソムリエになる夢を持っていたから。
あなたの葬儀はビーズ家の伝統にのっとりサヴィニー・レ・ボーヌ村の教会で行われました。
とても盛大なお葬式だった。
(ため息)う〜ん…そうですね非常に不思議な年ですよね。
つらい年…う〜んつらい年と言えばつらいのかもしれないけれどもう〜ん…。
でもなんかもっと私の中で大きなものを感じる事のできる年でもあって。
2013年は本当に過酷で不思議な年。
あなたがこの世を去る3か月前もう一つの大きな不幸がこのワインの聖地を襲いましたね。
7月23日。
巨大な冷たい雲が45分間もボーヌ一帯に大粒の雹を降らせたあの日の事を決して忘れる事などできない。
私たちの畑も8割近くのぶどうを失いましたね。
あの時のあなたの苦しげな顔を今でも思い出します。
大黒柱のあなたを失い一年かけて育て上げたぶどうの8割を失った。
私たちの船出はかくも困難に満ちたものでした。
その舵取りを任されたのは私とあなたの一番下の妹マリエルです。
次の世代まで背負ってかなきゃいけないものっていうのは非常に大きなものがあるんだけれども…。
でもそれが私に課された運命だとするならばう〜ん…やっていくしかないし。
パトリック。
あなたがいなくなって最初の冬が来ました。
私たちヴィニュロンにとって1月2月は畑仕事が最も少ない農閑期。
例年なら家族でスキーに行ったり旅好きのあなたと二人プロモーションを兼ねて世界中を旅している時期です。
もちろん今も私一人でアジアやアメリカの取引先に会うために出張するけど一人の旅はつまりません。
すぐサヴィニーに戻ってきてしまいます。
そしてあなたがしていたように畑を見て回る事が習慣になってしまいました。
22ヘクタールあるうちの畑を隅から隅まで全部歩いたのは初めてです。
ヴェルジュレス。
オー・ゲット。
ブルジョ。
グラン・リアール。
畑の地形や土壌は知っているつもりになっていたけど一本一本のぶどうの木の表情に気付く事なんてなかった。
きっと今までの私はドメーヌのマダムであってヴィニュロンの妻ではなかったのでしょう。
でもこれからはヴィニュロンそのものとして生きていかなくてはならない。
パトリック。
どうか経験のない私を導いて下さい。
これなんかとってもひどい状態でもうボコボコ。
ピンポン球大の雹が当たった痕跡がばっちり残ってます。
非常にこれがもろい状態なのでちょっと樹液が動き始めて暖かくなるとこれを寝かせてこの針金にクルクルッて巻きつけて寝かすんだけれどもそれ「誘引」という作業なんですけどね。
今年はこういう非常に折れやすいのでその誘引の作業を雨が降る中ぬれてる中でしないと多分折れちゃうだろうなという。
2013年はもう気合い入れてみんなでとにかく丁寧に丁寧に畑をやっていこうという心意気でやっていてすごいいい状態にあったところで。
スタッフみんな醸造所の方にいてそしたらバラバラバラバラッ!て音がして。
そしたらすごい雹で。
ぼう然としてましたよね。
大体45分間ぐらい雹が降り続いた。
ほんとにありえなかったですね。
通常は10分15分で雲が流れていくんですけど。
雹の痕跡が残るぶどうの木を見るとあなたを思い出してしまう。
それはまだあなたが生きていた頃の痕跡。
悲しくていとおしいぶどうたちの傷跡。
(千砂)裏にあるビーズ家の始まりの畑。
パトリックのおじいちゃんパトリックのお父さんパトリックが植えた木がここにある。
三代にわたって一番愛着のある畑です。
そうね村からボーヌに行く時パトリックはいつも車…この道を通るんだけれども雹の被害があってからはここを避けるようにしてもう一本向こうの別の道を通ってここを見ないように。
自分で受け入れる事できなかったんでしょうね。
パトリック。
今年の冬は少し暖かい冬です。
気温が上がる日の朝にはよく霧が立ちます。
オー・ゲットの畑では剪定作業を始めました。
あなたが育てた若いスタッフたちはあなたがいなくなった時にはみんな捨てられた子犬のように不安げな顔をしていたのに今ではすっかり頼もしい男の目をしています。
若いピエールに陽気なクリストフ。
一番古株のエディは相変わらずマイペースだけどすばらしいアンサンブルです。
そしてあなたが一番目をかけていたニコラはもはやうちのドメーヌにはなくてはならない存在で頼りになる私の相談役です。
畑の事は彼に任せておけば安心です。
今年から赤ワインの醸造もニコラに任せるつもりです。
醸造に関してはあなたも一目置いていた理論派のギョームには全ての白ワインの醸造を担当してもらいます。
どちらかというとワインおたくの彼は雹でやられた2013年のシャルドネを最高の白ワインにする事に情熱を燃やしています。
パトリック。
いつもより早く春が来ました。
庭のマグノリアも満開になりました。
畑を見て回る時もつい咲き始めた花に見とれて足を止めてしまいます。
急に暖かくなって畑の作業が一気に動きだしました。
人手が足らなくてシャンプランの畑の誘引は村のおかみさんたちに手伝ってもらいました。
(千砂)ヴェルジュレスはビーズ家のフラッグシップ。
一番面積を持っていて3ヘクタールここの辺り持っていて。
見てもらっても分かるように土が何となく赤土ではなく白っぽい。
だから赤でも白でも造れるすばらしい畑です。
特にここは真東向き斜面非常に日照量もあって風も北風と西風のちょうど交流点になるので非常に条件がいい所です。
これはシャルドネヴェルジュレス・ブランサヴィニーの一級畑。
シャルドネの方が早く芽が1週間ぐらいピノ・ノワールよりも早く出てきます。
早いですね今年は。
芽が出るのが早いです。
冬らしい冬じゃなくって暖冬。
だからやはり芽が出てくるのが早くて遅霜のリスクとかが高くなるんですね。
「氷の聖人」というのが5月の121314「氷の聖人の日」といわれてる日があってそこを過ぎるまでは遅霜のリスクがある。
だから農民は喜ばないんですけどね見てるとかわいらしくて愛らしくて「今年も大丈夫だよ」なんて言ってくれてるような気がします。
パトリック。
新しい事にも挑戦してみようと思っています。
といってもあなたの生きていた頃から少しずつ始めていた事だけど。
そうあなたがあまり興味を示さなかった「ビオディナミ」という自然派の有機農法。
あなたの許可をもらって実験的にセルパンティエールの小さな区画で試していたビオディナミのやり方を他の畑にも少し広げてみようと思うの。
あなたは許してくれるかしら?あなたに似てブルゴーニュの伝統を重んじるマリエルに相談したらあまり歓迎されなかったけど…。
私が勉強会にずっと出てきたのはビオディナミバイオダイナミックスの農法なんだけれどもそういうのを勉強してそれを導入したいそれを導入するという事でやってきたんだけども実際に私が畑に行って働くのは無理。
でその農法を導入したいなとずっと思ってたのが私がやる事になって一気にみんながそっちの方向に方向転換した。
だからなんかこう意識で念じてこうありたいなと思った事が周りのスタッフがみんながそっちに急に向いてくれた。
去年パトリックが6月に香港と中国に営業に行ってそこでジャーナリストのインタビューを受けていてそのインタビュー記事が彼の死後雑誌に記事となって出てきてそれを読んだ瞬間にあれだけ私がやろうよやろうよと言っていた自然派の農法バイオダイナミックスの月のカレンダーを利用しての農法。
あれだけ「うんまあねまあね」と言っていた彼がその記事には「これからのビーズは変わります」と。
「見ていて下さい」と。
「月のカレンダーを利用して畑の作業をしていきます。
それを見ながら瓶詰めもしていきます」。
そういうメッセージがそこの記事に書いてあって。
えっ…あれだけ「うんはいはいはい」とかって流していた人がそういう事を考えていたんだって。
あそれでやっていっていいんだと確信した時にスタッフもみんな一気にそっちの方に動いていきました。
今まではあなたが許可したセルパンティエールの畑にしかまかなかったビオディナミの養液をビーズ家のシンボルともいえるヴェルジュレスの畑にもまく事にしました。
でも私の独断ではありません。
ここ数年セルパンティエールで試したビオディナミの方法に手応えを感じていたスタッフの総意です。
マリエルも了承してくれました。
パトリック。
今年のブルゴーニュの気候は気まぐれです。
暑く乾燥した4月。
雨が多い寒い5月。
でも6月になってやっと初夏の気配が訪れ待ち望んだぶどうの花が咲きました。
白く可憐なでも私たちの心を躍らせる小さな花。
「花が咲いた100日後が収穫開始の日だ」。
そう教えてくれたあなたの言葉を思い出します。
パトリック。
畑の作業は順調です。
なかなか気温が上がってこないのがちょっと心配だけど…。
あなたから与えられた宿題もちゃんとやっていますよ。
お墓の壁の横にはセルパンティエールという彼が一番てこずっていたんだけれども私が一生懸命それを改良しようとしている畑があって。
気持ちいいんじゃないんですか。
あなたでさえてこずっていたセルパンティエールの畑は私の希望で始めたビオディナミの原点なので責任を持ってできるだけ自分で面倒を見ています。
セルパンティエールです。
プルミエクリュなのでいい畑です。
名前がセルパンティエールという語源が「Serpent蛇」という名前の畑なんですね。
畑が蛇行していたそこからきてるんです。
だけど今見ると全く蛇行してないですよね。
まっすぐ。
それはトラクターで作業するようになったりとかして作業しやすいように人間が勝手にそういうふうにした。
木にそれ向いてないんだと思う。
まっすぐっていうのが。
パッと見ると顔色が悪い。
葉っぱが赤くなり始めてるのが分かると思うんですがまるで人間が首を絞められた時に息が呼吸が空気が回らなくて窒息して顔が赤黒くなっていくのと同じ症状があそこに表れてます。
2008年に私がビオディナミの勉強を始めて自分でもやってみたいと思うようになりパトリックに「どこかで試させて。
試したい」という事を言ったらすぐ「いいよ」と。
意外だったんですけど「いいよ」。
「じゃセルパンティエールやってみな」って言われたのね。
というのは彼もパトリックもここをどうしていいか分からなくて全部引っこ抜いて新しく植え替えるのかどうしたらいいのか迷っていたんだと思います。
少しずつ少しずつ範囲を広げてますビオディナミの。
その原点になる…原点になる畑です。
パトリック。
もうすぐ7月なのに気温が全く上がりません。
雨も多いし…。
上空に冷たい空気が停滞してるんですって。
嫌な予感がします。
パトリック。
今年も雹が降りました。
ここはプルミエクリュのマルコネの畑で去年あまり被害を受けてなかった畑だったので春先一番きれいにぶどうがついて葉っぱもきれいで「いいね今年は」と言っていた畑です。
ところが6月28日の雹今年も朝方でしたけれども雹が襲ってきてあっちのムルソーボーヌ通ってこのように雹が降ってきました。
向こうのちょうどペルナンとアロース・コルトンの村のコルトンの丘の間のところあそこを通り抜けてあそこで消滅したって感じです。
南方面のぶどう葉っぱかなりダメージ受けてます。
反対側はね多少こうやって当たってない方はまだぶどうがきれいに残ってるの分かるでしょうか。
ここは55%の被害というふうに。
(取材者)半分以上?半分以上。
午後は比較的天気よかったから子供と見に行こうかって一緒に。
畑見に行こうかって。
率先してユーゴがあそこ行ってみようここ行ってみようって結構アペラシオンの名前覚えてて驚きましたけどね。
通常去年とかまでだったら絶対僕たち興味ない関心ないって感じで絶対ついてきてくれなかっただろうけど今年は一緒にナスカも一緒についてきてくれて。
ヴェルジュレスの丘があって内側に入ってくる斜面はもうダメージ全く受けてないほぼ受けてない。
まだ去年みたいに全部じゃないから。
いいビンテージのワインというのはもうほんとに「僕見て!」みたいな自己主張するタイプになって思春期じゃないけども途中反抗期に入る事が多いのね。
だけど自然が非常に難しくて難しい環境で育ったぶどうは反抗期ワインになって瓶で熟成してる時にあまり反抗期みたいなのがなく素直に常に常においしくやさしく飲めるなって経験上思います。
パトリック。
相変わらず天気は安定しません。
雨も多いし肌寒い夏です。
ぶどうの成熟もゆっくりです。
こんな年あなたはどうしていたんだろう?ユーゴとナスカは夏休みで海外にホームステイに出かけました。
家も村も静かです。
私は畑が心配でバカンスに出かける気にもなりません。
(千砂)フランス語で「ベレゾン」といいます。
大体これ色づきが始まって50日後に収穫です。
(取材者)という事は?9月…知らない。
12?私の誕生日。
…にスタートしようかな。
フフッ。
パトリック。
神様のおぼし召しでしょうか。
9月に入って連日晴天の日が続き真夏の暑さが戻ってきました。
うちの畑のぶどうたちも一気に成熟してきました。
ほんとに見晴らしのいい所で私たちのうちのコルトン・シャルルマーニュの丘はこの左側西向き斜面にあります。
ここ気持ちいいですよね。
なんかここから見てると大地というのがほんとに緩やかな。
下から見るとすごく急な起伏なんだけれどもコルトン・シャルルマーニュなんて。
ここですか?ないです。
ここまで来ないね彼はね別に。
今までずっとキッチンだとかキッチン隊でずっと裏方で切り盛りしてたんだけど収穫隊っていろんな人が来るんですよ。
リタイア組の人たちも来たりだとかそれから近所さんだとか。
あと一番…なんていうのかな放浪してる人たちそういう人たちも来るわけですよ。
この人一体何だろう誰なんだろうみたいな怖そうだなっていう人が来るわけ。
で…私が最初にマダムとして切り盛りし始めた時2003年とか2002年だったかな…にすごい目がシベリアンハスキーみたいな鋭い目したうわ怖〜っていうなんかこう放浪者がうちに来たわけ。
働かせてくれって来るわけですよ。
みんな引いちゃってどうしようかっていった時にパトリックのお母様がまだその時いらして「どうぞ」って受け入れたわけね。
受け入れて。
それでその人をみんな避けながらも…。
避けてるわけみんな怖いから。
だけどその収穫ずっと通してその人は来て何にもひと言もしゃべらないで一人で黙々と食べてて。
で最後帰る時に言った言葉が…帰ってったわけ。
(取材者)泣ける話だね。
来なかった来なかった。
シベリアンハスキー来なかった。
放浪者だからまたどっか行っちゃったんじゃないですか。
だからねどうしても今ね収穫のお昼ごはん準備する時に大変なわけですよほんとに。
買い出し行って仕込んでそれを10日間なり続けると私たちプロじゃないから大変なんですけど。
中にはそういったケータリングに頼んだりだとか大手さんなんかも機内食みたいなの出したりだとかあとはもう全然そういうの出さないでお金だけ渡して勝手にやれみたいなそういうのがあるんだけれどもうちはあくまでもこだわって自分たちで作った温かいものをあくまでも提供するっていうのを心がけてるんですけどね。
いつから収穫を始めるのか。
ヴィニュロンにとって一番重い決断ですね。
「ぶどうの成熟の具合がワインの味を決める。
早すぎても遅すぎてもいけない」。
あなたはそう言って毎年孤独に決断していました。
それが今では私の仕事です。
(かむ音)音聞こえますか?これが…。
種の部分まで熟してきてる。
実の部分の皮の中にジューシーな部分があってそこに種がありますよね。
種とそのジューシーな部分がかんでるとすぐ離れる感じ。
かんでみるとその種がえぐみだとか苦みじゃなくてクルミの香ばしさが味わえる。
そうなってくるともうそろそろOK。
熟成してきましたよっていうサインです。
パトリック。
2014年の収穫開始は9月15日に決めました。
その前日は緊張してよく眠れませんでした。
情けないです。
初めてドメーヌのオーナーとして迎える収穫へのプレッシャー。
あなたという絶対的リーダーのいない不安。
私の顔がこわばっているのがスタッフ全員にばれちゃってる。
用もないのに蔵をうろうろして…。
「邪魔だ!キッチンにいろ!」。
あなたがいたならそうどなったでしょうね。
私はあなたじゃない。
あなたの代わりはできない。
私にできる事しかできない。
私がワインの販売やファイナンスを担当していた頃からの秘書のコレットは落ち着いたもの。
彼女と私でそろえた収穫隊は60人。
あなたがいた頃よりも多い人数です。
6月の雹にひどくやられたアロース・コルトンブルジョそしてマルコネの畑のぶどうは成熟すると傷ついた部分から腐り始めてしまうからマリエルと相談して3つの畑を60人で一気に収穫してしまう事にしたの。
収穫隊を指揮するのは私。
パトリック。
どうか私に力を貸して下さい。
始まるまでが一番こう気持ち的にプレッシャーだとかそういうのがありましたね。
一回始まってしまうともうやらなければいけない事をこなしていかなければいけないという事で…。
はいなんか始まる前にいつもパトリックがなんかもうどんどん痩せ細っていて無口になって一人でいつも考えていた気分がよく分かりました。
やっぱいろいろこの一年間あったのでそれで…。
「僕はワインの学校行きたいそして僕はママのためにワインを造りたい」って言ってくれたんですけどね。
(取材者)へぇ〜!うれしいですね。
もちろんねうれしいですよ。
だから私はこれからしばらくの間頑張っていく理由がちゃんと出来た。
パトリック。
ついに収穫の最終日がやってきました。
最後に残ったのは山の上のグードゥレの畑。
まるで秘密の花園ね。
晴天に恵まれた収穫最後の日に雨が降り始めました。
私初めて来たここ。
来た事ない。
すごいきれい。
将来というかユーゴに目指してほしい造り方というのがここまではいかないけど花とかいろんな植物とぶどうが一緒に共存してるみたいなそういったものをやっていきたいんだけど。
きれいねここ。
収穫が終わります。
一生忘れられない私の一年がもうすぐ終わります。
(クラクションと歓声)
(拍手)
(拍手)
(拍手)はいビーズ!
(拍手)
(一同)・「ラーラーラーラーララララ…」・「ラーラーラーラーララララ…」
(拍手と歓声)パトリック。
本当に奇跡だと思う。
小さな奇跡だけど私やマリエルあなたの二人の子供そしてドメーヌのスタッフたちにとってはとても運命的な巡り合わせ。
10月20日。
あなたが天に召されてちょうど一年目の命日にピノ・ノワールの最後の樽出しが終わり2014年の全てのワインが地下のカーブに収まりました。
身内だけの静かなポレのお祝い。
パトリック。
あなたの大好きだったぶどう畑の紅葉です。
ぶどうの葉は収穫が終わると一気に色づいてあっという間に葉を落とすから今日はあなたにテイスティングしてもらいたいワインを持って一番眺めのいいオー・ゲットの畑に来ました。
2014年のセルパンティエール。
ビオディナミを試したい私にあなたが任せてくれた小さな区画のワインです。
まだまだ骨格が定まらず神経質なところもあるけど去年よりもきれいで純粋な味のワインになりそうです。
天国でしっかりと味わってほしい。
パトリック。
これが私たちの出した「答え」です。
2015/05/30(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「ヴィニュロンの妻 日本人マダムと名門ドメーヌ 再起の闘い」[字][再]
世界的なワインの銘醸地、フランスのブルゴーニュ地方。主の急死で存亡の危機にたった名門ドメーヌ。後を引継いだ日本人マダム。再起への闘い、その1年を追いました。
詳細情報
番組内容
世界的なワインの銘醸地、フランスのブルゴーニュ地方。4代続く名門ワイナリーに日本から嫁ぎ、マダムとして夫を支えてきた、ビーズ・千砂(ちさ)さん。しかし、夫の急死でワイナリーは存亡の危機に立ち、その命運が、彼女の肩にのしかかります。果たして、彼女とスタッフは絶望のふちから立ち上がることができるのか?その1年の闘いを追いました。【語り】宮沢りえ(女優)
出演者
【語り】宮沢りえ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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